元号の名付け方、その2

元号の名付け方
の続きです。

良く使う文字
最初の頃に4文字というのがちょろちょろあるのですが
落ち着いてからは、漢字二文字でずっと来ています。

良く使う文字をランキングすると

1.永 29回
2.元 27回
2.天 27回
4.治 21回
5.応 20回

でもね
昭和の「昭」も平成の「成」も過去1回しか使われていないんです。

今回も、踏襲して、
過去1回しか使われていないんだけど
馴染みのある、画数の少ない漢字と
良く使われている漢字を組み合わせるんじゃないでしょうか

読みが深いでしょ

さらに言うと、
中国の古典から選んでいる事が多いんです。
一番多いのが、「尚書」

実は、昭和も平成も「尚書」から
これも、踏襲するに違いありません。

アルファベットに直すとH始まりや、S、T、Mは使えません
母音だのBだのは使えますが
M、T、S、Hと使用数の多いのをずっと使っていますので
ここで奇をてらう事は無いでしょう。

ズバリ、Kに違いありません。

天皇の諱(いみな)として
一世一元と明治からなったので
一人の天皇の在位期間中は一つの元号
そのまま、天皇の諱(いみな)、要するに名前、として使われる

となると、どういう元号かと、どういう天皇名かという問題が
ドッキングすることになる。

天皇名という視点から考えたとき、今回の新元号、即ち、新天皇名として
絶対使われないであろう漢字がある

そもそも、天皇の名前ってどうやって決まるかなんだけど
在位中には決まっていない。

天皇が崩御したのち
みんなで集まって、評価会議

こんなこともこんなことも、良いこといっぱいしてくれたから
こんな良い名前付けてあげようよ

元々の中国では逆のパターンもあった。

とてもひどい事ばかりしたから
ひどい名前にしよう。

どんな名前にされるか心配でおちおち死ねませんね

さすがに日本では、この「悪い評価だから」という名前の付け方はしなかった

でも近いニュアンスはあったんです。
それが、今回の新元号で絶対に付かないであろう漢字の一つ目です。


えっ、どういうこと?
徳って無茶苦茶、誉めちぎっているように思いますね
しかも、天皇の名前として、結構付いています。

確かに、仁徳天皇の時あたりまでは、良い名前の代表でした。

でも、36代孝徳天皇の時
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇を皇太子にするんだけど
ご存知の通り超野心家
大化の改新とかもろもろあって、
孝徳天皇は失意のうちに、病気で崩御

まずいよ、まずいよ
こりゃ、どう考えても、たたりがある

不遇な死を遂げた人からは祟りがあると真剣に信じられていた時代

とても良い天皇だったよね
徳の字を付けるにふさわしい。

そうだ、そうだ、絶対そうしよう。

以降、55代文徳、75代崇徳、81代安徳、82代顕徳、84代順徳
このブログでも紹介しましたね
崇徳院
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
安徳天皇
須磨で、ロマン巡り

崇徳院なんて、祟るために、鬼になるように努力し
絶対に祟ってやる、と宣言してから死にました。

でも、逆にそうなってくると、徳の字が付いた天皇は
みんなが祟りを認識している天皇ということになる

祟りの予告編というか
祟りのお墨付きというか

82代顕徳って聞いたことないですね
それもそのはず
その後にもう一度名前を変えたんです。

祟りのお墨付きは、やっぱりまずいんじゃないの
特にこの人に祟られると、思いきり怖いんですけど

で、何に変えたかと言うと、後鳥羽です。
うおおっ。超大物でしたね
[百人一首]99 その前に、後鳥羽院について

その息子の順徳院は良いの?って疑問は残りますが。

その後、96代後醍醐天皇の時にも
元徳にしようという案が持ち上がるんだけど
怖いからやめようよ、となった。

それ以降、徳の字は使われていません。


光って、キラキラネームで付きそうですね

これも、新元号では絶対に付かないんです。

天皇が、息子へ息子へと繋がっていく訳ですが
お世継ぎが生まれない事だってありますね

特に昔は、子供のうちに死んじゃうことがすごく多かった
その息子なんて、当然いない。

そうなったら、兄弟だ甥っ子だと
血が濃い順に辿っていく訳ですけど

かなり上まで行って、また戻ってきて
みたいになっちゃったとき
傍系から出て皇位を継承した場合、
「光」の字を付けるんです。

49代光仁、58代光孝、119代光格

でも、今回は正真正銘長男ですもんね
光の字は絶対に付きません。

おそらく「天」も付かないんですが
これは説が分かれるかも。
でもそんな危険はおかさないでしょうから
やっぱり天はつけないでしょう。

面白いですね
天は元号の名前としては同率二位なのに
天皇の名前としては、ダメなようです。

大分絞られましたね
もう決まったようなもんです。


前回も書きましたが
「幸」です

「幸」にしましょう

「幸」はKであり
過去、1度も使われず
画数も多くなく
馴染みがある

これ以上に良い意味を持つ漢字があるとは思えない

問題は「尚書」です
私は「尚書」を持っていないので検索できない

あるかなあ
「尚書」の中に、幸の付く良い熟語

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エリカクリスマスパレード

花カレンダー始めました

家康5、信長からの命令。妻と子を殺せ

将軍シリーズ、家康です
家康4、三方が原で、なにを漏らしちゃった
の続きになります。

武田信玄、圧倒的な強さで、京へ向かって進軍
なすすべなし

織田を蹴散らして天下統一は当然信玄がと思われました。
ところが、歴史って面白いというか不思議というか
そうはなっていないことをみんな分かっています。

急に進軍のスピードがゆっくりになります。
何があった?

信玄が病気になり、そして死んじゃった。

信長、胸を10回くらいなでおろす。
助かったぁ

築山殿
[大奥]1 家康→築山殿
の続きにもなります。

築山殿、減敬を通じて、武田家と接触、
行動を起こす
というところでしたね

信玄のあとを継いだ、武田勝頼に手紙を書いたんです。

家康と信長は、私がたばかって必ず殺しましょう
その時は信康に徳川の旧領を与えて下さい
私に、新しい旦那さんを世話してもらえますでしょうか

まさか!
信じられません
でもこれ、事実なんです。

信長は難しいでしょうけど
何だかんだ言って夫婦ですから
家康に毒を盛ることは出来るかも知れません。

偉大なる父の跡を継いで、起死回生を狙いたい勝頼
大喜びで話に乗ってきます。

家康と信長を討っていただけるのであれば
徳川領と言わず、織田領も好きなだけ差し上げます。
新しい旦那さんですが、小山田兵衛というとても立派な武士がいますので
お世話いたしましょう

作戦大成功です。
あとは、いつどう息子の信康に打ち明けるか
どう実行するか

そわそわドキドキ

なんか最近の築山殿おかしいわ

急に機嫌が良くなった築山殿を怪しんだ、徳姫派の女性が
築山殿の部屋に忍び込んで、勝頼からの密書を見つけてしまいます。

徳姫どうする

一方のお父様、義理のお父さんの家康が殺されても
まあそれはそれで
実のお父様、信長の身は守らねば

信長に手紙を書きます

築山殿はとんでもない悪人です。
武田と結び、お父様と家康殿を殺す密約を交わし、見返りの約束を取り付けています。
信康殿もひどい人でとんでもなく暴君です。
私の前で家臣を殺すのを3回見ました。
この親子に油断なさいますな

信康のくだりは、徳姫の付け足しですね
暴君はひょっとしたらそうかも知れませんが
この流れで読むと、武田と結んだのは共謀のように読める
最初は仲良かったはずなのに、自分の旦那さんを売るんですね

手紙をもらった信長
どうしても信じられない

ちょうどその頃、家康は家臣の筆頭、酒井忠次を信長の元に使いにやらせた。

おお良く来なすった。
とても手厚い歓迎

奥の茶室へ招待し、人払いして二人になる

酒井殿
ある筋から変な噂を耳にしましてな。

・・・

いかがでござろう

あり得ませぬ
何かの間違いでしょう

そう答えれば良かった
少なくとも、最悪の状況は免れたかも知らん

家康が最も信頼している最古参

いちいち心当りがござる

最悪の伝言を持って帰ることになる

妻と子を殺しなさい。

家康
帰って、その時のやり取りを子細に伝える

どうする

信長の家臣ではないが
この時代に、その命令を拒否することは、
信長と戦する事を意味する

出来る筈がない

結論は分かっているのだが
かといって、妻と子を殺すことだって
出来る筈がない

その後、城の奥に籠って三日間出てこれなかった
人生で最も暗鬱な三日間

出来れば会わないようにしているとはいえ
やはり夫婦
20年の月日は重い

事の次第を知って、唯一かばったのは家康だった。

あの人はああなのだ。それだけのことなのだ。

ましてや、信康の事は愛していた。
初めての子供

いろんな悪い噂も聞いたが
良いところだっていっぱい知っている
年を取れば落ち着く。

さらにいうと、出来の良い悪いは関係無い。
子供への愛は条件付きではない。

もし、これが自分の事だったと考えると
いや、もう考えられない。
万に一つも

実行
自分で手を下すことなんて出来ないから
誰かに指示するしかないんだけど

口からその一言を言うことも無理
手紙だけで処理しようとした。

子供の頃から一緒に遊んだ相手、平岩親吉(ちかよし)

読んで驚いて、一目散にやって来た
手には短刀

それは、私が企てたこと
信長殿にそうお伝えください
間違いでしたと
責任を取って、この平岩親吉、ここで腹を切りまする
この首をお持ちください。
築山殿も信康殿も、何も悪くござらん

ばかもん
分からんのか
もう無理なのだ
元々二人の事は何とも思っとらん
ただ
この徳川が弱国である
それだけ、ただそれだけ

言いながら、涙が止まらない。

築山殿は、三河の時からではない、最近に仕え出したものに討たせた

信康は、色んな城に次々と三度も移させている
何とか逃げて欲しいと思ったのかも知れない
結局は厳重な警備をしてしまうのだけれど。

見事に、自ら十文字に腹を切る。

老いてもなお、信康の事は何かにつけて口にしたらしい。

不思議なのが、その後の酒井忠次への対応
恨みに思ってしかるべきだろうが
家康の不思議さ
その後もずっと、筆頭の家臣であり続け
手柄が立てられそうな場面で、起用する

ただ一つ
酒井忠次にも、信康と同じくらいの歳の息子がいた
その息子は全く出世させなかった。

いくらなんでもそろそろという感じの時
忠次が家康にそれとなく言ってみると

そちでも、息子は可愛いのか
と言ったという

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[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)


フラントイオ(オリーブ)

花カレンダー始めました

[大奥]1 家康→築山殿

大奥シリーズというのはどうでしょう。
将軍シリーズもその参謀シリーズもやりましたので
次は、大奥シリーズかと前から考えておりました。

将軍一人一人に対して関わった印象深い女性たち

「大奥では~」
岸田今日子のナレーターが聞こえて来そうですね。

大奥シリーズの最初は、築山殿です。

将軍シリーズの家康もあるので、築山殿が同時並行になるように合わせてみました。

築山殿
築山殿は、今川義元の血が繋がった、人質時代に結婚した奥さんです。
8歳年上で、まあ気位が高い

築山殿は、悪妻の見本のように言われています。
ただ、築山殿がそうなっちゃったのも
きっかけを作ったのは家康だと言えます。

今川義元が死んだあと、妻と子供を置き去りにして、岡崎城に入った
そして、敵方の織田信長と結ぶ

人質が殺されても仕方ない状況
客観的に見れば、妻と子を捨てたも同然

妻と子の奪還作戦は成功しますが、これは結果論。

岡崎城に戻しても、住まわせたのは別の部屋で
家康は寄り付かない

実は話がややこしくなるので、最初から「家康」と表現していたが
名前は松平元康といっていて、この時期に徳川家康に変えている。

元康の元は、今川義元の元
元を取ったのは、完全な今川家との決別を意味している。

今川義元と血が繋がっている事が誇りの築山殿
さらにいうと、今川家は、室町の足利将軍の血を引いている、気高き血筋
プライドの塊のような女性なので、どうしても許せない

そして、そのあと、家康は浜松城に引っ越ししちゃって、
妻と子を岡崎城に置き去り
岡崎城を子供、信康に譲り、築山殿はその後見役ということで理屈は立つんですがね

家康はあっちの方は異常とも言えるほど盛んになり
生涯18人もの側室を持つ

築山殿は極端に嫉妬深い
でも、この嫉妬深いということは、愛情の裏返しなんでしょう
嫌いな人だったら何しようが知ったこっちゃないでしょうから

嫉妬深い事で良く引き合いに出されるのが、お万の方の事件
こともあろうに、築山殿にお付きのお万の方に、湯殿で手をつけて孕ませる
怒り狂った築山殿

裸にして、庭の松に縛り付ける

これでもか、この泥棒猫!

さんざんに鞭打った

悲鳴を聞いて駆けつけた、本多作左衛門が助け出して、
外れの小屋で出産させたのが秀康。

壮絶ですね

ただ、この話は時期と場所において辻褄が合わないそうです。
その時は、お万の方は、岡崎ではなく、浜松にいたはず。

どうも怒ったのは、家康
何かの理由でお万の方が、家康を怒らせ
着のみ着のまま逃げ出して、城の外で産んだのが秀康ということらしい

徳姫
旦那に裏切られると、その分も向いていくのが子供への愛情

築山殿は、信康を溺愛します。

ところが、強力なライバルが現れます。
奥さんです。

新しい盟友、織田信長の娘が嫁いで来ます。

いつの時代も泥々の嫁舅問題です

雅な京の雰囲気を残す、今川家の家風と
言ってみれば粗野な成り上がりの織田家では水と油

お互いに、やることなすこと全て気に入りません。

政略結婚と言えども、夫婦仲は良く
二人の女の子をもうけます。

ああら、女の子ばかりで
お世継ぎを産めないようね

あな恐ろしや
その場には絶対いたくないですね
岡崎城に近づかない家康の気持ちも分かります。

岡崎城の女たちは、真っ二つの派閥に分かれ
女のバトルが繰り広げられます。

あの娘なんてどう?

信康の心を徳姫から離させるため
「男の子を産める」側室を仕切りに勧めます。

家康の子ですから、信康もそっち方面で
頑張り屋さんになっちゃいます。
夫婦仲に黄信号

信康
信康の評価ですが
残る資料によって真っ二つに分かれます。

頭脳明晰な名君というのと
ご乱心を繰り返し、罪なき部下を殺しまくる暴君というの

どちらの面も持っていたのかも知れません。

家康は、とても気に入っていたようですが。

不幸な結末へ
そして、いよいよおかしくなってきた築山殿

体調を崩したときに診てくれる、減敬という医者がいます。

あら、良い男だこと。
仲良しになっちゃいます。

実は、この減敬という男
かつては、武田家に仕えており
武田家との強いパイプを持っています。

破滅への階段に足をかけてしまった築山殿
減敬を通じて、武田家と接触を図ろうとします。

とても恐ろしい計画
現実に動き出します。

さあ、このあとは、
家康の方の、将軍シリーズであとを引き継ぐことにいたしましょう。

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ボケ

花カレンダー始めました

日本庭園、借景

庭園シリーズ、一旦最終回とします。

借景
四方が美しい山々に囲圭れた京都
庭園だけではなくその背後の風景をも取り込んでともに愛でてきました。

このように背景を庭園の要素として取り込むことを
「借景」といいます。

夢窓疎石
借景の庭を、庭園の一手法として確立したのは、
室町時代の夢窓疎石(むそうそせき)。
出ました。庭園界の神様。

世界文化遺産に登録されている天龍寺庭園や西芳寺庭園では、
それぞれ背後の亀山、東山を借景しています。

天龍寺庭園

でも残念ながら、この手法は、次第に使われなくなり
忘れ去られようとしていました。

小堀遠州
忘れさせて、なるものか

江戸時代に入ると、将軍茶道指南で幕府作事奉行
小塀遠州が、疎石以降長らく途絶えていた借景の手法を復活させます。

やったぁ、お師匠さん。

南禅寺方丈庭園では、
羊角嶺大日山を借景しており、

大徳寺本坊東庭では、比叡山を借景しています。

遠州の復活させた借景は、初期の後期式枯山水庭園に普及します。

その代表作というべき庭が、円通寺庭園(京都府)。
比叡山を見事に借景しています。

また石組はありませんが、正伝寺庭園(京都府)の比叡山の借景は有名です

円通寺,正伝寺に共通するのは、
春·秋分すなわちお盆の中日の日の出が望めることです。
比叡山山頂と円通寺や正伝寺が東西に直線に並んでいるんですね。

昔の人は考え方が贅沢ですね

山だけじゃなく、建物の借景というのもあります。

彦根城天守を借景とする玄宮園

東大寺南大門と若草山を借景とする依水園

東京
東京は厳しいですね
京都のようにはいきません。

どちらかというとマイナス排除
この前の、都立庭園の企画展で書いてありましたが
有名庭園の背景に派手な看板が出ないようお願いして回るのが重要な仕事のようです。
例えば、旧芝離宮恩賜庭園では、UCCさんに看板を小さくしてもらった

極めて限定的な建物には、写真をある場所から写すとき、後ろにビルが写らないよう
高層ビルを建てちゃいけないという条例があります。
迎賓館と明治天皇の絵画館
このマークのあるところからの撮影で

写っちゃうビルは建てちゃダメ

小石川後楽園は、東京ドームが借景

あっ、良いこと思い付いた。
白いドームに、山の絵を書けば良いんだ。

これはこれで良いかも、と思ったのが
新宿御苑の借景

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マサキ

花カレンダー始めました