要町からウォーキング

大塚先儒墓所から
の続きです

Sさんと巡ります
豊島長崎の富士塚
富士塚は色々行きました
その中でも、国の重要文化財になっているのは3つしかなく、そのうちのひとつです
文久2年(1862)に作られています

各講の碑がいっぱいあります
山開きの日だけ上に登れます

無印良品
都内で最も大きい無印良品だそうです。
ビルの4階まで全部無印良品

食品の無印良品ってあんまり印象にないので、
数の多さに驚きました

谷端川(やばたがわ)緑道
今は全て暗渠になってしまっている川です
暗渠の上が緑道になっています

こ、これはなんだ

昭和レトロ博物館ではお馴染みのものだが
一体何の目的で、ここは何の場所なのか分からない

その横は、熊野神社

別名、くまくま神社
御朱印でも有名らしいです

飛び出し君もありました
滋賀県が発祥なんだとSさんが教えてくれました

タカセ

有名な洋菓子屋さん、あんぱんも有名
Sさんは色んなことに詳しい
お土産にいただいたあんぱんはカミさんが大喜びでした

旧中山道に入っていきます
近藤勇墓所
近藤勇が処刑された場所に近いので、永倉新八が後に供養塔を建てました


鳥羽伏見の戦いで肩に傷を負ってからは、負け続け名前も変えていました
流山で降参
大久保大和です、と言っていたんだけど、途中で近藤勇だとばれてしまい
中山道の一里塚のところで斬首刑
首は京都に運ばれて三条河原でさらし首にされました

このあとは、種子街道、さざえ堂と、先日ウォーキングしたコースとダブるので割愛

巣鴨商店街
ご存知おばあちゃんの原宿
その中で、「ファイト餃子」が美味しいよ、とSさん
行ったんですが、長蛇の行列
最後尾にご主人がいて
もう餃子が無くなったんでおしまい、と説明
すごいですね、とSさんが話しかけると
なんでこんな風になっちゃったんだか、と恨み節
ネットで評判になっちゃって、連日すごい行列になっちゃう
悪いことではないと思うんだけど、どうにも気に入らないらしい

ここ、有名なカレーうどんの店よ
ああ、聞いたことあるし、このブランドで商品になっているよね
食べたことある。美味しいよね
行列もファイト餃子ほどでは無かったので並ぶと、以外に早めに入れた
ちょっと高めではあったけど、かき揚げセットを頼んだ
さすがだ。美味しかったなあ

高岩寺
通称とげぬき地蔵

お地蔵さんゴシゴシは、長蛇の列だったのでパス
お参りだけしようと本堂に入ると、特別なんちゃら、というのがやられていて
住職さんがみんなに色んな説明をしてくれている
お金を払った訳じゃないけど、端っこの方で我々も聞かせてもらうと
何とも説明がうまく、分かりやすいのなんの
時にジョークも交えたりして、感動もの
これはラッキー

住職さんが教えてくれた、ひとつの木に紅白両方咲く梅がこれ

真性寺
江戸六地蔵のひとつです

江戸六地蔵は全てウォーキングイベントで行きました
第1番 品川寺 旧東海道 東京都品川区南品川三丁目5-17
第2番 東禅寺 奥州街道 東京都台東区東浅草二丁目12-13
第3番 太宗寺 甲州街道 東京都新宿区新宿二丁目9-2
第4番 真性寺 旧中山道 東京都豊島区巣鴨三丁目21-21
第5番 霊巌寺 水戸街道 東京都江東区白河一丁目3-32
第6番 永代寺 千葉街道 現:東京都江東区富岡一丁目(地蔵菩薩は現存せず)

ウォーキングイベントのコースとしてはここまでで終わり
ありがとう

私はここまできたら、あと染井霊園も行きたいから寄っていくわ

Sさんもおつきあいいただける事になり、染井霊園へ

その様子は、次回ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

大塚先儒墓所から

ウォーキング同好会で、いつもイベントを立ててくれているSさんから
一緒に下見しません?とのお誘い
行きましょう

せっかく都心方面に出るので、その前に一ヶ所行きたい
ってことで、行ってみたいマークをつけてあった「大塚先儒墓所」へ

大塚先儒墓所
地図で見ると護国寺の敷地に隣接しているように見えます
近くまで行っても、どこから入れば良いのか分からない
どうにも分からんなあ、諦めるか

手前側の吹上稲荷神社というところに立ち寄り、戻ろうかな

念のためGoogleMapに上がっている写真を確認してみるか
ん?
入口の写真があり、そこに文字があった
「国指定史跡「大塚先儒墓所」の見学を希望される方は、下記案内図の「吹上稲荷神社」で鍵の貸出しを受けてください。」

ちゅうことは、吹上稲荷神社の近くに入口があるんだろうか
もう少し先まで行ってみたら突然住宅の間に入口が現れた。
GoogleMapで見たのと一緒

吹上稲荷神社は多くの小さな神社仏閣同様、無人
社務所と看板のかかっている建物はどう見ても住宅。チャイムはある
どうしよう。9時だなあ

意を決して、ピンポーン

しばらくして中から人が現れ、鍵を渡してくれた
ここに連絡先を書いてください
見ると、月に4~5名の見学者

自分で鍵を開け、中に入った


ここは、どういった場所かというと、江戸時代の儒学者の合同墓所
おおつかさき・じゅぼしょ、かと思ったら違いました
おおつか・せんじゅ・ぼしょ

室鳩巣(むろきゅうそう)をはじめとし、木下順庵(きのしたじゅんあん)、柴野栗山(しばのりつざん)、古賀精里(こがせいり)、尾藤二洲(びとうにしゅう)といった儒学者の超大物たちの墓がみんなここにある

なんでまた、そんな大物の儒学者が全部集まったのか
有名な寺はいっぱいあるし、霊園だって色々ある
墓石はなんとも控え目

後にネットで調べ、ようやく分かりました
言われればなるほど、と思いましたが
儒学って学問であると同時に儒教という宗教でもある
寺は仏教なので、寺の墓地には入れない
本来の儒教のほおむり方は、墓石とかはなく土饅頭(どまんじゅう)
単に土を盛り上げるだけ
〇〇家の墓という考え方もなく、個人個人らしい

それだといくらなんでも誰がどこに眠っているか分からないので
おそらく後に、その土饅頭だった場所を石で丸く囲み、前に小さな名前を書いた墓石を建てた

室鳩巣

柴野栗山

岡田寒泉

木下順庵

尾籐二州

とても不思議な空間
東京の都心で周りは住宅街なのに、
ここだけぽっかりと、違う場所

墓地なのに所狭しと墓石が並んでいる見慣れた空間じゃなく
ポツポツと小さな墓石



そして、この場所には、この時間に絶対に私しか来れないというスペース独占感
鍵は私しか持っていませんので

歴史の勉強で何度も出てくる大物儒学者と、私だけ

さあ、鍵を返して、ウォーキングイベント下見の要町へと向かいましょう
下見の様子は明日

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[勝海舟] 不良父ちゃんだったけど

今日午前中、図書館に行って、何冊か本を借り
その中の「勝海舟と江戸東京」を読んでおりました

お昼ご飯を作って食べると、カミさんから
あとはお出かけしていいよ
晩ごはん作りに間に合うように帰ってよ

勝海舟でふと思い出した
以前、洗足池のウォーキングしたとき、
勝海舟記念館なるものを作っていて、もうすぐオープンってところだったな

よし、行ってみよう

行きの電車の中で、「勝海舟と江戸東京」を必死で読んで予習です

勝海舟記念館
なぜ大田区の洗足池に勝海舟記念館があるかというと
晩年に、洗足池のほとりに「洗足軒」なる藁葺き屋根の邸宅を作り、移り住んだから。
お墓もすぐ近くです
洗足軒跡地の一部に、勝海舟関連の資料等を管理する清明文庫なるものが出来たんですが
主催団体の清明会が高齢化等で解散し、東京府に寄付
長らくそのままになっておりましたが
令和になって、勝海舟記念館としてオープンいたしました

西郷隆盛とかはシリーズ化して書きましたが
勝海舟は今まであまり書いてきませんでしたね

ガイドブックも買いましたので
展示内容も踏まえつつ、勝海舟シリーズを数回に渡って書いていこうと思います

生い立ち
勝海舟の曽祖父は米山検校(よねやまけんぎょう)という人
この人がすごい人で、越後の貧農の家に生まれ、盲人だったんですが
江戸に出てきて、針医師を始める
頑張って稼いだお金を元に、金貸業を始め富を気づく

江戸時代って士農工商の身分制度がきっちりあるイメージだけれど
農民だって、金さえあれば旗本株というのを買って武士になれる
米山検校は息子の平蔵のために男谷(おだに)家という旗本株を買って
息子は旗本の男谷平蔵になる
平蔵の長男は男谷家を継ぎ、
三男は小吉。男谷家は継げないので、やはり旗本の勝家に養子に入って勝家を継ぎます
勝海舟のお父さんです。

ところが小吉がとんでもない不良父ちゃん
せっかく旗本なのに仕事もせず放蕩生活
お陰で勝家は火の車

怒った平蔵が、小吉を座敷牢に閉じ込める
生活は改まらなかったけど、反省はした
分かりました。私は隠居して、家督を息子の麟太郎に譲ります

勝海舟は色々名前を変えて、この時は麟太郎なんですが
ややこしいので、ずっと海舟で通しますね
この時海舟は16歳

男谷家の方の跡取りは男谷精一郎といって、
直心影流という剣術を継ぎ「剣聖」とまで称せられるすごい人
海舟からは、いとこになります
海舟も、直心影流の道場に入門し、ひたすら剣の道に励みます

18歳の時、江戸城内で西洋の大砲を目にし
あそこに書いてあるオランダ語を学びたいと考えます
永井青崖等の蘭学者の元で学びます

23歳で結婚、24歳で赤坂に引っ越し

蘭学書の翻訳等で生計をたてます
ドゥーフハルマという蘭和辞書も写本します
これ、びっくり

ドゥーフハルマって江戸の勉強をしていると必ず出てくる重要な本
蘭和辞書ってドゥーフハルマしかないので
蘭学者たちは、分からないところはこの辞書を引くしかなく
順番待ちで行列が出来るほどだったとか
勝海舟が写本していたとは知りませんでした

自分でも氷解塾なる蘭学塾を開きますが、教えていた訳ではなく
先生は他の人に頼んで経営だけ
自分はというと、あの佐久間象山のところに弟子入りします
後に海舟は佐久間象山の事をあまり良いように書いていないんですが
妹の順は佐久間象山の嫁になり、親戚となりました

そして、31歳の時、1853年、ペリー来航です
ここから大きく時代が動き、勝海舟の人生が動きます

続きはシリーズの次回ね

Bridgestone Innovation Galleryに行ってきました

(2/5[月]の事です)

2/5はシステムの納品の日
夜の作業で17時からの在宅リモート
ということで、それまではお休みです

平日にお休みって無いことなので、市役所に行って本籍地の変更手続き
実家が無くなっちゃうので、現住所に本籍地を変える必要があったんです

よし、無事完了

本来なら、平日しかやっていない博物館とかに行きたいところですが
大事なシステム納品を控えているので、近場で一ヶ所にだけ

まもなく雪が降り始めるはずなので
車で、昨日行きそびれた「Bridgestone Innovation Gallery」に行きました

Bridgestone Innovation Gallery
小平市のでっかいブリジストンの工場にあるタイヤの博物館です

行くと前に案内ガイドさんに説明を受けている3人家族
良いのかなあ、と思いつつ入っちゃいました

最初はブリジストンの歴史とかコンセプトとか
3人のご家族は、業界の人なのかと思うほど色々詳しい
私はタイヤに関心を持ったことがないので、ただただ「ほおぅ」とうなづくばかり



フェラーリのタイヤに採用されて、グランプリでどうのこうの
ほおぅ

こっちも優勝したときの車

タイヤ当てクイズ
さあ、これは何のタイヤでしょう





これは、工場の白い床の上を動くためのタイヤ
タイヤが黒いのはゴム本来の色ではなく、カーボンブラックというのを1%でも入れると真っ黒になるらしい
白い床に黒い跡がつかないよう、カーボンブラックの代用素材を入れている

輪ゴムって、なんで黒くないんですか

さあ、ブリジストンは輪ゴムは作っていないので

(失礼しました)

ゴムの話
伸び縮みとか、弾み具合は、素材の配合で色んな風に出来る

天然ゴムと合成ゴムがあるけど、天然ゴムにはまだまだ敵わない
天然ゴムは、パラゴムノキから取るんだけど
乾燥地でも育つグアユールという植物からも取れるようチャレンジ中

すごいのが「発泡ゴム」というもの
氷の上でタイヤが滑るのは、氷の上に薄い水の層があるから。
その水を吸いとりながら走るらしい

模型があったんだけど、押してみたらとても不思議な感覚
水で濡れているのに、キュッキュッと止まるんです

特許は切れているから他社も真似できるはずなんだけど
なぜかこれを作れる他社が出てこないみたい

今後に向けての取り組みですが
すり減った外だけ変えるというやり方

廃タイヤは燃やすことで熱エネルギーに変えるということをしているようなんだけど
Co2削減へ向けて
原料のそれぞれにまで分解してしまおうという取り組みがなされている

空気を補充しなくて良いタイヤ

信号の手前数メートルの道路に給電システムが埋め込まれていて
タイヤを通じて、知らない間に電気自動車に充電されちゃう仕組み

圧巻は月面を走るタイヤ
月面では空気の入ったタイヤは無理だから
ゴムじゃなくて、繊維があみあみになったタイヤ


触ってみると何とも言えない良い触感

免震
地下の展示室は、タイヤから離れて、ゴムの技術を利用したビルの免震システム
地震から家やビルを守る仕組みとして
「耐震」「制震」「免震」がある

最も効果があるのが免震
このビル自体も免震構造で支えられている

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)