赤穂浪士の凱旋ルートを歩いてみました。

正月に赤穂に行って以来、赤穂浪士づいています。

浪士四十七士は本懐を遂げたあと
泉岳寺の浅野内匠頭の墓前へと報告すべくみんなで歩く。

3時間で歩き切ったと言うのです。

うそ!
日頃、東京中歩き回っている私としては
にわかに信じがたい。
両国からほぼ品川です。
ものすごぉく遠い

もし可能なら
ウォーキングイベントにしてみたい

よし、歩いてみよう。

吉良邸


イベントで、みんなで配役決めて寸劇をやるので
表門跡と裏門跡を入念にチェック


古地図とも合わせて確認
結構広いお屋敷だったんだなあ

前原伊助邸跡

裏門のすぐ近くに米屋五兵衛という店を開業
ホントにすぐ近くだなあ

屋敷の見取り図が出ていた

読んだ本とも照らし合わせ
ここの物置とここの物置どっちかだな、吉良上野介が隠れていたのは。

間十次郎、ブスッ
武林唯七、バサッ
この額の傷は主君のつけた傷だな
上野介殿に間違いあるまい
再度、間十次郎がバサッ
首がコロン

回向院
ドラがなったら回向院に集合と決めてあった

はい、集合
裏門組揃いました。

回向院からは、
明け六つまでは、檀家と死人しか入れません。

あら、冷たいのね

仕方ない隅田川沿いで一旦集合して休憩

さあ、上杉、来るなら来い

吉良家は、上杉家の親戚なので
近くの上杉家から応援に来るだろう前提

あら、来ないなあ
じゃあ、泉岳寺に向かうか

江島杉山神社

いつものウォーキングなら
こんな面白そうなところはちょこちょこ寄りながら進むんだけど
今回、そんなことしていたら、どう考えても行き着かない。
寄り道はこれで終わりにしよう。

以下、道すがら写真を撮っただけ

芭蕉庵

ただひたすら歩くだけというのも味気ないなあ
ちょっとだけ、赤穂浪士の凱旋ルートを外れるけど
隅田川沿いを歩こう

ちくま味噌
四十七士の内、大高源吾は俳人としても有名
その世界で顔が広い

俳句仲間の作兵衛の、乳熊(ちくま)味噌店がたまたま上棟式の最中

あら、子葉さん(大高源吾の俳名)じゃないですか
どうしたんですか、ぞろぞろと

あらま偶然
今、ちょうど、首取ってきたところでしてね

そりゃめでたい
さあさあ、皆さん、上棟式の酒を一杯ずつ飲んでやってくださいな

って事で、ちょっとだけ休憩

以降、毎年、このちくま味噌では、12月14日に甘酒を振る舞ってくれるらしいです。

永代橋

歌いながら渡りましょう
♪永代橋、フォーリンダーン、フォーリンダーン、フォーリンダーン

日本銀行発祥の地

あああっ
高尾稲荷だ
ここにあったのか


高尾太夫逆さ吊り
これでもか

ひーえーっ

掘り起こしたら実際に頭蓋骨が埋まっていたそうです。
高尾太夫が誰だかはこっちを見てね
[江戸のヒロイン]吉原で高尾太夫と首尾良く遊ぶ方法

鉄砲洲稲荷神社

ガス灯

あれれ、これ本当にガスでつくガス灯だぞ
ガスミュージアムに行きましたので、一目で分かります。
こっちにもガス灯って書いてある

謎が解けました

この辺りは築地の外国人居留地だったんですね

文明開化ファンとしては、来たかったんですよね
ラッキー

浅野内匠頭邸跡


もう凱旋時点では、お取り潰しで人手に渡っていますが、当時を偲んで、この横を通るルートにしたんですね

築地本願寺

間新六の墓


不思議ですが
間新六だけ、何故か泉岳寺以外にもここに墓がある。

歌舞伎座

ここでようやく、ルートの半分です。
時間は2時間半

ほんまかいな
これどうやったら、3時間で行けるのよ

足がガクガクしてまいりました。

新橋ステンション
陸蒸気の最初の駅

ようやく、第一京浜、昔の東海道に出ました。
ここからは車ビュンビュンのでっかい道沿いを歩くだけなので
景色として全然面白くない

一本道が違うけど、増上寺の前の方の道を行きましょう

その前にココイチでカレーを素早くかけ込みつつ
体を休めます。

よし
休憩もしたから、あと三分の一。スピードアップだ

写真の数がグッと減ります。ごめんなさい

高輪大木戸跡

昔はここに大木戸があって、ここからが江戸
現代語訳すると、高輪ゲートウェイ

泉岳寺
着いたあ泉岳寺

結局4時間ちょっと
必死で速足で歩いたので、もう、足がワナワナ言っています。

結論言うと、全コースをウォーキングイベントにするのは無理だと思いました。
半分の、歌舞伎座のところが都営浅草線の東銀座駅なので
そこから地下鉄にのって都営浅草線、泉岳寺駅までショートカットすることにします。

毎回、昔の人の健脚ぶりには驚かされます。
道路だって靴だって今よりかなり悪いはず
さらに、当日は前日の雪が残っていて一部は悪路だったんじゃないかと思います。
鎧まではいかないけど
一部の人は鎖かたびらを着ているから相当重いと思います。
刀や槍や弓を持って、首まで持って。

信じられない。

二人の負傷者、近松勘六と原惣右衛門は籠で行ったという資料もありますが
籠に揺られるのだって大変でしょう。

墓参りしましょう。
浅野内匠頭

大石内蔵助

大石主税

吉田忠左衛門

寺坂吉右衛門
他の墓の戒名には刃と剣が入っていますが、入っていません。

萱野三平
途中で親と板挟みになって自殺しちゃいましたけど
墓を立ててくれていて、刃と剣も入っていました。

間新六
ここにもあるんですね

宝物館と木像館にも行きました。
残念ながら写真NGなので写真無しね

宝物館と、木像館については赤穂のものの方が充実しています。
赤穂で、四十七士三昧
赤穂で、四十七士三昧、続き
赤穂で買ってきた、本も少し読んだので
木像館では、前回見た時より、かなり感情移入できました。
ウォーキングイベントの時までには
もっと一人一人の人となりを理解して望むように頑張ります。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


ネギ

花カレンダー始めました

羽田ウォーキング

去年の話で恐縮です。
アップするタイミングを逸してしまったので、今あげます。

2018/12/31、実家に帰ります。

飛行機の時間を遅い時間で取っておきました。
言わずと知れた、その前の時間にお出掛けするためです。

まずは、年明けの七福神巡りイベントの昼食予約
六本木ヒルズでと思ったんですが、無茶苦茶大変でした。

9:40くらいから始め、12:00までかかっちゃってへとへと

飛行機20:00までで、その前の時間にウォーキング出来るところ
羽田に近いところにしよう。

ガイド本で適当なものがなかったため
大田区のウォーキングガイドをダウンロード
大体、東京23区は、それぞれ出しているのね。

よし、これにしよう。

穴守稲荷へゴー

穴守稲荷
去年同様、大荷物を駅のコインロッカーに預けましょう

でも、駅に降りたって嫌な予感
なんともこじんまりした駅だこと

駅員さんに
すみません、コインロッカーのようなものは?

ありません!

ええっ、ずっと持ち歩くわけね

駅にあるコンちゃんお洒落でした。

駅にパンフレットがささっていました。
「羽田七福いなりめぐり」

七福神ファンとしては、こういう表現をされると心が動かされます。

両方のコースを行くのはとても無理なので
大田区のコースをメインとしつつ
七福稲荷も部分的に組み合わせましょう。

穴守稲荷さすがです。
駅の名前になっているだけのことあります。


とはいえ、ひとつだけ
おそらくウリの一つであろう連続鳥居
あれ?片付けられちゃっているぞ。狐さんまで

グーグルマップであがっている写真だとこんな感じ

何があったのでしょう

宮司(ぐうじ)と禰宜(ねぎ)は兄弟なんだけど神社の経営方針で対立
新しい稲荷のあり方を主張する弟は・・・

考えすぎですね

次へ向かう途中
何じゃこの建物

どでかい建物なのに真ん中がごっそり、無い!

その真ん中に飛行機の先っぽだけがちょこん
見に行ってみると、操縦訓練のシミュレータでした。

このシミュレータを作った会社のビルなんでしょうか
羽田ならではの光景です。

空港
穴守橋を渡ると
おおおっ
空港だっ

穴守橋まで戻ります

情感たっぷり

海の方向に歩きましょう

大鳥居
おっと、こんなところに大きな鳥居だけ


これが、お隣の大鳥居駅の名前の由来になった大鳥居か

説明文を読むと
GHQの時期に遡り
この辺りに住んでいた住民達が強制撤去させられて
辛うじて、大鳥居だけが撤去されずに残った。
バラバラになった住民たちは、昔を懐かしむシンボルとして、大鳥居を大切に守った。

でも、どうもその先があるようです。

横に情報満載の掲示板がありました。
後でも読めるようパチパチ写真を撮りつつじっくり読んでおりました。
昔この場所を開墾した鈴木さん
羽田の地名の由来
温泉が出て大にぎわいになったこと


すると、おじさんが近づいて来ました。
ボランティアのおじさんのようです。
「大鳥居のその先」を教えてくれました。

羽田空港は幾度となく拡張を繰り返し、
さらに、大駐車場を建設
その敷地内にある大鳥居が邪魔になっちゃった。
そろそろもう良いんじゃないの?と壊そうとした。
移転しようとするともろもろで7000万円くらいかかるらしい。

元住民との間ですったもんだがあって
結局この場に移転
掲示板もボランティアの人たちが作った

本来は行政がこういうことはやるべきです

ここに「仮、掲示板」と書いてあるのは、そういう意味なんですね

インターネットにぜひあげてくださいね

はい、分かりました。

稲荷巡りも組み合わせ
白魚稲荷

海にはみ出して、五十間鼻無縁仏堂


福守稲荷

さあ、ここから海沿いを歩きます。
海、大好き
正確に言うと、ほぼ海の多摩川河口です。





羽田神社


大きな神社で末社もいっぱいありました。

おっと、ここにも富士塚
大田区で唯一の富士塚らしいです。


ここは、かなり木花開耶姫(このはなさくやのひめ)推しです


ということは、明治になってから作られたのではあるまいか

ピンポーン、やっぱりそうか、明治元年に作られたらしいです。
私もかなり富士塚を見る目が出てきましたよ
どういう意味かは、こちらを見てね
富士講。なぜ日の出を背にして拝むのか
小さな富士山が担った役割。

萩中公園
この公園とても充実した公園でした。

うおおっ、アンデルセン!

汽車だったり電車だったり、働く車だったり




小さな子供は大はしゃぎ

ああ楽しかった
さあ、羽田空港に向かいましょう

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

コバノランタナ

花カレンダー始めました

須磨で、ロマン巡り、続き

須磨で、ロマン巡り
の続きです。

関守稲荷神社
さあ、いよいよ百人一首
淡路島 かよふ千鳥の なく声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
即ち、ここには摂津の関という関所があった
ここにありましたよ、という碑が都合があって、どこかに移転しましょうと
そりゃ、その近くの関守稲荷神社に移すことになりますね

関守稲荷神社

そして、出ましたっ
源兼昌の淡路島

これが見たかったんですよね

現光寺

今度は、源氏物語になります。
光源氏が住んでいたところ
それがこの現光寺
昔から、源氏寺とみんなに呼ばれていた。


ここで、光源氏は何をし、誰を想ったのか
源氏物語の須磨の巻を読めば良いんですね。
失礼しました。

子規の句碑や

芭蕉の句碑もあります(見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋)

平重衡とらわれの松
平重衡(たいらのしげひら)。平清盛の五男
一の谷の戦いで敗れ、のちに斬首
ここで、捕虜になった重衡を哀れに思い、土地の人が濁酒(どぶろく)をすすめた

ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて 須磨で飲むこそ 濁酒なれ

菅の井(すがのい)
今度は、菅原道真
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
菅原道真が政争に敗れ、太宰府に流罪
途中、一旦、この地に上陸し休憩。
西須磨の旧家、前田家の人が、この井戸から水を差し上げた

ありがとうございます。生き返る思いです。
哀しいことに、今の私には、何のお返しもできません。
精神誠意、絵を書かせていただきます。

菅原道真の自画像が前田家の家宝に。
その後、この井戸からの水で「菅の井」という銘酒を作り、毎年太宰府に献上した。

負けたものに対する心遣い
平重衡や菅原道真
同じ日本人だと思うと誇らしいです。

松風村雨堂
次は、在原行平
源氏物語のモデルです。
因幡(いなば)に行くように命ぜられ、2年間赴任
その後、京に戻る
そのまた後、何があったのか、須磨に蟄居を余儀なくされる

光源氏も在原行平もそうですが
昔、須磨は島流し寸前の土地

完全な島流しの土地よりは
ちょっと手前の須磨
まずい!と思った段階で立候補しています。

私、須磨に行きます。

さあ、何もない須磨に来た在原行平
浜に流れ付いた木切れと、糸一本で
一弦琴(須磨琴)を作って寂しさを紛らわします

わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶとこたへよ

ひょっとして、あいつはどうしているかと問う人がいれば
須磨の浦で、海藻に海水をかけて垂れる水のように、しょんぼりと世をはかなんでいると答えて下さい。

源氏物語にも、光源氏のすみかを
「おはすべき所は、行平の中納言の、「藻塩垂れつつ」侘びける家居近きわたりなりけり」
と書いています。

源氏物語大好き人間、藤原定家が
百人一首に入れた自分の歌で
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 
と、須磨の向かい側の淡路島を歌い、「藻塩」を入れてきたのもうなづけます。

ある時、行平は、海士女(あまおとめ)の美人姉妹を見て、衝撃が走ります。

う、美しい

松林に風が吹き荒れ、雨が降りだしたような衝撃
あの二人を、松風と村雨と呼ぼう

勝手に名前つけられてもと思いますが
以降、二人の事をこよなく愛します。

許されて、京に戻れる事にはなるのですが
それは二人との別れを意味します。

この松に、歌ひとつと、烏帽子と狩衣を形見としてかけ
京に旅立ちます

その歌が
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

その前の因幡(いなば)に行くときの歌と考えるのが自然ではありますが
実はここのすぐ横にある月見山は稲葉山とも呼ばれていたそうなので
この時の歌だという説もあるようです。
ここも、松で有名ですから。

姉妹は恨むでもなく、ただ行平の無事を祈り
この松風村雨堂の地に、庵を結び、観世音菩薩を安置します


そして、姉妹は死後も幽霊となって、愛し続け、烏帽子と狩衣を身に付け、舞を舞う
謡曲「松風」の名場面です。
その時の歌が、「たち別れ~」
謡曲では、「たち別れ~」は、須磨の歌と断定していますね。

須磨寺
最後の大物、須磨寺です。
広大な土地の大寺院
あれこれてんこ盛りでした。





ここでは、平敦盛(あつもり)の逸話が残ります。
元々平家の武将で、源氏に寝返った熊谷直実(くまがいなおざね)
早く信頼してもらうため、手柄が欲しい。

でも、熊谷直実が駆けつけた時は、大半の平家が海に逃げてしまっていた。

波打ち際で逃げ遅れた、立派な鎧を来た武者を発見

敵に後ろを見せるとは卑怯なり。返せ返せ

一騎打ちとなります。

熊谷直実が倒し、首を取ろうと兜をとる

そこには、年が16~7歳だと思われる美少年の顔

うっ。
わしにも、同じ年頃の息子がいる

あなたのお名前は?

そういうあなたは?

私は、熊谷直実と申します。

私が名乗るのはやめておきましょう
あなたにとって、私は十分な敵です。
どなたかに私の首を見せたなら、私の名前はすぐに分かる筈です。
さあ、早く討ちなされ。

その潔さに、胸を打たれます。
もう、大勢は決している
自分の功のためだけに、この若い命を討つ必要があるだろうか

ただ、迷っている間に、味方の軍勢が迫ってきてしまった。
もはや逃させる事は不可能だろう。

分かりました。
であれば、私が手にかけ
後のご供養はお約束します。
と、泣きながら刀を執った。

討ち取った首を包んでいると、腰に笛が差してあることに気づいた。

ああ、彼だったのか

朝方、平家の陣から笛の音が聞こえてきた。
戦に笛を持ってきているとは
敵ながらその美しい音色に聞き惚れていた。

陣を張っている須磨寺に戻り
大師堂の前で首を洗う

大きな松の根に腰かける義経が首実検し、平清盛の弟・経盛の末子、敦盛だと判明

ここにも敦盛の首塚がありました。

宝物殿がありました。
その笛の実物が展示してありました。

一通り見終えて、残るは奥の院のみ
言ってもそれほどの奥でもなかろうと、裏山に上り初めて
ありゃりゃ
いつまで行っても着きません
その前に大荷物を持ちつつ登山したばかり
まだ荷物は持ったまま

足がガクガクしつつ何とかたどり着きました。

残念。大分登ったのですが、眺望は開けませんでした。

いやあ、疲れた。
でも須磨は、とても盛り沢山で良いところでした。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


ポインセチア

花カレンダー始めました

須磨で、ロマン巡り

1/4、東京へUターン
この正月は日岡山と赤穂に行って大満足

帰る前にもういっちょ、行ってみよう
地図
須磨(すま)
兵庫県、神戸市須磨区
ここは、短歌の歌枕、即ち名勝地です
源兼昌
淡路島 かよふ千鳥の なく声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
藤原定家
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 

歌枕巡りと参りましょう
とは言え、歌は二つだけ
もうちょっとテーマをプラスしましょう

須磨って源平合戦の地なんです。

さらに、
そもそもがなぜ歌枕になったかというと
その前に重要な物語の舞台になったから。

源氏物語です。
光源氏が須磨へと移り住んだ

さらにさらに背景があって
そのモデルになった在原行平が須磨に島流しに近い形で移り住んだから

さらに蛇足で言うと、うちの姉の名前です。

これは忙しい事になりそうです。

須磨浦公園
須磨浦公園駅に降り立ちました
歴史より先にまずは海です。
須磨から明石の海は特別の思いがあります。



中学の時良く来たなあ
友達と色々話した。
私の中での青春は、この海です。

敦盛首塚
須磨浦公園の端っこに敦盛首塚というのがあります。
ここは、源平合戦のうち、一の谷の合戦の舞台
そこで討ち取られた平敦盛(たいらのあつもり)
平敦盛のエピソードについては、後でまた出てくるので
そこでじっくりと。

でかっ
ネットの写真で見てると小さなのをイメージしていたんですが
高さ4m
中世の五輪塔としては2番目に大きいらしいです。
こんな撮り方をしてみましたが、大きさ伝わるかなあ

須磨浦公園はロープウェイもあり、松林が印象的なとても綺麗な公園


いかにも、歌枕
でも、ここで源平の死闘が繰り広げられたんです。
ワーー
って声が聞こえてきそうです。

平和を願う、みどりの塔

その横に地球がこんなふうに置いてあった

でも、もう片側の地球は地べたに落ちたまま

神戸の大震災で落ちたらしいです。
敢えてそのままにしてあります

一の谷
いよいよ一の谷にやって来ました。

平家がこの一の谷に陣を構え、追手の源氏を待ち構えます。
来るなら来いっ

何故ここだったかというと
左に山が迫っており急な崖、右は海なので
狭まっている土地
今で言うと、一番狭いところは二つの鉄道と国道以外には何もありません。
崖や海からは敵が来ないので待ち構えるには絶好の場所
実際に来た源氏に対して有利に戦を進めておりました。

そこに、応援部隊として崖の上までやって来たのが、あの源義経です。
地元の案内人に

ここを降りていくのは可能か

鹿は降りていきますが、人間はどうにも

鹿は降りるのか
では、馬も可能かも
やってみよう

二匹の馬を突き落としてみました
一匹はダメだったけど、一匹は降りられました。

よし、行ける

いやや、一匹はダメだったですよ

続けっ
自ら崖を駆け降りて行きました。

勘弁してよ、義経さん
家臣たちが躊躇している中

こんなものは馬場(乗馬の練習場)と同じ
と、続くものが

そうなると行かない訳にはいきませんね

えっ、そっちから来るの?
「一の谷の逆落とし」で平家は総崩れになります。

諸説あるのですが、おそらくここ


無理ーっ
無理無理無理ーっ

上から見ると一気に視界が広がります

そこからさらにもうちょっと上ると、安徳天皇内裏跡



どういうことかをちゃんと説明すると思いきり紙面を使うので、手短に説明します。
平清盛が突然入京してクーデター
権力を欲しいがままにしていた後白河上皇を幽閉
娘の建礼門院徳子の旦那さん、高倉天皇が実質的に政治を行えるようにする
そのあと、高倉天皇と建礼門院徳子の間に生まれた安徳天皇に2歳にもならないうちに譲位
当時は、天皇よりも天皇より上皇の方がやりたい放題出来ましたから。
娘婿が上皇、孫が天皇という完璧な形が出来上がりました。
我が世の春。平家にあらずんば人にあらず

ところがそれほど長くは持たなかった。
源氏がどんどん力をつけてきて平家を脅かします
そんな中、高倉上皇21歳の若さで崩御
安徳天皇はまだ3歳なので後白河上皇が復活せざるを得ません。
一角が崩れました。
そして、なんとそんな中で清盛が死んじゃうんです。
宗盛が継ぎます。

そうなると、源氏はイケイケ

源(木曽)義仲が京都奪還

平家、
安徳天皇を連れて逃げろっ

安徳天皇の強みは、天皇である事の証明、三種の神器を持っていること

この地に、新しく都を作ったと宣言したわけです。
すみません、手短じゃなかったですね。

結局、この一の谷で平家は敗れ
お母さんに抱かれて、安徳天皇は逃げ
壇ノ浦の戦いで万事休す

お母さんにぎゅっと抱かれた僅か6歳の安徳天皇
船の上から一緒に身を投げることになります。

この地に立つと、涙が浮かびます。

大丈夫。恐くはないのよ。
海の下にも都があるの。
さあ、竜宮城に参りましょう。

一の谷展望台
グーグルマップを見ると、一の谷展望台というのがあります。
うわっ、山が迫る
東京へ帰る途中なので、手提げで結構の荷物
とても登山出来る格好ではありませんが
何とかなるっしょ

とってもきつかったんですが
時間的にはそれほどかからずに着きました。

これぞ神戸
これぞ須磨
山の前は海です

そして横は大都市

足はガクガクです。

まだまだ続きます。
長くなりますので続きは明日ね

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


アロエ フヤジョウ

花カレンダー始めました