[赤穂浪士] 小野寺十内

小野寺十内(おのでらじゅうない)
裏門組 裏門内固め 京都留守居役 61歳

おじいさんからの三代続いての浅野家譜代の家臣

子供が居なかったので、甥の大高源吾の弟、幸右衛門を養子にしました。

夫婦仲
ものすごく夫婦仲が良いラブラブじいちゃんです。

夫婦で和歌を習って、数多くの作品を残しています。

刃傷事件
京都留守居役ですので、京都に住んでいます。
早打ちが途中京都で小野寺のところに寄ってくれ
事件を知ります。

急いで赤穂へ

大石内蔵助の人柄を信頼し、以降はお家再興派として活動します。

討ち入りまで
討ち入りと決まり、江戸に行くので、妻、丹さんとは別居
耐えられません。

江戸へ行く道中も、通る場所場所で、和歌を詠む、丹さんに手紙

江戸にいる間も、何かっちゅうと和歌を詠んでは手紙。
奥さんもラブラブですので、頻繁に和歌を詠んでは手紙を返す。
全て残っていますので、当時の赤穂浪士たちの行動がつぶさに分かる貴重な資料となっています。

いやあ、こんな夫婦が世の中に存在するんですね
勉強になります。

討ち入り
裏門組で、吉田忠左衛門とともに、大石主税をサポート
ご近所が火事かと思って騒ぎ出すのを丁寧な挨拶をして止めます。
終わってからも、謝辞を丁寧に。

討ち入り後、細川家に預けられた間も、丹さんと和歌をやりとりしていた。
十内が切腹した後、初七日が終わるのを待ち、
京都のお寺で絶食して自害、夫の後を追った。

辞世の句
今ははや言の葉草もなかりけり何のためとて露結ぶらむ

[赤穂浪士] 前原伊助

前原伊助(まえはらいすけ)
裏門組 長屋防ぎ 金奉行・中小姓 40歳

人一倍正義感が強かった。
そんなの討ち入りに決まっとる、と
そもそも会議にすら参加せず
自分なりの準備。

何をしたかというとスパイ活動
米屋五兵衛という店を吉良邸のすぐ前に開く
行ってみると、前原伊助邸跡というのが残っていて
見事に真ん前

利益あげようなんてはなから思っていないので
大大繁盛

考えさせられます。
利益あげようとさえ思わなければ
商売って大繁盛するんですね

一緒に住んで、自身も吉良邸のすぐ近くで小豆屋をやっていた、神崎与五郎と仲良し
一緒に「赤城盟伝」という本を書いています。

最終的には、武林唯七、不破数右衛門などの江戸急進派も同居するようになります。

映画やドラマでは、吉良邸に納品に行って、
邸内を探っていたところを吉良家の侍に見つかって拷問を受けますが、
本当のことを言わずに、傷まみれで自分の店に帰るってパターンが多いです

討ち入り
吉良邸のすぐ近くなので、前原伊助邸が最終的な集合場所になります

辞世の句
春来ぬとさしもしらじな年月のふりゆくものは人の白髪

[赤穂浪士] 不破数右衛門

不破数右衛門(ふわかずえもん)
裏門組 長屋防ぎ 元馬回り・浜奉行 34歳

やんちゃで元気もの
討ち入りで、一番活躍したのは堀部安兵衛だと思っていたら、さにあらず
この不破数右衛門

クビ
赤穂藩士ではありません。
元馬回り、となっているのには意味があります。

まあとにかく、やんちゃでやんちゃで
常に血が煮えたぎっています。

新しく刀を手に入れると、人を斬りたくて仕方ない。

どうしたかというと、墓に行って新しそうなのを掘り起こし
中の死体を試し切り
四十七士の中では、堀部安兵衛だけが人を斬ったことがあることになっていますが
死んだ人までOKにするなら、この人も人を斬ったことがある

他にも色々問題ばかり起こすので、さすがに浅野内匠頭が怒っちゃって、クビ
その後は、浪人生活を送っていた。

刃傷沙汰
そんな時に、刃傷沙汰のニュース

おおっこれは

何としても亡き主君の無念を晴らさねば。

いやいや、もう、主君じゃないです。

何とか討ち入りに加えてもらうべく奮闘

徹底的に謝る作戦。

あまりにしつこいので
大石内蔵助が

とりあえず、浅野内匠頭の墓に連れていってあげるから
謝ってみな

分かりました!

まあそこまで言うならと
墓の中から声がしたのか

今度だけですよ

はい

討ち入り
討ち入りでは、裏門組として参加。
全員それぞれの持ち場をはなれてはいけない約束だったが、じっとしておられず暴れまわった
結果、吉良側の敵を4~5人斬り倒し、赤穂義士四十七士のなかで最多となった。
当日の活躍を物語るように、数右衛門の着物や刀はあちこち斬られてボロボロ。

この刀は明治天皇がご覧になられるまでは保管されていたが、現在は行方不明。

辞世の句
今日ありと心に知りて武士のおはる月日の身こそ辛けれ

[赤穂浪士] 堀部安兵衛

堀部安兵衛(ほりべやすべえ)
裏門組 切り込み 馬回り・使い番 34歳

出ましたっ。一番の人気者

剣術の達人で、四十七士のなかで唯一「決闘・討ち入り」と2度の実戦を経験。
義に厚い武闘派で、仇討ちを強く主張した江戸急進派のリーダー的存在。

助太刀(すけだち)
若い時に同じ道場に通っていたおじさんの菅谷六郎左衛門(すがや ろくろう ざえもん)が、
高田馬場で決闘することになった。

助太刀を買って出た安兵衛は、だまし討ちしようとした相手数人を斬り倒す大活躍
「高田馬場の決闘」の話は、たちまち江戸で話題となり、安兵衛は江戸っ子の人気者になった。
この時は中山安兵衛。
そんな安兵衛の評判を聞きつけ、惚れ込んだのが赤穂藩の堀部弥兵衛(ほりべ やへえ)

うちには跡取りがいないので
娘と結婚して養子となり、家をついでもらえんだろうか

この時、安兵衛はどういう境遇だったかというと
お父さんの中山弥次右衛門が新発田城の巽櫓で勤務中にうっかり火事を出してしまい
責任を問われてクビ

一家は浪人となって苦労する。
そんなだから何とか武芸で身を立てられるべく、道場に通って腕を磨いていた。

良い話には違いないが
中山家再興のため頑張ってきた。

養子かぁ
やっぱり断ろう。

そうか。その気持ち、逆に感じ入った。
中山姓のままで良い。
ぜひうちの娘をもらってやって欲しい。

という経緯。

あれぇ、ちょっと不思議ね
なんで堀部なんだろう

刃傷沙汰
赤穂藩藩士となり、生活も安定
の筈だったのに。

元々、血気にはやってます。

なんだとぉ
武士たるもの
主君の無念を晴らすのが努め。

終始、「江戸急進派」のリーダーとして活動します。

四十七士の内、人を斬った事があるのは堀部安兵衛だけ

何と言ってもかっこいいですよね
高田馬場の時点で、講談で有名になっちゃってます。

飲んべえ安。
そもそも、飲んでいて、助太刀を頼まれたことを知らなかった
朝帰りでさあ寝ようというときに、助太刀依頼の手紙を見て
気付けにグッといっぱい飲んで
すわ、高田馬場へ

チャカチャンリンチャンリン

バッタバッタと18人斬り
いくらなんでもそんなには斬っていません。

辞世の句
梓弓 ためしにも引け 武士(もののふ)の 道は迷わぬ 跡を思はば