[出雲大社] 大和との独自のスタンス

[出雲大社]現人神である国造
[出雲大社]大国主命。どういう神様なんだろう
[出雲大社]天への架け橋か
[出雲大社]文明王国、出雲国は本当にあったのか
の続きです。

大和と
出雲文明の謎を前回話しましたが、大和と出雲って独自のスタンスを持っていたと思われる。

女帝元明天皇の時、各地に風土記を作るようにとの命が下る。

各国の風土記は、国司という中央から派遣された人が担当
ところが、出雲風土記は、出雲国造(くにのみやつこ)が担当
シリーズの一番最初にお話しした、出雲大社の神主にして、神そのもの
出雲の地を治めてきた郷族

内容的にもかなり独自性が強く、最も詳しい。

今でいう行政の自治区のような存在だろうか

国譲り神話って、大和と出雲が争って出雲が屈服したのを象徴的に書いたのかと思いきや
それならば、他の郷族にもそういう例はいっぱいあるだろうに、国譲り神話は出雲だけ

出雲には、戦争で使われる武器が出土されていない
前回お話しした銅剣も重すぎて、戦争の武器として使ったとは思いがたい。

大和の傘下に入った時のそのやり方が、よほど平和的だったので
それを表現するために「国譲り」という表現方法をとったのではあるまいか

どう
うちの傘下に入らない?
今なら、おたくを特別扱いさせていただくわよ

古墳の規模からして
出雲は大和と匹敵するほどだったとは思いがたい

とすれば、大和にとって、出雲は特別に仲良くしたい存在だったのだろう

ひとつには、勾玉(まがたま)

勾玉を作る技術は、他の地域に比べ、ダントツを誇っていた。

あと製鉄技術が重要なのですが
それはシリーズの次回にお話して参ります

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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