添乗員研修開始。いよいよ新しい人生のスタート

旅程管理主任者についての研修会は以前受けました
総合旅程管理主任者研修、見事修了
実務研修で添乗員の資格ゲット
これらは、資格取得のためなんですが
いよいよ、現実に派遣登録させてもらった会社での
仕事を始めるにあたっての研修

今から、6日間も受けなければなりません

思えばほぼ1年前
ウォーキング同好会でのガイドがあまりに楽しいもので
これを仕事にできればどんなに楽しいだろうと漠然と思っていたが
英語が全くできない自分には別世界のことと思っていた

カミさんが仕事を変え
自分にとって最後の仕事になるだろうから、
給料は下がっても今まで経験した中で一番充実していた仕事で終えたかった
と言っているのを聞いた

一度きりの人生

旅行業界は全く未経験だったから、少しでも就職に有利になればと
旅行業務取扱管理者の国家資格を頑張って取った

ところが、就職活動
受けども受けども落ち続けた
書類選考でダメ
面接さえさせてもらえない

添乗員で数社面接をさせてもらったが、4社落ちたかな
ずっと落ち続けていたので、落ちるのに慣れちゃっていた
この会社で登録させてくれることになったとき、ポカンとしちゃった

研修会初日
無事に終えた
2月の予定も提出したから
2月には添乗員デビューできそうだ

ああ、本当に始まるんだ
諦めずに続けて良かった
私の人生、山あり谷ありの壮絶な波瀾万丈の人生

ひとつ言えるのは
流されたり与えられての人生はなかった
全部自分で選択していってつかみとっていった

今頑張っている英語で言うと
I am not what happened to me. I am what I choose to become.
(私は自分に起こったことではなく、私が選んだものによって決まる。)
心理学者ユングの言葉

その集大成が今から始まるんだ

やっぱり資格取得のときの研修とは雰囲気が違う
先生は添乗員の超ベテラン
例でしゃべってくれる言葉は、お見事、の一言

この先生が徹底しているのは
お客様を自分のご主人や子供に見立てて
気配り、気遣いのすごいこと

ご主人にたいしてはどうなのかというのはあるけれど
カミさんなんか見てても母親ってすごいなあ、と常に思う
よくもまあそんなことまで気がつくなあ、と思う

添乗員は母親だった
お客様に不安なく旅行を楽しんでもらうための、気遣いの数々

同じようなことができるとは到底思えないが
お客様を好きになれば良い
そのあとは、私なりの接し方が出来ていくんじゃないだろうか

[旅行業界]シリーズはこちら(少し下げてね)

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍

シリーズが2つ終わりましたので、織田信長のシリーズを始め
もうひとつ、新しいシリーズを始めることにしましょう

実はずいぶん前に「まいまいつぶろ」という小説を読みました
徳川9代将軍、家重についての小説です

家重についてはこちらも読んでね
言語障害、9代家重は女性?

家重については15代将軍の中でも特別の思い入れのある将軍
小説の広告を新聞で見たとき驚きました
えっ、家重を小説に
そんなことしていいの
ほんとにできるの?

家重は障害を持った将軍です
言語不明瞭で、何を言っているかさっぱり聞き取れない
手がほぼ動かないため字もかけないのでコミュニケーションが全く取れない
頻尿が激しくしまりが悪い
歩いたあとには、尿を引きずったあとが残り
陰で「まいまいつぶろ(カタツムリ)」とさげすまれていた将軍

小説は幕府の重臣、滝の井が、大岡忠相(ただすけ)を呼び出したところの会話から始まります
大岡越前ですね
家重がまだ将軍ではない14歳の時になります

なんと、長福丸様の言葉が聞き取れる少年が表れました
(長福丸は後の家重の幼名です。ややこしいのでこのあと「家重」として話を進めます)
忠相様の遠い親戚の大岡兵庫と申すもの
(後の大岡忠光。こちらもややこしいので、このあと「忠光」として話を進めます)
小姓として取り立てたいと思います

まことか。にわかに信じられないのだが

忠光は当時家重より2つ年上の16歳
身分はそれほど高くないので、次期将軍の家重に拝謁できたということ自体珍しいのだが
御目見得の場に呼ばれた旗本の子供たちの中に忠光がいた

家重はその場が耐えがたく、立ち去ろうとした

そこに、忠光がつぶやいた

将棋がお好きなのでございますか

驚いたのは、家重
忠光の方に向かって何やら口を動かす

もちろんでございます。何ゆえそのようにお尋ねでございましょうか

自分の言葉を分かってくれる人がいようとは
家重は思ってもいなかったので夢を見ているよう

家重の特別な事情は外部には伝えられていないので
忠光とすれば、何を驚かれているのかが分からない
次期将軍相手に自分のようなものがつい声をかけてしまったことが
わざわっているのだろうと、後悔しきりだった

家重は動転して一旦部屋をあとにしたが
頭を整理し直して、部屋に戻る
あの者を何としても側におかねばならぬ
そうすれば、あの者を介して、言葉が通じる

忠光のところに戻って告げた

本当にわしの言葉が分かるのだな
今から申す言葉をそのまま、あの奏者番に伝えよ
そうすれば、そなたにもう一度会うことができる

わし自身が、そなたをわしの小姓に取り立てる
奏者番は松平能登守乗賢と申し、去年の三月から若年寄を務めておる。美濃国岩村藩二万石の主じゃ

旗本の子供ごときに知り得ない情報を、よどみなくつらつらと言い当てられ
奏者番は本当の出来事なのだと悟る

次回から、家重と忠光の物語が始まります

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[ことば日本史] 洞が峠を決め込む

「ことば日本史」戦国時代から

洞(ほら)が峠を決め込む
明智光秀が本能寺に信長を襲った翌日の6月3日、
高松城を包囲中だった羽柴秀吉は知らせを受けとった。

秀吉の判断と行動はすばやく、
翌日には毛利軍と講和をむすび、
6日に高松を出発、7日には姫路に入った。
いわゆる「中国大返し」である。
9日、姫路を出発。
11日、尼崎に到着。
12日、摂津富田へ進出し、その翌日、
山崎で光秀軍との決戦「山崎の戦」となる。

ここで慣用句の主は筒井順慶
そのお父さんは「元の木阿弥」の時に紹介した筒井順昭です
[ことば日本史]もとのもくあみ
もともと、光秀に仕えていたから
光秀から応援要請を受けた

ところが
筒井順慶は山崎の戦いの様子を見守れる近くの洞が峠陣を張ったまま

どうしよっかなあ

光秀軍の敗北がはっきりしてきた頃になって、
よし、出陣
秀吉軍に参加した。

これにちなんで、情勢を日和見しながら有利な方につこうとするような態度を、
「洞が峠を決め込む」と呼ぶようになった。

ただし、これは後の創作
順慶は洞が峠には出陣してさえいなかった。

藤田達生『本能寺の変の群像』(雄山閣)によれば、
光秀のクーデターは、室町将軍義昭、朝廷、本願寺などに根回しして
周到な準備のうえで決行されたものだったという。

だが、山崎の戦になるまでに秀吉が、
信長は無事であるという虚偽をもふくめた情報と協力依頼とを
すばやく各地に送り届けたために、
クーデターに呼応するはずだった
細川藤孝(幽斎)・忠興父子、筒井順慶、摂津の諸将らは、
光秀を見捨ててしまったのである。

とはいえ実際にも、
世の噂では光秀につくものと思われていた順慶が、
兵を動かしたのは戦の翌日、14日。
本人が上洛して陣を張ったのは15日。
あまりに遅すぎて、秀吉から叱責を受けている。

洞が峠という場所にはいなかったにせよ、
迷いに迷いながら、情勢がはっきりしてから
態度を決したことは確かだった。

[ことば]シリーズはこちら(少し下げてね)

[関東の戦国]6 関東の抗争終焉に向かう

[関東の戦国]1 戦国時代のベース
[関東の戦国]2 享徳の乱、長享の乱
[関東の戦国]3 北条氏現わる
[関東の戦国]4 北条と上杉のバトル
[関東の戦国]5 勝って嬉しいはないちもんめ
の続きです

関東の戦国シリーズも最終回になります

前回は、北条氏が上杉謙信と同盟を結んだところまででした
武田の侵攻
武田は強かった
とても強かった

今川領が食い潰されていく
今川北条武田の強固な同盟が武田によって突然破られ
怒った、北条は今川側につくのだけど
今川領がどんどん減っていく中で、今川と北条の力関係も変わっていき
今川は北条の属国的になっていく

北条は恐怖におののく
次はうちがやられる

その武田に対抗するため
長らく戦いを繰り広げてきた上杉謙信と同盟を結んだ
ところが、この同盟が思ったほど機能しない

国衆たちは、北条と上杉の押し合いへし合いの中で
あっちにつきこっちにつきしてきたものの
プライドはある

急に親分同士が手を結びましたから、と言われても
上杉憎し、や北条憎し、で味方してきた国衆たちは
「それはちょっと違うんじゃないの?」

そんなんだったら、自分たちの独自路線を進むよって国衆たちが
佐竹氏の元に集結してきた
佐竹一統と言い、大名化してくる

北条としては、直接対峙している武田との戦いに、
援護してくれる事を期待しての同盟だったのに
上杉謙信がいまいち援護を積極的にやってくれない

北条の中では
上杉との同盟は意味がないんじゃないの?
という空気が流れ始める

そうこうしているうちに、北条氏康が没する
前から、氏康と息子の氏政が協力しあいながら進めていたものの
氏政は氏康ほどのカリスマ性がまだ発揮できていない

氏政はあまりに武田が怖いので
上杉があてにならないんだったら
武田と和睦を結ぶしかないんじゃないの?
と、武田と元のような同盟を結ぶべく動き
実現させる

上杉謙信にも
どうでしょう、上杉さんにも入ってもらって
広域な同盟ってことにしませんか?

とはいえ、上杉謙信は感じとる
この呼び掛けは、正式な形は取られていない
ってことは、形ばかりの呼び掛けに違いない
武田との同盟は、上杉との決裂が条件になっているに違いない

やだね
北条武田同盟軍がうちに向かってくると言うのなら面白いじゃないか
受けて立とう

ということで、上杉北条同盟は決裂
また、長く繰り広げられてきた、関東抗争に逆戻り

佐竹一統は
そらみたことか
もうあっちつく、こっちつくは信じない
独自路線に切り換えておいて良かった

北条はさらに保険をかけるべく
武田領と西側を接している徳川家康とも近づいていく

気づくと、織田信長が京都に侵攻し
天下統一をせんがほどの勢い

武田に陰りが見え始める
発表はされていなかったが
武田信玄が亡くなっていた

さらに、上杉謙信が亡くなる
北条氏康、武田信玄、上杉謙信という関東抗争の主役たちが
相次いで亡くなる事で、関東抗争が終焉に向かっていく

上杉内では、謙信後の家督争いで分裂し
急激に勢いが削がれていく

次世代の当主たちは、中央との関係を意識せざるを得なくなり
織田信長への忠誠を尽くす形を取っていく

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)