[春日神社] 御蓋山と春日山と若草山と三笠山

[春日神社] 春日神は集合体
[春日神社] 大和国一国まるまる春日大社のもの
の続きです。

御蓋山(みかさやま)
奈良の春日大社の東に御蓋山(みかさやま)があります。
神奈備(かむなび)即ち神様のおられるところという事です。
緩やかな山で傘のようだから。

三笠山という字があてられる事もあるのですが、
ややこしい問題があるので一旦、御蓋山と表記することにします。

御蓋山は春日大社から見ると、その後ろに春日山があり
緑の境目が良く分からない

ところが、農作物には恵みの雨が降ると
神様がお喜びになるのか、御蓋山と春日山の間に雲海が発生し
御蓋山がくっきりと浮かび上がります。

この辺りの雲海はよく発生し
このあとお話しする若草山での雲海の写真がこれ

若草山
御蓋山と春日山と若草山はこういう位置関係

ところが三笠山となると、一気に「どっちの事よ」問題が発生します。
若草山も別名三笠山、御蓋山も別名三笠山

百人一首にも三笠山が出てきます。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
安倍仲麻呂です。かなり泣ける歌です。

関西人には、ドラえもんの大好物とされているドラ焼きって良く分からないんです。
三笠山やん

若草山の山焼き
関西人には、若草山の山焼きは日常会話の中で良く出て来るフレーズです。
「奈良のお水取り」とともに、季節を話題にするとき
そろそろ若草山の山焼きやし、みたいな


私は若草山の山焼きは見たことないのですが
不思議なことに良く聞いたことのあるフレーズなので、
見たことある気になったりするから不思議です。

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

不動明王の見極め方

不動明王という本を読みました。

なんで怒っているの
ウォーキングしていると、不動明王(お不動さん)がいかに人気があったか分かります。
それが仏教の良いところかなとも思います。
ひとりのヒーローだけじゃなく、いっぱい役者が揃っている。
釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来、観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、不動明王
さらには七福神等々、いっぱいいる。

そんな中でも、不動明王って異色だなあと思う。
仏様は慈悲深い笑みの表情。これは分かります。
ありがたやぁ、って気がします。

なんで不動明王は怒っているんだろう。
ランク的には、如来、菩薩、明王、天、と3番目なのに、なぜそんなに人気があるんだろう。

この本を読んで少し分かった気になりました。

空海
スーパーヒーロー、空海によるところが大きいんですね。

唐に渡ったとき、仏教のうち、密教の第一人者、恵果に自分の後継者だと指名され
全てを伝授されて帰ってくる。

密教って、お釈迦様が始めた仏教に対して
元々庶民の間で広まっていた、様々な信仰の要素が強く混じっている。

お釈迦様の教えって哲学的に「良く生きる」事だったり、悟りを拓く事だったりを目的とするけど
庶民の信仰はもっと身近に
〇〇ができますように、という願掛けだったり
チチンプイプイ痛いの痛いの飛んでけー、というおまじない(呪文)だったりする。

そういう実益?を重視した密教は貴族の間で引っ張りだこ
病気、天災、反乱等政治がうまく行かない理由は、全て怨霊の仕業と信じられていたので
怨霊退散を呪文や護摩焚き等の儀式で不動明王の前で行う
不動明王は、空海の真言宗で最高の仏である大日如来の一面ととらえる。

ただ、真言宗だけだったら、それほど不動明王も広がらなかったかも。

最澄(天台宗)と空海(真言宗)で言うと、密教を広めたと言う事では空海の方が一歩リードするのだけど
天台宗も巻き返し。
円仁が唐へ渡り、密教を極めて帰ってくる。
天台宗は人材豊富ですから。

真言宗の東密に対して天台宗は台密
霊験競争が繰り広げられる。

見方
まずは基本パターンを押さえましょう。

弁髪というのを今回はじめて知りました。
おさげ髪。左手側に肩までたらしています。
可愛いかも。

様式
大きく二つの様式があります。
■大師様(だいしよう)
空海(弘法大師)や円仁(慈覚大師)が日本に不動明王を持ち込んだ頃の不動明王
密教の「大日経」では醜悪な姿として不動明王が描かれているんだけど
国家鎮護の仏像としては若干の遠慮
多少穏やかな形で描かれた。
■十九観
それから100年ほど経って
いやダメでしょう、遠慮しちゃってことで
十九のルールを定めた。
今残っている不動明王はほとんどこっちのタイプ。

では、それぞれどこが違うのか見ていきましょう。


大師様は総髪(オールバック)。頭の上に蓮華を乗せていたりする。
十九観は巻き毛


大師様は多少穏やか。上の歯で下の唇を噛んでいる。出っ歯って感じ。おさげはくくってある。
十九観は怒り爆発。口はへの字で牙が下から出る。目は天地眼と言って右はがっと見開いているのに左は閉じ気味。ウィンクしたいのかな。おさげはネジネジ。

総じて、大師様の代表的なのがこれ

十九観の代表的なのがこれ

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[春日神社] 大和国一国まるまる春日大社のもの

[春日神社] 春日神は集合体
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春日大社
春日大社は興福寺です。

神仏習合なので、神社と寺院は一体化
というか、ニュアンス的には、興福寺が春日大社を支配していた。

春日大社は藤原氏の氏神であり
興福寺は藤原氏の氏寺です。

元々、興福寺は藤原鎌足の奥さんが、鎌足が病気になったとき回復を祈願して山階寺(やましな)を作ったのが始まりです。
平城京への遷都の時、藤原不比等が、現在の地へ移して、興福寺と名前を変えた。

本来全て国のものであった筈の土地を、興福寺(藤原氏)が持つ土地(荘園)を例外として
そこから上がった生産物からは税金を納めなくて良いとしちゃった。

摂関政治による藤原氏の権力を背景に
興福寺と春日大社はどんどん力を増していく。

今の奈良県、大和国にある寺院や荘園は、どんどん興福寺がその支配下におさめていく。
そして、とうとう、大和国は全て春日大社の神領ですと宣言。
イコール興福寺のもの、ってことです。

東大寺を押し退けてですから、すごいです。

平安時代において日本国の中央政府は京都にありますが
奈良はそれとは別にまるまる興福寺のもの
日本国の中央政府自体、藤原氏が牛耳っている訳ですが
いつ何時没落するとも限らない。
そんなとき、奈良は自分達のもんだぞと。

はっきり言って、平安時代の中央政府って政治にあんまり真剣じゃない
特にお公家さんたちは、武力で人を殺すってのが穢れに当たるから
そういう必要があったら、地方の武士たちにやらせて、自分達は手を下さない。

ところが、興福寺の方は、武力を背景に国を納めていきます。
お坊さんたちが何故殺生していいのかがいまいち理解に苦しむのですが。
整然とした政治機構があり、全く手が出ません。
来るなら来てみろ、返り討ちにしてくれよう、と。

案の定、藤原氏の時代は終わり、武士の世の中鎌倉時代がやって来ますが
興福寺システムは守られるんです。

一旦、源平合戦の最中に、興福寺自体は全焼してしまうのですが
すぐに復興に着手。
その復興景気もあって、勢いが保たれます。

鎌倉幕府は全国に守護を置いて統治していきますが、
なんと、大和国の守護は興福寺

さらにすごいのは、室町時代になってもやっぱり同じ
大和国の守護は興福寺です。

織田信長は、そういう寺の武装集団を潰すことが天下統一に不可欠だと考えていますから
似たような構図の比叡山延暦寺を焼き討ちにしますので
その時期は、なりを潜めますが
徳川家康は、興福寺に2万石余りの寺領を与え、面目を保たせます。

江戸時代、中期になって、火災で全焼します。
その時は財政が芳しくないので、ほぼ再建はされないままでした。

明治維新
一変するのが明治維新。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
春日大社は良いけれど、興福寺はダメよ。

興福寺の持つ膨大な寺領は全て没収。
一部は今の奈良公園になっています。

興福寺は、廃寺同然。
五重の塔すら、売りに出されます。

落札したのはなんと250円。
買いたかったなあ。
金属部分だけ取って、あとは焼いちゃおうとしたんだけど
住民に焼くのだけは勘弁して、と説得された。
住民偉いぞ!

戦後になって、没収された土地が返還され
めでたしめでたし。

済みません。春日大社の話の筈が、ほぼ興福寺でしたね。
一心同体ですから、春日大社と読み替えてもらっても良いかな。

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[出雲大社] 大和との独自のスタンス

[出雲大社]現人神である国造
[出雲大社]大国主命。どういう神様なんだろう
[出雲大社]天への架け橋か
[出雲大社]文明王国、出雲国は本当にあったのか
の続きです。

大和と
出雲文明の謎を前回話しましたが、大和と出雲って独自のスタンスを持っていたと思われる。

女帝元明天皇の時、各地に風土記を作るようにとの命が下る。

各国の風土記は、国司という中央から派遣された人が担当
ところが、出雲風土記は、出雲国造(くにのみやつこ)が担当
シリーズの一番最初にお話しした、出雲大社の神主にして、神そのもの
出雲の地を治めてきた郷族

内容的にもかなり独自性が強く、最も詳しい。

今でいう行政の自治区のような存在だろうか

国譲り神話って、大和と出雲が争って出雲が屈服したのを象徴的に書いたのかと思いきや
それならば、他の郷族にもそういう例はいっぱいあるだろうに、国譲り神話は出雲だけ

出雲には、戦争で使われる武器が出土されていない
前回お話しした銅剣も重すぎて、戦争の武器として使ったとは思いがたい。

大和の傘下に入った時のそのやり方が、よほど平和的だったので
それを表現するために「国譲り」という表現方法をとったのではあるまいか

どう
うちの傘下に入らない?
今なら、おたくを特別扱いさせていただくわよ

古墳の規模からして
出雲は大和と匹敵するほどだったとは思いがたい

とすれば、大和にとって、出雲は特別に仲良くしたい存在だったのだろう

ひとつには、勾玉(まがたま)

勾玉を作る技術は、他の地域に比べ、ダントツを誇っていた。

あと製鉄技術が重要なのですが
それはシリーズの次回にお話して参ります

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