[神社] 八幡神社が一番多い理由、その1

[神社]八幡神社はこうして出来た。
の続きです。

仏教伝来
八幡神の始まりはお話しましたが
あくまでもローカル。
宇佐地方にある山を対象に
三氏族が融合してその祖先を祀ったもの

その山や氏族と関係無い人には
八幡神は何の意味も持たない。

一方で、外国から仏教が伝来した。
仏教はローカルではなく世界的なグローバルなもの
科学的要素、哲学的要素を含み
どう生きるべし、というような教義も持ち合わせている。

日本には八百万(やおよろず)の神々がいるのだから、仏教反対という物部氏と
仏教を積極的に取り入れようという蘇我氏と聖徳太子連合軍が日本を二分する大戦争
結果は仏教の勝利

乱暴な言い方をすれば
神社は負けた訳だから、この時点で無くなっちゃっていたとしてもおかしくはない。

聖徳太子は、十七条憲法で
篤く三宝を敬うべし。 三宝とは仏と法と僧となり
日本は今後仏教で行きますからねと言っちゃっています。

古事記、日本書紀
ところが、天武天皇、持統天皇の時期に、神社側に革命的とも言える出来事が起きます。

天皇が中心になって、古事記・日本書紀を編纂する
神社の最大のデメリットは「ローカル性」にある訳なので
各地ローカルに伝わっている言い伝えをうまく融合し
神話という形でストーリーにした。

天皇家が「万世一系」であるとの根拠付けのためには
既にグローバルな存在である仏教では都合が悪かった。

それによって、八百万の神々がアマテラスオオミカミを頂点とした統一的体系になります。
ローカル性が解消され、律令制の中でも延喜式という中で全国の神社を体系づけていきます。

ここで神社が明暗を分けることになります。

古事記、日本書紀に入れてもらえた全国の神様は大威張り。

ところが、残念!
八幡神は入れてもらえませんでした。
ローカルなままです。

ここから巻き返しを図ります。
結果、アマテラスオオミカミの伊勢信仰をも抜き去って、堂々の全国最多の神社数
なんで?

一言で言うと、全国の全ての神様の中で、最も積極的だったから。

一つには神仏習合です。

神仏習合
八幡神はローカルなままじゃダメだと考えた。
でもアマテラスオオミカミ体系には入れてもらえなかった。

こうなったら、あれしかない。
本来、仏教ってライバルなはずですが
仏教に助けてもらおう。

プライドだのと言っておられる場合じゃありません。

ハイハイハイ、と真っ先に手を上げて
八幡神は今後、仏教を信じます。

その後、他の神様たちも、追随していきますが
神仏習合は常に、八幡神がリードしていきます。

幸いにして、仏教は、来るものは拒まず的なところがありますから、文句は言いません。

八幡大菩薩(ぼさつ)、というような言い方をします。
菩薩は如来(にょらい)の一歩手前
悟りを拓ききってはいませんが、今後精進して、成仏するように頑張ります。

託宣
もうひとつの積極性が、お喋り
太古の昔から、神様って、お告げと称して人に乗り移って、これこれせよ、と喋ってきた。
何かというと神のお告げでどうのこうの

でもいつの頃からか、託宣と言われるそういったお告げを神様がしなくなってきた。

そうなってくると、お喋り大好きな八幡神は結構目立つ存在になります。
こう言っちゃ何ですが、八幡神自身というよりは、関係者なんでしょうがね。
こうしたい、ああしたいと決めた方針を、託宣という形で明らかにして
積極的な展開。

さっきの、仏教を信じます、というのも託宣

仏教を味方に付けたから、今度は、国家神道のアマテラスオオミカミの方

古事記、日本書紀には入れてもらえなかったから今更無理ですが
神武天皇以降であれば、何とかなるんじゃないか

ちょうどその頃、日本にいる一部の新羅(しらぎ)の人たちが言うことを聞かないという事件が起きた。
元々、新羅からの渡来人が構成メンバーである八幡神のところに
手を貸して欲しいと朝廷から依頼された。

これは良い機会。

新羅と言えば、頭に浮かぶのが、神功皇后
三韓征伐というのをやって、朝鮮と繋がりが深い

我は、誉田別尊(ほむたわけのみこと)なり

誉田別尊とは、神功皇后の息子、応神天皇です。

今まで、三氏族の祖先神であったはずの八幡神
いきなり、天皇家の祖先神になっちゃいました。

神様本人が言っている訳ですから、間違いありません。

天皇家としてもそう言われちゃ、祖先をないがしろにするわけにいきません。

仏教と天皇家、この後ろ楯を得たことで勢力を拡大していきます。
元々、渡来人が関わっていますので、鉄に関する極めて優秀な技術を持っています。
相乗効果で、強い財力を得ていくのです。

そして
八幡神社を全国へ進出させる
歴史上とても大きな出来事が起きます。

続きは、シリーズの次回でね。

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[巫女さん入門]シリーズはこちら(少し下げてね)

[大奥]11 家斉。異例の正室、考え方を変えた先に。

大奥シリーズ
二回ばかり横道にそれましたが
いよいよ11代家斉

家斉といえば大奥、大奥といえば家斉。

寔子
正室・寔子(ただこ)通称茂姫です。

島津です。
さあ、大変です。

2回に渡って説明した、竹姫の執念。
一橋家と島津家としてはとても大事な事
詳しくはこっちを見てね
[大奥]8の後、11の前。吉宗の恋人、竹姫のその後
[大奥]11の前の2。竹姫のその後のその後。歴史の不思議。

家斉は一橋家
本来は将軍になれない筈

でも将軍家、またまた血が途絶えそう。

千載一遇のチャンスなのはその為に存在している御三卿
田安家、一橋家、清水家

御三家より、御三卿の方が強いんです。

有力候補は二人。
田安家の松平定信と一橋家の家斉

家斉のお父さん、治済(はるさだ)
竹姫と固い約束をしたあの治済は、積極的に動き回り
ライバル、松平定信を田安家から他家に養子に出させて蹴落とします。

だから、徳川じゃなくて松平。

家斉側の最大の弱味は正室。
将軍の正室は京都の宮家からもらうと、慣習で決まっています。

結局は、竹姫の遺言がここで効果を発揮しました。
吉宗の養女(本当は恋人)の竹姫ですから。

そして、最終的に出した技が
京都の近衛右大臣・藤原経煕(つねひろ)に迫り、寔子をその養女としたこと。

どうだっ、文句無かろう。

寔子は、茂姫を名乗る前は、篤姫(あつひめ)と名乗っていました。
だから、13代家定の正室は篤姫なのね

御台所
ようやく御台所となった茂姫だが
既にいる大奥の実力者は冷たかった。

外様ごときに実権を握られてたまるか
急げ、早いもの勝ちだ
男の子

次から次から女性を家斉の元へ。

家斉に拒否権はない
将軍にとっての重要な仕事

ほどなくして、男の子が産まれる
ただ、この最初の子供は幼くして亡くなってしまう。

次に産まれたのが、後の12代将軍、家慶です。

この家慶を嫡男として認めなさい。

同意を求められ、苦々しくは思ったが
ここは、交換条件を出して、認めた方が得策

出した交換条件は、上様ともう少し会う回数を増やして欲しい。
夫婦なのに、会うだけで大奥の許しがいるんですね。

ようやく、新婚生活が始まりました。
なんと言っても、幼い頃から婚約者同士で一緒に暮らしていた。
あの頃の楽しかった日々が甦ります。

茂姫にとても優しい家斉
至福の時。

そしてようやく、茂姫にも男の子が授かります。
茂姫23歳の時。
とても難産で、茂姫自体の命が危ういほどだった。
敦之助(あつのすけ)と命名。

ただ、家慶が時期将軍候補の一番目と認めてしまっています。
そして、この時までに、なんと既に4人の男の子
でも、二人亡くなっているので、3人目ということになります。
一旦ここは引いて、一番将軍に近いと思われる御三卿の清水家に養子に出し
その時を待とう

この頃の医療技術からすると、産まれた子供が無事成人するのは半分半分
既に3人が亡くなっている訳ですから。

さらに、第二子を妊娠
ひょっとするとこの頃が一番幸せだったかも知れません。

ただ、長くは続きませんでした。
第二子の出産も超難産
結果的に死産。

そして、とても悲しい出来事。
頼みの綱の敦之助が3歳にして亡くなってしまうのです。

悲しみにくれる日々。

まだ若いですから、この先いくらでも
と言いたいところですが
超難産が2回も続いたものですから
気持ちが前に向きません。

随分考えた末、
考え方を変えることにしました。
お世継ぎの母、争いから一歩引こう。

そう決めた途端に、力が入っていた色んな事がすうっと楽になりました。
考えないようにしていた旦那様の女性関係も
家斉は被害者なんじゃないか
そうまで思えるようになり
ごく自然な会話ができるようになってきました。

そして、宣言をします。

私は、今この時から、家慶の母となります。
よろしいですね。

自分で子供を産むことを諦めましたが
母になりたい。

家慶にあらん限りの愛情を注ぎ
家慶もお母様と呼んでそれに応えます。

家斉にも変化が現れました。

今まで、次から次へと送り込まれる女性に言われるがままでしたが

違うんじゃないかっ

となると、拒否して、と思うでしょう。
違うんです。

それはそれとして拒否はしない。

ただ、今後は自由にさせてもらう。

何をかというと
自分で魅力的な女性を探させてもらう。

大奥に止まらず、町中へ自ら出掛けていって物色。

遠山の金さんのような、暴れん坊将軍のような。

暴れん坊ぶりが極まり
なんと、子をなすこと、54人
例によって約半分は亡くなりますが、25人が成人。

25人も子供を持ったらどうやって名前を覚えれば良いんでしょう。
二人の娘ですら、何度も名前を言い間違えてます。

茂姫は、どうぞどうぞ頑張って。
旦那様より、子供の方が大事です。

身近で聞いた事あるようなフレーズ。

考え方変えちゃったものね。

とはいえ、強力なライバルが現れます。

お美代。
町中で見つけ
40歳から69歳まで一途に愛し続けた女性

ところが、このお美代
大奥史上類を見ない大事件を引き起こします。

次回はこのお美代をめぐる話をいたしましょう。

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[天皇]13 成務天皇。ヤマトタケルの愛

[天皇]12 景行天皇。ヤマトタケルが大暴れ
の続きです。

ヤマトタケル
ヤマトタケルが東国平定に向かう途中、伊勢神宮に寄ったところまででしたね。

駿河国(静岡県)に来たとき、その地の豪族に襲われ、広い草原の中で周囲から火を放たれる。

わが妻、オトタチバナよ。心配するな。
わが身は真っ黒こげになろうとも、お前だけは守ってみせよう。

あっ、そういうと
困った時に開けなさいと、おばさんから渡された袋
こういう時こそ。

中にあったのは、剣と火打ち石

あれ?火で困ってるんだけどなあ。
おばさん、おっちょこちょいだし、間違えたのかな

いいや、信じてやってみよう。
剣で、周囲の草を刈って周りに積み上げ、そこに火を放つ。

目には目を、火には火を、って良く言いますね。
迎え火となって鎮火。
無事に脱出して、豪族をやっつけます。

この場所、野を焼いたので、焼津(やいず)
剣は三種の神器のひとつ、ヤマタノオロチから出てきたものですが、
この時から草薙(くさなぎ)の剣と呼ばれるようになります。

オトタチバナ
相模国(現在の神奈川県)に至り、そこから海路、上総(現在の千葉県の南部)へ

こんな海、大したこと無かろう。ちょちょいのちょい

これが、海の神の機嫌を損ねた。
小僧、こうしてくれるわ。

海は大シケ。舟は木の葉の如し。
これは、剣と火打ち石で何とかなりそうにない。

もはやこれまでか。

私を守って下さいましたね。

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問いし君はも

(相模の野原で火攻めにあったとき
あなたは私の身を案じ、大丈夫か大丈夫かと
心配してくださいましたね)

今度は、私の番。
私が人柱となって海に身を投じましょう。
必ずや、海の神の怒りもおさまりましょう。

オトーっ

ピタッとシケはおさまり、無事に上総へ

ヤマトタケルは海岸を行ったり来たり

7日後、オトタチバナの櫛が流れつきます
その櫛を葬って御陵を作りました。
区切りも付いたし、先へ進まねばと思うものの
なかなか一歩を踏み出せず、その後も数日間留まります。

君がなかなか去らないので
この場所は、君去らず→木更津(きさらず)です。

東国を平定した帰り道
現在の群馬県と長野県の県境にある碓氷峠を通りました。
ちょこっと見えた海
ああ、思い出しちゃった。

「吾妻はや(わが妻よ)」
と、声を上げる。

ということで、そこより東の事を「あずま」と言うことになりました。

尾張
帰りに、尾張に寄りました。
そこには、いきがけに結婚の約束をしていたミヤズヒメ

待たせたね

しばらく幸せな新婚生活
立ち直っちゃったみたい

その後、伊吹山に荒ぶる悪神がいると聞き
征伐に向かう。

草薙剣を持っていくほどの事はあるまい
と、ミヤズヒメに預けて行った。

山の神は大蛇になって道を塞ぐ

なにこれ
ぎゅっと踏んづけて先へ

なんと無礼者め

山の神は怒り心頭

たちまち山は荒れ狂い、深い霧に閉ざされてしまった。
妖気にあてられたヤマトタケルは正気を失いフラフラに。

それでも何とかミヤズヒメの元を目指したが
とうとう力尽きる。

思い出されるのは大和の国
ああ、故郷は美しい国だったなあ

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく
青垣 山隠(やまごも)れる 倭(やまと)しうるわし

(大和の国は日本で最も美しい真秀(まほ)な国だ。
青い垣根のように重なりあう、大和ほど美しい国があるだろうか)

駆けつけたミヤズヒメが、御陵を作って遺体を葬った。

ところが、ヤマトタケルの霊が白鳥になって飛び立った。

白鳥は河内に降り立ち、人々はそこに御陵を作る。

ところがまた霊が白鳥となって飛び立った。

一方のミヤズヒメ
草薙の剣を尾張の斎場に納めて、自ら巫女となって守った。
これが、熱田神宮となる

不思議だなと思っていたんです。
なんで草薙の剣が熱田神宮にあるんだろうと。

白鳥ですが、最終的に、現在の大阪府境市の大鳥神社におさまったようです。

成務天皇
ほとんどヤマトタケルの話でしたね。

これだけの大活躍をして、勢力を思いきり拡大した功労者ですから
当然、景行天皇の跡を継いでしかるべきですが
死んでしまったのでどうしようもありません。

弟の成務天皇が継ぐ事になりました。

成務天皇はどーんと広がった領地を治めるための
中央集権の仕組み作りに頑張りました。

同じ日に産まれた、武内宿禰(たけうちのすくね)を大臣(おおおみ)とし
二人三脚の政治。
国造(くにのみやつこ)(地方官)や県主(あがたぬし)(皇室直轄地の長)という仕組みを作りました。
武内宿禰はそれ以降5人の天皇に仕えた、超長生き。

拡大の後は安定のための仕組み作りが、セットになっての国造りですね。

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[昭和歌謡]81 いちご白書をもう一度

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

いちご白書をもう一度
バンバン
作詞、作曲 荒井由美
1975年

♪いつか君と行った映画がまた来る       
授業を抜け出して二人で出かけた      
哀しい場面では涙ぐんでた  
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリィー どこかでもう一度

青春
ドンピシャです。

高校に入ってすぐ、フォークギターを買ってもらって、
フォーク同好会に入って
最初にフォークギターを弾きながら歌ったのがこの歌

私くらいの世代で、フォークギターを持っていた人だったら、分かるんじゃないかな
クラシックギターだったら禁じられた遊び
ピアノだったら、エリーゼのためにとか猫踏んじゃった
最初にトライする練習曲の定番。
フォークギターの場合は、いちご白書をもう一度なんです。

まず右手がびっくりするほど簡単
上から下に、ジャン ジャン ジャンと等間隔で掻き下ろす。
最初から最後まで全て等間隔。
そんなの後にも先にも、この歌しかない。

左手、複数の箇所を押さえて、和音を作る
ドミソ、ジャーン、だったら、C という名前が付いている。
Em(イーマイナー)Am(エーマイナー)の順で簡単
AmとEmで始まる訳ですよ。
素人はとっても気持ち良く弾けます。

Am Em C G7 くらいしか無かった記憶だったんだけど
今回改めてもう一度見てみて、Fがあったのにはびっくり
Fって初心者にとっては一番難しいんです。
最初から頑張ったのね

結局ギターは最後まで全くうまくならなかった。
Fなんてボロッと変な音しか出せなくて、
大声で歌うことでごまかす日々でした。
それでも、その後フォーク同好会の会長をやりましたので
面の皮が厚かったんですね。

何かの楽器を出来る人って、とてもうらやましく思います。
楽しいだろうなあって。

いちご白書をもう一度
今回改めて見てビックリしたんですが、ユーミンの歌だったんですね
2番では、学生運動とか、多少絡んだ歌詞なので
全くイメージが違うというか

こんな歌詞まで書けるなんて
ユーミンの幅の広さ、恐るべし。

学生運動って全く分からない世代です。

大学で残党のような人に声をかけられ
ちょこっとだけ話した。
君が代がどうのこうのと一生懸命喋るんだけど
いまいち心に響かずそれっきり

若者に大きなうねりがあった時代って
イメージが沸かなさすぎて
ちょっとうらやましいと言うか
体験してみたかったなあと思います。

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