千住宿を感じて

この土曜日に行ったウォーキングを二日に渡ってお話ししましたね
セイコーミュージアムに行ってきました

さあ帰ろっ

えっと、北千住に出てJRに乗り換えてっと

北千住ねえ

実は、今度のイベントの昼食の予約場所を探すという本来の目的は
すぐに達成できるだろうと考えて
乗換え駅である北千住に関しても
荒川区の千住散策マップをダウンロードしておきました。

思いの外長いウォーキングになったわけですが。

東京23区、都立9庭園、6地蔵と数字ものを続々とコンプリートさせていっている昨今

数字ものの大物がまだコンプリート出来ていません。
江戸四宿です。

日本橋を基点とした五街道の一番最初の宿場町。

東海道の品川宿は行きました。
中山道の板橋宿、これも。
甲州街道の内藤新宿、これも
それぞれ、ウォーキングイベントにしています。

残る、奥州街道と日光街道共通の千住宿
まだ歩いていないんです。

ついこの間
南千住までは行って
よし、今度は北千住の千住宿だと思っていた訳です。

今、2時過ぎ
暑い中、結構歩いて疲れてはいる

さあ、どうする

地図だけでももらってくるとするか

千住 街の駅
千住散策マップに、「千住街の駅」というのが書いてあります。
これはひょっとして、品川の品川宿交流館、板橋の板橋地域センターに当たるところではありますまいか
行ってみましょう。

すみません。
千住の宿を感じつつウォーキングするとすると
どうすれば良いでしょうか

それならばね
千住宿歴史ウォーク、というこの本が出来たばっかりです。
有料(540円)なんですけど

無料のマップであれば
これとこれ

ひとつは、すでにダウンロードしていた荒川区の「千住散策マップ」でした
もうひとつは、足立区が作成した、北千住散策マップ
荒川区って、南千住までなので、北千住は他人のふんどし。
北千住だけだと足立区の方が詳しいです。

ありがとうございます。

おすすめの場所も聞き、大体の目印も聞く。

本も買います。

えっ、良いんですか、有料なんですけど。
やたらに申し訳なさそう。

500円だったら、買いますでしょう。

こういうところは、この前の板橋の時もそうでしたが
一番の醍醐味はふれあいです。

外の四宿は全部行ったんですけどね

おじさんも色々乗ってきて話し出します。

東海道は全部、踏破したんですよ

ええっ、私は生麦までです。

中山道もね

ええっ、全部ですか

日光街道、甲州街道もほぼ

わわわわっ

病気しちゃいましてね
お医者さんに、健康のために歩きなさいって言われて

それでそんなに歩いたんだったら
そもそも元気な気がしますけど。
芭蕉もビックリですね

そんな話をしながら。

途中、上着をおじさんが準備することがあって
なぜかでっかい大型冷蔵庫から出していました。

暑いから、冷えた上着を着てこのあと出ていくのかな、と思っていましたが
買った本を読んで謎が解けました。

ここは、以前魚屋だったのを利用しているそうです。
単にクローゼットだったんですね。

では、本陣跡からですね

本陣跡
やっぱり歩くことになりますね
よし、もうひと頑張り

大橋眼科
江戸時代の千住宿って事ではないけど、古い洋館がそのまま残されていて
今も眼医者さん。
ガイドさんのおすすめです。

千住ほんちょう公園
千住宿としてのメインストリートは、旧日光街道
街灯の袖看板や、舗道のタイルなど、ちょっとした気配りが嬉しいです。

おっと、公園に大きな案内マップが
これはマップにも書いてなかった。
こういうのがあるから実際に歩いてみると楽しいのよね

どうしたんボク
そんな格好で、風邪引くで。

横山家
江戸時代からの伝馬屋敷をそのまま残してくれています。
リサイクルの紙を作っていたようです。
使い古しの紙を集め、漉き直して浅草紙として江戸に出荷

江戸のリサイクル社会ぶりは何度も本に出てきますが
実際にここでした、というのは始めて見ました。
歴史散策の真髄ですね

絵馬屋吉田家


絵馬屋ですって
まさか私が生きているうちに、絵馬屋などという職種に出会えるとは

「千住宿歴史ウォーク」の本によると
吉田家は江戸中期に、際物(きわもの)問屋として開業
当主は代々「東斎」を名乗る。屋号は絵馬屋。
際物とは、季節商品。
例えば、正月の羽子板とか、雛人形、鯉のぼりのようなもの

「最後の絵馬師逝く」と各新聞で報じられたのが、1972(昭和47)年2月
7代目東斎は、超有名な絵馬師だったらしく
絵馬、提灯、絵びら、花輪の文字、凧、地口絵紙などを作成していた。

伝統を絶やしちゃいかん
江戸武者絵凧の凧絵師、今井鐵蔵さんが千住絵馬の伝統を受け継ぐ
でも残念
9年頑張ったんですけど、1981(昭和56)年、逝去
とうとう途絶えてしまいます。

何とかならんだろうか
多くの人たちの声

分かりました。やってみましょう。

手をあげてくれたのが、7代目東斎の娘、晁子さん
小さい頃から7代目の仕事をずっと手伝っていた。

8代目東斎誕生です。

足立区も焦りましたね。
1982(昭和57)年、早速、足立区登録無形文化財に指定。

千住絵馬は、その製法が全国的にも独特らしいです。

どこの神社に奉納しても良いらしいので
当日は閉まっていましたが、今度行ってもし開いていたら
おそらく一刻を争います。
買わないといけませんね。

さらに、地口行灯(じぐちあんどん)
元の句があって、それを茶化したもの
浅草の伝法院でもいっぱい並んでいて大笑いできました。
吉田家のはこんな感じ
穴より団子【元句】花より団子

臼から出た男【元句】嘘から出た誠

大好き!

2003(平成15)年9月のお祭りに際し、
千住五町会連合青年部が、回覧板で住民の皆さんに、ある提案。
絵馬屋さんから、地口行灯買ってもらって、各戸の軒下に一斉に吊るしませんか?

もちろん費用は各自持ちだから、どれくらい希望者が出るか半信半疑だったけど
なんと400個も注文殺到。
期間中、街中に昔の風情が甦った。

せっかく買ったんだし
そのままずっとつけておいてもらえると、
良い街起こしになるのになあ。

名倉医院


接骨院なんだけど、大繁盛で
今の時代だったら、さしずめ大病院というところ
今でも接骨院をやられているそうです。

丸井10階
大きく引き返して、元の地点

今度は、南千住側へ南下していくと
問屋場跡とか、一里塚跡とか、ラジオ体操発祥の地とか
面白そうなのが色々あるけど
さすがに疲れました。
駅方向に戻りましょう。

丸井の10階に、足立区が借りているスペースがあり
そこに千住宿復元模型


千住宿の説明パネルもいくつかあるので、千住宿を歩くときは
ここに寄ってから歩いた方がいいかも

さあ、今度は、「千住宿歴史ウォーク」の本をじっくり読んでから
残りの半分を歩くことにいたしましょう。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


マンデビラ

花カレンダー始めました

東白髭アパートは超巨大な防災要塞だった

セイコーミュージアムに行ってきました。
の続きです。

東白髭アパート
前回の下見で、東白髭アパートの話をしたら
コメントで、アパート全体が防災の要塞になっているという話を聞いた。

全く知らなかったので、ビックリ!

せっかくここまで来たからどういうことなのか見てみよう。

隅田川が大きくカーブしているから
昔から水害で被害を受け続けてきた場所

さらに、東京の大地震が起きたら
特にこの地域は大火災が予想されているらしい。

災害を食い止めるどでかい壁をドドーンと作ろうと
ただの壁じゃなく、大規模マンションにしちゃおうと。

すごいこと考える人がいたもんです。

あらゆる口をバシャッと閉めちゃう



地域住民は全員このマンションに逃げ込む事になっているらしい。
ベランダもシャッターがガーッて閉まる

隅田川神社への参道だってこの通り

一番すごかったのがここかなあ

ガチャンガチャンガチャーン

屋上に上がってみたい
最上階へ

残念ながら、屋上へは、非常時以外絶対に上がらないで下さいと書いてあった。
この黄色いのに、水が思いきり入っているらしい

そして、放水銃から回りに水をぶっかける

ちょっと分かりにくいね
ネットに出ている写真だとこんな感じ。

周りの公園にも至るところに防災の文字

植わっている木も火に強い木ばかり

興奮してあっちゃこっちゃ走り回ってしまいました。
すごいっごついっ

ここは、あのシンゴジラも現れませんでした。
おそらく製作側も配慮したんでしょうね
東白髭アパートだけは壊しちゃまずいでしょうって。

実際、ゴジラが踏んでも壊れない感があります。

ずいぶん遠くまで見て回って、気づきました。

あっ
岩瀬忠震の「岐雲園」に行くの忘れた。

まあ良いか。
どうせ、案内板だけだし。
(こらっ、岩瀬忠震ファンと違うんかいっ)

多聞寺
その後、多聞寺まで歩きました。

実は前回、一番後悔したことがありました。
多聞寺まで言ったら
東武の鉄道と高い堤防道路を越えると、もう荒川

荒川を見ずして帰れようか

うーん、地図見ても、実際に見渡してみても
堤防道路が延々と続くのみ。
向こうへいくトンネルとか登っていく階段とかがある気がしません。

自動車整備工場のおじさんに聞いてみました。

意外に大阪弁での回答

荒川か
ここまーっすぐ行ってな
最後L字に曲がるんやけど
曲がらんとそのまま上がっていって、向こう側に行く階段があるらしいで。
わしゃ、行ったことないんやけどな。

ありがとうございました。

荒川
言われた歩道橋を渡りました。

おおっ。荒川やっ

気分スキーッ
一気に金八先生気分です。



隅田川と荒川が繋がっている隅田水門です。


ああ、やっぱり足を伸ばして良かった
荒川も見たことだし
結局、堀切駅まで歩いた形なので
駅はすぐそこ
帰るか

ちょっと待て
この壮大な景色を見て、
このまま帰るってどうなのよ

金八先生は、それを聞いて何て言うだろう。

河川敷、歩いてみるか

ひとつ問題があります。
戻って次の駅に行く方法が分かっていない。

グーグル一所懸命見てみたけど、結局分からない

ええいっ
ぐちゃぐちゃ考えるより、一歩を踏み出せっ

でっかい川の河川敷って遠くまで、ずうーっと見渡せて
その間に何もない

そういうのって日常的に見れる景色ではないから
気持ちがスカッとするんでしょうね
空も丸々空です。

多摩川の時も気づきましたが、ひとつだけ欠点があります。

いつまでたっても景色がほとんど変わらない。
歩けども歩けども

そして今回
気づいた事があります。

暑いっ

サイクリングしている人はいっぱい居ますが
歩いている人は、見事に一人もおりません。

おそらくですが、
気づいたんでしょうね

大声で歌いながら歩を進められる、という大きなメリット
学生さん達が、この炎天下、野球をしています。
ご苦労様ですね

どっちも頑張れっ

あれっ階段あるぞ
登ってみよう
おおおっ
向こう側の下に降りていく階段が
そしてあそこに見えるはひょっとして鐘が淵駅

かなり長く歩き続ける事を覚悟して歩き始めましたが
思いの外短めで何とかなりました。
ちょうど良い感じかな

ああ、気持ち良かった。

今回、一度行ったルートが基本だったけど
改めて調べ直してから歩き直すと
こんなにも新たな発見があって楽しいもんなんだと知りました。

さあ、帰ろ

東京ウォーキングはまだまだ楽しめそうです。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


ホオズキ

花カレンダー始めました

セイコーミュージアムに行ってきました。

以前、向島百花園の話をしました。

向島百花園は、全然違っていた。
向島百花園。その2。もうひとつの楽しみ方
向島のウォーキングの続き

あんまり良かったので、ウォーキングイベントにして
9/8に行うんですが
昼食の予約がうまく行っていません
そもそもコース内に、食べるところがほとんどない事に加えて
ネットで調べて電話したところはことごとく断られました。

行くしかありません。
昼食の場所探しにゴー。
地図
東武博物館
東向島の駅を降りると東武博物館というのがありました。

200円とはいえ、有料だったので今回は入り口から見えるところの写真だけでパス
鉄道好きのちっちゃな子達で溢れ返っておりました


外にも電車が置いてあったので只で見れます。
太っ腹です。

くすのき児童遊園
普通の、子供が遊ぶための小さな公園です。

良い古木だなあと横目で見つつ、すんなり通過しようとして
ちょちょちょっと待てよ
と引き返しました。

くすのきじゃない。
スダジイだ
奥にある木も、くすのきではない
頭を抱えてしまいました

深い深い、ひょっとして心暖まるような理由があるに違いない
ネットで調べてみました。

「ビワの木が数多く育つ児童公園」

とあったので、奥に有ったのはビワの木だと判明しましたが
そこまで。

墨田区の七不思議に加えることにいたしましょう。

向島百花園
向島百花園そのものに行っちゃうと、時間が無くなっちゃいます。
今日はパス

Googleさんを見る限りほとんどないのは分かっているので、それ以外の方法
墨田区が出している「まちあるきマップ」がいっぱいあり、全てをダウンロード
見つけました
向島百花園の横に豆腐料理「はせ川」
大好物ですが、ビックリするほど高い可能性もあります。
行ってみましょう。

おかしいなあ、この辺だと思うんだけど
住宅ばかり
高級住宅の前で黒い高級車をピカピカに磨きあげているおじさんを
横目で見ながら探し回ります。

あれ?
さっきの黒い高級車の家
表札に「はせ川」って書いてあったような。
ひょっとして、敢えて看板を出さない「隠れ家」的コンセプトだったりして・・
引き返します。

おじさんに
ひょっとして、豆腐料理のはせ川さんではいらっしゃいませんか

ああ、ごめんなさいね
家建て替える経緯で、やめちゃったのよ

そうだったんですか。

オーマイガー
万事がキュー
でございます。

仕方ない
コースを再度辿っていくことにいたしましょう。

墨田区の「まちあるきマップ」いっぱいのお陰で
新たな情報も収集出来ています。

確認しながら参りましょう。

白髭神社
前来たときには分からなかったんですが
岩瀬忠震(いわせただなり)の墓碑があるとのこと
さすがは墨田区
岩瀬忠震ファンの私としては
それ早く言ってよ、状態です。

あったー

説明もありましたよ

えっ、これだけ?
納得いきません。
彼を語る上で一番重要なことが抜けているのではありますまいか

日米修好通商条約は彼が締結したようなもの。

アメリカの初代公使ハリスも、
井上と岩瀬以外には交渉した覚えはない
と言い切っています。
特に岩瀬の事を絶賛。

このあと、「岐雲園」(きうんえん)という岩瀬忠震の住居の跡地も近くにあることが分かったので
そっちに書いてあることに期待しましょう。

セイコーミュージアム


これもコースの中に有ったのに気づかなかったもののひとつ

セイコーのコマーシャルで
服部金太郎の「成功」の軌跡を追っているわけです

私の心を鷲掴みにしたのは、大名時計のコーナー

江戸時代は、「不定時法」と言って
日が登った時が明け六つ、日が落ちた時が暮れ六つ
その間を六つに分けるという時間設定
詳しくはこっちを見てね
明治5年は急に短くなったのよ

時計をほとんど誰も持っていないという状況下では、
とても分かりやすいんだけど

季節によって時間の間隔が変わるから
時計を作ろうとするととても大変

振り子の長さを変えるとか、文字盤を変えるとか
知恵の結晶

あっ
田中久重の須弥山儀(しゅみせんぎ)だ

万年時計は、ちらっと写真で紹介してあるだけ
本物は上野の国立科学博物館はありますから

川崎の東芝未来科学館にはレプリカが展示されています。
万年時計の再現プロジェクトでは、精工舎も関わっているんだから
もうちょっと推しても良かったと思うけど。
甦れ、田中久重の万年時計

レストランカタヤマ
ステーキ屋さん
電話では予約を断られた。
夜行くと、すごく良いお肉を、ビックリするくらいの高いお値段で食べられるらしいんだけど
お昼はいくらくらいなんだろう。ここで食事することにしよう。

オムライスを食べたけど
1000円しなかった。
美味しかったよ。

他にやっぱりなかったので、イベント当日は、ここで待って食べることにしよう。
席はバラバラになるだろうけど諦めましょう。
はい、解決。

すみません。
書いてみたんだけど、長くなりすぎました。
続きは明日にします。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


アザミ

花カレンダー始めました

志木市の不思議な水

昔の薬屋さんで大盛り上がり
の続きです。

ガイドさんに教えていただいたところを回ってみましょう

新河岸川の舟運

新河岸川って、舟運で栄える。
川越の芋を代表として、色んな作物を運びます。
新河岸川はくねくねいっぱい曲がっているんだけど
舟運にはその方が都合がよかったらしい
急流は船では上りにくいからね
山道が蛇行しているのと同じ理屈かな

でもそれって、水害って面からすると大きなマイナスで
流域の各地域は常に水害に悩まされてきた。

洗堰と宗岡閘門
よし、まっすぐにしよう。

大正に大工事が行われ
この志木辺りでは、さらに水量を調節するための洗堰(あらいぜき)が大正10年に設けられる

真っ直ぐにすると、水量が一気に減っちゃうのでこういう対応が何ヵ所かでいります

困るのが舟
通してちょうだい。

もし開けてもらえても流れが急なので上りづらい
考えました。
宗岡閘門(むねおかこうもん)
2段階で水かさをあげて舟を通す。
パナマ運河みたいですね

写真の右側が洗堰、左側が宗岡閘門です

いろは樋
これだけでも面白いのにもっと面白いもの
ガイドさんおすすめの「いろは樋」(いろはどい)です。

まずは橋向こうの宗岡側から

いろは樋の昔の管や大枡

ここで説明したいんですけど
説明の都合上、後でまとめてにさせてください。

川と公園
ちょうど良い気候
新河岸川沿いの公園、河原の方まで降りてみたり
何で川ってこんなに気分がスッキリするんでしょうね



あらまた、こんなところでたたずむカッパちゃん

橋の向こう側にまた戻りましょう
こっちにまた大枡の跡
これも説明の都合上、後でね

そして、道を隔てた反対側に、いろは樋の復元模型
さあ、いろは樋をちゃんと説明しますね
最初、野火止用水は、玉川上水から取水して始まり、終点は柳瀬川に流れ落ちて終わり。

でも、川向こうの宗岡地区は、常に農業用水不足に悩まされていた。
すぐ横に大きな川があるのに皮肉なものです。
新河岸川は低いところを流れているので
今のようなポンプがない時代には、水を引き上げられない。

よし、高いところを流れている野火止用水を
川を渡って宗岡まで届けよう。


高い場所をキープしつつ、1000分の2という勾配で流れる野火止用水ですが
土地はそんなにまっすぐじゃなく、でこぼこしていますね
一旦、グッと低いところに流しちゃっても元の高度まで戻す技術があるんです。
大枡というところに水が貯まっているようにしておけば
一旦下げた樋でも大枡の水面の高度のちょっと下までは戻せます。

かっこいいですね。
登り竜と言って水が坂を登っていく。

こっちが復元された大枡と下り竜


こっちが、ほぼ同じ高さまで水が登っていく登り竜

わが中日ドラゴンズは今期ずっと下り竜ですが
いつか登り竜になってくれる事でしょう。

更なる改良
万歳!

宗岡地区はとても潤います。

でも、大水があると流されちゃって修理が必要
長い間で結構ボロボロになっちゃいます。
明治になって技術が発達していますので
下り竜、登り竜の理論を応用して、川の下を潜らせちゃおう

この発想は、実は江戸時代からあって、伏越(ふせこし)と言います。
見沼代用水は、53箇所もあります。
最も大規模なものは、あの荒川潜っちゃっています。

明治になっているわけですから、木で作った管じゃなく鉄管、一部コンクリート管
ということで、さっきもったいつけて後回しにしたのがこれね
これが鉄管

こっちが大枡ね

こんな風に二つの川を潜っています

そして、志木側の大枡がこれ

長くお役に立ち
昭和40年まで頑張りました。

ご苦労様でした。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


フユサンゴ(タマサンゴ)

花カレンダー始めました