ダイエット経過報告。よっしゃあ

宣言!ダイエット再始動
ダイエット再始動宣言をしたのが、2ヵ月近く前。

その後の経過報告を致します。

体重としては、今65kg台もちらほらで
65kg台と、66kg台を行ったり来たりです。
3kgちょっと減った感じでしょうか。

ベルトの穴としては2つ穴が減ったかな。

元々体重減が目的ではないので
こんなもんじゃないかなと思っています。

体調
目的の体調の方ですが
むやみにずっと眠い、というのはなくなってきています。
全般的に「気がする」レベルではありますが
体調は良いです。

方法
前回の18kgダイエットの時と全く同じやり方です。
間食をしない。
砂糖入りの飲料を飲まない。
これだけ
単純明快! 結局、こうやったら痩せる
こうやったら18kgやせちゃった

生活習慣を変えるということです。

必ず空腹を経由し、
三食のご飯はガッツリ食べる。
三食のご飯は美味しいよ。

あれは食べるあれは食べないという選別は一切しない。

結論出たと思います。
前回も今回もこれだけなので。

空腹を経由することにより、
成長ホルモンの放出で、健康を維持する
これにつきます。
成長ホルモンで、寝てる間に若返り

空腹は気持ち良いです。
ダイエットは空腹後も頑張って食べないようにするから
ストレスになって太っちゃう。
空腹後に美味しい食事が待っているとなると
空腹は毎日の楽しいイベントになります。

考え方ですね

お腹すいたなあ
おっとコンビニだ。
パンでも食べるか
じゃなく

お腹すいたなあ
体の中に健康ホルモンのシャワーを感じるぞ
また、晩ごはん美味しく食べれるぞ。

一日トータルの食事量を変える必要はない。

お菓子も美味しいので
全く食べないというのは
お菓子に失礼ですね。

30分ルールを決めました。
空腹さえ経由すれば健康には良いので
「ちゃんと」空腹を感じたら
三度の食事(だいたい晩ごはん)の前後30分なら食べてよし。
これなら守れます。

運動の方はずっと続けているウォーキング
速歩ですね。

これは体重の増減にはあまり関係無いと思います。
健康維持ですね。
生活のリズムを作り
ぐっすり眠る。

見た目
見た目なんですが
下腹が異様に出ておりまして
これをなんとかとは思ったのですが
諦めました。

下腹に関しては、脂肪の問題より
腹横筋が弱っていて、内臓が重力で下がって来るのを押さえ込めないから。

69kgの時と今で全く下腹の見た目は変わらないものの
ベルトの穴が2つ減ったということは
脂肪は落ちたけど、腹横筋は依然として弱いままなんでしょう。
当たり前です。そのための対策を打っていません。
ドローイングと言って、下腹に力を力を入れてひっこめるという運動でしか強化できません。
いわゆる腹筋運動は、腹直筋だから下腹ポッコリ対策としては無駄。
理屈は分かっているんですが
たまーに思い出してやるだけなので効果を実感できたことはございません。

毎日たった5分やるだけで、みたいな歌い文句のやつは、
日本アバウト党の私としては絶対無理。
毎日5分ができる人ってどんだけ強靭な意志の持ち主や
日本アバウト党の出す結論はいつも一緒
「あきらめる」

やる、方向の習慣付けは無理なので
間食しない、砂糖入りの飲料を飲まない、という
やらない方向の習慣付けならなんとか

唯一やる方向でできているのは、楽しいと思える
ウォーキング。
健康のためじゃなく、楽しいから。

下腹は健康より見た目のかっこ悪さ
すなわち美容の問題なので
私のようなハゲには、どっちでもいいかも。

ということで
この2ヵ月間。こう言っていいんじゃないでしょうか

大 成 功 ~

[仏像の見分け方]毘沙門天

四天王いきましたので、その中の、多聞天がソロ活動するときの姿
毘沙門天について、補足説明いたしましょう。

補足説明と言ったのは、一回説明しているから。
毘沙門天は、違和感いっぱい
なんちゅうたって、七福神ですから
七福神シリーズの中で説明しちゃっている訳です。

毘沙門天
四天王の多聞天は、サンスクリット語でヴァイシュラヴァナ
「すべてのことを一切聞きもらすことのない知恵者」という意味です。
意味から漢字を当てると多聞天、音から漢字を当てると毘沙門天ということになります。

毘沙門天の奥さんは吉祥天(きっしょうてん)
神様の中で最高の美人

かなりの人気
七福神の中で一番人気は大黒天ですが
いや、毘沙門天だと言っている人もいるくらい。
ご利益として、武の系統は毘沙門天しかないので
「勝てますように」系は、戦争、スポーツ、囲碁将棋に至るまで一手に引き受ける。
ヒンドゥー教の倶毘羅(クーベラ)という神様がいて、ワニを神格化した神で、財宝を守る神とされている。
このクーベラと同一化され、財産を守る、と位置づけられた。
やっぱり財産と結び付くと福の神は一気に人気が高まります。

見分け方
右手に宝棒

あるいは、戟(げき)を持っています。

いずれも武器ではありますが
宝棒は戟のようにぐしゃっと相手を突き刺す訳じゃないので
多少は安全かな。

左手に宝塔を持っていますが
ここに敵を閉じ込めるとか、お経が全て入っているとか
いくつかの役割があるようです。
宝塔というのは単純に言うと、一重の塔です。

踏みつけているのは、天邪鬼(あまのじゃく)になります。

お使い
毘沙門天が聖徳太子に物部守屋討伐の必勝の秘法を授けたのが、寅年、寅日、寅の刻だった」とされます。
このことから、毘沙門天のお使いは、虎(寅)だとも言われているんですが
もうひとつ意外なものが。
ムカデ(百足)です。

ムカデは色んな意味づけがされているんですが
武士でいうと、ムカデは百個の足が綺麗に揃って動くので綺麗に編隊を組めますね
財産でいうと、お足(お金)がいっぱい入ってくるよ
ムカデはネズミが嫌うので、ネズミよけのおまじないの意味もあるんです

平安時代になると、平安京を守るため都の北方に建てられた鞍馬寺に毘沙門天が祀られています。
そこでなんと、生きたムカデがお福ムカデとして売られているんです。
気持ち悪っ

大丈夫、漢方薬として使うためだから
って
それもっと気持ち悪い

兜跋毘沙門天
兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)という名前の異形の毘沙門天がいます。
服装がちょっと違うんですね
兜跋って国の名前らしいんだけど
なんだか服装が西洋風

持ち物は一緒ですけど。

一番普通の毘沙門天と違うのは
足の下。

普通の毘沙門天は、邪気、天邪鬼を踏みつけていると話しましたが
兜跋の方は
地天女の両手の上

手をかざして
はい、この上に乗ってちょうだい。



すごいね、地天女さん
何があったんだろう。
なんでそういう事をしようと思ったんだろう。
一瞬ならまだしも
人が見ている間はずっと

さすがに誰も見てない時は降ろすと思うよ

こらーっ
はよ降りてんか
手、ガクガクやわ
死ぬかおもた
横のにいちゃんも、
知らん顔せんと手伝うてえな

言挙げせじという生き方

神道の「言挙げせじ」について前回書きました
[巫女さん入門]神道の特色

これはおそらく大きく二つに分かれるんじゃないかと思います。

そうだそうだ、という人と
それは、逃げだ、その生き方はおかしいという人と

生き方
このテーマ何度か、視点を変えながら書いてきた気がします。

私の中ではかなり大きなテーマなんです。

私の波瀾万丈の人生を読んでいただいた事のある人なら
実感として分かっていただけるんじゃないかと思うんですが

ずっと、言挙げする生き方で生きてきました。

「正しいか正しくないか」は私の中でかなり大きな判断基準だった。

でも、ダイエット以降だから3年前以降というごく最近から
ガラッと価値観が変わってしまった。

言挙げせじ、に180度変わってしまった。

言いたい事は、
言挙げせじの方が良い、ということではありません。

両方の生き方があるということを認めませんか、ということ。
両方というより、色んなという方が良いかな。

結局のところ、生き方なんで誰にとやかく言われることでもなく
人生を生きてきて、自分で探っていくもの。

少しこんなふうにやってみた、
ああきつい
ここはやっぱり半分くらい元のやり方に戻そう
って感じ。

私は、言挙げする生き方が辛かった。
面白かったから微塵の後悔も無いんだけど
やっぱり言挙げせじの生き方の方が自分には合っているんだって
この歳になって、ようやく分かった。

元々、日本アバウト党の党首をやっていたのは
若いときからだから
テキトーでいい加減な生き方の方が自分には合っている。
自分に甘くて人にも甘い
基本はそういう生き方のはずなのに

自分が人から攻撃された途端、スイッチが入ってしまう。
クンってね

頭の中で理屈が渦巻き
相手を言い負かすための応酬問答が頭の中を席巻してしまう。
ああ嫌だと自分でも思っているんだけど
自分ではそのまましまっているつもりなのに
出ちゃっているらしい。

お陰で何度も会社を変えた。

結局、言挙げして議論して
じゃあその「正しい」やり方に変えて、
ってことが一度もないんです。

その時は相手が折れて、
分かったってなるのに
そのあといつまでたってもそうは変わらない。
だから、言ったよね
そうするって言ったよね

イライラする

自分の人生を一生懸命振り替えるんだけど
やっぱりうまく行ったことなんて一度もないんです。

結局人の行動って
正しいか正しくないかなんて
どうでも良くて

感じの悪いあいつの言っていること、か
感じの良いあいつの言っていること、か
どっちかで、
頭じゃなく、体が反応しちゃうんじゃないかな

言挙げする人
周りに言挙げしている人がいたら
自分がそうだったから
すごく気になっちゃう。

キツくないか、辛くないか、って
そればかりが気になる

なんだか辛そうだと
もうちょっと楽に生きれるのになあって

ただ、自分もそうだったけど
他人から指摘されて、生き方変えるなんて、絶対にないから
まあ、ええんちゃうのん
としか言わないんだけどね

そういう人って私の存在ややり方がムカつくらしい
白黒ハッキリさせて、言うべきことは言わないとダメじゃないですか
って

そこでも
まあ、ええんちゃうのん
としか言わないんだけどね

生き方やり方なんて十人十色

よく
あんなことしていると今につまづくよ
とか陰で言うわけだけど
そうかもしらん
そうじゃないかもしらん

その時にどう思うかって
その人にしか分からないし
その人がその時の価値観で決めれば良い。

それが例え自分の子供でもそうだと思っている

強制、指摘、説教、アドバイス
何一つしたことがない超放任主義

図書館から借りた本を返さないという性癖のある長女には
それは返せ、とだけは言ったかな。

もし、万が一子供が何らかの罪を犯したら
被害者の人に私も一緒に一生かけて償おうと
その覚悟は持っているけどね。
そこはやっぱり、超放任主義とはいえ家族ですから

家族ではない他人であれば
全くの不干渉
それでいいんじゃないかと思う。

[巫女さん入門]神道の特色

巫女さん入門シリーズです。

神道の特色のお話をしましょう。

神道って本当に宗教なの?
疑問に思ってしまうのは経典や教義がないから

何かを教えている訳じゃないってことです。

普通、宗教って
こう生きるべしみたいなことを誰かが言って
何かに書いてあったりして
みんなで唱えたりして。
これはダメみたいな戒律もあったりする。

仏教も
神様がいないという特色から
宗教より哲学に近かったりするけど
それでも、お釈迦様が始めたという教祖様みたいな人はいるし
教えを弟子達が書き留めたお経は存在する。

神道にはそれら一切がない。

じゃあ、ホントに何もないのね
と言われると、
教えに近い「大切にしたいもの」ぐらいなのは存在する
それが、これから話す4つです。

敬神崇祖
けいしんすうそ
神を敬い、祖先をあがめる
神といっても一神教ではないので
漠然としていますね

本では、GODではなく、SPIRITやSOULだとも言っています。

やっぱり特色的なのは祖先でしょうね。
自分の祖先だろうが、ひとの祖先だろうが
私たちに命をバトンタッチしてくれた人は引っくるめて大切にする。

浄明正直
じょうめいしょうじき、または、じょうめいせいちょく
清らかで明るく、正しく真っ直ぐな心を持つ。

一番イメージしやすい言葉で言うとすると
「おてんとさまが見てますよ」ってこと
誰に怒られるからとかそういうんじゃなくて
襟を正して自分に恥じないように生きていく。

自然との共生
元々、神様が自然そのものだった神道としては
こうなるでしょうね

言挙げせじ
ことあげせじ
ことさら言葉にして言い立てることをしない。

これ、すごくないですか
実は、「巫女さん入門」の本。
古本屋で見つけて、タイトルに引かれて、パラパラめくっては見ましたが
普通買いませんよね。

これ、買いたい。
この本手元に置いておきたいと思ったのは
「言挙げせじ」っていうのを見たからです。

沈黙は金
男は黙ってサッポロビール

理屈を言いなさんな
白黒ハッキリさせないようにしましょう、と

国民性がそうだというのは分かります。

でも
外国人からすると
だから日本人はダメなんだと
一番突っ込まれるところ

言うべき事は言わないとダメじゃないですかと

どちらかというと
言うべき事を言わないのは
そのあとに起きるかも知れない波風が嫌だから
「言えない」のであって
ほんとは言った方が良いんでしょうけどね
という感じだと思っていました。

そうじゃなくて
言わない方が正しいと
積極的にそう言っている訳です。

ひとつ言えるとすれば
全員がおてんとさまが見てますよ、という
浄明正直な生き方をしているとすれば
自ずと答えは出ているわけで
男は黙ってサッポロビールでも問題は起きないかも知れない。

日本の国民の1億1000万がベースとして持っていることになっている
日本神道
教義とは言えないまでも4つの「大切にしたいこと」のひとつが
「言挙げせじ」だと言っています。

ビックリしました。
そりゃまた何とも異色な宗教じゃないですか

私はこれで急に日本神道が大好きになりました。

私がどう生きてきて
今、どう思っているかに関わるんですが
そうなりますと
神道の紹介とはちょっと色合いが変わってきますので
分けて、
明日この続きを話したいと思います。