黒い壁をエイヤッ

カミさんが
この壁何とかしてよ

黒い壁が端にずずっと
拭いても拭いてもなかなか取れない



ここが一番ひどいかな

上に貼るとか塗るとか何とかしてよ

って事で、
貼るのと塗るのの、両案をにらんでホームセンターで買ってきました。

さあ、頑張るぞ

塗る方を試してみようかな

このペンキ、水性って書いてあるな
そのままで塗って良いのかな
いかめんたいを食べた後の容器にちょっと出して
買ってきた刷毛で塗ってみましょうか

汚れをウェットティッシュで取りまして

ぬりぬり

えっ、良いんでないの?
思った以上に、色が近い



塗った端っこをウェットティッシュでささっと拭いて
グラデーションにして目立たぬように。
芸が細かいでしょ

塗ったなんて分からないよね
うん。全然分からない

一番黒かったところをおさらいね
これが

こうだっ

貼る方は全く使わずに済みました。

黒かびさん、ごめんなさい
あなた方にも生活があると、重々承知しています。
ただ、私にも
カミさんの機嫌を取らねばならないという、特殊事情が存在します。

こらえて下さいませ。

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

目黒富士と、旧朝倉邸

お出掛け、目黒から
五百羅漢寺に圧倒される
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男
五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後
目黒不動と、成就院と、目黒のさんま
の続きです

一旦、目黒川沿いに戻ります。


桜の時期はすごいことになるのよね

目黒新富士
東京まちなか超低山、にあったプラン
代官山トレイル
代官山にある山を縦走しましょう、と素敵なプランです。

今回は、そのうちの目黒新富士と、目黒元富士に参りましょう。

目黒新富士は立派な富士塚でした。急斜面の上に立つので、
通常の富士塚より、それはそれは眺めが良かったことでしょう。

残念ながら、今は撤去されちゃっているので
その場に立って昔を偲ぶ事と致しましょう。

さすが急坂、何とか登りきると
目黒新富士だっ

何々?
この富士塚は、近藤重蔵が作り・・
えっ、近藤重蔵
あの近藤重蔵が作ったの?
近藤重蔵について詳しくは、こちら
北海道と言えば、最上徳内と近藤重蔵

択捉島に「大日本恵登呂府」という柱まで立てちゃった人物です。

その超有名人が、自分の家の庭に、富士塚を作っていたなんて

一般公開し、大人気

その後、大阪に転勤になるんだけど
この家と富士塚の管理をお隣の塚越半之助に頼んだ

この半之介が良くなかった。
重蔵が留守なのを良いことに、富士塚を自分の都合の良いように作り替え
隣に蕎麦屋を作って、見物客を集めて大儲け

戻って見るとえらいことになっています。

こらこら勝手に何すんねん

勝手にじゃないでしょ
あなたが私に頼んだんでしょ

と大喧嘩
裁判に発展し、一旦は重蔵が勝つんですが
その後、ずっと隣人半之介の嫌がらせが続きます。

そしてとうとう事件がおきます。
鎗ヶ崎事件

重蔵の息子、富蔵が半之介一家を皆殺しにしてしまうのです。

富蔵は八丈島へ流罪。重蔵も連座で罪に問われます。

この場所は、当時江戸中を震撼させた、鎗ヶ崎事件の場所でもあったのです。

目黒元富士
なぜ目黒新富士と言うかというと、近くにもうひとつ有名な富士塚があったから
目黒富士と呼ばれて、大人気になりますが
目黒新富士が出来てからは、区別するために、目黒元富士と呼ばれるようになります。

こちらも坂を登りきったところにあるのでとても見晴らしが良かった
残念!
こちらも撤去されて今はありません

旧朝倉家住宅
目黒富士の隣が、旧朝倉家住宅
拝観料、100円です。
無料より、これくらい取る方が中の手入れが全然違う。
期待できるな、とは思いましたが、これほどとは。

こんな大物を残していたとは、私もまだまだです。

庭園の素晴らしさ。
灯篭の博覧会の如しです。







斜面の上に家があって下に下っていく庭園
登っていくのは緑が迫ってくる感じでよくあるんだけど
このパターンは初めてかも

家の中も実に素晴らしかった。


中から見る庭もまた格別


ああ、素晴らしかった。

街は代官山
テレビとかで良く聞きますね。
代官山のおしゃれなカフェでどうのこうの

場違いなおじさんではありましたが
暫し、芸能人になったつもりで歩いてみました。
うーん
やっぱり、無理か

今回、ずいぶん長かったですね
失礼しました。
はい、終了

このあと、新しく出来た息子が荷物を取りに来るらしいから、早く帰らなきゃ
エビフライ、アジのフライを揚げて持っていってもらいましょう。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

目黒不動と、成就院と、目黒のさんま

お出掛け、目黒から
五百羅漢寺に圧倒される
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男
五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後
の続きです。

ずいぶん、五百羅漢寺で紙面を取ってしまいました。
失礼しました。

目黒不動
超大物です。
一度来ていますので、
今回の目的はその中の二ヶ所のみ
ひとつは、権八小紫の比翼塚
もうひとつは、鷹居の松

平井権八。芝居に出てくるときは白井権八、と言います。
鳥取で人をあやめ、江戸に逃げてきます。
そこで、吉原の三浦屋小紫と良い仲に
お金が続かないので、小紫に会いたさに、辻斬りや強盗を重ねていきます。
追っ手に追われ逃げ込んだのが、目黒不動の隣の東昌寺

かくまわれているうちに、諭され、改心
尺八を学んで虚無僧姿で、死ぬ前に一度両親に会いたいと、鳥取へ
でも既に両親は亡くなっておりました。

虚無感に包まれて、自首を決意
鈴が森で処刑されます。

東昌寺に墓が出来るのですが
小紫が墓の前で後追い自殺するのです。

ということで、比翼塚があります。

比翼塚とは、中国にいた、羽根が二対ある比翼の鳥にちなんで
愛し合って亡くなった男女の霊を弔うもの
八百屋お七と吉三にも比翼塚があります。

鷹居の松

3代将軍家光が、鷹狩りに出かけた。
でも、大事にしている鷹が逃げちゃった

鷹ちゃんやーい

残念
見つからない

失意のうちに、行こうと思っていた目黒不動に行くと

はーい
待ってたわよー

鷹が先回りして、目黒不動の松に止まっているではありませんか。

ということで、鷹居の松

でもなあ
松って止まりにくいんじゃないかなあ。

あっ、いた!

成就院
実は今回、一番来たかったのが、成就院

これも目黒不動のすぐ近くです。

ここではやはり家光なんですが
目黒不動の帰りに、成就院に寄る

すると、そこで住職が

上様
これから私の言うことをよおく聞きなされ

急に真剣な表情になった。

いつかこの事を打ち明けねばと思っておった。
実は、あなたには、弟がおられる。

えっ

家光のお父さんは秀忠。お母さんはお江(ごう)
お江はやきもちやきの強烈な強妻家
秀忠は浮気なんてしたら殺されそうなので我慢我慢。
ところが、一度だけ、あまりに魅力のある女性がいた
お静。
ついふらふらーっと
子供が出来たんですが、こら、えらいこっちゃ。

お江に何とか知られないようひた隠し。
お静は、身の危険を感じ、お腹の子供とともに逃げ回ります。
かくまってくれたうちのひとつが、この成就院

産まれたのが、あの保科正之です

その後、おそらくその事実を知らぬまま、お江は亡くなります。

ようやく、お静と保科正之に平和が訪れる。
とはいえ、お江の取り巻きはまだいますので
事実を公には出来ません。

時は流れ、秀忠も亡くなり、3代家光の時代
この日になります。

弟が、
弟が居たのか
会ってみたい。

後日、この成就院で
お静と保科正之は、家光と、涙の対面を果たします。

保科正之は、家光に重用され、将軍の側近として
次の4代家綱の時代まで支えます。

でも、徳川姓にはならなかった。
保科正之が、断ったからです。
自分をかくまって受け入れてくれた保科家への思いです。

もらった領地、会津は
正之の死後、松平姓を名乗ることになり
幕府と兄弟
幕末に、幕府側で最後まで戦い抜いた白虎隊の悲劇は
ここに端を発します。

お静地蔵です

ところで、成就院はタコで有名
開山は慈覚大師円仁ですが、
ご本尊の、薬師如来像をついつい海の中に投げ入れてしまった

ついつい、ご本尊を海の中に投げ入れるとはどういうシチュエーションなのか、いまいち理解に苦しみますが。

すると、海から、タコが現れて
こんなん落としませんでした?

以来、蛸薬師と言われています。

おおっ。なんて素敵な、郵便バイク

目黒のさんま
またまた、家光です。
目黒は家光ゆかりだらけ

茶屋坂街かど公園という小さな公園に爺々ヶ茶屋という茶屋があった

鷹狩りでこの辺りが大好きな家光
帰り道で、
お腹空いたぁ

サンマを焼く臭いに誘われて

すまんが、それ頂戴

な何じゃ、このうまい食べ物は

それ以降、寝ても覚めてもさんまの事ばかり

でも、いくら言っても江戸城では食べさせてもらえない。

ある時接待を受けたとき
何か欲しいものがないか訪ねられ

さんまじゃ、さんまを頼む

最高級のさんまを準備し
何かあっては一大事と、脂を全て抜き、小骨も抜いて蒸し焼きに

パサパサのさんまにガッカリ

これは、どこのさんまじゃ

はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました

そりゃいかん
さんまは目黒に限る

お馴染みの落語の舞台がここだったのです。

ちょっと不思議でしょう
なぜいくら言ってもさんまを食べさせてもらえなかったのか

江戸時代の武士は何でもかんでも身分や序列をつけたがる
何と、食材にまで序列があったんです。

将軍が食べてはいけない食材はこんなにあった

さんまは食べてはいけない食材だったわけです。

ウォーキングはまだ続きます。
続きは明日ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後

五百羅漢寺に圧倒される
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男
の続きです。

いやあ、ひとつのお寺でまさかブログ3回分にまで渡るとは思ってもおりませんでした。

五百羅漢寺の創建にまつわる二人の男の壮絶なる生きざま
なんてドラマチックなお寺なんだろう。

そう思いつつ、「らかんさんのことば」を読み進めておりました。

えっ、ちょっと待って
どういうこと?

お鯉
衝撃が走りました。
私の中で何ともタイムリーなその名前。

お鯉

明治シリーズをやっていますね。
歴代首相シリーズも兼ねています。

首相としては、大隈重信まで行きましたので
次は桂太郎、その次は西園寺公望
ということで、その二人について書いた
「池上彰と学ぶ、日本の首相。桂太郎、西園寺公望」というのを購入し読んでおりました。

そのシリーズは、各首相の「ファーストレディ秘話」というコーナーがあります。
各首相の奥さんに関するエピソードなんですが
桂太郎は、なぜかお妾(めかけ)さんの、お鯉

元、新橋の芸妓で超美人。

性格がまた竹を割ったような性格で
チャキチャキの江戸っ子
芸妓時代から、ものすごい人気で、絵はがきが出るほど

桂太郎のお妾さんとなり、政治にも多大なる影響を及ぼす。

そこまでは、本を読んだばかりなので知っていたわけです。

「らかんさんのことば」を読むと
安藤妙照(お鯉)が、荒れ果てていた五百羅漢寺の住持(住職)となり立て直す。

はい
何かの間違いでは?

読み進めていくと、間違いではありませんでした。
まさしく、そのお鯉。

頭の中がゴッチャゴチャ
落ち着いて、落ち着いて
話を整理致しましょう。

お鯉の生涯
本名、安藤照(てる)
14歳で新橋の近江屋で芸妓となり、ダントツ一番人気
絵はがきは何度も増刷

20歳の時、歌舞伎役者と結婚するも4年で離婚
花柳界に復帰します。

伊藤博文、井上馨、北里柴三郎、尾崎紅葉とかがお馴染みさん
伊藤博文は有名ですね。

日露戦争が始まると、当時の首相、桂太郎は心労で大変
桂太郎の親分格の山県有朋や井上馨が、元気付けようと引き合わせます。

お妾さんにという話になったのは、桂太郎の奥さんが病気により
群馬の伊香保温泉で療養していたから

女をおもちゃと思うてもろたら嫌です。
芸者とて人間。
生涯の事を考えてもらうんやないとゴメンです。

お鯉24歳、桂57歳。
明治37(1904)年です。

首相官邸に和室が作られ、身の回りの世話。お鯉部屋と呼ばれます。

いろんな交渉ごとの根回し等、かなり実質的に政治に関わっていきます。

日露戦争の後始末に不満を持った過激派からお鯉の家も焼き打ちにあったりし
危険だと思った桂が、手切れ金一万を渡したが、突き返しています。

でも、療養後に本宅に戻ってきた正妻可那にはお目通りを許してもらえず
桂の臨終にも立ち会えず、葬儀にも参列できませんでした。

ただ、遺言で、財産分与が証明され
生涯の事を考えるという約束は果たされました。
大正2(1913)年です。

「らかんさんのことば」からの引用です。

世間からは何不自由ないように言われた時代に
人間から金や身分を取り去ったらどうなるだろう
女が容色(きりょう)を失ったらどうなるだろうと考えた時、
それはそれはさみしいものでした。
そうなったときの拠り所を探しておかねば一日も安心して生きられませんでした。
それで、仏様のお弟子になったのです。

結局、財産分与という約束は、お鯉には意味のないものだった。

名を妙照(みょうしょう)と改め、一切を仏に任せた生活に入ります。

20年以上の時が流れました。
昭和12(1937)年
妙照(お鯉)が托鉢の途中、五百羅漢寺に立ち寄ります。

時を戻しましょう。
五百羅漢寺がどうなっていたか。

江戸時代には、家光直々に建立を指示した寺として続いておりましたが
明治維新になり、一転、廃仏毀釈により存立の危機に見舞われます
それでもなんとか持ちこたえ
明治41(1908)年に目黒に移転して来ます。
ところがその直後
大暴風雨により、本堂が大破してしまいます。

そして、追い打ちをかけるように、
大正12年の関東大震災で大破
それでも火災だけは免れたんでしょう。
305体の羅漢像は残った。

昭和の始めには、住持(住職)もいない荒れ寺になってしまっていました。

そんな荒れ寺、五百羅漢寺に、妙照がやって来た。
荒れ寺の中に残る羅漢像と対峙したのでしょう。

鉄眼の生きざまに突き動かされた松雲
その松雲の生きざまがそのまま乗り移った、羅漢像たち
今度は、妙照を突き動かす事になります。

妙照は五百羅漢寺の本堂で得度式を行い
五百羅漢寺の住職となります。

再興せねば
この羅漢像を守らねば

でもそれは、妙照にとって
羅漢に囲まれた、幸せな
一番、真実を感じられる
人生のひとときだったのかも知れない。

五百羅漢寺再興のために、托鉢行脚に精進します。
分与された財産を使えばどうってことないだろうにね。

日中戦争が苛烈になってくると
妙照は義理の妹の尼僧、慈雲とともに、中国大陸に渡ります。
国をあげての大戦の最中に
戦争で命をなくした人たちの霊を、敵味方なく慰めるため
昭和15(1940)年
戦塵の中、一切平等の功徳(くどく)をすすめます。

その後、太平洋戦争に突入
昭和20(1945)年敗戦

五百羅漢寺再興も思うようには進みません。
その3年後、病に倒れた妙照は
その生涯を閉じます。

慈雲
道半ばの思いは、義理の妹の尼僧、慈雲が引き継ぎ
五百羅漢寺再興に奮闘します。

さくら隊原爆殉難碑というのが立っています。
慈雲が立てたものです。

広島に巡業中だった、新劇の名優、丸山定夫の主宰する移動演劇隊「さくら隊」が被爆し
悲惨な最期を遂げました。
丸山定夫を含む9人の死を哀悼しています。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)