祝!訪問場所2000箇所到達

ウォーキングであちこち行くのが趣味になったのが2015年
ウォーキング同好会も立ち上げた
あれから、7年か

いっぱい歩いたなあ

行った場所にはGoogleMapでマークしているんだけど
さて、何ヵ所ぐらい行ったのかと数えてみたのが去年
Excelで集計すると、1500箇所くらいだった
訪れた場所は1500箇所

去年末の今年の3大ニュースの時点で1800箇所
順調順調
2020年 でーこんの今年の3大ニュース

2000箇所
いよいよ、昨日の人形町で2000箇所に到達いたしました。

2006件でございまーす。
パチパチパチ

昔、長女から、23区で行ったことないところがあるなんて東京ウォーカーの名折れだと言われ
何とか全区潰した頃が懐かしい。

今や、トップの中央区は中央区内だけでも163件行っているし
23区はひとつの区平均で73箇所行っている。

東京(江戸)の事なら何でも聞いてちょうだーい

昔は、スタートの駅からエンドの駅まで線のイメージで
それぞれのコースはバラバラにイメージされていたけど
今や、コースとコースが頭の中で面として繋がってきた。

東京でどこかお出掛けしようかなと思ったら、ぜひ参考にしてくださいね
検索の仕方を説明します

それぞれの区ごとにマップを作ってあります。
◆地図
『東京23区』
足立区 荒川区 板橋区 江戸川区 大田区 葛飾区 北区 江東区 品川区 渋谷区 新宿区 杉並区 墨田区 世田谷区 台東区 千代田区 中央区 豊島区 中野区 練馬区 文京区 港区 目黒区

それぞれの区のところをタップしてもらえると、GoogleMap に飛んで
私が実際に行ったところのリストが出ますので
地図だったり、その場所の写真が見れます。
例えば、文京区ならこんな感じ


そこで、「地図を表示」を押すとこんな感じ

気になったところをタップしてみてくださいね
例えば湯島天神ならこんな感じ

でもここまでなら、ほぼGoogleMapの機能だけですね
できれば一生懸命書いた私の記事を読んで欲しいな
でーこんのあちこちコラムの検索のところで例えば「湯島天神」って検索してね

私の湯島天神に関わる記事が出てきます。

もちろんこの検索は、お出掛け関連の記事以外にも何でも使えますよ
例えば「おこめちゃん」ならこんな感じ

ほぼ、コマーシャルでしたね。失礼
ぜひ、ごひいきに。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

浅草橋から人形町へ

週末のお出掛け
午前中用事があったので午後だけね

浅草橋から
■柳橋

神田川が隅田川に流れ込む場所
花柳街で有名になります。
こんな紙も置いてありました

欄干にかんざしがありました。
粋です

ここから、浅草橋までの間に、ずらっと屋形舟

両国広小路跡

明暦の大火のあと、類焼防止のための大きな広場を作ります。
両国橋の両側にも
常設店でなければ店を作って良いとなると、こんな感じになって大にぎわい

郡代(ぐんだい)屋敷跡

郡代とは、幕府の直轄領から年貢を徴収する代官の総元締め
伊奈忠次が住んでいた
3代に渡って、最初、東京湾に流れていた利根川を銚子まで付け替えたすごい人
詳しくは江戸を土地にした男を読んでね

賀茂真淵(かものまぶち)県居(あがたい)の跡
本当ならジョナサンの外壁にあるはずだけど、ありませんでした。
GoogleMapには写真があがっていたんですがね
こんな感じ

ジョナサンの外壁が1年前から5ヶ月前までの間に変わっていて
その時に取り外されちゃったようです。

ある日、暴風雨で、屋根が飛ばされちゃった
いいじゃない、月が見える

野分してあがたの宿は荒れにけり月見に来こよと誰につげまし

野分(=台風)が吹いて、あがた(=田舎)の我が家は荒れてしまった。
月を見においでよと、もし告げるとしたら、誰に告げようか。

三光稲荷神社

猫がいなくなっちゃった方はいませんか?
大丈夫。ここのお稲荷さんに願掛けすれば、たちどころに見つかります。

玄冶店(げんやだな)

♪粋な黒塀見越しの松に 仇な姿の洗い髪
♪エッサオー 玄冶店(げんやだな)

おとみさんの歌詞、玄冶店はここの事です。

そもそも玄冶店って何のことかというと
岡本玄冶という幕府の担当医が住んでいたところ
3代家光が疱瘡にかかったとき、完治させて急激に有名になった。
なかなか気骨のある人で、
春日局が治療方法についてぐちゃぐちゃ言ってきたとき
理屈で論破し黙らせたという

ご褒美にもらった広大な拝領屋敷は、江戸時代も後半になってくると、商業地として栄えた
もと岡本玄冶の屋敷だった土地に出来た多くの店を玄冶店(げんやだな)と呼ぶ
芝居関係者や愛人宅が多い粋な土地柄で
そんなことから、歌舞伎の人気演目「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」の舞台となった。
主人公は、お富さんと切られ与三

死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ

西郷隆盛旧居跡

明治維新後も鹿児島にいた西郷隆盛
大久保利通に頼まれて、東京に出てくる

千疋屋総本店がお気に入り

でっかいすいか買ってこい

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

[人類]4 草の舟が完成

[人類]1 日本人はどこから来たのか
[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散
[人類]3 なぜ海を渡る?考えても分からん。
の続きです。


海部陽介先生は、沖縄ルートで自分で渡海して大変さを実感しようとした。
舟をどう作るか

残念ながら、旧石器時代の遺跡から舟が発見されたことはない
植物由来の材料だろうから、時と共に朽ち果ててしまう。
従って少し遠回りをする必要がある

過去の舟の例を時代別に出来るだけ多く集める
そうすると、縄文時代は丸木舟が最高の技術
板を組み合わせた舟はもっと後ということになる
帆についても何千年か前がせいぜいで
3万年以上前ということなら
風を帆で受けるのは考え難く、「人が漕いだ」と考えられる

3つの条件が考えられた
1.丸木舟の技術を超えない
2.その地域(台湾)で手に入る材料
3.海で使われた例がある

3つの候補に絞ってみる。
1.草束舟
2.竹筏舟
3.丸木舟

実際に作りながら、当時の道具で作れるかを実証していく。

作れるとなったら、海に漕ぎ出すぞ

草束舟
葦舟(あしぶね)と呼ばれる事が多い
材料は葦に限らず、浮力のある湿地に生える植物が多く使われる
世界各地でかなりポピュラーに作られている舟

製作道具は貝殻や石のナイフがあれば十分
製作工程としても、草を乾かして編むだけ

実際にヒメガマという植物が採れるので、作ってみよう
日本でただ一人の葦船職人である石川仁さんが指導してくれることになった

みんなでワイワイガヤガヤと楽しい製作作業が始まった

ただ、随所に、専門家でなければ分からないなあと思われるところもあった

草の束を束ねる紐は、トウツルモドキという植物を使った

製作途中で分かってきたのは、とてもキツい作業だということ

ここが、今回のプロジェクトの本質的な部分
舟を作って海を渡らなくても生きていける
なのになぜそんな大変な事をしたのか
イヤならやらなくて良いのだ

ひとつのヒントがみんなの気持ちの中に生まれた。

楽しい
爽快感
出来たときの達成感

ひょっとすると

完成!

海に浮かべてみる

当初の想像、「沈むんじゃないか」を大きく裏切ってくれた

浮力がすごい
さらに安定感がある

いきなり正解かも知れない

とはいえ、海に漕ぎ出してみないとやっぱり分からない。
漕ぐことの大変さも体験しなければ。

本当は台湾から与那国島に渡りたいのだが
いきなり国境越えはなかなかハードルが高いので
まずは与那国島から西表島へ

戦略が練られた
・西表島までの航海は、30時間ほどかかるだろう。つまり必ず夜が一度は来る。
・3万年前にない方位磁石や腕時計やGPSは持たず、
目標の西表島が目視できないときは、風やうねりや星から針路を探る古代航法で挑む。
・草束舟のキャプテンは安全のためにトランシーバーを持って伴走船と通信するが、
緊急時以外で、伴走船から草束舟に位置を教えたり、進むべき方角を指示することはない。
・各艇に乗るのは、男女を含む7人とする。
・旧石器人なら漕ぎ手の途中交替はできないので、それを原則とするが、
念のため伴走船には交代要員の漕ぎ手が控えている。
・潮の流れは北向きの可能性が高く、風も南から北へ吹いているので、
北へ流されることをどれだけ防げるかがポイントとなる。
そこで出航地は与那国島の南側にあるカタブル浜とし、
出航後はできるだけ南東へ船首を向けて、南へ下る。

出発進行ーっ

続きはシリーズの次回ね

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]18 犬養毅。憲政の神様

首相シリーズ
戦争へ突入していくまでの大きな転換点となります。

犬養毅(いぬかいつよし)
政友会 首相在位:昭和6(1931)~昭和7(1932)年

犬養は、岡山県に生まれる
犬飼当毅(いぬかいまさき)という名前だったんだけど
犬飼家が、万葉集に犬養と表記されているので、犬養に変え
当毅の当が余分だと、毅に変えちゃった。

そのあと、実家の犬飼家も「犬養の方がかっこいいから」と全員犬養に変えちゃった。

漢文の知識が卓越していて、書は超一流

犬養が言うに
出鱈目(でたらめ)は書の極意

デタラメだったら私も自信があると思ったんだけど
出鱈目とは飾り気のない天真さであり
にじみ出る気韻が必要

うーむ
私からにじみ出ているものは、ただ臭いだけ

尾崎行雄
慶應大学時代に出会った尾崎行雄
生涯の盟友となる

犬養は大学を中退し、新聞社に勤める
尾崎行雄も大学を中退し、別の会社だけど新聞社に。

漢文に長けた犬養は、文章の世界で大きく能力を発揮する。
そのままの道を進んでも良かったんだろうけど
ジャーナリストとして、政治に向き合っていくなかで
政治の世界の方から声がかかる

大隈重信が首相になったとき
慶應の先輩、矢野文雄から、新設の統計院を手伝ってもらえないかと。
ところが、出仕したものの、3ヶ月後に大隈が失脚してしまい、統計院もジ・エンド

ただ、大隈が作った政党、立憲改進党に、矢野とともに入党する
この時、尾崎行雄もジャーナリストから転身し、立憲改進党に入党

以降、犬養と尾崎は、行動をともにすることもあれば
一時期離れる事もあるのだが
悲しいかな、ふたりとも長いものに巻かれる事が苦手
ずっと、くっついたり離れたりの小規模政党を渡り歩くことになる

例えば、尾崎とともに立ち上げた「革新倶楽部」
党首も置かず、党議拘束もないというものだった。

長らくずっと野党だったけど、舌鋒鋭く、国民には人気が高かった。
桂太郎内閣を激しく追求し、退陣に追い込んだ事もある

世論やマスコミから、尾崎とともに「憲政の神様」と呼ばれることになる

第一次護憲運動、第二次護憲運動では中心人物として大活躍
加藤高明、高橋是清と3党党首会談を行い、加藤高明の連立内閣も実現させた。

白林荘
本人としては、充実した人生だったのだろう
よくがんばりました、と
政界の引退を決意

最後の仕事として、革新倶楽部を大政党の政友会に合併してもらう事にした。
自分が小規模政党で苦労し続けてきたから、あとの者たちには苦労させたくなかったんだろう。

長野県富士見高原の別荘「白林荘」で世間との役割を極力断ち、
モンペ姿で腰に花鋏を差し
林の中を散策したり、庭の木々を選定したり
ゆったりと時間の流れる生活を楽しんだ

ところが、引退を惜しむ支持者たちが、選挙で勝手に犬養毅の名を書いて立候補
犬養が知らぬ間に国会議員に復活しちゃった。

そうこうしていると
政友会の総裁にして首相の田中義一が急逝
首相は、立憲民政党に移るのだが
政友会の総裁は誰にする?

すぐに犬養毅の名があがる
最後の最後は合併して大政党に所属しての引退だった訳です。

今、充実してるんだけど。

引き受けるにしても、ごねて色んな条件をつけても良かったんでしょうが
そういうのも性に合わない。
何の条件もつけずに引き受けることにした。

浜口雄幸首相、加藤友三郎首相と続き
かなり経済が厳しい状況の中
政友会に政権が戻ってくる事になった。

えっ、まさかの
ずっと野党だったけど、満足しての人生
引退したあとの付け足しだったはずの人生

首相になっちゃうの?
76歳です。

首相
浜口雄幸首相が金本位制を復活させた。
それ自体は判断を誤っていた訳ではない
世界で孤立しないためには、世界に向けて経済を開いていく必要がある

ところが、時期が悪かった。
ちょうど、世界恐慌が起きてしまった。
経済ガタガタ

もう一度金本位制を禁止した方が良いのだろうか
この難局に対処する方法として、ひとつのイメージを持っていた

あの男にさえ頼めば

ピンポーン
こんにちは

あら、どうされました

頼みがあって来たんだが

高橋是清
すでに引退している

おそらくおっしゃりたいことは想像つきますが
私、引退してましてね

だよねえ
実は私も引退してたんだがね

そう来るわけね
それ言われたら返す言葉がないじゃない。

高橋是清大蔵大臣を迎え、難局を乗り切る

そして、昭和7(1932)年5月15日がやって来ます。

5.15事件についてはとても大きな事件なので
シリーズの次回に、犬養毅その2として取り上げたいと思います。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)