[出雲大社] なぜ神様が集まるのか

[出雲大社]現人神である国造
[出雲大社]大国主命。どういう神様なんだろう
[出雲大社]天への架け橋か
[出雲大社]文明王国、出雲国は本当にあったのか
の続きです。

出雲大社のシリーズとしては、一旦最終回と致します。

出雲の不思議
国譲り伝説。
天照大御神から国を譲りなさいと言われて
分かりましたそうします、と大国主命
屈服したわけです。

大和に出雲が負けた。

なのに

どうしても分からない事がある。

神様が集まる場所

神無月(かんなづき)の10月に、神様たちが出雲に集まる
やおよろずの神様たちは、出雲に行っちゃうから、神様たちが不在です。
出雲では、10月は逆に神在月と呼ぶ。

えっ、なんで?
なんで、神様界のトップの天照大御神のいる伊勢に集まらないの?
天照大御神自身が行くかは分からないにしても、大和にいる神様たちは
天照大御神を横目でチラチラ見ながら

すんません
ちょっとだけ言ってきますわ。

出雲だけがそう言っている訳ではなく、月の名前になっている位だから
日本の国全体としてオーソライズされている訳です。

とても日本的ですね。
勝ち負けをはっきりつけて、全部こっちに集中じゃなくて
譲ってくれたんだからありがたいよね。
年に一回は、出雲に集まって、良かった良かったと讃え合おうよ、と

議題
神様サミットの議題はというと、主に縁結び
誰と誰を結婚させるか

はい
播磨の神様やらせてもらってます。よろしくお願いします。
うちに、けいこちゃんというとっても気だての良い娘がおるんじゃが
こんなんでこうこう

はいはいはい
越後の神様やらせてもらってます。
うちの伸の介なんかぴったりじゃなかろうか

では、決定と言うことで。

行事
10月の1ヵ月をかけて、全国の神様は、出雲へ行って、戻ってきます。
全国側も、出雲側も大忙し。

・10月1日:「神送り」出雲に出発
各家庭で、旅立つ神様にお弁当としてお餅やお赤飯を供えます。
・10月10日:「神迎え」出雲に到着
出雲の国・稲佐の浜で神様を迎え、出雲大社へ向かいます。
・10月11日~17日:「神在祭」(かみありさい)
神議(かむはかり)という会議をします。
出雲大社では、会議処である上宮で祭りを執り行います
また、神々の宿泊所となる境内の19社でも連日祭りが行われます。
・10月17日:「神等去出祭」(からさでさい)
出雲大社から出発、出雲の国へ。
・10月26日:「第二神等去出祭」
出雲の国から出発。再び出雲大社でお祭りをします。
・10月末日:「神迎え」帰宅
各家庭でお餅や作物を入れたすいとんなどを供えます。

顕と幽
そうやって見ていくとやっぱり不思議です。
大和に比べ出雲も強大な勢力を持っていたけど
戦争で負けたわけではなく、とても平和に参加に入った。

出雲大社シリーズをやって来て、その辺りまではイメージできたんですが
メインとサブ
首相と副首相
と考えるには、
サブの側に全国の神様が集まるのが、どうしても引っ掛かる。

メインとサブ
ではなく
表と裏
なんじゃないか

日本人は、これを頂点に、って考え方がそもそも肌に会わなかったのかも知れない

神社シリーズをやって来て、イメージとして持つのは
伊勢神宮って、政治的にはあまり意味を持っておらず
むしろ政治の重大局面で出てくるのは、いつも八幡。その次に天神
庶民の側からはむしろ稲荷

江戸時代にはお伊勢参りが超人気になるけど
御師たちの努力で、という要素が強く
天照大御神が神様のトップだから、という理由には思えない。

おそらく、天照大御神が神様のトップに君臨したのは
明治政府の意図的な政策で、
それまでは、意識の中で天照大御神はトップではなかったんじゃないか

だからといって、大国主命がトップってわけでもなく
大国と音が同じ大黒様が、大国主命と一緒って言い方をされて
そっちの方が一番人気になっちゃう。

早い話がそれほどちゃんと考えていなかったんでしょう。

最初に、出雲は国造(くにのみやつこ)が現人神(あらひとがみ)だという話をしました。
国造という組織が、自然消滅した後も、出雲でだけは現在までずっと世襲で続いている

一方、天皇が現人神だという考え方は、天武天皇と持統天皇はそういう表現の仕方をしたけれども
絶えて久しく、明治維新まで、そういう表現は誰もしなかった。
天皇が伊勢神宮に参拝する事もしていない。

即ち、日本に現人神は江戸時代までは、出雲にしかいなかったことになる
明治になって、世襲制の国造の千家(せんげ)家の千家尊福(せんげたかとみ)が論争をしかける
伊勢派に対して出雲派
天照大御神だけじゃなく、大国主命も重要視すべし

物事には、顕と幽があります。
顕は目に見える世界
天皇陛下や天照大御神が司る
幽は目に見えない世界
司るのは大国主命です

結局負けちゃって、その考え方は退けられるんだけど
かといって、千家尊福は異端児的扱いとか、出雲の田舎もん的扱いを受ける訳じゃありません。
元老院議官、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣、東京鉄道株式会社社長などを歴任

千家尊福が作詞した一月一日は文部省唱歌として採用される

♪年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ

絶対正月にはテレビで流れますね

良いですね
こういう受け入れる文化

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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