江戸を埋めちゃえ

前回、利根川東遷の話をしましたね
江戸を土地にした男

としたら、こっちの話もしないと片手落ちかな

海岸線
家康が江戸に来たときの海岸線って、今と大きく違っていた。

江戸城は太田道灌の作ったものはほぼ朽ち果てていて
石垣だって全く無かったから
一から作り直すとして

前が海か

どうする家康

これって有利だと思いません?

船で石垣の石を運んでくるとして
江戸城の横に横付けできる

でも家康はそう考えなかった

道作り
まずやったのは資材を運べる道作り。

でも、利根川東遷の時にお話ししたように
利根川デルタで下町はぐちゃぐちゃどろどろ
ならば、確実なのは陸路より、水路

道三堀という運河を掘った

目の前の日比谷入り江じゃなくて、もうひとつ向こうの江戸湊に船を付けて
そこから、船が江戸城まで入ってこれるように

なぜそうしたか

江戸の下町をどうするかのイメージが湧いていたからですね

利根川東遷でそこそこちゃんと乾いた住めるくらいの土地を作る
それでも足りない

首都としての江戸を作るには
もっともっと

そして、もう一つ、大きくあったのが防衛
諸藩が攻め入ってきた時に守れる

だから、江戸城のまん前が海だと困るんです。

よしっ、埋めちゃえ
駿河台という山を切り崩して

正確に言うと、江戸は大きく
山の手と下町に分かれていて
どろどろぐちゃぐちゃは下町の方
今でいう京浜東北線の東側

山の手は台地で乾いた荒れ地

山の手は防衛上、武士に住まわせる
最悪攻め入られて殺されちゃっても、まあ良いか、っていう
町人は下町。

防衛不要
でも、実は、家康の考えた防衛の町、江戸は
ある時期を境に大きく考え方を変えるんです

明暦の大火
4代将軍、家綱の時です。

江戸中が火の海になり
天守閣すら爆発して消失

じゃあ、これを契機に
防衛の町から災害に強い町に変えちゃおう。

家康の頭にあった首都としての江戸のイメージは
一から設計図を引き直す事になります。

とても大胆な発想のできる人がいたから
江戸時代は、260年も続いたんですね

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グラジオラス

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庭園の石組、続き

前回、石組を途中までお話しました。
庭園の石組
その続きをいたしましょう。

十六羅漢石
鎌倉以降、日蓮宗や禅宗が人気を集めていくと
仏像よりも、高僧への注目が高まります。

羅漢(らかん)というのは、お釈迦様の弟子たちなんですが
その中で特に優れた人を十六人選ぶと十六羅漢になります。

妙蓮寺 十六羅漢の石庭

影向石
仏や神が出現することを影向(ようごう)と言うんですが
その場所を覚えておきたいですよね

はいここ

置かれた石を影向石(ようごうせき)と呼びます。

実はこれこそが神社の起源でもあります。

石そのものを神様と考える、磐座(いわくら)もそうなんですが

石を他の石とは違って際立たせるために
周りを囲ってしめ縄を張ったり
風雨にさらされないように、屋根を付けていったりというのが
神社の始まりでもあります。

となると、そういった特別な石は、庭園に飾っておきたくなります。

西芳寺 影向石

西芳寺は別名苔寺ですので、庭園のほとんどの石には苔がついています。
ところが、この影向石だけが苔がなく真っ黒で、しめ縄付き

磨いてるんですか
と聞いてみると、

いいえ、年に一度しめ縄交換するだけであとは何もしていません。

神のなせる業ですね

夜泊石
夜泊石(よどまりいし)は連続的に石が並ぶ場合。

神仙庭園の場合は、「夜に係留している4隻の舟」
漢字の通り

鹿苑寺(金閣寺)

浄土式庭園になりますと
阿弥陀如来が現れるとき、続いて現れる菩薩たち
二十五菩薩と言ったりします。

西芳寺

彼らは楽器を持って演奏しながらやって来るらしく
太鼓や琵琶、笛などの楽器に模した石を庭園に配置する場合は
楽器石と呼びます。

マーチングバンドですね
はたまたブレーメンの音楽隊

円照寺が有名らしいんだけど、残念!
基本非公開で、特別参拝の時も撮影禁止なのか、
検索しても写真が出てきませんでした。

でも大丈夫。

そういうときは、どこかの庭園に行ったとき
これは、楽器です、と言い切っちゃえば良いんですね

今までの石組も全部そうだけど
あっ、あの石、阿弥陀如来だ、とか
あれは琵琶だね、とか
言ったもん勝ちです
そのために日本庭園は加工しないで石を置いてくれている訳ですから

陰陽石
「陰陽石」とは、男根と女陰を象徴した石組

あら恥ずかしい、公衆の面前でそのような
とは言え、そんなに具体的な形をしている訳じゃなく
立ててある石の横に、寝かせてある石が置いてあれば
それだけでも、もう陰陽石

ここは、写真はやめときましょう

昔から子孫反映はみんなの願い
特に武士の世の中になってからは、お世継ぎが産まれる事こそ
重要かつ切実な願いになるのです。

風景
今までお話ししたような、「仏教的石組」「吉祥的石組」という
石の並びに何らかの意味合いを持たせたものがある一方
純粋に石の組み合わせで、風景を表したものもあり、「風景的石組」と言われます

例えば、「滝石組」と呼ばれる、水を落とす滝を石を組み合わせて作り上げる
「連山石組」と言って、連なる山々を表したもの
「護岸石組」は岸に石を組んで岸を護りつつ、池の縁に変化のある風景を作り出す。

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ストケシア

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笠森お仙は会いに行けるアイドル

江戸のヒロインシリーズ

前回、前々回と遊女でしたね

遊女は庶民に大人気で、ファッションリーダーでもあります。
ということは、女性にも人気と言うこと

良く考えると不思議です。
女性が遊女にあった事がある筈ありません。
普通の人は入っていけないでしょう。

なぜ真似できるのか
浮世絵の存在です

女性もこぞって手に入れるんです。

とは言え、高嶺の花って感じはするなあ

そんな時、人気浮世絵師、鈴木春信(はるのぶ)やってくれました。

一般女性を美人画に書いた。
えらいっ

笠森お仙
谷中感応寺の笠森稲荷に水茶屋「鍵屋」に勤める少女

早い話が、喫茶店でアルバイトしているウェイトレスさん

今まで人気女性は、その道の言わば玄人さん
お化粧バッチリで、最新モードを着こなし、教養、芸能まで完璧

対するお仙は、ただの素人
化粧っ気もなく地味な木綿の着物
きゃしゃな体で、きびきび働く、素朴な魅力

大きな揺り戻し
大ブームになります。
なんせ、お茶代一杯分で会いに行けるんですから。

錦絵はもちろんのこと、双六、瓦版、手拭い、人形などの関連グッズがバカ売れ
歌まで出来ちゃいました。
明治の頃まで、ずっと流行り続けた、手まり歌

向こう横丁のおいなりさんへ
一銭あげてざっと拝んでお仙の茶屋へ
腰をかけたら、渋茶を出した
・・・・

大田南畝(おおたなんぼ)は、かなり入れ込んでいたようで
「半日閑話」で何度も話題にしています。

特にこの時代に爆発的に何かが流行すると言えば、芝居
笠森お仙も堺町の芝居で中島三甫蔵が
うねめが原に若紫、笠森稲荷に水茶屋お仙
という台詞を言って話題が盛り上がり

いよいよ森田座で中村松江によるお仙の芝居が大当たりします。

明和の三美人
さあ、そのなると次に続けと、美人探しが始まります。
とても良い事ですね

浅草観音裏の楊枝店の柳屋お藤
浅草寺境内の大和茶屋の蔦屋およし

この二人を合わせて、明和の三美人
花の中三トリオみたいですね

左から、お仙、菊の丞、お藤(およしが見つかりませんでした)

その後のお仙
突然、お仙が消えたっ

「とんだ茶釜が薬缶に化けた」
お仙見たさに水茶屋来れば
禿げた親父がいるばかり

お仙はどうした
お仙ちゃーん

憶測が飛び交う

病に倒れたか
どこかの国に拉致されたのか

江戸中の男どもが悲しみに暮れる
一人を除いては

旗本の御庭番で笠森稲荷の地主でもある倉地甚左衛門

あなたのところにお嫁に行きます。

9人の子宝に恵まれ、長寿を全うしたという

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デュランタ宝塚

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[百人一首]22 吹くからに

吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐といふらむ

吹いたそばから、草木がしおれるのを見ると
なるほど、山風が嵐というのも納得できる事だよ

文屋康秀
文屋康秀(ぶんやのやすひで)については分からないことが多い
身分が低く下級官吏のまま生涯を終えたので、あまり記録がない。

ただ、交遊関係は立派
小野小町、在原業平、素性法師
歌人としては何と言っても六歌仙のひとり
僧正遍昭、在原業平、喜撰法師、小野小町、大伴黒主、と文屋康秀

大したものでございます。

ひとつ、小野小町に関わるエピソード
文屋康秀が三河地方に赴任する事が決まったとき
小野小町に
どうだい、田舎見物に行かないか、行こうよ、いいだろ

ダメもとってやつですね

歌で返事

わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ

そうね、面白くないのよ、この頃。
浮草みたいに根なし草になって、水の誘うままにどっかへ出かけたい気分よ。

言ってみるもんですね

さあ本当に行った?

残念!

まあ、そりゃそうかもね

鑑賞
ひと休み

この歌の良いところは
変な言い方ですが、ひと休みな所です。

音楽でいうと、辰の落とし子が踊っているやつ

山からの風は草木をなぎ倒しちゃって、枯れさせちゃう
「荒し」というのも分かるね
そうそう、山に風で嵐ですから

言ってみればそれだけの歌
恋の歌でも、情感を詠ったわけでもない。

でもこの歌、意外に人気がある
特に現代人からすると
山に風で嵐なんでしょ、分かりますよ
古文が分からなくても理解しやすい

かなりいる嵐のファンは当然十八番にしているでしょうし
もう一握りしかいないであろう、嵐寛寿郎のファンもね

なんでまた藤原定家がこの歌を選んだかだけど
息抜きしたかったんじゃないかな

最初に、百人一首は名歌ばかりを選んだ訳じゃありません、と言っている
この歌辺りがそれを表しているのかな
素晴らしい歌ばかりじゃ、肩凝っちゃいます。

六歌仙って
『古今集・序』で紀貫之が6人の名前をあげているから
後の世の人が六歌仙と呼んでいるだけで
実は歌の優れた人ベスト6を選びましたって訳じゃない。

じゃあ、その中に何と書いてあるか
「文屋康秀は、詞はたくみにて、そのさま身におはず。
いはば、商人のよき衣着たらむがごとし」

康秀は、詩句の使い方は巧いが、内容がともなわない。
いうなら、商人が立派な衣裳に身を飾ったようなもので、中身に品がない

あらま、悪い方の例だったのね

そしてその時に、例としてあげられているのが
この、吹くからに、の歌

可哀想に

ところが、時代が変わって、江戸時代
国学者と言われる、昔の日本文学を研究する学者さんたちが出てきた。

賀茂真淵とか契沖とか

その先生方が言うには
この、吹くからに、の歌は
文屋康秀の作品ではなく
その子供の文屋朝康のもの

文屋朝康は百人一首にもあります。
37.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

えええっ
ちょっと待った

悪い例としてあげられちゃって
百人一首にも選ばれちゃっているんですけど

文屋朝康は逆に史上初
百人一首に二つも歌が選ばれた男って事にもなります。

これはえらいことです。

みなさん、ここはひとつ、内緒ということで
聞かなかったことにしてあげて下さい。

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斑入りマサキ

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