[名僧]最澄。今何をすべきか、先のために何をしておくべきか。

[名僧]最澄。日本の仏教の半分はこの人
の続きです。

最澄
中国の天台宗を中心にしつつ、禅宗や密教等を幅広く学んできた。
よし、日本の天台宗を立ち上げよう。

それまでの南都六宗と言われる六つの宗派は小乗大乗の両方を含み、小乗寄り。
小乗とは、修行をすれば救われるので、修行をしている僧のためのもの
大乗とは、仏教の考え方を理解し従うことができれば、在家でも救われるとするもの
天台宗は大乗の考え方を大きく打ち出しているんです。

喧嘩になりそうですね
でも最澄の一番いいところは少なくとも自分からは喧嘩を仕掛けない。

当時の僧は国家公務員で、国家試験にパスしなければなれない。
受戒っていうんです
最澄自身も東大寺で受戒しています。

この受戒は南都六宗で割当て人数があります。
年にこの宗派は何人ねと
ということは、新しい宗派を立ち上げたよと宣言しても、僧を一人も出せないことになりますね

今までの宗派と喧嘩せず
天台宗でも割当てを年に二人ずつもらうことに成功。
やったぁ最澄
「理想」からすると、そもそも国家試験になっていること自体ナンセンスで
自分自身で受戒できるとも思っているんですが
そんなこと口に出せば喧嘩になりますから。

密教
最澄が帰国した翌年、あの人が中国から帰って来ます。

そうです。空海です。

最澄は、天台宗を中心にいろんなものを総花的に取得してきたのに対し
空海は、仏教の中でも「密教」と言われるものを
最澄の倍の期間をかけてみっちりと学んできています。
密教だけに関して言うと、最澄は半分くらいしか理解できていません。

空海は日本に密教の考え方を伝えるや否や
密教が大ブームになっちゃいます。
密教って、例えば、呪文を唱えて祈祷すると病気が治ったりしちゃいます。

最澄びっくり
天台宗は、法華経(ほけきょう)というお経を中心にしながら仏教をトータルで体系づけようとしています。
元々、その中で、密教も位置付けられていて否定するものではありません。
最澄らしいですね。

みんな食いつくのはそっちだったのか。
こりゃまた意外。

ここからが最澄の偉いところ
7歳年下、僧の位としてもずっと下の空海のところに頭を下げてお願いに行きます。

密教を教えていただけませんか。

空海としても感激ですね
ベストテンのお偉い僧が自分に頭を下げています。

勿体のうございます。どうぞ頭をおあげくだされ。
私にできることがあれば何なりと。

最澄、空海、密月時代です。

日本仏教界のビッグ2が、同時期に生きていて
仲良く交流していたというのは奇跡に近いと思います。

ところが、空海とても大天才。
プライドは山よりも高い。
少しずつ、違うんじゃないかと思い出します。
空海は密教こそ絶対、最澄は全体の中での一部分
密教に対する温度感はやはりかなり違っています。

最澄は、私が持ち帰ったお経を
あれも貸してくれこれも貸してくれと持ち帰るが
お経を読めば良いっちゅうもんではない。
それをもとにどう実践するかというのは体をもって私は中国で体験してきている
そこまで一緒に学んでもらえないと意味がない
途中からご自分では来ず、弟子を寄越すだけになったし。

もうこれ以上はお経はお貸しできません。
その前にこの前お貸ししたお経を返して下さい。

さらに決定的になったのが
最澄が可愛がっていた弟子を空海のところに遣わしていたら
空海に惚れ込んじゃって、最澄のところに帰りたくないと言っちゃった。

決裂

残念です。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木みたいです。

大乗戒壇設立
華々しい、前半生に比較すると、陰りを否定できない後半生になる
最澄の一番の理解者の桓武天皇が死去

空海との決裂が陰りの大きな一つ

それでも、諦めない。

現実と理想のバランスを取りつつ進めていく方法を取っていると
どうしても矛盾は否めない。
国家試験に受かるためには、そのための試験勉強には、天台宗の大乗の考え方と違う部分がある

先生!
この問4ですが、なぜ「い」が答えなんでしょう
「ろ」にしないと庶民は救われません。

ちょっと良いですか、こちらへ
(こそこそっと違う場所に読んで)
分かってください。一旦試験に受かるために曲げましょう

先生!
残念です。
先生はそんな方だったんですか。
悲しいです。

あるいは、試験勉強の方に感化されて、南都六宗の方に倉換えする者が出たり。

ダメだ
試験自体をやっぱり変えないと

新しく、比叡山で授戒できる制度を作り上げ
それを認めてもらえるよう働きかける
大乗戒壇と言います。

当然、南都六宗の僧たちは大反対
頼みの天皇は、嵯峨天皇に変わっており
嵯峨天皇はというと、そんな事より、空海を気に入っちゃっている。

家に帰って、柱を殴ったりもしたかも知れないけど
喧嘩するのは本意でない。
ひたすら我慢。
少しずつ少しずつ。

とうとう、存命中には、その夢は叶いませんでしたが
死後初七日の日、知らせが入る

大乗戒壇を認める。

仏教界における最澄
最澄と空海だと、空海の方が人気でしょうね
YesはYes、NoはNo。
かっこいいです。
最初からエリートだった最澄よりは、空海の方が日本人好みでもあります。

最澄は家康的な気がします。
自分が死んだずっと先を考えた。
今は何をすべきか
その先のために何をしておくべきか。

結局、平安時代の天台宗、真言宗(空海)を中心にした仏教は
奈良時代の国家のための仏教、を貴族のための仏教、ぐらいにしか広げられず
真に庶民のための仏教に広がるのは鎌倉時代を待つ必要があるんだけど

一気に華開く鎌倉時代の各宗派は、天台宗からの派生です。
総花的と批判されようが、仏教をトータルで体系付けておき
総合大学を作っておくことで、各専門大学が華開いた。

がまんがまん。

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菊丁字咲き

花カレンダー始めました

えらいこっちゃ。インフルエンザA型

水曜日 いかん、頭が痛い、風邪を引く兆候の気がする
週末土曜日にウォーキングイベント。主催者がいけないと中止になってしまいます。
まだこの段階では風邪と分からないので、普通だと特に対処しませんが
風邪薬を飲むことにしましょう。

良かったね。早めのパブロン
とテレビで言っとります

薬屋に行って、
パブロン下さいっ

木曜日、鼻水が出だす。
さらさらの透明なやつ。
過去の私の研究によると、これは風邪の引き始め
黄色くてドロッとしたやつだと治りかけ

てことは、今後ピークが来るわけですから
土曜に間に合うような気がしない。
ただ、症状が無茶苦茶ひどい訳ではない。
仕事をしていて、意識がどっか行っちゃうことはあるけれど、それくらい。
定時に帰って、ひたすら寝ることにしましょう。

カミさんは何の金にもならないウォーキングイベントを目の敵にしておりまして
「散歩」と読んでおります。
仕事ではなく、ウォーキングイベントのために治そうとしているように見える
(実際にそうですが)
私の態度に怒り心頭。

絶対に散歩は中止にしなさいよ。

8時くらいからすぐに寝てこんなに寝れるか、というくらい寝たので
自分の感覚では快方には向かっている。
ただもう金曜日。
明日までに治ることはない。

肩代わり
ウォーキングイベントを主催することは、楽しくて仕方ないんでやめられないんだけど
絶対に病気になれないというプレッシャーがある

私は絶対的晴れ男で、今まで40回以上、雨天中止のウォーキングイベントを中止にしたことがない

この連続開催記録がこんな形で途切れるのか。

でも、もうちょっとだけ、悪あがきしてみよう。
イベント内容は、「芦が久保の氷柱とプチ登山」
芦が久保の氷柱。氷の世界
芦が久保の氷柱のあと、行ったのは

あまりに芦が久保の氷柱が素晴らしかった。
この時期しか無理なので、一年間心待ちにしていた。
みんなに見てもらいたい。

芦が久保の氷柱だけなら、駅から矢印が出ているので初見でも絶対に行ける
大幅に行程を短縮したバージョンで、
誰か肩代わりしてくれる人がいるなら。

でももう金曜日で明日の事。
前日に急に言われて、行ったことない場所で、はい代わりをしましょうなんて
普通、どう考えても無理です。

伝言板で連絡してみた。

するとNさんからOKの返答。

嬉しかったなあ。
後光がさしている
その後どんどん、イベントの掲示板にNさんお願いしますとの書き込み。
ウォーキング同好会やっていて良かった。
そんなんだったらキャンセル、ってほとんどなると思ったのに
登山がやりたかった一人の人がキャンセルだけ
非常時にもNさんをバックアップして
イベントを成功させようという気持ちがとても表れた書き込みだった。

結局、氷柱だけじゃなく
でっかい観音様がある山の中腹のお寺や
農村公園のとてつもなく長いローラー滑り台もみんなで滑ったそうです。

最高のメンバーです。
私は果報者です。

今日
そして、今日
肩代わりしてもらったんだから、こっちは何としても治さねば。

朝一番で病院に行きました。

熱を計ると、36.9度
色々症状を説明し

まあ熱もないですし
って感じになりそうだったので
ここで食い下がらないと、みんなに悪い。

会社でインフルエンザの検査をしてもらってくるように言われたんです。

会社も今、神経質になってますからねえ。

検査をすると、きれいにインフルエンザA型の反応。

去年、インフルエンザB型にかかっているので
えらいこっちゃ。インフルエンザB型

これでAB制覇です。

イナビルは無敵です。
トントンってやってから
スーッと吸って、
ピッとやってもう一回吸うんですよね

任せて下さい。
経験者です。

これさえもらえれば、治ったも同然。

せっかくの機会なのでインフルエンザについて色々調べてみました。
ネットからの情報の場合はいっぱい読んで、信頼出来そうな情報を自分なりにそしゃくし
総合的に判断する必要がありますね。

私なりの結論

一回かかるともうかからないかというと
絶対とは言い切れない。
A型でも何種類かあるようですし。

ただ、確率の問題とその後重症化するかの問題。

確率的にはグッと減る
そしてかかったとしても、過去にできた抗体が
完全に一致していない型だとしても
部分的にも頑張ってくれるから
それほど重くはならない。

確かに私の場合、
2度目の今回は去年よりグッと楽

そういう意味で予防接種は意味があるようです。

予防接種したのにかかった
という情報は出回っているけれど
低い確率でもかかるし
軽くですんでいる筈だけど
やっぱり頭に来て書き込んじゃいますよね

ずっと寝ていると飽きちゃいますので
ちょろちょろ起きてはこのブログを書いていますが
それ以外はひたすら寝ております。

こういうとき、持つべきものは次女
カミさんは会社です
次女が色々世話してくれて、食事も作ってくれました。

それではまた
おやすみなさい。

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ストック

花カレンダー始めました

元号の名付け方、その3。菅原さん、こっちが良いです。

元号の名付け方
元号の名付け方、その2
の続きです。

今回は手続き的なことをお話しましょう。

天皇
新しい元号を何にするか最終的に決めていたのは天皇です。

でも、天皇が膨大にある中国の文献に当たるのは無理
そこで、文章博士(もんじょうはかせ)なるひとたちが
候補を洗い出します。
そこから、公卿会議で吟味を重ね
最終的に候補を二つにする

天皇の出番

うーん
こっち!

良いですね。この制度
今回もこれでやったら良いんじゃないかな
今回は自分の名前にもなるわけですからね

二つのうちのひとつだったら、突飛なものにはなりませんしね
ゲートウェイみたいな

象徴は実質的な政治には関わっちゃいけないってことは分かるけど
二つのうちのひとつを選ぶことが実質的な政治じゃないでしょう。

文章博士
候補を洗い出す、文章博士はどういう人かですが
律令制度での朝廷の役職のひとつ

まさか、改元のためだけにいるの?

そんな訳ないですね
要は国語の先生。

大学寮という官僚の教育機関があるんだけど
その中で漢文学や歴史学を教えていた先生。
天皇にも教えていたし
他のお公家さんの提出すべき文章を代筆したりする
国語のスペシャリスト。

そんな天才もなぜか世襲になっていって
平安時代末期になると
大江家、菅原家、藤原家が独占。

さらに室町時代以降は
改元の候補出しに関しては、完全に菅原家が独占。
「寛正」「文正」「寛文」という3つの例外を除いて
全て菅原さん

国語の天才の家系と言えば今なら金田一さんですね

昔は、
えっ、菅原さんでらっしゃるんですか
へへーっ

菅原さん、この文章をお読みでしょうか
すごいですよ
あなたの祖先が全て元号を決めたんです。

現在
今は、文章博士という役職はないから
内閣総理大臣が選んだ、有識者といわれる人が
候補をいくつかあげて、提出
内閣官房長官と内閣法制局長官らが候補を数案に絞り
最終的に全閣僚会議で閣議決定

残念!
そこ、最後のところ
一つじゃなくて、二つにならんかなあ

こっち

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プリムラ

花カレンダー始めました

[百人一首]100 ももしきや。いよいよ。

ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり

宮中の、古びた軒端に生えるしのぶ草を見るにつけても
偲んでも偲び切れない昔の御代であることよ

順徳院
後鳥羽上皇の息子になります。
天皇の順番としては、後鳥羽、土御門(つちみかど)、順徳となります。
土御門と、順徳は異母兄弟
最初に後鳥羽はお兄さんの土御門に譲位するんだけど
土御門はおっとりやさん。
自分と性格の似ている順徳が可愛くて仕方ないので
土御門に無理矢理譲位させる

順徳としても、後鳥羽を崇拝している
政治は、やりたがりのお父さんに任せて
自分は短歌を詠んだり等々、文化面でとても頑張る

承久の乱をお父さんと一緒に起こす訳だけど
お父さんより積極的だったとも伝わっています。

承久の乱については、こっちを見てね
[百人一首]99 承久の乱
[百人一首]99 承久の乱、その2

そして、その後、後鳥羽院は隠岐の島に、順徳院は佐渡が島に流された。
生涯許されることはなく、佐渡で息を引き取るんだけど
順徳院らしい死に方です。

これ以上の命は無用

自ら命を絶ったそうです。

鑑賞
建保4(1216)年、順徳院が20歳の時の作品
承久3(1221)年に承久の乱を起こすので
その5年前ということになります。

人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
もそうでしたが、承久の乱のあとの作品とも受け取れるような作品を、敢えて持ってくる作戦ですね
配流のあとの作品は知りようもないし
仮に知っていたとしても、世の中に出すわけにはいきませんから。

ももしき、は元々「百磯城」
宮中のことになります。

しのぶは、
しのぶ草という雑草と、昔を偲ぶをかけている訳ですね
常套句です。

このあたりで、宮中を詠うとなると
一番気になるのが、宮廷丸焼け事件ですね

丸焼けの状態で詠っているのか、その前かで
頭に思い浮かべるべき状況がまるで違ってきます。

答えから言うと、丸焼けは、承久元(1219)年
丸焼けの前の時点での歌でした。

そうでしょうね
丸焼けを前に、しみじみとした歌は無理ですね
そもそも、古き軒端がありません。

後にこれを読む人は、勝手に二つのしみじみとした「しのぶ」をプラスして読んでくれる
ひとつは、承久の乱で没落した朝廷をしみじみとしのぶ
もうひとつは、丸焼けのあと、間に合わせで側だけ調えた、
新しいので風情なんて何もない、宮廷を見て
昔の宮廷は趣があったなあとしみじみとしのぶ

定家マジックでしょう。

百人一首
例によって藤原定家の配置の妙です。

基本的に百人一首は時代順に並んでいるので
後鳥羽院より、順徳院の方が後ろにはなります。

百人一首は、後鳥羽院のために作られたという側面を強く持っているので
後鳥羽院がラストでも良かったんでしょうけど。
そうしなかったのも、藤原定家らしさかも知れません。

親子の天皇で最後を飾る
対称させるために、最初のスタートもまた、天皇の親子
天智天皇と持統天皇の親子

終りました
私の中で一番長いシリーズでした。
全部取り上げるつもりじゃなく、見切り発車で始めたけど
そのうち、どんどん面白くなってきた。

歌の意味だけでは絶対に分からない、背景のようなものがとても大事だということが分かった。

昔は、短歌が生活の中で根付いていて
人生の中で、抜き差しならないほどのウェイトを占めていたことに驚いた。

ただ選んだだけの筈の定家が、伝えたいこともちゃんとあった。

定家さんありがとう。

そして、長く読んでくれた皆さんありがとう。

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ロウバイ

花カレンダー始めました