[三十六歌仙]22 藤原朝忠。斎宮に行ってらっしゃい

藤原朝忠

よろづ世の 始めとけふを いのりおきて 今行末は 神ぞしるらん

万代も続く御代の始まりとして、今日が佳き日であらんことを祈っておきましょう。
そしてこれから後のことは、ただ神のみぞ知っておりましょうから、
神意のままに委ねましょう。

百人一首の第25首
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
の作者 藤原定方の息子です

藤原朝忠の百人一首はこちら
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

座るのも苦しいほどの肥満で、
痩せるために水飯を食べるように医師に勧められたが、
かえって太ったという逸話がある

ただ、この話は人違いかも知れないみたい

鑑賞
よろづ世の 始めとけふを いのりおきて 今行末は 神ぞしるらん

万代も続く御代の始まりとして、今日が佳き日であらんことを祈っておきましょう。
そしてこれから後のことは、ただ神のみぞ知っておりましょうから、
神意のままに委ねましょう。

これだけ読むと分かりづらい歌ですね
これはお見送りの時の歌です。

村上天皇の娘、楽子内親王が伊勢へ斎宮(さいぐう)として旅立つのを見送る時の歌
「けふ」は「今日」と、去らねばならない「京」をかけています。

この斎宮。とても悲しい制度

天皇って、不思議なことにその、よってたつ宗教的権威の源、伊勢神宮にお参りすることをしない
その代わりと言うんだろうか
自分の娘を神に仕える身として、伊勢に使わせる

神に仕える身だとして、一切男性との関係を絶たなければならない
斎宮の期間を明ければ、その縛りは緩むようだけど
基本的には、一生独身となるみたい

若い女盛りの時に斎宮として赴任することがどれだけつらい事か
現に恋愛中だって、別れなきゃならない

数々の悲劇が生まれ、歌にも歌われてきた

朝忠は、その出発に立ち会い
基本的には万代も続く御代を司ることの誇らしさを歌いつつ
微妙な表現で、その裏にある気持ちを表現している

朝忠の歌をもうひとつ

わが宿の 梅が枝に鳴く 鶯は 風のたよりに 香をや尋とめこし
(私の居る家の梅の枝で鳴く鶯は、風の案内によって香を求めてやって来たのだろうか)

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記] 1/26 文化財防火デー

1/26
奈良の観光名所として知られる法隆寺。
その金堂は、現存する世界最古の木造建築として世界的にも価値が高い文化財だったが、
1949 (昭和24)年1月26日の火災によって全焼した。

同時に、敦煌の壁画にも匹敵するといわれるほどの貴重な壁画も焼失してしまった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA


この火災は、当時の日本に大きな衝撃を与えた。
以前から文化財保護の大切さは誰もが理解していたし、
明治30年に制定された古社寺保存法をきっかけに、
さまざまな文化財保護のための法律が制定されていた。

だが、それではとても世界的な保護のレベルに達していないことが
明らかになった。

そこで、この反省から、翌年5月30日に文化財保護法が公布され、
建物だけで国宝203、重要文化財1426件が指定される。

これに続いて、1955(昭和30)年には、
火災があった1月26日を「文化財防火デー」に制定。
「文化財を火災から守ろう」をスローガンに、
文化財保護の大切さをアピールする日になった。

この日には、毎年、全国の神社仏閣などの文化施設で、
関係者や近所の住民が参加して本番顔負けの消火訓練を実施するなど、
さまざまな方法を用いて防火意識の向上を図っている。

また、現在では法隆寺の金堂を始め、国宝級の建造物には、
火災報知器のほか、放水装置、放水銃など、万全の消火装置を設置している。
周囲で火を使うことも法律で禁止するなど、
世界的にも厳しい防火・消火体制をとっている。

色々見て歩いて、やっぱり古くからずっと続いているものを目の当たりにするのは
えも言われぬ感動がある
焼けちゃうとなくなっちゃいますから
みんなで気をつけていかなきゃなと思います。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]32-4 吉田茂。初めての選挙

[首相]32 吉田茂。嫌になったらいつでも投げ出す。
[首相]32-2 吉田茂。分かった。ひとりの日本人も、餓死させない
[首相]32-3 吉田茂。耕さないもの認めない
の続きです。

教育改革
文部大臣に起用したのは、田中耕太郎
田中は、戦前は東大法学部長だった、戦後は教育行政に転じ、
幣原内閣の安倍能成の下で、文部省学校教育局長をしていた

教育改革についての構想を、率直に話してもらいたい

師範学校が諸悪の根源だと思っています。
全廃すべきです。

師範学校は、初等教育の先生を要請するための学校

しかし
師範学校を廃止するのは大問題です。
内閣の運命に関わりますよ

内閣がつぶれたって良い
良いことはやろうじゃありませんか

手をつけようとすると
もっと大きな課題が出てきた

六三制

義務教育は六年間であったが、それに三年増やして九年間にする
アメリカ教育使節団によって勧告され、GHQが熱心に後押ししていた

これも良いに決まっている
でも3つの問題があった

1.何が教育の精神的中心であるか、そしてそれを具体的に示せるか
2.教師の問題。一気に増える生徒に対応出来る教師をどう要請するか
3.金の問題。これが一番大きい。敗戦間もない日本にそんな余力があるわけない。

吉田からの指示は
計画は良い。実現はゆっくりやるように

あちこちで反対の声が巻き起こるが
吉田は、すぐにやろうと言うものじゃないからと
各方面に説明して回った

唯一逆の意味で納得しなかったのがGHQ

すぐにやらない?
何を言っとるんだ
骨の髄まで軍国主義、極端な国家主義に凝り固まった日本民族を、
早急に変えねばならぬ。
昭和二十二年から三年の間に、毎年、小、中、高、大学と新制度に切り替えていけ

GHQに事情を分かってもらうために吉田は多大なるエネルギーを使った
何とか時間稼ぎをするため
疲れはてている田中を、高橋誠一郎に変えたりもした

その高橋が、GHQ に新任の挨拶に行った

ニューシェント局長が出迎えてくれ
いっぱい喋りかけてくる

何を言っとるんだろうか。早口でよく分からんけど
ニコニコしながら

イエス、サンキュー
と固い握手

あとから通訳に聞くと
「六三制の予定通りの実施は大丈夫でしょうね」

えっ
イエス、サンキューって言っちゃったよ

昭和二十二年三月三十一日、「教育基本法」と「学校教育法」が公布され、
「六・三制」は、ついに四月一日から発足した

選挙
様々な改革をやって1年後
国民に真意を問うため、解散すべし、と
マッカーサーからの指示

言われた通り、解散
選挙ということになる

吉田は、外交官で政治家ではなかったから
選挙に出た事はない

これが嫌だから、政治家にならなかったとも言える

でも、解散した本人が、選挙に出ないってあり得ない

どこから出るかなあ

四国の高知県は、吉田の実の父、
竹内綱が、明治二十三年第一区から代議士に当選。
続いて、実兄の明太郎、さらに義兄白石直治らが相次いで選出された
地盤だと言える

高知は、又従兄弟の林譲治が立候補している

麻生家に嫁に行っている娘の麻生和子を誘って、一緒に高知に行った。

同じ選挙区で立候補して、えらい迷惑なはずの林譲治が
色々段取りをつけてくれる

電信柱でも何でも良いから、とにかく頭を下げて下さいね

その日の晩、あまりにカツオが美味しいので食べ過ぎ
あくる日から寝込んでしまう。

いきなり?

林譲治が和子に行った

言うべき事はここに書いてありますから
和子さん、読んでください。

ええっ、高知見物ってことで付いてきたのに

棒読みで読むだけ読んだ
でも、読んでいくなかで、嫌になってきた。
父さんはこんな立派な人間じゃない

次の会場では、読みたくないと言った

それでは、よろしくお願いします、の一言だけで良いですから。

和子は、演壇に立つと、とっさに思いついたことを口にした。
「ご存じのように、父は、ヘソ曲がり、ツムジ曲がりで有名ですが、
あなたがたも同じ病気にかかっていらっしゃるんだと思いますから、
同病相憐れむで、一票入れてやってください」

ドッと受けた

翌日は吉田も復帰

さあ、ここで演説お願いします。

黒いソフト帽を取り
「吉田茂です」

それだけ

ちょっとぉ、それだけ?
吉田茂は分かっているわよ
せめてよろしくお願いします、くらい言ったら?

馬鹿。そんなこと言えるかよ

次の会場では、2~3分
世界の中での日本の立場とか小難しい話だけ

高校の会場で
「ここの高校の卒業生を集めておいたから、よろしくお願いします」

何を勘違いしたか、自分の子供の頃の話をして
「みんなしっかり勉強するんだよ」

そうか、どおりでみんな歳くってるように見えるなあと思った

そんな無茶苦茶な選挙戦だったが
吉田はトップ当選
林譲治も二位で当選

とは言え、吉田の率いる自由党は、第一党の座を奪われた。

社会党は、百四十三名で第一党、
日本自由党は百三十一名と、十名ばかりの差で二位に落ちてしまった

さあ、どうする
続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[迷信] 火遊びをするとおねしょする

火遊びをするとおねしょをするよ

はーい、ごめんなさい

いましめ的な要素がプンプンの迷信ですが
意外にも科学的な根拠がないではない。

尿は膀胱にたまり、一定量を超えると脳にその情報が伝わる。

大人になって排尿システムが完成すれば、
脳が排尿を指示しても、意図的に尿道括約筋を締めることで尿をためておけるようになり、
不随意に排尿してしまうことはなくなる。

多くの子供は、学童期頃までにコントロールできるようになるため、
年齢とともに失敗する率は減っていく

一方で、精神的な刺激が夜間、
つまりおねしょの引き金になる場合がある。
膀胱の動きは交感神経と副交感神経という自律神経によってコントロールされており、
睡眠中はより多くの尿をためておけるしくみになっている。

ところが、日中の刺激によって交感神が高ぶったままでいると、
それがうまくいかなくなる。

大人でも気分が高揚した状態や度のストレスがかかることで自律神経が乱れ、
おねしょをしてしまうことがある。

子供にとって火遊びはきわめて危険であり、その行為自体が強烈な刺激となる。
興奮によって交感神経の働きがうまくいかず、
排尿のコントロールができなくなり、その結果、おねしょをしてしまうことになる

子供の時
おねしょと言えば、
今だから言えますが、私はかなり大きくなるまでおねしょが治りませんでした。
何せ子供の子供の頃の事なので記憶は曖昧ですが
修学旅行の心配をしていた記憶がうっすらあるので
小学校4年か5年くらいまでしていたかも知れない

母さんは苦労したと思います。
色んな事を試したと思う
催眠術の先生のところに行った事もある
ドボちゃんデベちゃんと名付けた指人形が
おねしょをしないためのおまじないで
何か話しかけてから寝ていた気がする

夜中に起こさないといけないから
母さんも大変だったでしょう

ネットで検索してみると
今はすごいですね
科学的に直すんですね
薬まである

夜中に起こしちゃダメって書いてあった
その時間におしっこする癖がついちゃうからだって

なるほどそう言われりゃ理屈だなあと思いますが
全く逆をやっていた訳ですね
母さんの苦労を返せ!です。
あの時代にネットとかあったらなあ

結局、これという決め手はなく、成長してきて自然に治った気がする

変な言い方だけど
人には言えない「負い目」的なものは
何か持っていた方が良い気がする

母さんに感謝する気持ちや
人に優しくなれるとか

どんな事でも、ずうっとあとになれば
思い出に出来る

あんな事もあったなあ

[迷信]シリーズはこちら(少し下げてね)