北海道、美唄観光

次女に会いに北海道に
の続きです

北海道の旅2日目
午前中は、次女の住む美唄(びばい)市の観光です

宮島沼
美唄市が誇る観光地、宮島沼
この時期、早朝に訪れると、沼いっぱいに5万羽いるマガンが飛び立つ姿が見られます
ラムサール条約という世界的な自然保護条約に登録されている貴重な場所
ラムサール条約の正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」

ホテルまで、次女が朝早く迎えに来てくれるとのこと
朝がとっても弱い次女
さあ、果たして

おおっ、来ました
エライエライ

次女が運転して、宮島沼へ到着
すごいすごい
マガンの声がいっぱい聞こえて、うるさいくらい
駐車場から急ぎましょう

こっちだよ
あれ? ほんと
みんな逆向きに歩いてるよ

うん、帰ろうとしてるんだよ

えっ

水面が見えないくらい、マガンがいてね
・・・
うーん、水面にはいないね

いっぱい飛び回っている
少しずつ少なくなって
あらら、写真を撮ると普通の沼

肉眼で見ると結構見えたんだけどね
大丈夫、いっぱいいたんだってことは
あの声でよく分かったよ

日の出も見れました

ちょっとだけ遅かったかも知れないけど
朝が弱い次女が頑張って起きてくれたので、それだけで嬉しい

列をなして飛んでいく姿も見れたしね

一番バッチリ撮せた写真をネットから拝借するとこんな感じ

アルテピアッツァ美術館
美唄市出身の世界的な彫刻家、安田侃(やすだかん)の美術館
妙夢と名付けられた彫刻が特に有名で
世界の色んな場所に立っています

思っていた数倍見ごたえがあり、とても広くて素晴らしかった
きれいに整備された庭園にいっぱい彫刻が配置されています



美唄(びばい)は昔、炭鉱で栄えた町
その頃は人口も多く、その時代の小学校幼稚園の校舎が美術館として使われている

その校舎の中にもギャラリー


体育館

カフェもまったりできてとても良かった

このあとは、この日の宿泊先、ユンニの湯のある夕張郡由仁町の方向に向かい
夕張郡の観光地に行きます
このあとのレポートはこのあとでね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

映画「国宝」を見てきました

(8/31[日]のことです)

映画「国宝」が大ヒットのようです
実写の日本映画では、踊る大捜査線に次ぐ2位の興行収入になったとのこと

カミさんが、見に行こうか、と

とても珍しいことです。
カミさんの映画の趣味は、結末が予想される、超軽めの、娯楽作品
途中寝てても大丈夫、ってので、考えさせられるとか、余韻が残るみたいなのはダメ
テレビでやったのを見てた、ってのがベスト

3時間もかかって、題材が歌舞伎、なんてのに行きたいと言うとは思えませんでしたが、大ヒットってのがよほど気になったようです

いつも一緒に映画を見るたびに、ああ良かった、なーんにも考えなくて済んだ、と喜ぶわけですが
私としては、たまには、余韻の残る難しめのも見たい訳です

良いね良いね、そりゃいいと思うよ、大ヒットなんでしょ、国宝見よう
カミさんの気が変わらないうちに、押しまくります

国宝

結果的には、すごい良かった
途中、何度か涙が流れた
これは確かにヒットした理由が分かるな、と思った

案の定、カミさんの評は、
まあ良かったけど、私は考えないタイプの方が良いなあ、
というもの

吉沢亮と横浜流星はさすがだった
歌舞伎で人間国宝っていう設定なので、生半可な真似事じゃだめだろうと思うが、余程の猛練習を重ねたのだろう
人間国宝の芝居だと思わせた
大ヒットということは、見る人が見てもちゃんとしたレベルの芝居だったのだろう
なんてったって、大河の主役を張った一番油の乗り切っている二人です

歌舞伎で現代語でもないのに、その演技で泣けましたから

映画って、「綺麗」という要素はいると思うが
ほんとに綺麗な映画だった

3時間が長すぎず、丁度いいと思わせた
二人の「人生」を描いた映画だから、それぐらいないとね

カミさんの嫌がる「考えさせられる」って部分も色々あって
私は、今の自分の人生を、いっぱい考えた
映画を見ながら
私は日本一の幸せ者だなあと思った

ひとつ、笑えたのが
横浜流星の方の役が、少年時代の俳優さんと途中で入れ替わるんだけど
横浜流星ってかなり個性的な顔だから、ちょっと違和感あったね、とカミさんに話した

カミさんが、
吉沢亮の方の少年時代の俳優さん、うまかったよね

えっ、どういうこと?

そもそも、私は吉沢亮の方が、途中で俳優さん、入れ替わっているのに気づいていなかった

ビックリやわ
そんなことも分からんで、よう映画見てたねえ

大爆笑

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

豊島区を歩きました

北区を歩きました
北区を歩きました、の続き
中里遺跡で縄文人のイメージが覆る
の続きです

ここからは、豊島区になります
過去に歩いた地域ではありますが、
見逃したところや、その後に本とかを読んでいて
行ってみたいマークを新たにつけたところを回ります
貸し自転車があればちょっと広域になっても大丈夫

染井植木の里
駒込駅の横の公園にもあるのですが
染井植木の里の碑

染井と呼ばれるこのあたり一体は江戸時代に植木屋さんがいっぱいあった
ここで開発された新しい桜の品種が、ソメイヨシノ(染井吉野)

ウォーキングが趣味になる前
用事でこのあたりに来ることがあって
公園に染井吉野発祥の地、みたいなのがあって
へええ、と思った
色々、染井の事が分かってきて
そういうとあの時の公園ってどこだったんだろうとずっと思っていた

来てみると、染井植木の里の碑だけではなく
公園に門があった
旧丹羽家腕木門
やったあ
全く想定していなかったのでお得感いっぱい
こういうことがあるから、ウォーキングはやめられないのよね

さらに、その丹羽家の蔵まであるじゃないですか
素晴らしいっ

西福寺
やはり染井地区にある西福寺
今日二度目の西福寺です
さっき、はりまや橋のヒロインお馬さんの碑があったのも西福寺でした
伊藤伊兵衛政武(いとういへえまさたけ)の墓がある
伊藤伊兵衛は先祖代々の名前。お父さんも息子もその孫も名前を継いでいれば伊藤伊兵衛
代々伊藤伊兵衛は卓越した植木屋なんですが、そのうち、伊藤伊兵衛政武は最も有名
時代的には江戸時代の半ば、8代将軍吉宗の頃
ひょっとすると、この政武がソメイヨシノを作ったかも
ソメイヨシノを作った男は伊藤伊兵衛?

以前、染井霊園に行きました
染井霊園と本妙寺
いっぱい有名人の墓を見ましたが、その時取りこぼした二人の墓

勝林寺
染井霊園の端の方に区画が分かれて、勝林寺
その中に、あの田沼意次(たぬまおきつぐ)の墓があります
田沼意次については、よろしかったらこちらも読んでね
[徳川名参謀]10 家治→田沼意次

その横には息子の田沼意知(たぬまおきとも)の墓も。
暗殺事件で、佐野政言に切りつけられた人です
番町を巡る

染井霊園の中でも、もうひとり
幣原喜重郎の墓
[首相]31-2 幣原喜重郎。象徴天皇制と戦争放棄のセット

妙行寺
自転車ありますので、もう一箇所まで足を伸ばしましょう
ここには二人の重要人物の墓
一人はあのお岩さん
うらめしやー

お岩さんって江戸時代、ちまたで人気者だったので
その人気にあやかろうと、鶴屋南北が怪談噺の名前に借りちゃった
その話が大ヒットしたもので、
お岩さんはお化けの代名詞になっちゃったけど
ホントは全く関係ない
番町を巡って四谷へ


もうひとりは、瑤泉院(ようぜんいん)
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の奥さんです
瑤泉院といえば南部坂の別れですね
赤坂氷川神社から、アークカラヤン広場へ

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

中里遺跡で縄文人のイメージが覆る

北区を歩きました
北区を歩きました、の続き
の続きです

中里遺跡
ここ、前から行きたかったんです

地図を見ると近いように思えたけど
新幹線と在来線の線路を越えないといけない
随分戻らないと越える橋がない
ひえーっ
自転車借りといて良かった
歩きだったら諦めている距離

中里遺跡は、ひょっとして全国でもここだけなんじゃないかという
レア中のレアな貝塚の遺跡
日本で最初に発掘された大森貝塚の9年後に発見された。
通常、貝塚は、縄文人が暮らした集落の中にあり、縄文人が食べた貝の殻を捨てたごみ捨て場
ところが、この中里遺跡では、縄文人が使ったとされる土器がほとんど見つからなかった
縄文人が住んでいた訳じゃないのに、貝殻がいっぱい
不思議だあ

本格的な調査が行われて色んな事が分かってきた
1.ここは昔の海岸であったこと(内海)
2.わずかに出土された土器から、時代はやはり縄文時代であること
3.通常の貝塚とは桁違いの、超大量の貝殻があり、1kmにも及ぶ巨大貝塚、貝殻は大きなものがほとんど
4.貝を大量に加工したと思われる道具がいくつも見つかった
5.ほぼ完璧な丸木舟が見つかった

それまで、縄文時代の人の暮らしは、川沿いに住んで、集落を作り、ほぼ自給自足の生活だと思われていた
中里遺跡で、そのイメージが覆る

ここは、貝の加工を行う巨大な工場
職場であって、働く縄文人たちは、ここで暮らしている訳ではなく、周辺の集落に住み、通勤していた
大量生産された商品(加工された貝)は、丸木舟で石神井川を遡ったり、海に出て遠くまで運ばれ、商業が行われていた(流通ルートが確立されていた)
内海で、マガキとハマグリの大きなものだけが取られ、取れる季節が違うため、交互に層になっている。資源が枯渇しないよう、計画的に採取されたと思われる
貝殻があまりに多いため、海が埋め立てられていき、時代とともに海岸が変化していっている

ここからは私の推測だけど
もう、貨幣は存在していて、それは黒曜石だったんじゃないだろうか
丸木舟で運ばれた先でのやり取りは、黒曜石(お金)で行われ
集められたお金は、働いた従業員に、お給料として支払われたんじゃなかろうか
物々交換による商売だけだと、従業員としても、集められたものの中に欲しいものがなかったら、働く意味がない








ここからは、中里遺跡を紹介した資料からの抜粋


まだまだウォーキングは続きます
続きは次回

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