平林寺2020/11/28昼食メニュー

平林寺のイベントの昼食はたけ山といううどん屋さんです
メニューは以下になります
以下の3つのうちのいずれか限定になります。
天付釜あげうどん1620円

天付せいろうどん1560円

竹山うどん1320円

掲示板か伝言板でご連絡下さい。
特にご連絡無ければ、たけ山うどんセットとさせていただきます。

[植物]一番茶と二番茶はなぜ味が違うの?

植物のかしこい生き方、第4章「逆境をしたたかにいきる」から

自分をつらぬくことは大事
でも臨機応変に自分を変える
かしこさも大事

お茶

5月上旬に市場に出回る新茶は、立春から数えて八十八夜に摘まれるお茶

♪夏も近づく八十八夜 チャンチャン

一番茶、走り茶とも言われます。

一年間の無病息災を祈って有り難く飲まれます。

その後で、摘まれるお茶が二番茶、三番茶とも言われます。

新茶は甘味や旨味があるのに対して、二番茶、三番茶は渋みや苦味があります。
それぞに良さなので、必ずしも一番茶の方が良いと言うものではありません。

新茶
何で新茶には甘味や旨味があるのでしょう。

答えは、
お茶の木が、冬の寒さに耐えたそのあとに出てきた葉っぱだからです。

お茶の木は、冬の寒さに耐えるため、
葉っぱに糖分やビタミン、アミノ酸を増やします。
そうすると、葉っぱが凍りにくくなるからです。

お茶に限ったことではなく、あらゆる葉っぱは凍ってしまうと機能を果たせなくなります。

なぜ糖分やビタミンアミノ酸をがあれば、凍りにくくなるかは
普通の水と砂糖水を凍らせる実験をするとすぐ分かります。

凍る温度を凝固点と言いますが
普通の水の凝固点は0度
糖分やビタミンアミノ酸を混ぜれば混ぜるほど、凝固点は下がっていきます。

冬を越えた野菜
ダイコン、白菜、キャベツ等に甘味があるのはそういう訳があります。

お茶について言うと、お茶の旨味の成分と言われるテアニンが新茶には多く含まれます。

二番茶三番茶
二番茶三番茶は5月以降に摘まれます。
もうその頃になると、寒さ対策は必要ありません。

注意すべきは、強い日射し対策です。
紫外線に負けるもんか!

抗酸化物質である、タンニンやカテキンを数多く作ります。

タンニンやカテキンは渋みがあるので、虫に食べられる事を防いでくれます。

時期によって
自分の生き方も変えていると言えます。

[植物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[出雲大社] なぜ神様が集まるのか

[出雲大社]現人神である国造
[出雲大社]大国主命。どういう神様なんだろう
[出雲大社]天への架け橋か
[出雲大社]文明王国、出雲国は本当にあったのか
の続きです。

出雲大社のシリーズとしては、一旦最終回と致します。

出雲の不思議
国譲り伝説。
天照大御神から国を譲りなさいと言われて
分かりましたそうします、と大国主命
屈服したわけです。

大和に出雲が負けた。

なのに

どうしても分からない事がある。

神様が集まる場所

神無月(かんなづき)の10月に、神様たちが出雲に集まる
やおよろずの神様たちは、出雲に行っちゃうから、神様たちが不在です。
出雲では、10月は逆に神在月と呼ぶ。

えっ、なんで?
なんで、神様界のトップの天照大御神のいる伊勢に集まらないの?
天照大御神自身が行くかは分からないにしても、大和にいる神様たちは
天照大御神を横目でチラチラ見ながら

すんません
ちょっとだけ言ってきますわ。

出雲だけがそう言っている訳ではなく、月の名前になっている位だから
日本の国全体としてオーソライズされている訳です。

とても日本的ですね。
勝ち負けをはっきりつけて、全部こっちに集中じゃなくて
譲ってくれたんだからありがたいよね。
年に一回は、出雲に集まって、良かった良かったと讃え合おうよ、と

議題
神様サミットの議題はというと、主に縁結び
誰と誰を結婚させるか

はい
播磨の神様やらせてもらってます。よろしくお願いします。
うちに、けいこちゃんというとっても気だての良い娘がおるんじゃが
こんなんでこうこう

はいはいはい
越後の神様やらせてもらってます。
うちの伸の介なんかぴったりじゃなかろうか

では、決定と言うことで。

行事
10月の1ヵ月をかけて、全国の神様は、出雲へ行って、戻ってきます。
全国側も、出雲側も大忙し。

・10月1日:「神送り」出雲に出発
各家庭で、旅立つ神様にお弁当としてお餅やお赤飯を供えます。
・10月10日:「神迎え」出雲に到着
出雲の国・稲佐の浜で神様を迎え、出雲大社へ向かいます。
・10月11日~17日:「神在祭」(かみありさい)
神議(かむはかり)という会議をします。
出雲大社では、会議処である上宮で祭りを執り行います
また、神々の宿泊所となる境内の19社でも連日祭りが行われます。
・10月17日:「神等去出祭」(からさでさい)
出雲大社から出発、出雲の国へ。
・10月26日:「第二神等去出祭」
出雲の国から出発。再び出雲大社でお祭りをします。
・10月末日:「神迎え」帰宅
各家庭でお餅や作物を入れたすいとんなどを供えます。

顕と幽
そうやって見ていくとやっぱり不思議です。
大和に比べ出雲も強大な勢力を持っていたけど
戦争で負けたわけではなく、とても平和に参加に入った。

出雲大社シリーズをやって来て、その辺りまではイメージできたんですが
メインとサブ
首相と副首相
と考えるには、
サブの側に全国の神様が集まるのが、どうしても引っ掛かる。

メインとサブ
ではなく
表と裏
なんじゃないか

日本人は、これを頂点に、って考え方がそもそも肌に会わなかったのかも知れない

神社シリーズをやって来て、イメージとして持つのは
伊勢神宮って、政治的にはあまり意味を持っておらず
むしろ政治の重大局面で出てくるのは、いつも八幡。その次に天神
庶民の側からはむしろ稲荷

江戸時代にはお伊勢参りが超人気になるけど
御師たちの努力で、という要素が強く
天照大御神が神様のトップだから、という理由には思えない。

おそらく、天照大御神が神様のトップに君臨したのは
明治政府の意図的な政策で、
それまでは、意識の中で天照大御神はトップではなかったんじゃないか

だからといって、大国主命がトップってわけでもなく
大国と音が同じ大黒様が、大国主命と一緒って言い方をされて
そっちの方が一番人気になっちゃう。

早い話がそれほどちゃんと考えていなかったんでしょう。

最初に、出雲は国造(くにのみやつこ)が現人神(あらひとがみ)だという話をしました。
国造という組織が、自然消滅した後も、出雲でだけは現在までずっと世襲で続いている

一方、天皇が現人神だという考え方は、天武天皇と持統天皇はそういう表現の仕方をしたけれども
絶えて久しく、明治維新まで、そういう表現は誰もしなかった。
天皇が伊勢神宮に参拝する事もしていない。

即ち、日本に現人神は江戸時代までは、出雲にしかいなかったことになる
明治になって、世襲制の国造の千家(せんげ)家の千家尊福(せんげたかとみ)が論争をしかける
伊勢派に対して出雲派
天照大御神だけじゃなく、大国主命も重要視すべし

物事には、顕と幽があります。
顕は目に見える世界
天皇陛下や天照大御神が司る
幽は目に見えない世界
司るのは大国主命です

結局負けちゃって、その考え方は退けられるんだけど
かといって、千家尊福は異端児的扱いとか、出雲の田舎もん的扱いを受ける訳じゃありません。
元老院議官、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣、東京鉄道株式会社社長などを歴任

千家尊福が作詞した一月一日は文部省唱歌として採用される

♪年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ

絶対正月にはテレビで流れますね

良いですね
こういう受け入れる文化

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

五百羅漢寺。超美人で江戸っ子チャキチャキ、お鯉のその後

五百羅漢寺に圧倒される
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男
の続きです。

いやあ、ひとつのお寺でまさかブログ3回分にまで渡るとは思ってもおりませんでした。

五百羅漢寺の創建にまつわる二人の男の壮絶なる生きざま
なんてドラマチックなお寺なんだろう。

そう思いつつ、「らかんさんのことば」を読み進めておりました。

えっ、ちょっと待って
どういうこと?

お鯉
衝撃が走りました。
私の中で何ともタイムリーなその名前。

お鯉

明治シリーズをやっていますね。
歴代首相シリーズも兼ねています。

首相としては、大隈重信まで行きましたので
次は桂太郎、その次は西園寺公望
ということで、その二人について書いた
「池上彰と学ぶ、日本の首相。桂太郎、西園寺公望」というのを購入し読んでおりました。

そのシリーズは、各首相の「ファーストレディ秘話」というコーナーがあります。
各首相の奥さんに関するエピソードなんですが
桂太郎は、なぜかお妾(めかけ)さんの、お鯉

元、新橋の芸妓で超美人。

性格がまた竹を割ったような性格で
チャキチャキの江戸っ子
芸妓時代から、ものすごい人気で、絵はがきが出るほど

桂太郎のお妾さんとなり、政治にも多大なる影響を及ぼす。

そこまでは、本を読んだばかりなので知っていたわけです。

「らかんさんのことば」を読むと
安藤妙照(お鯉)が、荒れ果てていた五百羅漢寺の住持(住職)となり立て直す。

はい
何かの間違いでは?

読み進めていくと、間違いではありませんでした。
まさしく、そのお鯉。

頭の中がゴッチャゴチャ
落ち着いて、落ち着いて
話を整理致しましょう。

お鯉の生涯
本名、安藤照(てる)
14歳で新橋の近江屋で芸妓となり、ダントツ一番人気
絵はがきは何度も増刷

20歳の時、歌舞伎役者と結婚するも4年で離婚
花柳界に復帰します。

伊藤博文、井上馨、北里柴三郎、尾崎紅葉とかがお馴染みさん
伊藤博文は有名ですね。

日露戦争が始まると、当時の首相、桂太郎は心労で大変
桂太郎の親分格の山県有朋や井上馨が、元気付けようと引き合わせます。

お妾さんにという話になったのは、桂太郎の奥さんが病気により
群馬の伊香保温泉で療養していたから

女をおもちゃと思うてもろたら嫌です。
芸者とて人間。
生涯の事を考えてもらうんやないとゴメンです。

お鯉24歳、桂57歳。
明治37(1904)年です。

首相官邸に和室が作られ、身の回りの世話。お鯉部屋と呼ばれます。

いろんな交渉ごとの根回し等、かなり実質的に政治に関わっていきます。

日露戦争の後始末に不満を持った過激派からお鯉の家も焼き打ちにあったりし
危険だと思った桂が、手切れ金一万を渡したが、突き返しています。

でも、療養後に本宅に戻ってきた正妻可那にはお目通りを許してもらえず
桂の臨終にも立ち会えず、葬儀にも参列できませんでした。

ただ、遺言で、財産分与が証明され
生涯の事を考えるという約束は果たされました。
大正2(1913)年です。

「らかんさんのことば」からの引用です。

世間からは何不自由ないように言われた時代に
人間から金や身分を取り去ったらどうなるだろう
女が容色(きりょう)を失ったらどうなるだろうと考えた時、
それはそれはさみしいものでした。
そうなったときの拠り所を探しておかねば一日も安心して生きられませんでした。
それで、仏様のお弟子になったのです。

結局、財産分与という約束は、お鯉には意味のないものだった。

名を妙照(みょうしょう)と改め、一切を仏に任せた生活に入ります。

20年以上の時が流れました。
昭和12(1937)年
妙照(お鯉)が托鉢の途中、五百羅漢寺に立ち寄ります。

時を戻しましょう。
五百羅漢寺がどうなっていたか。

江戸時代には、家光直々に建立を指示した寺として続いておりましたが
明治維新になり、一転、廃仏毀釈により存立の危機に見舞われます
それでもなんとか持ちこたえ
明治41(1908)年に目黒に移転して来ます。
ところがその直後
大暴風雨により、本堂が大破してしまいます。

そして、追い打ちをかけるように、
大正12年の関東大震災で大破
それでも火災だけは免れたんでしょう。
305体の羅漢像は残った。

昭和の始めには、住持(住職)もいない荒れ寺になってしまっていました。

そんな荒れ寺、五百羅漢寺に、妙照がやって来た。
荒れ寺の中に残る羅漢像と対峙したのでしょう。

鉄眼の生きざまに突き動かされた松雲
その松雲の生きざまがそのまま乗り移った、羅漢像たち
今度は、妙照を突き動かす事になります。

妙照は五百羅漢寺の本堂で得度式を行い
五百羅漢寺の住職となります。

再興せねば
この羅漢像を守らねば

でもそれは、妙照にとって
羅漢に囲まれた、幸せな
一番、真実を感じられる
人生のひとときだったのかも知れない。

五百羅漢寺再興のために、托鉢行脚に精進します。
分与された財産を使えばどうってことないだろうにね。

日中戦争が苛烈になってくると
妙照は義理の妹の尼僧、慈雲とともに、中国大陸に渡ります。
国をあげての大戦の最中に
戦争で命をなくした人たちの霊を、敵味方なく慰めるため
昭和15(1940)年
戦塵の中、一切平等の功徳(くどく)をすすめます。

その後、太平洋戦争に突入
昭和20(1945)年敗戦

五百羅漢寺再興も思うようには進みません。
その3年後、病に倒れた妙照は
その生涯を閉じます。

慈雲
道半ばの思いは、義理の妹の尼僧、慈雲が引き継ぎ
五百羅漢寺再興に奮闘します。

さくら隊原爆殉難碑というのが立っています。
慈雲が立てたものです。

広島に巡業中だった、新劇の名優、丸山定夫の主宰する移動演劇隊「さくら隊」が被爆し
悲惨な最期を遂げました。
丸山定夫を含む9人の死を哀悼しています。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)