[富岡日記] そんな日記を読めて、私は嬉しかったです。

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念
[富岡日記]8 後ろ指さされないため
の続きです。

このシリーズの最終回になります

夜学
季節が巡り、夜が長くなってきました。
六工社では、希望者に夜学を始めようと言うことになりました。
読書習字珠算

英は常々習字を習いたいと思っていましたので、喜び勇んで出かけます。
貸し出されたのが「残暑甚敷」という書き出しのお手本

この、残暑、という二文字だけでもなかなか思うように決まらず
4~5晩もかかってしまいます。

困ったのは先生。全く予想外
あまりの不器用さに

横田さん、あなたはお書きくずしになったお手本だから
お骨ばかり折れてそれほど効はありません。
それにお書きになる方はそれでお間に合って居ますから、
それより算盤 の方を遊ばしたら如何です、何事にもいりますから

言葉は丁寧ですが、早い話が落第です。

勢いこんでおりましたのに、大ショック
確かに算盤も必要だと思い直して、算盤の方に変更
先生は同じ先生です。

これがまたなんとも不器用
本業の製糸では抜群なのに不思議なものです。

再度引導を渡す訳にはいきませんから
先生も、とことん付き合おうと覚悟。

一緒に習ったのが10人ちょっと
二一天作の五(算盤での九九の一種だそうです)から始めます。
他の人はスラスラ行くんだけど、英だけはつっかえつっかえ
でも、やりだすと凝る性格なんでしょう。
歩みはカメさんでも、帰ってもひたすらパチパチ
なんとか追い付けるようになっていきます。

九の段まで上りましたところで、八算総まくりをすると達者になると言われ
遅くまで繰り返し繰り返し
でも、お風呂に入ると忘れてしまいます。
こりゃいかんと、2~3日は風呂にも入らず続けざま。

ようよう見一になりました時は初めの10余人が、英を含めて3人
商売割というのが出来るようになったときは、英一人になっていました

それ以来、後々まで何をするにも算盤が役にたち
つくづく続けて良かったなあ、と思えるようになりました。

年末
年末になり、工場は年末年始のお休みに入りました。
すると、大里さんが、家までやって来て、お母さんと面会

年内は色々御心配をかけまして有難う存じます。
お英さんには格別御苦労願いまして、お蔭でどうやらこうやら首尾よく閉業致しました
これは社中一同の志の印まででありますが
お花紙でもお求め下さいますように

包みを差し出されます。

お心遣いありがとうございます。
ただ、利益も出ないうちから、このようなものをいただくわけには参りません
お気持ちだけ有り難くちょうだいいたしますので、
こちらはお持ち帰りくださいませ

そのように仰せられては私が困ります。
これは私が一存で致しましたことではない、一同に代って伺いました
何としても受け取っていただけないと帰るに帰れません。

いえ、受け取る訳には参りません。

と押し問答

奥でやり取りを聞いていた英は
いただけるというものは受け取れば良いのにとやきもき

結局、お母さんが根負けし、一旦預かった形にして、主人に相談するということで決着。

英は、父親が帰ったらどう言うだろうとそわそわ

帰宅し話を聞くと途端に不機嫌になった。
お前はなぜそんなものを受け取ったんだ。

それを聞いていた英は、自分の心を恥じ入ります。
今まで信心深くつとめて来たつもりなのに
神様から何と言われるだろう。何と浅ましい心根だったのだろう。

結局、そのまま返してはかえって失礼に当たるだろうと
相応の物を買って返すこととし
みんなで食べられるよう風呂敷いっぱいの干物を買って返しました。

英は先々まで、この時の心の迷いを忘れないようにし
自分への戒めとしました。

売込み
年が明け、初めて売込みというものをすることになりました。
複数人の買い手がいる横浜の会場に出向き、売り手側も複数。

英も連れだって会場に行ったのですが
その場で愕然とします。

他の売り手は座繰りという手動での糸
良い眉を使っているとみえて真っ白

思わず隠したくなってしまいます。

ところが、手にしている糸を見るなり
外国人が

あっ、これは珍しい糸を持ってきた。
これは蒸気機械の糸ではないか
このような糸ならいくらでも買ってやる
どれだけあるんだ

二梱だけです。

どうしてそれだけなんだ
はしたでは値打ちがないから、今日は650だけ買う事にするが
次はたんと持ってくるように

驚いた周りの業者が
なぜあんな真っ黒な糸を買われるんですか?

お前たちもああいう糸を持ってきたらいくらでも買うからな

この時の事が噂になり
評判が評判を呼んで
六工社の糸の糸の品質は右に出るものが無いとまで言われます。

数十年後
数十年後、国元を離れ、別の土地へ
その地での生活においていくら親しくしている人にも
富岡製糸場から六工社への8年間の事を全く話していません。

明治時代を牽引した製糸業は、紛れもなく英が先導していったと思うけど
横田家の無念は、よほど大きく影響しているのでしょう。

どうだ、見たか!
というより、
それが英の無念の晴らし方なのでしょう

でも私は嬉しい。この富岡日記、富岡後記を世に出してくれたこと。
楽しかった8年間は、忘れたくなくて日記を書いた。
人知れず墓に持っていっちゃいかんと思います。

読んでいて楽しくなるんです。
成功者にありがちな、そらどうだ!って内容じゃない。
心底楽しんでいて、ちょっと抜けたところもある
思いきり努力したのも伝わるけど、全て楽しんでいる

そんな日記を読めて、私は嬉しかったです。

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[富岡日記]8 後ろ指さされないため

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念
の続きです。

横田家の無念、の続き
英のお母さんのお兄さん、即ち英のおじさんの九郎左衛門
松代藩の国が栄えるようにと、川に舟運の舟が往き来できる港を
私財を投げ売って完成させた。
ようやく開業できたと思ったら幕府から差し止め命令

散々許可を得るための付け届けを受け取っておきながら。

時代は幕末なので、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れているとき。
頭に来て、武力による倒幕を考えそうなもんですが
九郎左衛門は違っていた。

学問を身に着けていなかったから
結局は有効な反論が出来なかった。
学問を身につけよう

江戸に出て、林大学のもとで、ひたすら学問
国元の横田家も、主の不在をみんなでカバーしながら
学問を身に付けてよりスケールが大きくなって帰ってくることを期待して待ちます。

そしてようやく卒業の時がやって来ます。

本人も国元の横田家も多いに喜んだ。
江戸で得た人脈も利用しつつ、「新たな次の手」を着手出来るでありましょう。

ところが、なぜ神はこの熱意ある青年を助けてくれないのか
急病に倒れ、そのまま帰らぬ人に
享年28歳

無念はいかばかりであったでしょう。

不思議なことに、協力してくれていた人たちからも
あいつは山師だ
一攫千金を狙っているからバチが当たったんだ、と
おかしな噂が出るようになります。

常に国のため、みんなのためにと頑張ってきたのに
残された、横田家は肩身の狭い思いをすることになります。

英のお母さんは、それ以来、全く神様を信じなくなりました。
元々信心深い英は、母親に隠れて、神社通いすることになります。

元々名家だった横田家、主の九郎左衛門を亡くしたので
妹の英のお母さんに養子を取ることになりました。

条件の良い話がいっぱい持ち込まれるんですが
おじいちゃんが、どうにもどの人も気に入らず、全て断ってしまいます。

そして、おじいちゃん自ら見つけてきたのが、今の英のお父さん謙吉です。

でも、家柄も良くないし金もない
一旦は断るんですが、おじいちゃんの熱意に負けて引き受けます。

それ依頼、懸命に働き、横田家の無念を晴らす事のみに集中します。

そしてその思いを引き継いだのが英ということになります。

富岡製糸場の募集があったときもいの一番に応募したのは
その思いがベースにあったのです。

人一倍頑張って、富岡製糸場で筆頭になり
六工社の立ち上げのために帰ってきた。

人力車の先頭に英がいて、村中が人だかりになったときも
英の気持ちは、鼻高々、ってことではなかった

六工社をなんとしても成功させねば
この反動で、横田家がみんなから後ろ指さされる

その気持ちが一番強かったんです。

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[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
の続きです。

大里忠一
六工社の蒸気で動く機械を発明したのは、大里忠一さん
富岡製糸場等の官営の工場は、いわゆるお雇い外国人がいて
機械も立派なものを外国から取り寄せる。

そこでノウハウを蓄積して、民間に広めていく。
それは間違いではないんだけど
官営と民間では雲泥の差
六工社立ち上げの意欲に燃える大里忠一も先立つものがあまりに乏しい。
外国から機械を取り寄せるなんてとんでもない。

方法はひとつ。自分で作る。
色んなところに聞いて回って何度も何度も試行錯誤
とうとう何とかしちゃった。

そんなだから、立ち上げた会社に対する気持ちの入れようは尋常ではない
それは、その奥さんもそう
大里婦人は、もともと「座繰り」と呼ばれる手動での養蚕糸作りの専門家
何とか力になりたいと、工場にやって来た。

自分でも手出ししちゃう。
手動ではそうかもしれないけど、機械だとそこで繭を煮ちゃいけません。
悪気はなく、いてもたってもいられないって気持ちも分かるので、
誰も「違う」って言い出せない。

そういう時は決まって、英にお鉢が回ってくる
英は、理屈で説得というのもちょっと違う気がした。
英としても、自分が習ってきたやり方以外には分かっていない。
ひょっとしたら大里婦人のやり方の方が良い可能性だってある

考えて考えてひとつの方法を思い付いた。
横浜には、糸を買い付けてくれる外国人がいる
両方のやり方で作った糸を、値段をつけずに持っていこう
その場で値段をつけてもらう。
恨みっこなしで、高い値段が付いた方のやり方に従う。

そういう提案を大里婦人にした。

実際には、実行には移されなかった。
大里婦人が折れたから。

何のために、主人が蒸気の機械を作ったのか
当然機械を使う大前提。
そして、その機械を使ったやり方については、熟知している人が来てくれたんだ。
自分は何をしていたんだろう。
自分を最大限に立ててくれた提案までしてくれた。

ごめんなさい。
もう一度いちから教えていただけるかしら。

思いは一緒。
お互いにそれは分かっているから、すぐに打ち解けた。

横田家の無念
英は、富岡製糸場でも、六工社に来てもずいぶん頑張っている。
六工社では、二日目に体調を壊したにも関わらず、頑張り続けている
大里婦人との一件でも、悪者になってでも品質の高い糸を作りたい一心だった。

実は、そこまでして、という英の行動には訳がある

横田家の無念

横田英のお母さんには九郎左衛門というお兄さんがいた。
横田家はおそらくいわゆる名家だったと思われます。

その長男である、九郎左衛門は
国を憂いていた
まだ江戸時代

もっと国を富ませる事はできないものか。

その方法を探るべく、全国行脚の旅に出た。
鉄道があるわけではない。
徒歩で何年もかけて
食うや食わずの貧乏旅

ある気付きを持って帰ってきた。
全国どこへ行っても、港がある場所以外は富んではいない。

残念ながら、今の長野県松代藩には海がない
でも千曲川がある
越後は大豆の出来ぬ国だから、松代領分の農家で作った大豆を船で持っていく。
逆に鯡・鰯 その他の魚類の肥料を持帰り、農作物の肥料に致したなら、一挙両得
千曲川に港を作ろう。

早速、松代藩に提案。
大変よろしいと許可。但し徳川幕府にも許可が必要とのこと
ここからが大変。
あちこちたらい回しにされながら、その都度付け届けが必要
どんどん金がなくなっていくが国のためと、粘り強く続けていく。

ようやく許可。
許可は出たが、金が出るわけではない。
港を作りたければ、船80艘までの港を作って良いです。
それだけ。

私財を投げ打って、港作り。
これがまた、難工事
何年かかったかまでは記録に残っていないが、1年2年のレベルではない。
大滝という場所なんだけど、そこに小屋を作って住み込み

ようやく不完全ながらも、船が通れるようになった。
初通船で越後からの荷を積んだ船が来たときは、みんなで万歳
松代藩主も大喜びで、望遠鏡で山の上から見ていたと聞いたときには
横田家一同の喜びは言い表しようもありません。

これで、ようやく国が栄える

そんな喜びも長くは続きませんでした。

目を疑う通達が幕府からもたらされます。

「大滝通船差止メ」

???

散々付け届けを受け取っておきながら
松代藩が栄えそうだと分かると
幕府にとっては許しがたいものとなった。

九郎左衛門がどう動いたか
続きはシリーズの次回ね

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[富岡日記]6 二日目からダウン

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
の続きです。

ここからは、富岡製糸場ではないので、正確に言うと「富岡後記」にはなるんですが。

六工社
官営の富岡製糸場での経験を元に
民間での製糸場の立ち上げ

いよいよ始まります。

初日、工場を見て回ってから仕事を開始

覚悟していた事とはいえ、あまりにも富岡製糸場とは違う。
銅・鉄・真鍮は木となり、ガラスは針金と変り、煉瓦は土間、
それはそれは夢に夢を見るように感じました

それでも、蒸気で動く機械
これを日本人の手で作ったのかと思うと
どれだけ苦労したんだろうかと

やはり残念なのは材料の繭の品質
こんなにも違うのかというくらい、富岡の時とは違う。
繭に重みがなくて、その糸の口の細きこと、
指にべたべた付きまして実にとり悪きことは
富岡で一度も手がけたことがない

二日目
二日目の昼頃から急に寒気がしてきた。
顔が真っ青になり、みんなが心配
すぐに帰った方が良いと言われたけれど
二日目なのに家に帰る様子を人に見られたら
なんて言われるか分からないと
座敷で休ませてもらった。

すると、全く立てなくなり
体は火が付いたように熱い。

そのまま、家に帰る事も出来ずに
色んな人が看病してくれ
4~5日経って、ようやく少し良くなった時点で家に帰った。

せっかくの開業式にも出れずじまい

40日が過ぎ、少しだけ良くなった。

仕事はしなくて良いから戻ってきてくれないかと矢のような催促

みんなはじめての職場なのに、まとめ役の適任がいないため不満だらけ
何せ、英は工女の中で4人だけの二等工女であり、その中でも筆頭

なんとかフラフラながら、歩いては傍らの石に腰かけて休みながら
ようやく製糸場についた。

待ってましたとばかり、色んな人が不満を言いに来る

経営者は、厳選して家柄の良い娘ばかりを採用した。
女性の多い場所であるので、評判が怖い。
あの製糸場に行っていた女性なら間違いない、と良縁な恵まれる
女性たちの一番重要なことはそれ

うまく評判がたてば、人はどんどん集まるけど
逆なら、全く人が集まらなくなる。

でも何不自由なく育った者ばかりなので、少し気に入らないことがあるとすぐに不満になる

英だってたった18歳なんだけど、
英の言うことは不思議とみんな素直に聞いた

出社すると面白いもので、元気が出てくる
仕事をしたくなるので、全体の調整役は和田初さんに任せて
自分は糸結びや糸とりをと思うんだけど許してくれない。

あなたは、全体に目配りしてくれた方が
うまく行くのでお願い。

出来上がった商品を見て品質を見極め、等級を付けていく仕事がある
英がこうかなと言うと誰一人異を唱えない
すぐその等級になっちゃう。

ちょっとちょっと、意見言ってよ

しーん

そうなってくると責任重大
少しでも間違えた目利きをするわけにいかなくなる

心がけたのが名札を見ないこと
誰が作ったものかの名札がついているんだけど
それを見ちゃうと色眼鏡がかかっちゃう
あの人なら悪いものであるはずないわ。

でもやっぱり日々材料も状態も異なるので、バラツキが出来る

なんとか体ももってやっていけたのは、
ひとつには、可愛い新人さんたちの存在。

12~14歳の幼い女の子たちは、英の事が大好き
朝一番に満面の笑顔で挨拶に来る

英さん、おはようございまーす。

何事にも楽しんで取り組んで、無邪気で元気いっぱい

そんな彼女たちを見ていると、元気をもらえる

もうひとつは、家の家族たち
9日にいっぺん、休日があるんだけど
大急ぎで家に帰る

母の笑顔、弟等の待って居りましたと言わぬばかりの顔、
さては妹等の喜びます顔。
それで私も着汚しの衣類等を一包にして引っかかえ、飛鳥の如くかけ出します

弟共や妹共が、私の留守中の学校の成績より、
魚取りとんぼ釣りの手柄話まで、めいめいの口から語られます、
その嬉しさ楽しさは中々筆にも尽されませぬ。

まだ続きます。
続きはシリーズの次回ね

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