[大阪京都旅行]二条城、その2

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[大阪京都旅行] 徳川の歴史、二条城
の続きです

二条城
天守閣跡を過ぎた頃にカミさんや娘から提案

この先にある茶房で私達休んでるわ
〇時になったら、最初の門のところで待ち合わせましょう

なるほど、あっちこっち細かいところまで見るのはもう疲れたと
分かる気がします

ここから、違った味わいの庭園がいくつか見れる
一人で満喫することにいたしましょう



寛永3(1623)年に建てられた米蔵
寛永の大改修が1624年だからその少し前
家光が30万人を引き連れて入城した10年前
30万人はここの米を食べたって事です

ほれほれ、遠慮せずにもっと喰え

北中仕切り門
門の種類としては埋門(うずみもん)と呼ばれる種類で
左右石垣でその中にうずもれている
色々門は見てきたけど、ここまでちゃんとした埋門は始めて見た

枯山水型の庭園

清流園
昭和にできた庭園
和洋折衷スタイルになる




この建物がすごい
なんとあの、江戸初期の京都の大商人、角倉了以(すみのくらりょうい)が住んでいたもの
そのあと、何度も持ち主を変えながら大事に受け継がれ
昭和になって、この場所に移築された

おおっ、定規筋(じょうきすじ)5本
最も格式が高い証

とはいえ、実はおかしい

朝廷関係の建物や、寺院にしか許されていないもの
城ってそもそもジャンルが違う
いかに家康が、自分を特別なものとして扱わせたかという力関係が良く分かる

収蔵館

実は、二の丸御殿で書かれていた狩野派の障壁画(ふすまの絵)はレプリカ
鮮やかできれいではあるんだけど
そんな前のものが、そこまで鮮明に残っている訳がない
本物も実はあって
それがこの収蔵館で見れる

何度か、修復を重ねつつ残している
初期の頃の修復の跡とかも見れて
障壁画を残すための苦労も分かる

本物の重みとそこから伝わってくるもの

残念ながら、撮影NGでした

隣のお土産屋さんで二冊目のガイドブックを入手

カミさんたちと合流です

うなたま
遅めの時間になってしまいましたが、昼食を予約してくれていました。

名物のうなたまを注文

おおおっ、すごい
何と奥ゆかしいのでございましょう
日本一の鰻、としながら
出てきたパッと見に鰻が見えない

京都の人の考え方は素晴らしい

めくってみましょう
出たあっ

この玉子の美味しいこと

そして、鰻
確かに今まで食べた鰻と全然違う
香ばしい
あらま
ええもん食べさせてもろうた
思い出に残る味

まだまだ続きます
続きは次回ね

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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