大阪城に行ってきました

難波宮に行ってきました
の続きです

大阪歴史博物館
さあ、大阪歴史博物館に向かいましょう
あと時間の余裕は1時間しかありません

残念無念
年末のお休み

法円坂遺跡
ただ、その手前にこんなものがありました

この地域は、前期難波宮、後期難波宮のみならず
もっと前の応神天皇・仁徳天皇とかの時代にも都的な中心地域であったようです

その時の遺物の倉庫群がこの場所にあった
法円坂遺跡というようです

この場所は前期難波宮の建物群ともダブっている贅沢な場所


発掘の跡が地下にそのまま残してあってガラス越しに見れるようです

また来るしかありません

さあ、どうしよう。あと1時間
すぐ横の大阪城に行くには短すぎるが、そのまま戻るにはもったいない1時間

そういう時は?
私の性格上、そういう時は、速足で見る、になります
よっしゃあ、やったるで

大阪城
おおっ、良い石垣とお堀
惚れ惚れします


石垣の種類としては打込接(うちこみはぎ)(=大きな石で組んだあと小さな石を間に詰める)です

出ましたっ、大手門

大手門の横は巨石による切込接(きりこみはぎ)(=ぴったり合わせる)の布積(ぬのづみ)(=横にまっすぐ)

実は打込接の方が強度的には強いので、お堀の上の強度を必要とするところの石垣は打込接で
お客様を迎入れる門の横は美しい方が良いので切込接の布積

門を入ったすぐ前は鏡石といって、どでかい巨石を置く
実用的というより悪霊をはね返す縁起物


それにしてもでかい。江戸城の倍の大きさだなあ

出ましたっ、狭間(さま)

襲ってくる敵に矢をピュンピュン
だけど本当は全く実用的ではない
こんな小さな穴に弓矢を構えた段階で、敵なんて見えやしません
めくら打ちするしかありません
見晴らしの良い広いところから矢を放つ方がよっぽど当たる
気持ちの問題ですね。かっこいいし


なんとこの扉の分厚いこと

いかん。門だけでこんなに興奮してしまっております
このペースで行ったら1時間なんてあっという間。
ペースアップしましょう

西の丸庭園

やったあ、年末休みで入れません
本来なら、残念無念というところですが
庭園なんてあった分には、時間がいくらあっても足りません
入れないことに感謝

修道館

豊国神社

ああーっ
泣きながらパス

桜門でまたまた巨石
なにこれーっ

大阪城のマンホール

天守閣
見事。美しい。






本来、天守閣に登れるようですが、これまた年末でお休み
良いですよ、良いですよ

もうすぐ、豊臣期の石垣の公開というのもあるらしい
素晴らしい

天守閣をグッと回り込んで裏側にやって来ました
石垣の石がいっぱい置いてあるぞ
刻印石広場ですって
やられたぁ
なんで時間のないときにそんな素晴らしいことをしてくれるのでしょう


とりあえず、いくつか写真を撮っておきましょう
また来るしかないね

■山里丸

秀吉は戦の手段であるはずの城を文化の発信基地にした
千の利休、津田宗及といった茶道の天才と侘茶を楽しんだのもこの山里でした。
大名の厚遇のしるしに、この山里で秀吉自ら茶をふるまいました。
三畳敷の茶室で濃茶と料理を振舞ったあと、
さらに狭い二畳の茶室に移って薄茶を飲ませるのが恒例でした。
おねが一日中藤棚の下で花見をしたり、淀殿が観桜の宴に興じたのもここです。
推定再現模型

■秀頼、淀殿自刃の地


秀頼は落城の際、天守に登り潔く切腹する心でいたところ、
老臣が思いがけず運が開けることも古来よりあるから主将は死に急ぐべきではないと進言し、
天守を下り、月見矢倉の下から芦田曲輪(山里曲輪)の朱三矢倉へつぼんだと『夏御陣覚書』にあるそうです。
下の赤い矢印のルートで「つぼんだ」のでしょう。

大阪城公園の中を大阪城公園駅へとまいりましょう





時間もちゃんと間に合いました

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難波宮に行ってきました

(12/29の事です)

関西に帰ってきています。
12/28に父さんの加古川に泊まり
12/29に長女のところへ
午後2:30に行くという約束なので、それまでは大阪の名所に行きましょう

難波宮(なにわのみや)跡
GoogleMapを見ていると、難波宮跡というのがあります
おおおっ、そのようなものがっ
ぜひ行かねば
最寄りの駅は森ノ宮
大阪城の隣です
さらに近くに大阪歴史博物館というのもある

大阪城はおそらく時間がかかりすぎるだろうから
時間があるときに行くとして
難波宮と大阪歴史博物館でなんとか2:30までに間に合わせよう

難波宮って何かというと
奈良と京都に都があったのは有名ですが
実は大阪にも都があった
それもなんと2回も

1回は大化の改新の後、孝徳天皇の時
2回目は聖武天皇の時

行ってみて初めて分かったのですが
2回目も1回目と同じ場所に作り直しています
赤い色が前期の建物
青い色が後期の建物

緑色が公園になっている部分

思いっきり広い公園



改めて、都のすごさを感じます

ただ広いだけじゃなく、発掘しての柱の跡がマークしてあります
公園の領域内では後期の大極殿が最も大きく中心になる
そこには土台まで作ってあります
これまたでかい




発掘の時はこんな感じ

回りの建物も柱の位置がマークしてあります
前期と後期があるので区別されていて、赤色が前期


白色が後期

空から見たものをネットから引用すると

どんな建物だったかのジオラマはこう

あらかじめ言ってしまうと、
大阪歴史博物館は年末休館だったんだけど
大阪歴史博物館の10階にはかなり詳しく難波宮の解説がなされているらしい
そもそも、大阪歴史博物館の土地自体が難波宮の遺跡の上に建っているので
地下には、その遺跡が残してあってガラス越しに見れそう
10階ではさっきの大極殿の中が実物大で再現されているらしい


大極殿はこんな建物

前期の八角堂はこういう建物

公園ではこうなっています

発掘された遺物も色々展示してあるらしい
これは何としても、開館している時期に再度行かないといけません

改めて、前期と後期についてお話ししましょう
前期
前期は大化の改新後に開かれた都

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を殺した乙巳の変(いっしのへん)に始まります
その後、難波宮が都として定められます
難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)と呼ばれています
そこで行われた政治改革が大化の改新なのです

中大兄皇子の母親皇極天皇がその時天皇だったんですが、
乙巳の変で退位
中大兄皇子に譲りたかったんですが、中大兄皇子は天皇にならなかった
仕方なく、皇極天皇の弟孝徳天皇が即位
中大兄皇子は皇太子になった
最初は二人で協力しあって改革を進めていっていたんですが
次第に不仲になります

中大兄皇子は飛鳥に引っ越しましょうと提案
孝徳天皇は、
そりゃまたなんで?莫大な費用をかけてこんな立派な難波宮が出来たところじゃないですか

あっそう。じゃあここにお残り下さい、と中大兄皇子は飛鳥に引っ越しちゃった
ところがなんと家来たちがほぼ全員飛鳥に引っ越し
孝徳天皇の奥さんまでもが飛鳥に

こんな広いところに残ったのは孝徳天皇とほんの数名
寒いよね。掃除どうする?
失意の内に孝徳天皇は亡くなってしまいます

そこまでしたなら、中大兄皇子が天皇になればいいものをならず
仕方なく、皇極天皇が、もう一度天皇に返り咲き。斉明天皇と名前だけ変えます
ようやくそのあと、中大兄皇子は天智天皇となります。

後期
後期は聖武天皇の時期

聖武天皇が精神的にちょっとおかしくなっていた時期

平安京で落ち着くまでは、天皇が変わるたびに都も変える時代だったので
天皇が変わるタイミングで都が変わるのはなんとか理解できるのですが
聖武天皇については、放浪癖があって、在位期間中に都をコロコロ変えるわ変えるわ
その中の一環です
その後、反省したのか、平城京で落ち着き、奈良大仏を作るという大事業を行うことになります

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次女の旅立ちとペーパードライバー

以前、次女が独り暮らしから引っ越して戻ってくるときにチラッとお話ししましたが
次女が明日1/5に北海道へと旅立ちます

大学が北海道なんですが、その時がよほど良かったとみえて
北海道で暮らしたいと、何度か言っておりました

美唄(びばい)というところで移住お試し住宅というのがあり、3ヵ月かなり割安で借りれます
美唄の生活が気に入ったらぜひ移住してきてくださいね、というもの

さあ、どうなるでしょうか
本人は移住希望ですが、やっぱり体験してみないと田舎の生活ができるかわからないということでチャレンジ
超過疎地帯、東栄町で育ったカミさんのDNAが生きているのかも知れません

親としては、応援したい気持ちと、やっぱり無理だわと帰ってきて欲しい気持ちの両方があり複雑です

田舎で住むには車は必須
運転免許は持っているものの
以前、長期間のペーパードライバーのあと、運転して軽い接触事故を起こし
大変な思いをしてトラウマになり、
免許は返納すると言っていながら今までずるずるとそのままでした。

田舎暮らしではそうも言っておられないので
一念発起し、運転の練習をしたいと

明日旅立ちなので、今日しかありません

以前の事故の時は保険に入っていなかったが故に大変なことになったので
練習するにおいて1日保険に入りました

さあ、どこで練習しようか
以前練習した交通量が少な目の家の近くの道路、と思ったのですが
娘がネットで面白いものを見つけました

さいたま市にある、荒川河川敷の自動車教習所で貸しコースというのがあり
1時間あたり1650円で貸してくれる


行きましょう

自動車教習所のコースで運転するなんて、免許取った時以来だから、40年ぶりくらいでしょうか
懐かしいと申しますか、記憶が全くよみがえりません

面白い。むちゃくちゃワクワク。



まずは私が軽く走って、バトンタッチ
私は助手席でサイドブレーキを握ります

外周2周り
車幅感覚を身に付けましょう

S字
懐かしいー
うまく行っちゃった
こりゃ面白くない

クランク
おっとこのまま行ったら縁石に乗り上げるぞ
よしよし、切り返しの練習ね
何度かやるうちに、少しずつ前進ではどっちにハンドルを切ったらどっちに車が動き
バックではどうなのかの感覚が分かってきたみたい

駐車
クランクで分かりかけた切り返しを駐車でも
何度かやりましたが、よくよく考えると駐車の練習はここでやらなくても
両サイドに車がいなければ、スーパーとかの駐車場でも練習できる
これくらいにしておきましょう

あっという間に1時間が近づいて来ましたので受付に戻ることにしましょう

秋ヶ瀬公園
事前に航空写真で見ると、隣の河川敷の秋ヶ瀬公園というところは車は入れるものの交通量がなさそう

確認しに行くと、確かにあまり車が通らない一本道なので、練習にはグッド
駐車場も広いので駐車の練習もできそう

じゃあ、お昼を食べてから、ここに来ましょう

お昼は私が運転して浦和の市街
幸せ炒飯なる店で炒飯を食べました
美味しかった

さあ、秋ヶ瀬公園へ


かなり長い一本道
片側1車線ずつの2車線なんですが、公園内なのでスピードを出さないよう
所々1斜線に狭まっている
そこでは緊張もするし、ペーパードライバーにしては適度な良い練習場所
ペーパードライバーの聖地だね

何度か行き来して車幅感覚も身に付いてきた様子

次は駐車
何度かやるうちに、本人も感覚が分かってきた

良いね
これ、大丈夫じゃない
どうする?

人のいるところに出てみる?

浦和の市街
市街に出て、マクドナルドの駐車場で運転チェンジ
行こうっ
順調順調
通行している自転車を抜かす時とか、車線変更とか、信号前でのブレーキとか
なんとかこなしながら、ぐるーっと一回りして元の場所へ

荒川の橋も越えて、レストランの駐車場に入ってゴール

やったね、大成功
最後の方は自信ついてきた感じだよね
危なげなかったよ
保険も使わずに済んだね

ここで運転交替
ルンルンで帰路につきました

北海道では、冬の間は雪で怖いので
春になった段階でカーシェアで運転する予定らしいです
雪さえなければこっちより運転しやすい道でしょう

正直私としては、運転の練習にかこつけて
最後の1日を、娘と一緒に過ごしたかった訳です

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湯島からのウォーキングその4

湯島からのウォーキング
湯島からのウォーキングの続き
湯島からのウォーキングその3
の続きです

■本郷追分一里塚跡
中山道の最初の一里塚であり、日光御成道との境目

■弥生式土器ゆかりの地
ここから弥生式土器が最初に発見された
弥生町なので土器の名前や時代の名前まで弥生になりました

■旧太栄館(石川啄木旧宅・蓋平館別荘跡)
石川啄木のゆかりの地二つ目です
東京に、郷土の先輩金田一京介を頼って上京
赤心館というところに下宿し小説を5つも書くが全く売れず
家賃が滞るようになり、金田一京介の助けを借りて、ここ太平館(その後「蓋平館」と名前が変わる)に移ります

碑の文字、ちゃんと読めました
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる

■赤心館
その赤心館です

たはむれに母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず

■本妙寺跡
江戸時代は明暦の大火の前と後で大きく変わります
それほど大きな影響を与えた明暦の大火
市街地の大半を焼きつくした
その火元が本妙寺と言われています
またの名を「振り袖火事」
振り袖火事についてはよろしければこっちを読んでね
振り袖火事と八百屋お七、ああ哀しき16歳
今の本妙寺き移転していますが、元はここにありました

■法真寺
樋口一葉ゆかりの地です
少女時代、法真寺の横に住んで境内で楽しく遊んだ
桜木の宿と呼んでいた

なかなかお洒落なお寺


おっと、一葉さんいたのね

■かねやす


かねやすは中山道沿いの小間物屋さんだったんですが
乳香散という歯磨き粉を開発して大ヒット
8代将軍吉宗のとき、町奉行大岡越前が
防火のためこの辺りから江戸城まで、瓦葺き屋根を推奨した
ちょうど境目辺りで大きな土蔵で目立っている「かねやす」までは瓦葺きが多く
かねやすを過ぎると板葺き茅葺きが多いので
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」
という川柳が生まれました
過去にももう少し詳しく書いているのでよろしかったらこちらも読んでね
本郷散策の続き

■喜ノ床
石川啄木ゆかりの地第四弾
赤心館、太平館、と移り住んで、そのあと引っ越したのがここ
喜ノ床という床屋さんの二階
今も床屋さんなんですね


この時期に作った短歌で有名なのが
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る

■本郷弓町のくすの木
えっ、大きなくすの木があるってだけ?と思いつつ行ってみたら
おおおっ、来て良かった。想像以上にどでかかった

■妻恋神社

ヤマトタケルノミコトが東方平定の際
東京湾を走水の渡り(現横須賀市)から千葉に向けて船で渡る時、
途中暴風雨に遭い、船はもてあそばれ沈みそうになった。
同行の妃・弟橘媛命(オトタチバナ)が「夫の身代わりとして海に入り、海の神の心を鎮めましょう」と言って、「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」(焼津で自分を守ってくれた尊への思いが込められている)と歌を詠んで海に身を投じた。
海は鎮まり、尊は房総に上陸ができ、東国を平定し、大いに勲功をあげることができた。

愛する妻をなくしたヤマトタケルノミコト
帰路で、上総の国碓日嶺に登り東南の方を望み「吾妻者耶・・・・・」(あずまはや~)
我が妻よー
ここから関東地方をあずまと呼ぶようになった

妻恋神社はヤマトタケルとオトタチバナを祀っています

もうひとつ妻恋神社で有名なのは「吉夢」(よいゆめ)
これをお正月に枕の下に敷いて寝ると良い初夢が見られるんです

いっぱい歩いたなあ
さあ、東京駅へ向かい、関西に帰省いたしましょう

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