マザコンの犬公方、綱吉

さあ、5代将軍まで来ました。

超有名な綱吉ですね。

ここから徳川傍流の時代に入ります。
子へ子へ、が途絶えてしまったので、兄弟に来ました。

元禄文化
先の家綱の時代に、武断政治から、文治政治へと転換しましたが
それが大きく花開いたのが綱吉の時代の、元禄文化。
新井白石、松尾芭蕉、井原西鶴、菱川師宣、近松門左衛門、紀伊国屋文左衛門、市川団十郎、貝原益軒。
そうそうたる文化人オンパレードです。

おそらく、これは、綱吉自身が文化人だったからというのが影響している気がします。
物事に執着する性癖があり、
儒学や能へ没頭。
儒学では家臣に200回以上講義を行なったらしい。
能では自ら舞台に立ち、40回以上。
精神異常だったのでは、との説がある程、極端。

背が低い
急に細かな話題です。

綱吉は、極端に背が低かったようです。
124cm。
小学校2年生くらい。
低身長症だと思います。

強いコンプレックスがあったことも想像出来ます。

極度のマザコン
父は3代家光。母は桂昌院(けいしょういん)、通称、お玉。
お梅という女性が、側室として大奥に呼ばれたのだが
その元で働いていたお玉も付いて行って大奥で働くことになった。
元々は八百屋の娘。

偶然、家光の目に止まり、手がついた。
あっぱれ、男の子を産む
玉の輿の語源はここから来ている。

長男は4代家綱。
綱吉は四男だったので、外に出る。
館林藩15万石の城主。

家綱に世継ぎができず、他の兄弟も全て死んでいたので
ラッキーにも綱吉に出番が回ってきた。

ただ、母はなんと言っても玉の輿。
位の低さが何とも気になる。

朝廷に多額の寄付金。
生前女性では前代未聞の従一位という位をください。

すったもんだあって、
まあいいでしょうということになり
さあ、その儀式という直前に事件が起こった。

浅野内匠頭、松の廊下の刃傷事件。

いらんことすな。
大事なときなのに。
と、怒った綱吉は、事情も聞かずに即日切腹。
タイミングが悪かったわけね。

そんなこんなで、極端なマザコンだった。

信仰
桂昌院は信仰心が極めて強い。
江戸市中に大きな神社仏閣を立てる
綱吉も後押し。
神田橋の護持院もその一つ。
そこの祈祷僧、隆光が大出世する。
ところが、祈祷をすれどもすれどもお世継ぎが産まれない。
隆光ピンチ。
そこで、目先を変えるために桂昌院と綱吉に吹き込んだのが
生類憐れみの令だったんです。

元々綱吉は儒学に凝り固まっている。
それ自身は悪いことではない。

大変よろしい、ってことになった訳です。

真意
実は、生類憐れみの令は一番のメインは捨て子対策。
動物の方は付け足しに過ぎないし、
少なくとも最初は、
動物も可愛がりましょうね、くらいで
罰則規定も何もなかった。

なのに、人民の方が過度に反応しすぎた。
そんな馬鹿な法律守ってられるかと
挑発的行動が相次いだ。
犬を殺したりして抗議。

そうなると放って置くわけには行かなくなり
お互いにエスカレートしていく。
どんどん罰則が追加されていくことになる。

でも、大きな意図がベースにある。
戦国時代の、
人を殺して良くやったという時代は終わりを告げたのだという事。
殺すことは良くないことですよ

人を殺しちゃダメですよ
動物もそうですけど。

というオマケの部分が変に誤解されてしまったんでしょうね。

でも、武断政治から文治政治、が価値観として共有できたからこそ
元禄文化が大きく花開いたんでしょうね。

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