江戸の娯楽と言えば、祭でしょ(神田祭)

前回、山王祭の話でしたね

今日は天下祭りのもう一個、神田祭です。

神田祭
神田明神は、平将門を祀ってます。

平将門(たいらのまさかど)は、朝廷に逆らって、関東に一大独立国を宣言した人
結局やっつけられちゃう訳だけど
江戸の庶民にしてみるとヒーロー。

今日、千葉県佐倉の平将門のゆかりの地に行って来ました。
将門神社。

こういう神社が各地にあるって言うことは
慕われていたんですね。

それにしても不思議です。
山王祭は分かる。
元々徳川家の産土神(うぶすながみ)
江戸城を守ってくださいね。

神田はこりゃまたなんで?
平将門は関東全域を守護している神様だから
って
負けちゃった方なのに守っちゃいないと思うんですけど。

理由はもうこじつけるしかなくて
本当のところは
当時も思いっきり盛り上がっていたからなんでしょうね。
ひとつは明らかに公の山王祭だとして
もう一個、やたらに盛り上がる、あれ入れときましょうか
なんだとしたら、
庶民のパワー勝ちなんですね。

要は将軍が見たかった。
費用まで幕府が負担するわけですから
すごい事です。

神田
神田っ子は神田に誇りを持っていますからね。
てやんでぇ こちとら神田の産まれよ。

日本橋が商人の町なのに対して
神田は職人の町。
士農工商でいうと工。
枯れた感じの粋よりも、勢い重視の「いなせ」
だから祭が合うんでしょうね。

町名
神田っ子の神田好きは町名にもあらわれています。
昔、神田区と麹町区が合併して、千代田区になったとき
神田の名前が消えるのが耐えられなかった。

そもそも「かんだ」は平将門の首が切られて京都に持ち去られたとき
体のあるこの地にまで、首が飛んできたといういわれから
「からだ」がなまって「かんだ」

町名にも神田付けたいんですけど
ってことで、
神田須田町みたいな感じで
神田〇〇町だらけ

その後、「住居表示」というのが全国的に実施され
今まで最後が〇〇番地だったのをやめて
区画整理をしながら
大きな道で区切られている中は皆同じ〇〇町〇丁目〇番
その中が右回りに〇号が付いていくという方法に変わる。

宅配寿司をやっていた私としては大助かりで
とても分かりやすい。

その時、神田〇〇町は廃止で、内神田とか外神田とかに統一。
のはずだったんだけど、
住民が大抵抗。

今神田〇〇町となっている町名は、原則住居表示になっておらず〇〇番地のまま。
いやあ、神田で宅配寿司やらなくて良かった。

勿論全員反対したわけではないので
両方の考え方の住所が入り乱れ
訳が分からない状態

例えば、神田司町(つかさまち)と神田多町(たちょう)には二丁目はあるが、一丁目はない。

区画整理前の、町名の単位が
今も、神田祭の神輿を担ぐ町会の単位なので
そのたびに今は違う住居表示の人達が一致団結する。


[昭和歌謡]16 ブルーシャトー。森トンカツ

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズです。

ブルーシャトー
ジャッキー吉川とブルーコメッツ
作詞 橋本淳 作曲 井上忠夫

出ましたね。
ブルーシャトー

紅白は印象的だったなあ
あんなに社会現象になったグループサウンズの中で
ブルーコメッツだけだった。

おそらく、テレビの画面の前で
全国の小学生が大熱唱したに違いない

ブルーコメッツだけが長髪でなかったから
と説明されていたし、
その理由は納得のいくものだったけど

小学生達は思っていた。

当たり前じゃ
タイガースなんかよりブルーシャトーの方が
圧倒的に流行っとるわ。

替え歌
言いたいことは分かりますね。
森トンカツです。

不思議だった。
テレビで森トンカツをやってた記憶がないのに
瞬く間に広まって

もう、一回森トンカツで歌っちゃうと
元歌で歌うのは不可能でしょう。
元歌ではあの後、一回も歌っていないと思います。

ずっと不思議で不思議で
誰が作ってん!

ルンペンが斬新すぎる。
おそらくルンペンが入っていないと絶対に流行らなかったと思う。
言わばオチ。
なんで食べもんちゃうねん
の突っ込みは全員がしたんじゃないかな。
ずっと食べ物で来て、急に、事もあろうにルンペン
この落差とルンペンをイメージする事の楽しさ。
今でいうホームレス。
おもろすぎる。

良い時代ですね
ネットで調べれば分かっちゃう。

ある説は、チャコちゃんやってた四方晴美(よもはるみ)
四方晴美が「ちびっこのど自慢」で受けて一気に広まったと。
おそらく間違いではない気がする。
一気に広まったという部分はそうかもしれない。

でも、おそらくその前があるはず。
おそらくその前にもう流行っているから
四方晴美はちびっこのど自慢で歌ったんじゃないか。

で、調べていくと
当時、小学生だった僕が作りましたという以下の記事。
http://takuki.com/aic/20.htm

私は、かなり信憑性があると思いました。

友達の水元君が
突然歌った
「タ~コ~ヤ~キ~、君の~タコヤキ~」
スパイダースの「夕日は泣いている」の替え歌。
それがあまりに面白くて、
刺激を受けて
「かァこォ~まれテンドン」
が最初に自然発生的に生まれ
そのあと、食べ物をつけていった
ルンペンだけはどうしても食べ物が思い付かなかった。

最初は6年4組だけだったのが
気がつけば全校に広まっていた。

どこで信じたかというと
水元君のタコヤキ

私も最近、ちょうど夕日が泣いているで替え歌を自然発生的に歌ったばかり
五十音の「む」で良い話がないなと思っていて
江戸紫が良いんじゃないか
四十八茶百鼠と江戸紫の関係。
うん、紫だ

♪むーらーさーきー
君のむらさき
真っ赤な
別れの色だよ
(赤なんかい、紫なんかい)

この歌4文字には何でもはまる。
水元君がタコヤキを突然歌った気持ち、よーく分かる

そうか
一番最初は、てんどんだったんか
あれ、ちょっと待てよ、てんぷらやろ

確かに読み進めると
誰かがてんぷらに変えちゃったとある
ネットで調べると
確かにてんどんで歌っている人もいる

そして
にんじん
静かにんじん

ダメだ、思い出せない。
今回、こっちも泉にんにく同様、にんにくで歌っちゃったんだけど
にんじんだったのかも知れない。

でも、何度歌っても、今の私の中ではにんじんには違和感がある。
二回にんにくが出るのはおかしいから
というのは至極ごもっともな理由なので、にんじんだったんでしょうね。

[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄2

井伊直弼の3回目安政の大獄の続きです。

安政の大獄前半はこちら
[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄1

前半は戊午の密勅まででしたね

長野主膳
長野主膳(ながのしゅぜん)は井伊直弼の部下で
京都にいて蝶臣すなわちスパイ活動をしています。

にも関わらず、戊午の密勅を察知することができなかった。
大失態も甚だしい。スパイとしての存在価値がない。

主膳は自分を守るため
事実を捏造した報告をする。

戊午の密勅は、天皇の本意ではない。
全て、水戸斉昭が裏で手を回して無理に出させたものである。

これを信じた井伊直弼
やらねばやられると思います。

主膳の自宅に脅迫状が届くようになります。
誰が送っているのか分からない。
主膳も恐怖に怯え
犯人探しにやっきになります。

で、名前があがったのが梅田雲浜
自分には逮捕の権限はありませんが
伏見奉行を動かして、逮捕します。
9/7になります。
一般的にはここからが安政の大獄と呼んでいるようです。
さらに同日、梁川星巌宅にも踏み込みますが
梁川星巌は9/2 当日大流行したコレラで死んでいました。

老中に上洛して説明せよ、との話がありましたね。
その役割を担ったのが間部詮勝
ようやく9/17に京都についた
でも、10/24まで参内しなかった。

じゃあその一ヶ月以上もの間、何をしていたのか
長野主膳の動きに加わった。

調査及び逮捕。
その中で西郷隆盛の談話メモを見つけちゃう。

「薩摩・長州・土佐が兵を出す手筈ができている。カンボウ(姦謀、間部のこと)ぐらいはあっという間に打ち払い、すぐに彦根城へ押し掛けて一戦で踏み潰せる。現在、赤鬼(井伊)は関東に多人数を呼び寄せているから城はがら空きだ。簡単に落城するだろう。彦根城を押さえれば、尾州藩も兵を送ってくる」

薩長連合はまだない頃なので、それぐらいの気持ちでやろう的な、ばくっとしたイメージを喋ったのを誰かがメモったんだろうけど
完全にクーデター計画があることになっちゃった。

全ての芽を潰せ。

片っ端から逮捕していく。

これは朝廷にも大きな心理的影響、恐怖感を与え
結果として、10/24に会ったときには
「調印は仕方がなかった。
攘夷は一旦戦力を貯めてその後としよう」
というところまで朝廷側が譲歩する。

じゃあ、安政の大獄って、長野主膳と間部詮勝の暴走だったの?
いや、その京都側の動きに呼応して
江戸側では井伊直弼がそれ以上の大規模で
逮捕していく。

疑わしいとかいうレベルではなく
多少でも繋がりのある人は
とりあえず逮捕。
伝馬町の牢獄は老若男女の未決囚でいっぱいになった。

暗殺計画
確かに、井伊直弼の暗殺計画は水戸藩と薩摩藩とで存在していたし
ご存じの通り、実行に移され、成功している。

そして、もうひとつの暗殺計画があった。
間部詮勝暗殺計画。

計画しリードしていたのは、吉田松陰。
吉田松陰はペリーの黒船に乗り込もうとしていた位だから
外国人が嫌いな訳ではなく
条約調印に反対だった訳ではない。
しかし、井伊直弼一派のこのやり方では日本は破滅すると
強く思った。

吉田松陰も逮捕

西郷隆盛については、
動きを察知して、僧の月照とともに逃げた。
男性同士ながらも愛し合っていたと思われる。
薩摩藩まで命からがら逃げ延びたが
薩摩藩の反応は冷たかった
絶望した二人は、入水自殺
固く抱き合ったまま引き上げられ月照既に絶命。
西郷隆盛は大量の水を吐いて蘇生する。

江戸で
全て江戸に送り込まれた人達
尋問は、超過密スケジュールで行われた。
流れ作業で、尋問が行われ
役人達が罪状を決定。

ところが
飯泉・茅根・橋本など重罪者でも実は遠島程度だったのだ

その書類が井伊直弼に回る
すると、井伊直弼が罪状を「死罪」に書き換えて差し戻す。
では、取り調べとは一体なんなのか
でも、役人達は何も言えない

吉田松陰はというと
尋問で、梅田一派との繋がりを調べられた。
断固として否定。
嘘は言えない。

いや、そうじゃなくてですね
私は間部詮勝の暗殺を計画しています。
一堂仰天。
そこは実は井伊側は掴んでいなかった。

歴史
人間は自分の命が狙われているとなったらどんな風になってしまうのか
そして、そこに権力というものが結び付いたとき
狂った鬼が出来上がってしまうのだろう。

書類を勝手に「死罪」と書き換えるって
通常の精神状態だったとは思えない。
政敵をつぶすという、歴史上繰り返されてきた事を超えている気がする。
見境というものをつけていない。
片っ端。
回りの全員が自分を殺しに来ているような錯覚に陥っていた
そうとしか考えられない。

歴史は教えてくれたけど
じゃあ何が正解なんだろう。
当時の井伊直弼に対して何が出来たんだろう。

結局暗殺されて良かったね、なんて
そんな事で済ましちゃいけないだろう。

力を力でねじ伏せる
それじゃ井伊直弼がやっていることと同じじゃないか。

正解はないし、当時に戻って井伊直弼に、なんて不可能だから
できることといったら
こういう「狂った世界」が現実に存在したんだという理解
自分は井伊直弼にはならないんだという決意と覚悟だけなのかも知れない。

[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼。安政の大獄1

井伊直弼の2回目です。

井伊直弼は3回に分けるつもりでした。
一回目は歴史上の大転換点。260年以上続けた鎖国から、開国。日米修好通商条約調印。
最後は、歴史上の大転換点。ここ以降、明治維新にベクトルが合った、桜田門外の変。
間の今回は、その間の恐怖の、歴史上の暗黒の数年。安政の大獄。

なんてことでしょう
そのそれぞれが、おそらく誰でも知っている歴史上の大事件
その主役は全てこの、井伊直弼という男。

でも、書いてみますと
今回、むちゃくちゃ長くなりすぎました。
安政の大獄は2回に分けさせてください。

前回の話はこちら
[徳川名参謀]14 家茂→井伊直弼、なんでそうなるのか
水戸斉昭側からの話はこちら
[徳川名参謀]13 家定→徳川斉昭
同時期の徳川慶喜側からの話はこちら
15代慶喜、天才過ぎて
14代家茂、和宮と幸せな日々、そして悔し涙

調印後
怒濤の展開を見せるので、日を追いながら行きましょう
日米修好通商条約調印が6/19でしたね
安政5年(1858年)
明治維新が1868年ですから、僅か10年前です。

まず、2日後の6/21、朝廷へ速達で事後報告
誰かを向かわせたという事ではなく、手紙だけ。

6/22 将軍継嗣問題での内勅が下される
次は家茂です。
公表されるのは6/25

井上と岩瀬にはめられたとはいえ
調印を自分が承認した認識は持っている。
矢面に立ちます。

約束が違うよね
勅許があってからだったよね

怒濤の攻撃があるのは分かってますから
準備として、先手に出ます。

トカゲの尻尾切り
6/23 老中、堀田正睦と松平忠固を罷免
変わって太田資始、間部詮勝、和泉乗全を任命
うなづきトリオです。

同6/23 まず徳川慶喜がやって来ます。
説明してもらおうか

予め言っておきますと、決められた日以外に江戸城にやって来るのは
法律違反です。

経緯はどうあれ、自分が承認して調印した。
結果としては、日本の歴史において大きな一歩を踏み出した。

なぜそうしたのか
メリットとデメリットを並べ、理路整然と述べるなら
どう考えても論破出来る。

責められながらも、なぜそうしたのかの理由を口から出していくうちに
頭の中が整理されて、体系だっていくというのは、良くある事です。

井伊直弼はどうしたか
ひたすら平身低頭作戦です。

おおせごもっともを繰り返し繰り返し押し通す。

確かに、相手がカッカ来ているときは、有効な作戦かも

このあと
翌日 6/24 松平慶永
次の6/25 いよいよ、水戸斉昭とその子の水戸藩主慶篤、尾張藩主徳川慶勝が連れだってやって来る。
午前9時から午後3時まで延々6時間も待たせ
弁当も出さない。
一行、腹ペコで元気なし。

この押し掛け組達、本題の勅許なき調印問題は
おおせの通りの繰り返し作戦にやられ、
ついつい、将軍継嗣問題を話してしまっている。
慶喜にいたっては自分が一方の当事者
最後は応援するとまで言っちゃっている

井伊直弼の方が一枚上手だった。
そして、実はこれが安政の大獄の始まりとなる。

京都で
その頃京都では
手紙を読んで怒り心頭

なんだとぉ
やってられない
わしゃやめる

天皇は譲位の意向。

とりあえず、御三家の誰かか老中のいずれかが
事の次第を説明すべく上京せいと使いを江戸に向かわせたのが6/29

安政の大獄の始まり
7/5 押し掛け組への処分が発表される
それぞれに、隠居や自宅謹慎
緩くない?と思われるかも知れませんが
自宅から一歩も外に出られません。
手紙を始めとした外との交流は一切許されない。
水戸派が一掃された。

そして、翌日えらいことがおきます。
7/6 家定急死。

安政の大獄が始まった翌日。
次の跡継ぎが誰と発表された10日後。
何でしょうね。

京都から
京都から使いが江戸に向かっていましたね。
江戸に着いたのが運悪く、7/6
家定急死の当日。

老中はしっちゃかめっちゃかで対応できず
御三家はと言うと、昨日謹慎になったばかり。

いつまでたっても、動きがない。

天皇の怒りも頂点に

急激に力を持って来ている朝廷。
回りもそれなりの人が集まってきていた。
梁川星巌(やながわせいがん)(詩人)・梅田雲浜(うんぴん)(経世家)・頼三樹三郎(らいみきさぶろう)(頼山陽の息子)・池内陶所(いけうちとうしょ)(通称、池内大学)(儒医)
らの学者グループ
お公家さん達は色んな知恵を借りて
巻き返し案を作り、天皇をとりなす。
そこにあの西郷隆盛が加わってきます。

水戸と組みましょう案。
こちらから仕掛ける。

いわゆる戊午の密勅(ぼごのみっちょく)と言われるもの
8/8に出されます。

1.勅許なく日米修好通商条約(安政五カ国条約)に調印したことはおかしい。
 ちゃんと説明せよ
2.御三家および諸藩は幕府に協力して公武合体の実を成し、
幕府は攘夷推進の幕政改革を遂行せよ

で、この事を水戸藩が中心になってやりなさい。

最初に水戸藩に、ちょっと遅れて
「水戸藩が中心になってやりなさい」以外の部分を幕府に送ります。

この後、明日にします。