[植木等]10 全部一生懸命やって来たけどね

[植木等] 物語の始まり
[植木等]2 小学生が檀家を回ってお経
[植木等]3 いたんだねえ。あいつが
[植木等]4 コミックバンド?へえ、そう
[植木等]5 クレージーな猫たち完成
[植木等]6 青島幸男と言います。
[植木等]7 こりゃまた失礼致しました。
[植木等]8 スイスイスーダララッタ スラスラスイスイスイ
[植木等]9 てなこと言われてその気になって
の続きです
植木等シリーズとしては最終回になります。

ダウン
あまりの忙しさに体が悲鳴をあげる
植木個人の仕事は断ることもできたが、クレージーキャッツとしての仕事は断れなかった

緊急入院
当然仕事は出来ない

律儀な植木は、それでも給料がもらえるということに納得がいかない

渡辺プロの社長、渡辺晋に言う
給料をもらいたくない

渡辺晋は、芸能プロダクションとして初めて給料制を採用して
安定的にタレントの面倒をみるというのがポリシーだったが
結局は折れて、植木については一回いくら方式に変えた

結果として、一時期大金持ちとはなるが、
本人は不思議なくらい、金には無頓着
子供の頃から若いときにかけて金で苦労したのに

芸能界のスタートしては、豪遊とか女性問題がつきものだけど
全く皆無
どこへ行っても、高級な店には全く興味がなく
そのへんの蕎麦屋とか定食屋とかで一般人と同じ食事をとるだけ

目黒から経堂に引っ越ししたとき、渡辺晋に1200万お金を借りる
4年ほどして奥さんに、
そう言えば、あの借金どうした?

何言ってんの
あんなのとっくに返したわよ

かげり
ブームには終わりがやって来る
8年ほど続いたが
ドリフターズや、コント55号に移っていく

東宝のシリーズが終わると聞いたときは正直ホッとしたね
あのての映画にもう出なくて良いんだって
でも、シャボン玉ホリデーが終わり
クレージーキャッツの人気が落ちてきた事は淋しかったね
生きる張り合いみたいなものがなくなっちゃってね

王将
5年後の昭和51年

マネージャーが
王将の坂田三吉役の依頼が来ましたよ

冗談じゃないよ
坂田三吉なんてものは、50を越えてからやるもんだよ

おやっさん、もう50越えてますけど

えっ、俺もう50越えてるの?って本気で驚いたの
スーダラ節だの無責任男だの、明るくお調子者の青年を演じ続けていて
自分でも無意識にそうならなきゃって思ってたんだろうね

僕、怖い人って嫌いなんです。
演出の北条先生は、怖くてしつこくて
この時の心情が表れていないとか、何度も何度も
嫌で仕方なかったけど
それでもこの役はやりたかったんです。

新境地への第一歩となった。

8年後の昭和59年
自分の息子より若い石井聰亙監督の「逆噴射家族」に出演

素直で良い監督だなあと思った
昔、一生懸命だった自分を思い出す

翌年、黒澤監督の「乱」に呼ばれる

あなたの明るさと高笑いが欲しい

毎日、ホテルに帰って食事するでしょ
長ーいテーブルの真ん中に、黒澤さんが座って、その向かいはいつも僕
名札がそうなっているから
主役は仲代達矢なんだけど、彼の席はずーっと離れている
ある日、仲代に聞いたの
何で僕がいつも前なの?って
すると、先輩だから、っていうの
年齢はそうかも知れないけど、役者としてのキャリアや実力は全然違うのにね

ある日、黒澤さんが「どうも我々っていうのはさみしいもんだね」ってしみじみ言うの
どんなところが淋しいんですか、って聞いたら
時間もなにも無茶苦茶で朝から夜中まで
その上スタッフに気を使わなきゃいけない

黒澤さん、何を甘ったれた事を言っているんですか
好きなメンバーを集めて、好きな仕事をしているのに、何でそんな事を言うんですか

そしたら、何も言い返さないで、自分の部屋に戻っちゃった。

仲代達矢がきて
さすがですね植木さん。やっぱり植木さんに前に座ってもらって良かった
黒澤さんにあんな事を言えるの、誰もいませんから

さらに翌年、木下恵介監督の「新 喜びも悲しみも幾年月」
老人役を軽妙に演じて、アカデミー賞の助演男優賞等の賞を総なめ

ハナ肇
ハナ肇が63歳で亡くなる

亡くなる前、桜井センリとふたりで行ったの
ハナがぜえぜえと何か言いたい様子だった

何?

ああ カツ

とぎれとぎれに言うの

カツ?カツって何なの?

ああ カツ丼

カツ丼が食べたいのね
カツ丼好きだったもんね

ああ カツ

分かった、カツ丼すぐに用意するからね

ああ カツ カツカレーも

ここで大爆笑
カツ丼にカツカレーじゃ食べすぎでしょ!

あのとき、ハナ、笑ってたなあ

イメージ
無責任男のイメージが強くてねえ
色んな役をやったら消えるかなと思ったら消えなかった
でも、やっぱり消えちゃいけないんだと思うようになったの
植木等の存在価値だってね
笑顔と明るさね。
それがなくなったら、存在価値なし。

もし、生き直せるとしたら?

申し訳ないから坊主になるかなあ
親父は、ならなくて良いって言ってくれたけど
お袋には泣かれたからなあ
坊主になることが一番の親孝行だと思っている

わがままな人生だったなあ
全部一生懸命やって来たけどね

戸井十月が一年に渡ってインタビューした
「植木等伝 わかっちゃいるけどやめられない」
インタビューでこの言葉が最後だった。

本の完成に間に合わなかった。

平成19年3月27日 80歳 永眠

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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