名字の歴史学、という本を読みました
以前、名字に関しては何回かに渡って書いたことがあります。
氏、姓、名字、苗字、実は全く別のもの
名字がいよいよ出てくるよ
氏と姓と名字と苗字がどう違うか、というような話です
へええ、という内容がいっぱいあったのですが
いまいちモヤモヤとした感じも残っておりました
正直、明確にキッチリ分かれている訳ではなく
時代とともに、それぞれの概念がダブりつつ
あいまいになっていくので
最終的にもモヤモヤするのですが
なぜあいまいになっていったのか、というあたりは
今回読んだ本でだいぶクリアになりました
ということで、またシリーズとして、名字に関して書いていきたいと思います
この本では
そもそも、江戸時代までは、武士ではない庶民は苗字を持っていなかったというのは間違い
持ってはいたけれども、公には名乗っていなかっただけ、という衝撃のはしがきから始まります
その辺は時代的に後になりますので
まずはずっと昔
氏(うじ)から始めましょう
氏(うじ)
大和朝廷は、氏族集団の集まりだった
氏族集団は氏(うじ)と呼ばれた
氏族の長は氏上(うじのかみ)と呼ばれ、同じ血縁の氏人(うじびと)たちを統率管理した
その下には非血縁の奴婢(ぬひ)たちが従属させられていて、
部曲(かきべ)とか部民(べみん)とか呼ばれていた
氏族の数は645年の大化改新の前で100を超え、
815年の「新撰姓氏録」では1182の氏名(うじめい)が記録されている
氏名はうじめいと読み、氏名ではなく、氏の名前。実名は含まない
大和朝廷に属する人は奴婢も含めて、いずれかの氏集団に属して氏名を名乗るから
全ての個人は氏名を持っていた
姓(かばね)
中央氏族の氏上(うじのかみ)は朝廷に出仕するとき席順とかが決まっている
その序列を表したのが姓(かばね)
姓名は、真人(まひと)・大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)・臣(おみ)・連(むらじ)・宿禰(すくね)・君(きみ)・造(みやつこ)・公(きみ)・直(あたい)・首(おびと)・史(ふひと)・忌寸(いみき)・県主(あがたぬし)・村主(すぐり)など
二十種類ほどあった。
姓(かばね)は天皇が与えるもので、与えることを賜姓(しせい)という
従って、天皇とその一族には姓はない
賜姓が時代とともに、だんだん変わっていく
姓だけを与えるのから、氏と姓をセットで与えるように変わっていく
皇系の氏族が皇籍を離脱すると賜姓され、臣籍降下(しんせきこうか)という
今まで姓を持っていなかったので、氏をおこすとともに姓も決める必要がある
臣籍降下の場合は、一番序列が上の「真人(まひと)」が圧倒的に多い
第10代、崇神天皇の頃になると、臣籍降下に限らず
様々な賜姓が行われ、ほぼ氏名+姓名のセットで与えられる
皇族系持続に対しての姓が真人という原則も崩れていく
この頃の賜姓はご褒美だった
手柄を立てた氏人(うじびと)に対して、
新たに氏を起こして氏上(うじのかみ)になることを許すということ
皇族の臣籍降下にしても、皇族であるメリットよりも、
一国一城の主的な氏上になりたいということがある
そういう意味合いが強くなると「賜姓(しせい)」という言葉にも関わらず
姓だけではなく氏とのセットが主流になり
ついには、姓の方はそのままに、氏だけ与えるということすら行われるようになる
大化改新の功労者、中臣鎌足が重病になった
天智天皇はすぐに使いをよこし、藤原氏という氏名を与えた
その翌日、藤原鎌足は息を引き取る
これが、その後絶大なる繁栄を誇る、藤原という氏名の始まりである
子の不比等(ふひと)は、藤原大臣不比等を名乗る
藤原は鎌足の住んでいた地名である
ただ、氏姓制度、いくつかの重大な欠陥を抱えていた
改革が始まるのだが、そのあたりはシリーズの次回
[氏名]シリーズはこちら(少し下げてね)