[家重]7 もし口が聞けぬのなら

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
[家重]6 まことでございます
の続きです

言葉
お幸

はい

この頃私も殿の言葉が聞き取れる気がするのです

まあ、本当ですか

昨日、聞いてみたのです。こう仰せでしたかと

二人で決めた合図
はい、なら1度、いいえ、なら2度手を握る

家重は驚いた顔で、1度握った

ついに、ついに叶いましたか

そうかもしれぬ。きっとこの子のおかげ

出産
3月半ば
比宮(なみのみや)はにわかに陣痛におそわれて、男児を産んだ

ただ、産み月には足らず、息をしていなかった

いっときは比宮も危ぶまれたが、半月でようやく立ち上がれるまでに回復してきた
その間、比宮の支えは、家重の真心だった

あの子はなんと孝行な子か
私には殿の言葉を聞き分けられるよう、殿には子ができるという証を授けてくれた
それなのに
どんなに詫びてもつぐなえない罪深い母じゃ

私は、言うてはならぬことをあの子に言いました
もし、口が聞けぬのなら、生まれてきてはならぬと

だから

比宮の病状はまた悪化していった

お幸に
私の願いは、殿が誰からもそしりを受けないこと
何としても次の将軍になっていただきたい

左様でございますとも

お幸は私の味方ですよね

もちろんでございます

私はこの世に生まれてきた甲斐がありました
殿に巡り合うことが出来た
お幸に大事な話があります
殿を次の将軍にするために力を貸してほしい

私で出来ることでしたら、どんなことでもいたします

御子を

はい

殿のお子を、お幸に挙げてもらいたい

はい?

殿を頼みます。どうか

そう言うと比宮は眠りに落ちた

赤子を産んで二十二日
比宮はもう目覚めることはなかった

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[織田信長]7 義昭を将軍に

[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる
[織田信長]4 血戦桶狭間
[織田信長]5 天下をお取りになるまでは
[織田信長]6 上洛の大義名分
の続きです。

上洛
足利義昭(よしあき)を将軍として擁立し、京へ登る
足利義栄(よしひで)を将軍と擁立する三好三人衆を倒す必要がある
岐阜から京への道のりで、立ちはだかるのが、三好三人衆に近い、六角氏
美濃、尾張、北伊勢の全土に大動員をかける
徳川も援軍に加わる

箕作(みつくり)城と和田山城とを同時に攻める。
先ず箕作城の討手は佐久間右衛門信盛、丹羽五郎左衛門長秀──そして木下藤吉郎秀吉
おおっと声が上がる
秀吉は大抜擢。武将として名が上がったのはこの時初めて

和田山城へは、森三左衛門可成、坂井右近政尚──そして明智十兵衛光秀
光秀はもっと意外だった
光秀にはほとんど部下がいなかったから、信長が部下を貸し出した

箕作城で激烈な攻防が続くが、次第に織田方が有利になり、終わりが見えてきた
ここで、秀吉が動く
開城を交渉して話をまとめる

佐久間と丹羽は、猿めが余計なことをせねば全滅できたものを、と呟いたが
論功一位が佐久間と丹羽、二位が秀吉とされたので満足
ただ、秀吉の部下は三百から五百に増やされた

和田山城は大苦戦
光秀が三の丸を攻め落とすと
森、坂井の軍勢が傍観が決め込むようになった
光秀孤軍奮闘の大苦戦
元々借りた部隊、なかなか思ったように動いてくれない
せっかく初めて与えられた機会。むざむざ討ち死にするしかないのか
と、思ったとき
箕作城開城の報がもたらされ
敵方から開城交渉が提案された
助かった

光秀は、開城させたことを信長に報告したが
であるか、と、うなづいただけで特に何の賞詞も与えなかった

緒戦二城での勝利の影響は大きく
他の城は戦意を失い、一両日のうちに、六角領内は全て信長に服した

信長は、岐阜を出発してわずか21日にして、京に入った

京で待ち構えていたはずの三好三人衆は、六角氏惨敗との知らせを受けて
早々に逃げ出してしまっていた
小清水城にいた足利義栄も、四国へと逃走した

その後、山城、摂津、河内、和泉の機内各地をことごとく平定し
義昭を奉じて、京へ戻る

義昭は朝廷から正式に征夷大将軍の宣下を受け、第15代足利将軍になった

義昭は、信長への謝意をどう表せば良いかと
管領職は?
副将軍では?
と聞くが、いずれも「否」

岐阜に戻ることを告げる

何、もう帰国されるのか

国許がいささか心もとない

又すぐに上洛してくれるであろうな

必要とあればいつでも

国許に帰った信長は次なる相手、南伊勢の北畠氏の征討を準備
年が開け、そろそろかと思っているときに知らせが入った
三好の残党、本国寺の公方の仮屋形を襲いつつあり

北畠延期

その頃、義昭の本国寺では、必死の抗戦を繰り広げていた
義昭を守るはわずか千人ほど
攻めるは三千人
援軍が来るまで、何としても時間を稼がねば

義昭、坊主上がりで苦労してきたため、頭が回る

本国寺は代々三好家の深く帰依するところ
このまま、攻め続けなされば、
我は本国寺に火を放ち、自害いたします
本国寺に御意趣はなき筈
しばしお待ちいただければ、居を移そうと考えているがいかがか

確かに、本国寺には三好家の墓が多くある
明日まで、攻めを待とう
と、一旦軍を解いた

その隙に、連絡を入れた伊丹、池田らの援軍が、本国寺にどどっとなだれ込む
その数、三千五百。数では互角になった

坊主め、謀ったな

一方、信長は雪を蹴散らして岐阜城を後にしていた
わずか2日で、本国寺の山門に到着した

まさかっ
信長を見た三好一党は、恐れをなして逃げ出した

間に合ってくれた
義昭は、信長の手を取って涙を流した

本国寺では、危ない
強固な屋形を築いて差し上げよう
二条の旧御所の跡に大城郭の普請を命じた

40日足らずで、二条城を完成させた

続いて、朝廷の禁裏の修復に取り掛かるが
こちらは4年半をかけて重厚なものに仕上げていった

秀吉を呼ぶ
堺の商人が、三好に資金を提供していると聞いた
ひねり潰してくれ

殺すのは簡単ですが、首を絞めて金を出させる方が得策かと

そうか。ならばやってみい

秀吉が、堺におもむいた

その方等、三好に力を貸して、公方様に敵対する由、不埒千万
三方より火を放ち、全町焼き払ったあと、男女関わらず仕置する

風のとても強い日だった。信長の焼き討ちは有名。
火をつけられてはひとたまりもない

お待ちくださいませっ

今後公方に敵対行動をせぬこと、上納金2万両を直ちに献上することを約束させた

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[家重]6 まことでございます

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
の続きです

川下り
比宮(なみのみや)と家重は、江戸城の外へと出掛けた
隅田川の船下りをしながらの花見
お父さんの吉宗が隅田川の堤防に植えた山桜

雪を被った富士山が遠くに見える
水面を流れる風がひんやりと心地よい

比宮さんはいつからあんなに家重様とお話ができるようになったのでしょう

船の上では、忠光は必要なかった

頻繁にやり取りされる文(ふみ)で多くのことが分かりあえていた

家重が比宮の袖にとんと指を置くと、家重の目線の先を比宮が見る
おそらくそこには、比宮がこのむもの
比宮は喜んで二言三言話しかける
二人でそれから船が揺れるほど笑い合う

庭で
梅雨の時期になった
庭にかたつむりがいる

「大きな殻を背負ってのろのろと。まいまいつぶろは殿のよう。もっと小さな殻にすれば良いのに」
歩いたあとが濡れている
「殿がまいまいなら、妻の私もまいまい。誰ぞが殿のことをそう呼ぶのなら、私もまいまいと呼ぶが良い」

家重の足音が聞こえた
片足を引きずるのですぐに分かる

「おいでなさいませ」

「ああーーー」
忠光は口を挟まなかった
傍らに腰を降ろした

「まことでございます。やや子を授かりました」

家重は何度もうなづいた。

「必ず丈夫な赤子を産んでご覧に入れます。もう誰にも何も言わせませぬ」

「もう十分だ。増子は私の受けるそしりを消してくれた」
忠光の声も涙まじりだった
「私にこのような日が来るとは思っていなかった。子が・・できるのだな」
「私は生まれて初めて、父上を喜ばせる事ができた」

「まだ、男の子かどうか分りませぬ。無事に生まれるかどうかも。
もう少し先でございます。」

「私に子ができるということだけで父上は安心なさる。
私に限っては、男か女かはどうでもいい」

比宮が京を出てから2年が経っていた
家重と比宮がともに23歳になった5月の終わりだった。

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

[家重]5 二人だけの合図

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
の続きです

文(ふみ)
比宮増子(なみのみやますこ)が家重にお庭をともに歩きとうございます、と書いた翌日
昨日の今日で、まだ返事はなかった。

「おいでくださるだろうか」

花壇のそばで比宮がつぶやいたとき、家重と忠光が来るのが見えた。

「比宮から文を貰えるとは。今も懐に入れているのだ」
忠光が家重の後ろからそう伝えた

家重は左のほうの手を袂に入れて、どうにか文を取り出して見せた。
家重の手から文が落ちた。
忠光もあっと思ったが、すぐに比宮がしゃがんで拾い上げた。

「御心が嬉しゅうございます。このように殿のお着物に入れていただけますなら、妾は毎日、殿に文を書いても宜しゅうございますか」

「真実、毎日私に文を書いてくれるのか」

「はい。殿だけにお聞きいただきたいこともございます。
文ならば、殿が一人でごらんくださいますでしょう」

「今からでも明日が待ち遠しゅうございます。」

家重の頬がぼうっと赤くなった。

「増子。もう少しすれば薔薇が咲く」

「ではまたお届けくださいますか」

家重はうなずいて唇を動かした。

「だがな、棘を折っているのはこの忠光だ」

「棘を折るように命じてくださったのは殿でございましょう」

比宮はそっと家重の左の手を取った。

「信じても宜しゅうございますか」

家重がきゅっと比宮の手を握り返した。

比宮が文に書いた二人だけの合図
はい、なら一度、いいえ、なら二度握り返す

「お届けくださった薔薇を、御披露目の後から粗末にしてしまいました。
さぞお腹立ちでございましたでしょう。
許してくださいますか」

家重は一度も、握り返さない。
比宮は戸惑って家重の顔を覗き込んだ。

「もとから腹を立ててはおらぬ。それゆえ、許すも許さぬもない」
忠光が言った。家重の思いがこもったような、穏やかな声だった。

「では、お悲しませしたでしょうか」

「ああ、ふむ」

今度は一度、うなずくかわりに比宮の手を握り返した。

「ならば、どうかそのことを許してくださいませ」
家重は静かに比宮の手を握りしめた。

次の日も比宮と家重は御庭を歩いた。
比宮が家重のそばに駆け寄ると、家重は黙って比宮に手を差し伸べた。

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)