懐徳館庭園に行ってきました

今日は月に一度のウォーキングイベントの日
内容はほぼ下見の時の内容に近いのでその時のレポートをご覧いただくとして
もうひとつ、下見の時にはなかったところをレポートしましょう
池之端ウォーキング
池之端ウォーキングの続き

懐徳館庭園
東京大学の中の前田家のお屋敷、懐徳館(かいとくかん)
通常は未開放
一年に一度、東京大学ホームカミングデーの今日だけ開放されます

そんな日を逃しちゃいけないと、イベントにしました

前田家は、明治になってから、本邸を加賀から東京の本郷に移します
ただ、東京大学の敷地内になっちゃうので、東京大学からの提案

うち、駒場にも土地持ってるんですけど
土地を交換してくれません?

ええよ

ってことで、前田家は駒場に移り
この本郷のお屋敷は東京大学のものになります

駒場の前田家のレポートは、こちらを見てね
さすがは加賀百万石

行くと、10:30から、庭園の公開だとのこと
30分早かったのね、ってことで、30分間近くの麟祥院に行って春日局の墓をみんなで見てとんぼ返り

よしちょうどの時間だ

うおおっ
きれい!

面白いのが池
元々はいわゆる池泉回遊式庭園として池に水がはってあったのですが
途中でどういう訳か、水を入れるのをやめ
枯山水の考え方に変更
即ち、水の代わりに、石を敷き詰めることで水を表して、池を表現する





お屋敷の方に参りましょう
解放されるのは庭園だけなので、お屋敷は庭側から見るだけ


うーん、さすがは加賀百万石の気品

お屋敷側から見た庭も見事なもの


前田家の家紋の灯篭

滝も石組で表現されているということで、行ってみましょう


二段の滝になっています
上の段

回り込んでの庭園も見事



いやあ、素晴らしかった
来年のホームカミングデーにも来たいです

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]105 後奈良。二人の将軍の間で

[天皇]104 後柏原。20年越しの即位
の続きです

後奈良天皇

この時期、朝廷は貧乏の極地なので、譲位するお金もなく
一人一人の在位期間が長い長い
足利将軍のブログに時代を合わせながら書いていっていますので
天皇シリーズはポツポツになってしまっています

その前の後柏原もそうでしたが、この時期の天皇は践祚(せんそ)から即位までがとても長い
前の天皇から引き継ぐと践祚というけど、内外にお披露目をする「即位式」をしないと
本当の意味での天皇ではない
後奈良の場合は、践祚から即位まで10年もかかった

お金がなくて、即位式を開催できないから

後奈良の時代の将軍は義晴
普通は即位式の費用は将軍が出すんだけど
義晴って例の義維(よしつな)との二人将軍時代
[足利将軍]12 義晴。またもや二人の将軍
義晴も義維も天皇の即位式費用どころの騒ぎじゃない
こっちだって金がない

後奈良とすると、どっちかに肩入れすると共倒れになる恐れがある
どちらにも良い顔を見せておいて
金を両方から引き出したいところ

まずは義維に、征夷大将軍になる前の登竜門である「左馬頭(さまのかみ)」の地位を与えた
結局、いくら天皇に力がなくなっていても、こういった任命権がある以上は、
強い存在価値を持つ事になる

左馬頭を与えるので上洛しなさい

ところがいつまでたっても義維は京都に上洛しない
二人の将軍力が均衡していたので、どちらも京都には行けず
義維は堺で、義晴は近江で陣を構え、膠着状態

京都に来ないんじゃ、費用も無理か
今度は義晴に声かけるか

義晴だって近江から出られないし、何かとそれどころじゃないんだけど
二人将軍であれば、天皇と良い関係を築いておきたい
義維より自分こそが正当な将軍だと主張する最も大きな切り札は
「征夷大将軍」だと任命してもらうこと
天皇の希望することはできるだけ聞こうとする

義晴の方が良さそうだな
結局、征夷大将軍は義晴に与える

とはいえ、義晴だって貧乏、
無いものは無い、と結局即位式費用を捻出することが出来なかった
即位式までは無理だけど、こんなのは協力できるよと持ち出した案が、改元
大永から享禄への改元、そして天文への改元
この費用は出した
義維との和睦が決裂した時
こっちが一歩リードさ、ってアピール
義維は面白くないので、しばらく大永を使い続けた
また、義晴は、天皇の警護役などの役割も引き受けた

改元はできても即位式はまだ。次の手を考えるか

時代は戦国時代、相対的に将軍より、各戦国大名がどんどん力をつけていっている

その時代に全国で一番金回りが良かったのが周防山口の大内義隆
日明貿易で多額の資金を得ていた

武士が任官を希望するときは、将軍に申し出て、将軍の推挙を経て天皇から任官される
ところが、大内義隆は将軍の推挙を受けずに、
直接天皇から「太宰大弐(だざいだいに)」に任官された
ただ、天皇としてもまずいと思ったのか、一度取り消されている
その後やっぱり任官

結局、大内義隆からの巨額の寄付を得て、即位式が実現している

太宰大弐は将軍の推挙を得ていないので、大内義隆としても
武士の世界の中で公に使うことはしていない
ただ、これは「前例」なったので、これ以降、
大名は将軍の推挙を受けずに任官されることが当たり前になっていく

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

[旅行業務取扱管理者] 合格だあ

9/7に受けた国内旅行業務取扱管理者
待ちに待った合格発表の日
全国旅行業協会のホームページに合格者の番号が発表されるはず

朝一番ではまだホームページに変化なし
そわそわ
お昼休みにも見たが変化なし
そわそわ

仕事が終わってまたホームページを見ると
合格者一覧へのリンクが貼られている
私の番号は、これ

ええっとええっと
あったあ

間違いないですよね
一緒ですよね

頑張ったもんなあ
合格したんだあ

全体ではこんな結果だったみたい

去年よりはやっぱり多少難しかったんだね

先日の、研修さえ受ければほぼOKの
旅程管理主任者もあるから
旅行業界2つの資格揃い踏み

さあ、これから旅行業界への就職活動再開だ

頑張るぞ!

[旅行業務取扱管理者]シリーズはこちら(少し下げてね)

[岩宿]10 出たぞ、出たぞっ

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
[岩宿]4 戦争とおばさん
[岩宿]5 さよなら
[岩宿]6 赤土の壁でみつけたもの
[岩宿]7 趣味から学問へ
[岩宿]8 研究所の設立
[岩宿]9 ついに定形石器発見
の続きです
岩宿シリーズは最終回になります

杉原先生
杉原先生は考古学界では押しも押されもせぬ第一人者
そんな大先生に会えるなんて
登呂遺跡の話を生で聞けるのだろうか

お会いすると緊張のあまり頭の中が真っ白
先生が芹沢先生から受け取った封筒を取り出す
赤土の壁の資料
そうだった。完璧に忘れていた

杉原先生が一つ一つについて細かい点を見ながら、
それが人工物なのか自分の見解を話していく

ともかく現場を見たいと思います
明日明後日は会議があるので、その会議が終わってから

まさかの展開
2日間仕事をしながら待つが、興奮のしっぱなし
えらいことになった
桐生へ来ていただけるなんて

発掘
杉原先生一行は6名
現場へ着くや否や、説明を聞くまでもなく
赤土の壁に吸い寄せられる
先生は愛用の小型スコップで少しずつ削っていく

一同、ただ無言になる
なかなか何も出てこない

小さな石剥片が出てきた
一同、勢い込む

昼近くまでに小さな石剥片がいくつか

この分ならきっと石器が出る
今度は完全な石器を見つけろよ

4時少し過ぎて、小雨がぱらつき出した頃だった

突然、杉原先生が
「出たぞ、出たぞっ」

小型スコップを捨て、素手でなぞっていく
みんな一斉に走り寄った

みずみずしい青色の石
指で少しずつ、周りの土を払いのける
だんだん大きく現れてきて、卵形の形を見せてきた
やがて、コロッと先生の手で掘り出された
指で泥を払いのけると、
完全な立派な石器であった

しばらくなでまわす
手は震えていた

順番にかわるがわる手にし
ずっしりと重い石器の肌触りを確かめた

私は
間違っていなかったんだ

大きな反響
新聞の報道
学会にも大きな波紋を呼んだ

赤土の壁には「岩宿遺跡」と名前がついた

それまで遺跡の発掘では、関東ローム層の赤土が出てくれば
地盤が出たとかいって、発掘をやめていた
考古学の常識
関東ローム層の時代は今から1万年前から3~4万年前
毎日毎日地上に火山灰が降り積もり、人類はおろか動物も住むことができないと考えられていた
考古学の常識

その常識がまるっきりひっくり返った

学者でもなく、小学生さえまともに出ていない
23歳の青年
相沢忠洋

孤独な少年の夢から始まった
家族団らんが欲しかった
憧れへの旅だった

ずいぶん時が流れた
昭和36年
父が脳血栓で床に伏した

忠洋は群馬県で最高という「県功労章」をもらった
大きな賞状と銀盃を手に持たせる

「良かったなあ。お前やみんなに苦労をかけてすまなかった」
痩せ細った手で、銀盃をなでさする
長い間吹き続けてきた笛の芸をつかさどる男の手だった
この言葉が親子で交わす最後の言葉になった

昭和39年の大晦日
母が危篤という知らせが入った
翌、元日、母の元に急ぐ

母は顔を見るなりぼろぼろ涙を流した
もう母自身の手ではぬぐえない病状だった
松が開けたころ、母はこの世を去った

父には男として、母には女として、それぞれの道があったのだと思った

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)