郵政博物館に行ってきました。

10連休が始まったぞ!

ウォーキング同好会のイベント
王道の、亀戸天神の藤とスカイツリーです。

とっても楽しく終了

お疲れ様でした。

解散後、ふと思い出したことが。

そういうと、ここスカイツリーの商業施設ソラマチに
郵政博物館というものがあったな
せっかくここまで来たんだから

郵政博物館
一番期待したのは、郵便差出箱1号丸型から14号まで
全ての郵便差出箱(ポスト)が揃っているのではないか

確か、前島密(まえじまひそか)にスポット当てた企画展もやっていた筈
ワクワク

入ってすぐに、面白いなあと思ったのが、時間
郵便局の前身、逓信省(ていしんしょう)は明治維新直後
時間すらも管理していた。

言われてみれば、不定時法が定時法に変わったのが
明治5年12月3日
今まで日の出が明け六つで日の入りが暮れ六つ
一日の時間が季節によって違う12時制だったのに
これからは違いますよ、って言われても
時の鐘も鳴らないし、どうすりゃ良いのよ。

通称八角時計なるものが
逓信省にあって管理されていて
郵便局員だけは時間を知っている。

懐中時計も持っていたというから驚き

郵便配達員を見かけると
すいません、今何時でしょう
と聞いていたのかな

1号丸型
やったあ、1号丸型

でも、見渡して、2号以降が、今6割を占める、13号しか置いていない

その間が見たかったんだけどなあ

ところがちょっと変。
ちょっとずつ形の違う1号丸型が複数ある
我々が知っている1号丸型になる前に紆余曲折あったらしい
これはハンドルを持ってぐるっと回すと回転して差出口が現れる回転式

今の丸型は差出口の回りが丸いデザインだけど、この時の名残
そもそも昔は鉄製だった。
回転式が故障しやすいとの理由でなくなり、
その代わりずっと開いている口を雨から守るため、ひさしが付いた。

鉄製でなくなったのは、錆びるとかの理由だと思いきや
戦争中の金属の供出

ちなみに、今の角形。
頑丈そうなので、金属(ステンレス)と思いきや、角が丸みを帯びてきた段階から特殊なプラスチックです。

これは、スカイツリー仕様の郵便ポスト

切手
気づいたのですが
切手収集家に取れば、ここは聖地なんですね
こういう引き出しが、

えっどこまで続くの?
というくらい続いていて
試しに一つ引き出してみると、切手がびしーーーっ

切手が好きで好きでたまらなそうな人が片っ端から引き出し開けてました。

電話や電信
さっきの時間の話もそうですが、逓信省のカバーする範囲は思いきり広かったんですね
郵便、貯金、保険の郵政三事業の他
電話とか電信
要はNTTの範囲もここだし、一時期は、交通まで。

モールス信号機

電話機

勿論、郵便の話もいっぱい
郵便って造語が理解できず
郵便箱、を「たれべんばこ」と読み、
公衆便所と間違われた初代郵便ポスト、等、初期の色んな展示品


これは、切手の自動販売機

その横にスケルトンで、内部の仕組み

備え付けのコインを入れてみましょう。
入れてみましょうと書いてあれば当然入れてみます。

あれ?
つまっちゃった

困っていると、スタッフの綺麗なお姉さんが来てくれました。
これは色々と話を伺わねば

ここから、コインを入れますと
こう入っていって、ここが押されて切手が出てきます。

あっ済みません。
動画撮すのでお願いしてよろしいでしょうか

あちゃー
あら、もう終わっちゃった。
うまく撮れなかったので
もう一度お願いして良いですか

悪戦苦闘の様子は動画でご覧ください。

前島密
さあ、前島密の企画展
郵便の父ですね
一円切手です。

大久保利通が首都を大阪にしようと考えていたのを
論理明快な手紙を送って東京にすべしと言った事は知っていたんですが
それ以外は、ほとんど知りませんでした。
すごいです、この人。

越後出身で、蘭学医になるべく勉強
ペリー来航で、医者への勉強をしている場合じゃないと
様々な分野を幅広く勉強
でも、仕えた先が幕府なので
結局負けちゃった側

それでも新政府に、噂が耳に入り呼び出される。
新政府は、懐が深いです。

渋沢栄一にしたって、榎本武揚にしたって
元幕臣であっても、優秀であっても取り立てる。

と思いながら見ていっていると

やっぱりそうか
渋沢栄一や榎本武揚とかなり一緒に仕事をしている。
渋沢栄一が新政府内で、あらゆる事に取り組んだ改正掛にいたんです。

合点がいきました。
渋沢栄一の直属の部下ならば
それはありとあらゆることをしてしかるべきです。

改めて、小説渋沢栄一の中で、前島密を検索すると出るわ出るわ
かなりみっちりと一緒に仕事をしていますね。

共に日本の礎を作った人
一人が一万円札
一人が一円切手

標準タイプの切手のデザインは度々変わっているけれど
一円切手だけは、一度も変わっていず、ずっと前島密

日本郵政は、一円切手のデザインだけは変えられません、と言っている。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

[大奥]7 家継→最も哀しい正室、八十宮

大奥シリーズ
6代7代を通じて、天英院と月光院をお届けしてまいりましたが
7代家継に対しては、この人抜きでは語れません。
八十宮(やそのみや)です。
可哀想過ぎます。

ここまでの経緯はこれを読んでね
[大奥]6 家宣→天英院と月光院。壮絶なる女のバトル
[大奥]7 家継。天英院と月光院のバトルが決着。

天英院の京都派が一発逆転の大勝利に終わりました。
ただ、江島は追いやることができても
御大、月光院は残っています。
間部詮房との疑惑は証明出来なかった。

何といっても将軍のお母さんです。
気まずいですね

仲直りとかは無理にしても
お互いに今後うまくやっていくために何らかの手を打ちたい
極めて日本人的です。

考えに考えて妙案が浮かびました。
真ん中をとる、絶妙な案です。

公武合体
江戸時代も7代ともなると、色んな良くない部分が目立ってきます。
特に財政面はかなりまずい。
5代綱吉は、お母さん桂昌院が仏教に湯水のように金を使い、ガタガタ
6代家宣は勢い込んで立て直そうとしたはずが、京都かぶれになりすぎて
色々華美にしちゃって、輪をかけちゃった。

さらに危ないのが、7代家継の健康問題
4歳の家継は元々病弱
お父さんが亡くなって仕方なく継ぎましたが
無事に成人してくれそうにない。

5代も6代もお世継ぎがなかったがゆえに、弟、甥という関係から養子にもらいましたが
家継には弟も甥もいません。

幕府と朝廷との関係を見てみると、あまり良好とは言えません。
幕府が実質的支配者の立場を強固にすべく諸策を施した結果です。
ただ、京都派大勝利の今は、再考の余地があります。

言い出したのは月光院の江戸派側

公武合体

幕府の先行き不安な今
この際、朝廷の力を借りよう。

今まで、天英院のように、天皇の親戚から正室を迎えていたが
天皇の娘そのものを正室を迎えよう。

公武合体って、14代家茂の時に皇女和宮の降嫁が有名ですが
実はそのずっと前に、同じ発想が現実に移されている

歴史的大転換

月光院としては
京都派に全面敗北です
とのていを取りつつ
天英院のお父さん近衛基熙(このえもとひろ)と
勢力争いをしている、霊元法皇の娘を、息子の嫁にもらう
自分は皇族のお母さんになり、天英院より格上になれます。

天英院としても、京都派な訳ですから
京都と関係が強化されるのは悪い話ではない。
あまりに強烈に喧嘩を仕掛けちゃった手前
落とし処を提示してくれたのは有難い。

この時、7歳になっていたとはいえ、
結婚というのは驚きです。

家継ちゃん、結婚したい?

うん!

もっと驚きなのはお相手の八十宮
なんと2歳です。

やそちゃん、結婚したい?

バブー

実は、真の目的はその次にある
年齢はどうあれ
結婚したという形さえ取ってしまえば
その息子として跡取りを養子に迎える事が出来る

子供が大人を息子に迎えるってどういうこと?
と指摘を受ければ
あら、気づきませんでした
と、しらばっくれれば良い

その跡取りは皇族
皇族将軍の誕生です。
完全なる公武合体。

それだけ、家継の健康状態は不安視されていた

急げっ

慌ただしくも超豪華な結納式
あんまり急いでいたので、すっかり忘れていました。
本人たちは対面していません。

あとは、結婚式の日取りを決めましょう。
もうすぐ小さな花嫁がやって来ると江戸中が沸き立ちます。

ところが、将軍側からちょっと待って、の声

家継が夜桜見物で風邪をひいちゃった
風邪をひいただけでも一大事なんです。

そして、そのまま帰らぬ人になります。
将軍在位4年の哀し過ぎる一生でした。

もう少しだったのに間に合いませんでした。

この話は無かった事に
になるはずが
結納の時に約束を交わしちゃっています。

これ以降は徳川ね
その代わり五百石ずつ毎年差し上げます。

哀れ、たった2歳の八十宮
それ以降の長い長い人生はずっと未亡人として
再婚も許されませんでした。

全く会ったこともない、7歳の旦那様の事を想いつつ?
無理でしょう、そんなの

48歳で孤独な一生を終えました。

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[赤穂浪士]6 大高源吾は有名芸能人

赤穂浪士シリーズ6人目です

大高源吾
表門組 玄関固め 膳番元方・腰物方・金奉行 32歳

有名人という意味では、特に当時は、堀部安兵衛に次ぐ有名人。
俳句で有名なんです。

「子葉(しよう)」という俳号で、本を2冊を出しています。

何と言っても、元禄文化の頃ですから
芭蕉を中心にして、俳句が大フィーバー。

四十七士にも、俳諧三羽がらすといって
「子葉」「涓泉(けんせん)」萱野三平、「竹平(ちくへい)」神崎与五郎

でもやっぱり子葉が有名かな

茶道でも有名で、そんなこんなで人脈が広い。

12月14日に吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷でお茶会がある、
という貴重な情報を入手した一人
お茶会の情報なら任せとけ

平安時代から続く名門である大高家に生まれます。
さすが文化人。
おなじ赤穂義士である小野寺幸右衛門とは兄弟で
小野寺十内、岡野金右衛門とは親戚。

神文返し
人間として一味違うので、大石内蔵助からの信頼はとても厚かった。

貝賀弥左衛門とともに、神文返しという重要な役目をおおせつかります。

一旦、赤穂の武士たちは、大石内蔵助の指示に全て従いますという誓約書(神文)を提出しています。

御家再興の道が絶たれた時点で、討ち入りに一本化
となると、完全に自分達は切腹決定になるので、
空気に流されるのではなく本当にやる気のあるものにだけ限定したい。

ひとつ芝居を打ってくれ

内蔵助殿が申すには、御家再興を願っていたけれど完全にその望みは絶たれた。
そこで、計画は取り止める。
それぞれも、勝手次第に致してください。
このため、この神文はお返しします。

その時、なんだとおっ、内蔵助の腑抜けがっ
と怒り出した人にだけ

実はさっきの嘘!
と本当の計画を切り出す。

宝井其角(たからい きかく)という俳句では超有名人と、
討ち入り前日に街で偶然に出会った。

宝井其角
年の瀬や 水の流れと 人の身は

さすがですね。
このクラスになりますと、こんにちは、というかわりに
俳句で話しかけます。

子葉
あしたまたるる その宝船

すかさず大高源吾も下の句で返します。

あれれ、あしたまたるるはまずいんじゃないの?

大高源吾ってそんな繊細な人ではあるんだけど、体は四十七士で一番でかい

吉良上野介の屋敷へ一番乗りしたのは大高源吾です。
塀を乗り越えた。
薙刀(なぎなた)のような長太刀で戦いました。

辞世の句
梅で香む茶屋もあるべし死出の山

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家康14(一旦最終回) 秀吉の秘策とは

本題に入る前に
いやあ、新しいお札の発表がありましたね

嬉しい!
渋沢栄一ファンといたしましては
興奮の日々でございます。
こっちも読んでね
渋沢栄一 その1 クーデター計画
渋沢栄一 その2 パリ万博から諸外国へ
渋沢栄一 その3 日本に帰って見たもの。そして何をしたのか
渋沢栄一 その4 明治新政府はあれもこれも
渋沢栄一 その5 渋沢栄一は魔法使い
渋沢栄一 その6 産業造り、国造り、人造り
渋沢栄一資料館に行ってきました。

そもそも、今のタイプのお札を作ったのは渋沢栄一なので
お札の顔に今までなっていない事自体おかしかったと思います。

さあ、本題
家康13 信雄、何すんねん
の続きになります。

屈せず
織田信雄が秀吉の傘下に入り、勝負あり
勝ち目のなくなった家康は、息子於義丸(おぎまる)を秀吉の養子として人質に出す。

世間的には、秀吉の傘下に入ることを意味するが
大阪へ上洛せず拝謁もしない。
となると、傘下に入ったとは言えない。

手を変え品を変え、上洛を促されるが
ただただ無視。

そうこうしているうちにさらに秀吉の支配地域は広がるばかり。
そんな状態が2年も続きます。

一方、九州では島津が九州を統一しようかという勢い
秀吉としては、島津を討ちに行かねばなりません。
その為には、背後の東海中部五か国の家康に、手を打っておく必要がある。

客観的には、攻め落とす事は可能でしょう
小牧長久手の戦いの時より、さらに大きく差がついちゃっています。

どうする

浜松評定
家康側も、決めないといけません。
何度もそういう状況になりながら、ずっと先送りにしてきた。

家康は、武田信玄や織田信長や豊臣秀吉のように突出したリーダータイプではない。
今までも、自分の独断で決めると言うことをほとんどしていない。

みんなの総意に従う
ずるいと言えばずるいが
生死の問題。
もし、秀吉と戦おうとなれば、今度こそ結果は見えている
玉砕。

家康は、俺のために死んでくれ、とは言えなかった。

浜松評定
方針決定会議
家康はその場で何も言わず黙って聞いていて、出た結論に従う。

今までも、バカヤロウと途中で怒り出して結論をひっくり返す事がなかったので
みんなも安心感がある

とても面白いのが、この最も重要な身内の会議に
関東一円を治める超大国の北条氏に
オブザーバーとして参加してもらったこと。

北条氏は徳川の倍の領地を持ちつつ
隆盛を極めたのは随分前で
今は、老大国と化している

戦をするつもりがあるとは思えないが
秀吉の傘下に入られてしまうと、
その時点で全てが終わってしまうだろう。

さあ、出た結論は?

傘下には入らず

あい分かった。

使者
織田長益、滝川雄利、土方雄久
織田信雄(のぶかつ)の家臣のこの3人が使命を受けて家康説得にあたる

最初こそ歓待したが、
結論を変えるつもりはない

一月のうちに3回も来たもので
わざと鷹狩りに出掛けてしまい、不在とする
でも、鷹狩りの場所にまで追いかけてくる。

この3人は、小牧長久手の戦いまでは同志であり
共に戦った仲間。
家康の事は理解している。
一方で、寝返ったあとは、秀吉に触れることになるが
その人物に惚れ込んでしまっている。

確かに計算して演技するところはあるが
底知れぬ人間的魅力を持っているのだろう。
心の底から二人を結び付けたいと思っている。

何度言われても、行かぬものは行かん

ついつい、言葉をあらげ
言わずとも良いことまで言ってしまう
後で、多少言い過ぎたと後悔はするが
総意は徹底抗戦なのだから仕方ない。

報告
これ以上は無理だろう。

信雄が3人を連れて秀吉のもとに報告に行くが、時間は既に寝る時間
ダメならダメで翌日また来る前提で訪ねる。

案の定なかなか現れないので
やっぱり無理か

でも実は、起きていた
なかなか出ていかなかったのは、考えていたから
取り次ぎの者から聞いたので、駄目だったことは分かっていた。

良い方法が無いものか。

あっ
ひらめいた。
ひらめいたぞ

秀吉でしか思いつかないだろう。

あわてて寝間着のまま、出ていった

信雄殿、良い方法が思い付いたぞ

朝日じゃ

それでも不足というのなら
大政所(おおまんどころ)までつけてもいい

秀吉の氏素姓は厳密には水呑百姓ですらなく、
流浪して縫針を売りあるいたり、
野盗の走りつかいをしたこともあった。
これ以下の階層はあるまいとおもわれるような
最下層の泥の中から這い上がっている

共に苦労した家族に対する思い入れは
通常のそれとは全く異次元のもの

朝日は、秀吉の妹
百姓に嫁いだが
秀吉の義理の弟が百姓という訳にもいかないので侍にしたが
生来臆病なので、どう取り立てようにも何ともならない。

何とこの旦那と離婚させて
朝日姫を、家康に嫁がせるという案

無茶苦茶というか、奇想天外というか、常軌を逸しているというか
秀吉でなければ絶対に思いつかないだろう。

要するに人質なわけですが
人質って、格下が格上に対して、裏切りませんよという意思表示のために差し出すもの
息子於義丸(おぎまる)はその為に差し出したし
家康本人だって、徳川(松平)が弱小であったが故に、人質生活を余儀なくされた。

秀吉はほぼ天下人です。
家康は一地方の覇者でしかない
全くの逆で、こんな話聞いたこともない

確かに家康は、築山殿で懲りたのか、
築山殿亡き後は正室を置いていない。
朝日姫は44歳。
お顔はというと、う~んなんとも

仕方なく受け入れた家康。
これで、秀吉と家康は義理の兄弟ということになります。
秀吉お兄様

それでも、上洛せず。
お兄様への挨拶もいたしません。

さあ、「大政所(おおまんどころ)までつけてもいい」になります。
大政所とは、秀吉のお母さん。
秀吉は世に知れた親孝行
マザコンと言っても良い。
自分が一番大切なもの

朝日姫のお見舞いと称し、人質としてやって来る。

いくら総意があっても、これで上洛しなきゃ人間じゃないでしょう。

結局秀吉にとって、家康って何だったのかなあと思う。
そこまでする相手。
そこまでしたかったんでしょう。
性格は全く逆だったけど
家康の事が好きだったんでしょうね

最後まで、何をしても家康より秀吉の方が少しずつ上を行っていた気がする。
人の命は有限だから、秀吉が死ぬことで、歴史が動いていく訳だけど
二人で一緒に天下を治めることがあったら面白かったろうな、と思う。

司馬遼太郎の「覇王の家」はここから一気に飛んで、家康の最期の時になります。
あれっ、関ヶ原は? 大阪冬の陣、夏の陣は?
司馬遼太郎は、それぞれ別にそのテーマで小説を書いていますので
そちらを読んで、ということなんでしょう。

私も長く書いてきたこのシリーズ、一旦最終回にします。
関ヶ原等の続きは、またの機会に改めまして。

索引はこちら
[徳川十五代将軍]シリーズはこちら(少し下げてね)