[旅行] 全国橋巡り。西日本編

[旅行] 全国温泉巡り。東日本編
[旅行] 全国温泉巡り。中部西日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。東日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。中部近畿編
[旅行] 全国渓谷巡り。中国四国九州編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財以外
[旅行] 全国洞窟巡り。
[旅行] 全国海岸巡り。西日本編
[旅行] 全国滝巡り。東日本編
[旅行] 全国滝巡り。西日本編
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その1
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その2
[旅行] 全国陶磁器巡り。美濃焼は陶器界の革命児
[旅行] 全国陶磁器巡り。あれこれ東日本編
[旅行] 全国陶磁器巡り。あれこれ西日本編
[旅行] 全国橋巡り。東日本編
の続きです

近畿
奈良
■谷瀬の吊り橋

熊野川(十津川)に架る、長さ297m、川面からの高さ54mの日本屈指の長さの鉄線橋
昭和29年に地元(谷瀬)地区の住民が出資して建設された、
生活用吊り橋としては日本一の長い吊り橋

地元の人は自転車で渡ります

中国
鳥取
■江島大橋
鳥取県と島根県を結ぶ大橋

橋の上に登るのは急坂でベタ踏み坂と呼ばれている

大根島北西岸沿いにある「寿物産」付近から望遠レンズを使って撮ると、自動車が空に向かって駆け上がっていくような急勾配の江島大橋の写真になります。

山口
■錦帯橋

「錦帯橋」の主要部分は、日本古来の建築技法・木組みを用いて造られている。
木組みとは、2つ以上の木材を隙間なく組み合わせる技法のことで、見た目の美しさと高い強度が特徴。
「錦帯橋」の裏側を覗くと、木組みならではの幾何学的な構造を見られる

四季折々に見どころ満載
春の桜

夏は鵜飼が催される

秋の紅葉

冬の雪

■角島大橋
角島に渡るとても長い絶景大橋

四国
徳島
■かずら橋
シラクチカズラという植物で作られたこの吊り橋
日本三大奇橋の一つです


1185年。源氏と平氏が争った『屋島の戦い』。そこで敗れた平国盛は生き延びるため、この祖谷の山奥に逃げ込んだのではないかと伝えられています。
そんな祖谷の“平家伝説”を象徴する物証のひとつが『かずら橋』です。
戦いに敗れた平国盛には、当然源氏からの追手がかかる恐れがありました。
追手が迫ったとき、谷に架けた橋を簡単に切り落とせるように、あえてシラクチカズラで橋を作ったのです。

九州
長崎
■眼鏡橋(めがねばし)
1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定(もくす にょじょう)禅師が架設したとされている眼鏡橋。川面に映る影が双円を描き「メガネ」に見えることからこの名前がついたと言われ、
東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。


長崎の冬の風物詩、ランタンフェスティバルの時期には、
眼鏡橋周辺も提灯で華やかに飾られ普段以上に多くの人で賑わいます。

熊本
■通潤橋
熊本県上益城郡山都町にある石造単アーチ橋。2023年9月25日、橋などの土木構造物としては全国初の国宝に指定されている。 江戸時代の嘉永7年に阿蘇の外輪山の南側の五老ヶ滝川の谷に架けられた水路橋で、水利に恵まれなかった白糸台地へ通水するための通潤用水上井手水路の通水管が通っている
橋の上部にサイフォンの原理を応用した3本の石の通水管が敷設され、
今でも白糸大地の棚田を潤しています。

放水は通水管に詰まった堆積物を取り除くために行なわれています。

大分
■九重夢大吊橋(ここのえゆめおおつりばし)
日本一高い歩行者専用吊橋で有名な人気観光スポット。
標高777m、高さ173mの橋の上からは圧倒的なスケールの渓谷美が広がり、雄大な景観を存分に堪能できる。

沖縄
■古宇利大橋
やはり沖縄はスケールが違う
エメラルドグリーンの海に長く長くかけられた橋


■海中道路
もひとつ沖縄の絶景長い橋


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[ことば日本史] 関東は時代とともに変わる

ことば日本史シリーズ
今回から江戸時代に入ります

関東
慶長8(1603)年に徳川幕府が開かれてから、箱根の関所はひじょうに重視されるようになった
「入鉄砲に出女」という言葉があるように、諸大名が鉄砲などの武器を密かに江戸へ持ち込むことと、江戸藩邸の大名の妻子が国許へ逃亡することを監視することが、関所のおもな任務だった。

そのため、江戸につながる主要街道および分岐道には、とくに険しいところをえらんで多数の関所群が配置された。箱根はその代表的な場所である。

以来、箱根から東、関八州をさして「関東」というようになった。

実は関東という語そのものはずっと古い
天平12(740)年に聖武天皇が奈良から伊勢へ行くことを
「続日本紀」で関東へ行くと表現されている

関より東だから関東で、奈良時代は、伊勢国の鈴鹿、美濃国の不破、越前国の愛発(あちら)という三関より東の地方を関東と呼んだ。

平安時代には、三関は実質的な機能を失って
逢坂関(おうさかのせき)が都を守る防衛ラインとなり、
以降は逢坂関より東の広い地域を関東といっていた。

その後、鎌倉幕府が成立すると、
朝廷に対する関東幕府という意味で関東の語が使われるようになるが、
地域名としては漠然と広い範囲をさしていて、
今日のような地域ではなかった。

関東という語が今日と同じ地域をさして使われるようになったのは、
江戸幕府ができてからのことだった。

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[天皇]107 後陽成天皇

天皇シリーズ

[天皇]106 正親町。120年ぶりの譲位
[天皇]106-2 正親町天皇。関白と豊臣姓
の続きです

後陽成(ごようぜい)天皇

正親町天皇は、息子の誠仁親王(さねひとしんのう)に譲位すべく何度も働きかけ、秀吉が了承
準備は着々と進められ、いよいよという時
肝心の誠仁親王が病気で急死した

普通なら諦めるところだが、大スポンサー秀吉がついている。
せっかく準備したので、譲位の相手を誠仁親王からその息子、和仁(かずひと)親王にチェンジ
急死からわずか3ヶ月後には、譲位が成立
後陽成天皇が10歳で即位した

同じ月、秀吉は太政大臣となり、豊臣姓を賜って、豊臣秀吉になる
[天皇]106-2 正親町天皇。関白と豊臣姓
でもお話した通り、秀吉は近衛家の猶子(養子のようなもの)になり、
近衞前久の娘前子(さきこ)が秀吉の娘として後陽成天皇の奥さんになる
即ち、秀吉は天皇の外戚になった

これに先立ち、秀吉は、京都内野に聚楽第(じゅらくだい)を築造
以降、秀吉の本城となる
この聚楽第に、後陽成天皇が、大行列を伴い行幸(ぎょうこう)

この時点では
後陽成天皇の弟、智仁(としひと)親王が、息子がいない秀吉に養子に入って次の関白になることが約束されていた

ところが、秀吉に息子、鶴丸が誕生

後陽成天皇から、
どうぞどうぞ、その次の関白は、秀吉さんの息子さんで良いです
ここに、関白職が、摂関家でなく、豊臣家の世襲となる事が決定
歴史的大転換です

ところが、その鶴丸、3歳にして亡くなってしまう
すぐさま、甥の秀次を養子に迎えて、秀次に関白職を譲る
自分は太閤と呼ばれることになる

天皇側からも、秀吉側からも、お互いに利用価値があったので
うまく行ってはいた

後陽成天皇が成長していくに連れて、時代に自我が芽生えていく
秀吉が朝鮮出兵を始め、朝鮮の使節を伴って参内しようとしたとき
後陽成天皇は拒否する
異国人とは対面しない

秀吉は三国国割(さんごくくにわり)構想として、中国まで支配しようとする
後陽成天皇には「大唐都」すなわち北京に行ってもらう構想

この構想に対して、後陽成天皇はやんわりと返答

高麗国への下向、嶮路波濤をしのかれむ事、無勿体候、諸卒をつかハし候ても、事足るべき哉、且朝家のため、且天下のためかへす発足遠慮可然候、勝を千里に決して、此度の事おもひとまり給候ハゝ、別而悦おほしめし候へく候、猶勅使申候へく候、あなかしく

内容は、
高麗国(朝鮮)への下向は、嶮路波濤を凌がねばならず、勿体ないことである、諸卒を遣わしても事足りるのではないか、朝廷のためにも天下のためにも高麗への発足を思い止まるのがよかろう、勝を千里に決して、このたびのことを思い止まれれば、別して悦ばしく思う、なお勅使が申すであろう

このあとの続きはシリーズの次回

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江戸時代の摺り立て体験をしました

7/27[日]の事です

ブログをサボっておりましたので、かなり時期を逸してしまいました。
ウォーキング同好会で行った温故学会のイベントに参加しました。

江戸時代の嘉永年間に製作された『御江戸図説集覧』(渋谷区有形文化財)の版木をもとに、みんなで江戸時代と同じ紙に同じ方法で摺る体験
なんとなんと、無料

途中、私が道に迷い、開始時間に間に合わない大失態
電話を入れて「向かってます。絶対に行きますので〜」

お子様とかも含めて、30人ほどが参加されていました
我々は10名で参加です

最初に、江戸時代の印刷について説明を受け
当時の版木と同じもので、まず館長さんが擦って見せてくれます
紙も江戸時代同様に、和紙
墨も墨汁よりねっとりした当時使われていたもの
墨を塗る刷毛や、バランも当時と同じもの

すなわち、我々が摺っても、時代を超えて
江戸時代と同じものが、自分の仕業で目の前に現れるという訳です
なんとエキサイティング

3つの版木を使って体験です

まずは、お子様から
なかなか難しい
墨をつけ過ぎたり、バランでこすりすぎたり
もう一度やってみると
おおっ、さっきより格段にきれい
やったじゃーん

わがメンバーも次々と

他の人がやっているのを見てるだけでも
あれくらいだとつけ過ぎなんだなとか
分かってくるので
そこにいた人達みんな、どんどんうまくなっていきます

塙保己一の群書類従の聖徳太子の十七条の憲法の版木も置いてありました
さすがにこれは、重要文化財なので、この版木を使っての摺り立てはできませんでしたが大興奮

自分で摺ったものは持ち帰れます

私が摺ったものです
万葉集。額田王(ぬかたのおおきみ)の詠んだ歌

嘉永年間に製作された『御江戸図説集覧』
江戸城周辺
本当はこの時期天守閣はないのですが
昔はこんなでした、という紹介的なもので、当時参勤交代とかで地方から江戸に来た人にお土産として超人気になったもの

渋谷周辺の地図
細かく見ていくと色んな事が分かります

メンバーも大盛りあがり
とても楽しいイベントでした

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