[人類]9 暗黒のシケた海の上へのメッセージ

[人類]1 日本人はどこから来たのか
[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散
[人類]3 なぜ海を渡る?考えても分からん。
[人類]4 草の舟が完成
[人類]5 草の舟はどうだ
[人類]6 竹いかだはどうだ
[人類]7 竹いかだ出発ーっ
[人類]8 最後の選択肢、丸木船は可能か
の続きです。

出発
7月7日、丸木舟に、5人が乗り込み出発
台湾を出発し、目指すは与那国島

伴走船は黙って付いていく
3万年前の祖先がそうしたように、方向は乗組員が自分達で決める

海は落ち着いていた。
風速は3mほどとあまり気にならない

丸木舟は3万年前として考えられる最高の舟
3万年前、われわれの祖先は、これかそれ以下の舟で現実に海を渡っている
われわれに出来ない筈がない

3万年前に方位磁石はないから頼れない。
目的の島も見えないし、
出発後ある程度進むと元の陸地すら見えない
どうやって進む方向を決めれば良いのか

太陽の位置
夜の場合は月や星の位置
潮の流れ
風向き

鳥の種類や飛ぶ方向
ひとつとして確実なものは無いから
全てを総合して決めていく。

伝統的ナビゲーションと呼ばれ、
身に付けるまでにメンバーは長い期間を費やした。

草舟や竹いかだに比べ
丸木舟は直進性が大きく劣る
最後尾の田中道子さんは最も重要な舵取り役

目指す方向は北東だが
強烈な黒潮に流される前提で、まずは東へ東へと向かう。

最初の数時間は方向を理解するのは難しくない
元の陸地が見えるので、山の形の変わりようから理解する

出航後、1時間20後の16時頃状況が変わった

海が暖かくなってきました。

暖流である黒潮のサイン
いよいよ、過去何度も阻まれた黒潮に突入することになる

16:16、丸木舟(スギメ)の先をイルカが横切っていった
心がなごむひととき

そのあと風が強くなってきた。
シケになるサイン
波が大きくなり、丸木舟の周りは荒れ模様

まずいっ

これまでの練習であれば伴走船に乗り込んで引き上げる程度の荒れ具合
丸木舟は、荒れた海に弱い。
草舟や竹いかだに対する大きな弱点だとも言える
判断は原キャプテンに委ねられた。

続行

行きたい、という気持ちは5人の乗組員に共通していた。

転覆はしなかったが、浸水が激しかった
2番手3番手の鈴木さんと村松さんが、懸命に水をかい出す

後ろを振り返ると、鳥石鼻の岩が真後ろに見えた。
かなり流されている
黒潮の本流に入ったのだ

練習では、櫂(かい)に受ける圧力で、本流に入ったことを感じとることが出来たのだけれど
シケの中ではそれどころではなかった。

5人は休まず漕ぎ続けた
喉が乾いてもゆっくり水を飲む暇さえなく
水を含んではすぐに戻った

方向を知るための最も重要な手がかり、太陽は西に沈もうとしていた。

最初の夜
19時45分、日没を迎える
それから30分後、あたりは一気に暗くなり、シケたまま
暗黒の夜の海の世界に入っていった。

上弦の月は出ているものの、星は全く見えない

夜の20時半
雲間に、アルクツゥスが光った。
一瞬ではあったが木星も姿を見せた。

そしてわずかな時間ではあったが、ベガとアルタイルも姿を見せた

おりしも、この日は7月7日
織姫と彦星からのメッセージ

頑張ってね
風の方は私たちがなんとかするわ

お陰で風が多少穏やかになってきた。
この頃から交替で休めるようになってきた。

21時半頃、初めて北斗七星が姿を現せた
ここまで、多少の迷走はあったものの、
シケの中でも概ね予定通りの方向に進んでいたのは奇跡に近い。

午前5時頃になって、ようやく雲が晴れ、全面に星が広がった
風も凪ぎ、波は穏やかになった。

午前5時15分
東の空が僅かに明るくなってきた。
少しずつ明るさが増していく。

すると、ある意外なものが見えた。
陸だ

与那国島にしては、大きい

そうか。花連の谷か

ただ、そこまでの距離がうまく測れない
黒潮に流されてしまったかと思った。

ところが逆だった。
この時点で、実は黒潮本流を越えていた。

続きはシリーズの次回ね。

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

[昭和歌謡]147 哀愁・・日本海。これで終わり

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズ、今回で最後です。

哀愁・・日本海
椎名佐千子
作詞・仁井谷俊也、作曲・岡千秋
2015年

♪群れからはぐれた海鳥が
一羽哀しく北へ翔ぶ

哀愁・・日本海
「昭和ヒット曲全147曲の真実」という本に出ている147曲を題材にしたこのシリーズ
シリーズの中では圧倒的に最多です。
その次がおそらく現在継続中の天皇シリーズ
さらに、百人一首シリーズ

長く続けたシリーズが終わるのは感慨深いものがあります。
そんな中で初めて全く知らない初めての歌です。
昭和でもないのですが、おそらく著者橋本テツヤさんが好きな歌なんでしょう
よろしいんじゃないでしょうか

歌って不思議な力がありますね
歌で時代が甦ったりします。
心がひとつになったりもします。

物体があるわけじゃないのに
名曲はずっと残る

ふと気づくと口ずさんでいる
心が揺れ、また穏やかになったりもする

歌が好きだ

周りの人は迷惑だけど
ついつい歌いながら仕事していたりする

♪痔に~はボラギノール

[昭和歌謡]シリーズはこちら(少し下げてね)

多摩市を歩く、の続き

多摩市を歩く
の続きです。

関戸古戦場
旧鎌倉街道にやってまいりました。
鎌倉幕府を滅ぼすべく、分倍河原の戦いで勝利した新田義貞軍
敗走する幕府軍を追走して、多摩川を渡り
関戸の地で激しい戦いが行われます。

ここ関戸古戦場

失われた多くの命を弔うためのお地蔵様
安らかにお眠り下さい

横溝八郎主従の墓

大将である北条泰家も関戸付近で討たれそうになりますが、
横溝八郎が奮闘します

ここは私が。お逃げなされい

敵を次々と射落とし、討死します。
墓はなんと個人のお宅の中
代々守ってくれているんですね
道側からパチリ
ネットで見ると、奥にこういう祠もあるようです。

無名戦士の墓



戦場には死体が転がっていて、それが誰のものなのか、
ひょっとするとどちら側なのかも分からない、名もなき戦士
それをまた、名もなき一般の人が哀れに思って、弔うための墓を立てた

歴史的価値というとないんだろうけど
ずっとそれを残している
ちょっとした崖の上なので、階段をつける必要もある
私が通り掛かった時もひとり、階段を登って手を合わせていた。
真新しいお酒も2本添えられていた。
すぐそばに、小山商店という大きな酒屋さんがあるんだけど
ひょっとして日課として、お酒を供えているのかも知れない

「私がですね」って言わない人たちの気持ちの連鎖です。

関所跡
関戸、の地名は関所があったから
その関所跡が発掘された

こんな感じで北と南に、連続して杭が打ち込まれた
ここは、南側の熊野神社の場所

通すもんか

■熊野神社

東京で唯一、意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)という桃の神様を祀っています。

聖蹟桜ヶ丘の名前の由来
聖蹟桜ヶ丘の名前の由来となった場所に行こうと思いましたが、ちょうどお昼
腹ごしらえをしましょうか

中華屋さんがあったのですが
店舗が有るような無いような不思議なお店

こんなテラス席の前で、食券だけ買って、順番を待つシステム

よっぽど美味しいんでしょう
40分待ちとの事
やっぱり結構です。

この判断が大きな間違いでした。

桜ヶ丘公園に向かうのですが、食事するところもコンビニも無い無い
サンドイッチマンの気持ちが良く分かります。

結構かかってつきましたが、案内図を見るに、売店らしきものがない
うわあ、こりゃ広い

公園と言っても、平地ではない。
山です。
普通なら、よっしゃあ、となるところですが、腹ペコ

根性!
ここでくじけては、でーこんの名がすたる



ここがなぜ聖蹟という名前の由来かというと、
明治天皇がここを気に入って何度もうさぎ狩りにやって来たから
聖蹟とは天皇の訪れた場所という意味です。

さあ、明治天皇のつもりになって山へ入っていきましょう。

こりゃすごい。
けっこうきつい
ここをおそらく自分の足で登ったんでしょう。
しかも何度も。
えらいっ

着いたあっ

頂上に「旧聖蹟記念館」があるはず
とは言え、GoogleMapによると例によって「臨時閉館中」とある
外観の写真だけでも撮りましょうかね

五賢堂というのもあった。中国のとっても賢い人5人って事かな

旧聖蹟記念館

5人くらいの団体さんが、入口へ向かっていった

やってませんよ
教えてあげようとついていったら
中に入っていっちゃった
あれれっ

検温お願いしています。

あっ、はい

ピッ
大丈夫です

有り難き方向での勘違い。

あっちゃー
どでかい明治天皇の騎馬像

でも残念。館内撮影禁止
あまりに素晴らしいので、こういうときは、ちょいとネットから写真を引用

五賢堂の意味も分かりました
三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛の5人です。

対鴎荘(たいおうそう)という三条実美の別荘の模型もありました。

元は、台東区の白髭橋のふもとにあって、以前ウォーキングでその跡地にも行ったのですが
建物はこの聖蹟桜ヶ丘に移築されたそうです
でも老朽化で取り壊し、今は模型だけです。

分かったのは、ここは明治天皇が気に入って何度も訪れましたが
大正天皇も昭和天皇も何度も訪れているということ
みんなこの山をちゃんと登った訳で偉いなあ、と思います。

歌碑

明治天皇と昭憲皇后の歌碑です。

お腹がすきましたので短めで切り上げましたが
また、弁当持参で来たいと思います。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

多摩市を歩く

(5/23(日)の事です)
多摩市を歩くのは初めて。
行ってみましょう。

一の宮
聖蹟桜ヶ丘からスタート
大学の時は、中河原から中央大学にバイクで通っておりました。
お隣の駅ですので、駅を降りたことはなかったですが、とても親近感があります。

何と言っても行きたかったのが一の宮
府中で武蔵国のお勉強をしたとき、大國魂神社は武蔵国の国府なので
武蔵国の一の宮から六の宮まで全てを勧請していると言うことを知りました。

ちょっと前に秩父神社に行って、秩父神社は四の宮

一の宮は、多摩市の小野神社だ

小野神社と言えば、小野一族の神社
小野妹子、小野篁、小野東風、小野小町と有名人だらけのエリート氏族
当然ここもそうだろうと思いきや
ネットで調べる限り、小野一族とは関係無く、単純に地名かも、とのこと
えええっ、残念

町田の小野神社も下野の小野照崎神社も小野篁を祀っているのに

そこはなんとか、小野一族ということでお願いしたいものです。

まずは随神門

随神とは、神社に不審なものが入ってこないように守っている神様
守衛さんです。
見事な彫り物


この人たちが随神さんかな

文字通り「目を光らせて」おります。

さすがは一の宮
派手さはありませんが、広々

社殿はきれいな朱色

一の宮の渡しの碑
昔はここが多摩川で、渡し船があった

おっと、多摩市のマンホール。素敵です

ここまで来たら川に出なきゃ
多摩川
いつもながら、大きな川は気持ち良い


ここは良いぞ。川辺ギリギリまで降りれる


思いっきり空気を吸い込んで深呼吸
すううううううっ はあああああああ
生き返ったあ

観蔵院
関戸郷の有力者、有村一郎が住んでいた


いろは坂
えっこんなに?ってぐらい旧な坂をずっとずっと登っていく。
確かに日光のいろは坂のよう

ジブリのアニメ「耳をすませば」のモデルになった坂




ヒイーッ

途中にこんなマンホールで癒してくれます。

真ん中へんからですがこの見晴らし

長い階段を登ったところに、小さなこんぴら宮

ここは、杉村が雫に「お前が好きだ」と告白した場所

好きだあああああ

(誰?)

天守台(関戸城跡)
登りきりました
高台なので、敵を見張るに絶好の場所
新田義貞もここを越えたし
逆に幕府側は、見張るためにここに城を置いたと言います。


このあとは、旧鎌倉街道に出て
新田義貞の鎌倉攻めの時の関戸古戦場へと参ります。

続きは明日ね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)