伊藤博文が反対しなかったら、最後に大久保と西郷は何を語ったろう

西郷さんの最終回になります。
西郷隆盛。なぜ江戸城総攻撃を中止したか
西郷隆盛。薩摩藩へ
西郷隆盛。中央政界で大親分。
西郷隆盛。不思議で複雑で不可解な征韓論

西南戦争という不幸がなぜ起きてしまったのか
複数の原因が積み重なって
やっぱり一番大きかったのは征韓論

これも、本当の真意はどこにあったのか
不思議だらけだけど

そういう歴史の視点もさることながら
私が気になって仕方がないのは
人間大久保と人間西郷の関係。

なぜ
大久保利道はなぜ西郷隆盛を討ったのか

直接手を下した訳ではないし
致し方ない事情が幾重にも重なったとも思う。

でも最終的に、西郷を討つ、と判断したのは大久保

小さい頃から目と鼻の先のご近所に住み
常にお互いの家を行ったり来たりして
よくも男同士でそんなに話す事があるなあと
みんなに言われるほど、話し込んでいた。

そんな相手を殺せるだろうか

少しずつ進む道が変わって行ったんだろう
だとしても、そんなことくらいで
亀裂が入るような仲でもなかろう

本当は途中から仲が悪くなったのかと思ってみた

でも、そうじゃなかったんです。

大久保の息子さんの証言によると
明治になってからも子供の頃からの関係は続いていた。

西郷が東京に来ると
何かっちゅうと大久保の家を訪ねて、そのまま泊まっていく
少年の頃のようによくもそこまで話があるなあと思ったらしい。

会議で
政府での会議で、大久保がある事を言った。

自分が出向いていって、西郷と直面で話をしたい

その場の全員が暫し沈黙

伊藤博文が口を開いた。

あとはどうなさるおつもりですか

ここでいう「あと」とは大久保がトップとして務めている、内務卿のこと

あとはあなたにおまかせするつもりだ

それはご辞退します。この際私がたつ事は出来ない

このやりとり、不思議かつ壮絶ですね
出向いていって直面で話をしたい、と言っただけで
大久保は帰ってこない、ないしは帰ってこれないと、その場の全員が判断したことになります。
並々ならぬ決意を感じたという事でしょう。

伊藤の意見を皮切りに、われもわれもと全員が反対論
否決されてしまいます。

この時の事を後に、伊藤博文が回顧しています。

平生の二人の関係やら性格から考えると、幸い了解ができるかもしれないが、
何しろ周囲の勢いというものができておるのだから、
形勢を一変することが出来るか分からない

その場になると、二人のことだから
差し違えるやもしらん

今思うと、行かれた方が良かった気もするが
どうしても心配で止めた。

歴史でもしもを考え出すとキリはないわけです
直接会談が実現したとしても、結果は変わらなかったような気もします。

でも、歴史の問題ではなく
二人の人間の問題として
最後にひとことなければ
二人の間は終わりを迎えられないんじゃなかろうか

実現していれば

何しに来た

馬鹿野郎

帰れ。
お前の来るところじゃない。

俺の言うことは
何にも聞かん奴だった
一回ぐらい聞いてみたらどうだ

無かった事には出来んのか

・・・・

最後にお前とあえて良かった

索引はこちら
[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です