須磨で、ロマン巡り、続き

須磨で、ロマン巡り
の続きです。

関守稲荷神社
さあ、いよいよ百人一首
淡路島 かよふ千鳥の なく声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
即ち、ここには摂津の関という関所があった
ここにありましたよ、という碑が都合があって、どこかに移転しましょうと
そりゃ、その近くの関守稲荷神社に移すことになりますね

関守稲荷神社

そして、出ましたっ
源兼昌の淡路島

これが見たかったんですよね

現光寺

今度は、源氏物語になります。
光源氏が住んでいたところ
それがこの現光寺
昔から、源氏寺とみんなに呼ばれていた。


ここで、光源氏は何をし、誰を想ったのか
源氏物語の須磨の巻を読めば良いんですね。
失礼しました。

子規の句碑や

芭蕉の句碑もあります(見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋)

平重衡とらわれの松
平重衡(たいらのしげひら)。平清盛の五男
一の谷の戦いで敗れ、のちに斬首
ここで、捕虜になった重衡を哀れに思い、土地の人が濁酒(どぶろく)をすすめた

ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて 須磨で飲むこそ 濁酒なれ

菅の井(すがのい)
今度は、菅原道真
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
菅原道真が政争に敗れ、太宰府に流罪
途中、一旦、この地に上陸し休憩。
西須磨の旧家、前田家の人が、この井戸から水を差し上げた

ありがとうございます。生き返る思いです。
哀しいことに、今の私には、何のお返しもできません。
精神誠意、絵を書かせていただきます。

菅原道真の自画像が前田家の家宝に。
その後、この井戸からの水で「菅の井」という銘酒を作り、毎年太宰府に献上した。

負けたものに対する心遣い
平重衡や菅原道真
同じ日本人だと思うと誇らしいです。

松風村雨堂
次は、在原行平
源氏物語のモデルです。
因幡(いなば)に行くように命ぜられ、2年間赴任
その後、京に戻る
そのまた後、何があったのか、須磨に蟄居を余儀なくされる

光源氏も在原行平もそうですが
昔、須磨は島流し寸前の土地

完全な島流しの土地よりは
ちょっと手前の須磨
まずい!と思った段階で立候補しています。

私、須磨に行きます。

さあ、何もない須磨に来た在原行平
浜に流れ付いた木切れと、糸一本で
一弦琴(須磨琴)を作って寂しさを紛らわします

わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶとこたへよ

ひょっとして、あいつはどうしているかと問う人がいれば
須磨の浦で、海藻に海水をかけて垂れる水のように、しょんぼりと世をはかなんでいると答えて下さい。

源氏物語にも、光源氏のすみかを
「おはすべき所は、行平の中納言の、「藻塩垂れつつ」侘びける家居近きわたりなりけり」
と書いています。

源氏物語大好き人間、藤原定家が
百人一首に入れた自分の歌で
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 
と、須磨の向かい側の淡路島を歌い、「藻塩」を入れてきたのもうなづけます。

ある時、行平は、海士女(あまおとめ)の美人姉妹を見て、衝撃が走ります。

う、美しい

松林に風が吹き荒れ、雨が降りだしたような衝撃
あの二人を、松風と村雨と呼ぼう

勝手に名前つけられてもと思いますが
以降、二人の事をこよなく愛します。

許されて、京に戻れる事にはなるのですが
それは二人との別れを意味します。

この松に、歌ひとつと、烏帽子と狩衣を形見としてかけ
京に旅立ちます

その歌が
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

その前の因幡(いなば)に行くときの歌と考えるのが自然ではありますが
実はここのすぐ横にある月見山は稲葉山とも呼ばれていたそうなので
この時の歌だという説もあるようです。
ここも、松で有名ですから。

姉妹は恨むでもなく、ただ行平の無事を祈り
この松風村雨堂の地に、庵を結び、観世音菩薩を安置します


そして、姉妹は死後も幽霊となって、愛し続け、烏帽子と狩衣を身に付け、舞を舞う
謡曲「松風」の名場面です。
その時の歌が、「たち別れ~」
謡曲では、「たち別れ~」は、須磨の歌と断定していますね。

須磨寺
最後の大物、須磨寺です。
広大な土地の大寺院
あれこれてんこ盛りでした。





ここでは、平敦盛(あつもり)の逸話が残ります。
元々平家の武将で、源氏に寝返った熊谷直実(くまがいなおざね)
早く信頼してもらうため、手柄が欲しい。

でも、熊谷直実が駆けつけた時は、大半の平家が海に逃げてしまっていた。

波打ち際で逃げ遅れた、立派な鎧を来た武者を発見

敵に後ろを見せるとは卑怯なり。返せ返せ

一騎打ちとなります。

熊谷直実が倒し、首を取ろうと兜をとる

そこには、年が16~7歳だと思われる美少年の顔

うっ。
わしにも、同じ年頃の息子がいる

あなたのお名前は?

そういうあなたは?

私は、熊谷直実と申します。

私が名乗るのはやめておきましょう
あなたにとって、私は十分な敵です。
どなたかに私の首を見せたなら、私の名前はすぐに分かる筈です。
さあ、早く討ちなされ。

その潔さに、胸を打たれます。
もう、大勢は決している
自分の功のためだけに、この若い命を討つ必要があるだろうか

ただ、迷っている間に、味方の軍勢が迫ってきてしまった。
もはや逃させる事は不可能だろう。

分かりました。
であれば、私が手にかけ
後のご供養はお約束します。
と、泣きながら刀を執った。

討ち取った首を包んでいると、腰に笛が差してあることに気づいた。

ああ、彼だったのか

朝方、平家の陣から笛の音が聞こえてきた。
戦に笛を持ってきているとは
敵ながらその美しい音色に聞き惚れていた。

陣を張っている須磨寺に戻り
大師堂の前で首を洗う

大きな松の根に腰かける義経が首実検し、平清盛の弟・経盛の末子、敦盛だと判明

ここにも敦盛の首塚がありました。

宝物殿がありました。
その笛の実物が展示してありました。

一通り見終えて、残るは奥の院のみ
言ってもそれほどの奥でもなかろうと、裏山に上り初めて
ありゃりゃ
いつまで行っても着きません
その前に大荷物を持ちつつ登山したばかり
まだ荷物は持ったまま

足がガクガクしつつ何とかたどり着きました。

残念。大分登ったのですが、眺望は開けませんでした。

いやあ、疲れた。
でも須磨は、とても盛り沢山で良いところでした。

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