湯島からのウォーキング
湯島からのウォーキングの続き
湯島からのウォーキングその3
の続きです
■本郷追分一里塚跡
中山道の最初の一里塚であり、日光御成道との境目

■弥生式土器ゆかりの地
ここから弥生式土器が最初に発見された
弥生町なので土器の名前や時代の名前まで弥生になりました

■旧太栄館(石川啄木旧宅・蓋平館別荘跡)
石川啄木のゆかりの地二つ目です
東京に、郷土の先輩金田一京介を頼って上京
赤心館というところに下宿し小説を5つも書くが全く売れず
家賃が滞るようになり、金田一京介の助けを借りて、ここ太平館(その後「蓋平館」と名前が変わる)に移ります

碑の文字、ちゃんと読めました
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
■赤心館
その赤心館です

たはむれに母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず
■本妙寺跡
江戸時代は明暦の大火の前と後で大きく変わります
それほど大きな影響を与えた明暦の大火
市街地の大半を焼きつくした
その火元が本妙寺と言われています
またの名を「振り袖火事」
振り袖火事についてはよろしければこっちを読んでね
振り袖火事と八百屋お七、ああ哀しき16歳
今の本妙寺き移転していますが、元はここにありました

■法真寺
樋口一葉ゆかりの地です
少女時代、法真寺の横に住んで境内で楽しく遊んだ
桜木の宿と呼んでいた

なかなかお洒落なお寺


おっと、一葉さんいたのね

■かねやす


かねやすは中山道沿いの小間物屋さんだったんですが
乳香散という歯磨き粉を開発して大ヒット
8代将軍吉宗のとき、町奉行大岡越前が
防火のためこの辺りから江戸城まで、瓦葺き屋根を推奨した
ちょうど境目辺りで大きな土蔵で目立っている「かねやす」までは瓦葺きが多く
かねやすを過ぎると板葺き茅葺きが多いので
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」
という川柳が生まれました
過去にももう少し詳しく書いているのでよろしかったらこちらも読んでね
本郷散策の続き
■喜ノ床
石川啄木ゆかりの地第四弾
赤心館、太平館、と移り住んで、そのあと引っ越したのがここ
喜ノ床という床屋さんの二階
今も床屋さんなんですね


この時期に作った短歌で有名なのが
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る
■本郷弓町のくすの木
えっ、大きなくすの木があるってだけ?と思いつつ行ってみたら
おおおっ、来て良かった。想像以上にどでかかった


■妻恋神社

ヤマトタケルノミコトが東方平定の際
東京湾を走水の渡り(現横須賀市)から千葉に向けて船で渡る時、
途中暴風雨に遭い、船はもてあそばれ沈みそうになった。
同行の妃・弟橘媛命(オトタチバナ)が「夫の身代わりとして海に入り、海の神の心を鎮めましょう」と言って、「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」(焼津で自分を守ってくれた尊への思いが込められている)と歌を詠んで海に身を投じた。
海は鎮まり、尊は房総に上陸ができ、東国を平定し、大いに勲功をあげることができた。
愛する妻をなくしたヤマトタケルノミコト
帰路で、上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み「吾妻者耶・・・・・」(あずまはや~)
我が妻よー
ここから関東地方をあずまと呼ぶようになった
妻恋神社はヤマトタケルとオトタチバナを祀っています
もうひとつ妻恋神社で有名なのは「吉夢」(よいゆめ)
これをお正月に枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られるんです


いっぱい歩いたなあ
さあ、東京駅へ向かい、関西に帰省いたしましょう