鈴木牧之の思い。雪国ってこんなです。

江戸の理系力シリーズ

博物学に参りましょう
この学問、以前、割り込みで土井利位(としつら)やっちゃいました。
雪と言えば、老中土井利位
雪の降った日に、雪の研究でね

あれから半年なんですね
今は猛暑

土井利位に関連のある、鈴木牧之(すずきぼくし)を取り上げて
少しでも涼しい気分になりましょう

鈴木牧之
すずきぼくし 博物学、民俗学 1770~1842

明和7年(1770年)雪深い、越後国魚沼郡の塩沢で生まれる
越後縮(えちごちぢみ)という麻布を扱う商家だった

雪晒しという工程まで、実に多くの手間がかかる、とても上質な布

裕福な家で、両親が勤勉
その影響を受けて、子供の頃から絵画や俳句や漢詩などの手解きを受ける

そして、その興味の幅がどんどん広がっていく。

家業を手伝うようになって、行商で、近隣の仲間と一緒に江戸を訪れるようになるんだけど
仲間たちは、吉原等で遊び回っている間
書家沢田東江の元に通い、書を学んだり
各名所旧跡を回るなどして見聞を広めていく。

とにかく商売熱心で、働き詰め
やるべきことを帳面に書き留め、昼やれる事と夜でも出来ることを色分け
傾きかけていた商売を持ち直させる

性格は几帳面で、家の中の掃除、蔵の整理整頓なんかも完璧に自分でやらないと気が済まない

一体、どうやって時間を作っているんでしょう
商売や家事の時間を昼夜使った上で尚且つ、さらに芸術

そしてなんと、さらにこの人の意欲はそれでは足らず
科学の分野に入って行きます。

周り雪だらけの雪、これを研究対象と考えた。

雪はなぜ降るんだろう
雪には結晶があって、結晶には色んな種類があること
どういう時に雪深くなって
吹雪とは何か

そんな研究の中で、土井利位の「雪花図説」とも出会うわけです。
温冷熱三際の大気循環論から、雪の形成を考察
おおっ、何だかすごい

さらにさらに、民俗学
雪国とはどういうところか

江戸に行って思うのは
ほとんどの人が雪国についての知識が皆無だということ
雪国の人がどれだけ苦労しているかなんて全く分かっていないし
雪国特有の風習、暮らしぶり等々

研究成果
コツコツと研究成果を書き留めていくなかで、
世の中に発表したくなってくる。

分かるなあ、その気持ち

「北越雪譜」という本にまとめて、出版しようと
山東京伝に話を持ち込む

田舎の布屋の若造(この時、まだ20代)が
山東京伝という超売れっ子作家に会えるんだから
江戸での地道な活動がかなり充実していたということですね

その弟子、曲亭馬琴も尽力してくれるんだけど
出版までは至らなかった。

こんな有名な先生方も動いてくれたなんて
結果は駄目だったけど、幸福者だよ
で終わりそうなもんだけど
そこで諦めなかった。

雪への愛
そして郷土への愛なんでしょう

精力的に動き周り
有名な文人たちとの交流を深めていきます。

実は、彼には時間がなかったんです。

小さい頃から耳が聞こえづらく
少しずつ聴力が悪化していきます。

ほら貝を使って補聴器的なものを作成して
何とか聞き取れる程度
おそらく全く聞こえなくなるのだろう

時間がない

でも、これといった進展がないまま
時間は過ぎ、耳も悪化の一途
研究成果はより充実したものにはなっていくのだけれど。

そして、約40年が過ぎた時
40年ですよ、40年

ようやく、山東京伝の弟、山東京山が動いてくれて
ようやく出版に至ったのです。

こんな人は、やっぱり報われなきゃ駄目ですよね

正直、内容的には難しい本
でも、私は江戸の人達すごいなとつくづく思うんだけど
こんな難しい本が、ベストセラーになるんです。

土井利位の時にも書いたけど、「北越雪譜」がベストセラーになり
その中で、土井利位の雪の結晶が紹介されていたもので
なんと、雪の結晶の図柄が人気になり
着物の柄として、大ブームを起こします。

良かったね

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ワルナスビ

花カレンダー始めました

庭園の石組

庭園シリーズは、石組になります

石の組合せで色んなものを表します。

須弥山
古代インドでは、世界の真ん中に須弥山(しゅみせん、しゃみせん)という、どでかい山があるとされていた。
インドの主たる宗教、バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教は
その世界観を全て踏襲しています。

その頂点に住んでいるのが帝釈天です
[仏像の見分け方]帝釈天

この須弥山を石組で表現することがあります。

枯山水庭園では、中心に須弥山を象徴した背の高い石を立て、
周りに鉄囲山(てっちせん)と八つの海
すなわち「九山八海」(きゅうざんはちかい、くせんはっかい)を作ります。
いまいち明確じゃないんだけど、おそらく
真ん中に須弥山、その回りが海
その回りに海の水が溢れないよう、縁取った感じで山が取り囲み
その回りにまた海、山、海、山と繰り返し、一番外周が鉄囲山ということかなと

なかなか、それ全部を石組で表すのは大変だろうから
真ん中にでっかい石で、須弥山に見立て、回りを取り囲む感じだったら良いのかな

鹿苑寺(金閣寺)には、一つの石で、この世界を全て表しきった
「九山八海石」というのがあります。
金閣寺ともなるとやることが超越しています。

平泉の毛越寺(もうつうじ)の須弥山

補陀落山(ふだらくさん)
観音菩薩の住む山を補陀落山と言います。
仏像の見分け方。聖観世音菩薩(かんのんさま)

庶民の見方、仏像では一番人気の観音様だから
補陀落山だって石組したいですね

栗林公園(りつりんこうえん)の補陀落山

三尊石組
仏像の見分け方でも何度か三尊の話をしました。

水戸黄門に助さん格さんがいるように
お釈迦様にも、文殊菩薩と普賢菩薩
薬師如来には、日光菩薩と月光菩薩
阿弥陀如来には、観音菩薩と勢至菩薩

一人じゃ寂しいから、という理由ですね

真ん中に大きい石、横に小さめの石をポンポンというのは
とてもおさまりが良い

せっかくだから、これは三尊ですよと
うん、納得。

特に浄土式庭園であれば
3つ石があれば、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩ということになります。

これは基本中の基本なのでいっぱい例があります。

外にも石組には、色んな意味付けがあるので、続きはまたね

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フランネルフラワー

花カレンダー始めました

[江戸のヒロイン] 京都の吉野太夫、大阪の夕霧太夫

江戸のヒロインシリーズ
今回の、江戸の、は江戸時代の、の意味

前回、江戸の高尾太夫の話をしましたね
やっぱり、遊廓と言えば、京都に決まってます

吉野太夫
吉野太夫(よしのだゆう)の名は徳子(とくこ)

両親が死んじゃったので廓に入った

初めは「浮舟」と名乗っていたんだけど
桜見物の時に

ここにさえ さぞや吉野は 花ざかり

と詠んだので、いつのまにやら、吉野と呼ばれるようになった
素晴らしいですね

ささっと詠めちゃうんですね

その頃、中国まで名の知れた日本人は?
と問われると

あずまに林羅山、京都に徳子吉野

ええっ
林羅山と同格なのね

井原西鶴も、好色一代男で
前代未聞の遊女なり。いづれをひとつ、あしと申すべきところなし。情け第一深し

完璧です。

そんな吉野を身請けしたのは、お金持ちのお坊っちゃん、灰屋紹益(はいやじょうえき)
灰屋っていうのは、家業の紺染めに灰を使うことからきた屋号。
大富豪の先代、灰屋紹由(じょうゆう)に見込まれて養子に入ったのに、
風雅の世界、和歌、茶道、書などに凝りまくった
それぞれ、当時の第一人者に弟子入りし、本格派

挙げ句の果てに、関白・近衛信尋(後水尾天皇の実弟)と争って吉野太夫を身請けしたと知って
お父さん紹由はカンカン
勘当されちゃいました。

大金持ちに身請けされたはずの吉野太夫
それでも文句ひとつ言わず、二人で貧乏暮らし

ある時、急な雨で、紹由が雨宿りしたことが有った。

あらあら、お濡れになったんじゃありませんか
粗末な家の中から出てきた女性がとても親切にしてくれた。

感激した紹由、あとで調べてみたら
その人こそが吉野太夫だったと判明

ビックリした
息子があんなにも貧乏暮らしをしていたこと
吉野太夫の人柄はまさに、情け第一深しだった。

職業の貴賎でのみ考え、
息子の人を見る目を信じてやれなかった自分を悔いた。

すぐに戻ってきてくれ。

でも、悲しいですね
吉野太夫は36歳くらいで死んでしまいます。

都をば花なき里になしにけり 吉野は死出の山にうつして

紹益は、吉野太夫の遺骨の灰を杯の酒にパラパラっと浮かべ飲み干す。
毎日それを続け、ついには全て飲んじゃった

分かりました?
灰屋だからですね

真田丸の時の吉野太夫

夕霧太夫
京都に行ったら、大阪もね

好色一代男に、廓の女性を品定めする場面がある

素顔のままでも美しく、しとやかで、肉付きが豊かで、
眼差しはきりっとして、声も良く、
琴の名手で、三味線もうまい

おいおい、そんな女性いるわけない

ん?
一人だけ

おう
いようとも

お前も思い付いたか

じゃあ、せーの、で

「夕霧」

夕霧太夫の名は照、と言い、京都嵯峨の産まれ
京都の老舗遊女屋、扇屋四郎兵衛の抱妓(かかえこ)となった
扇屋が寛文12(1672)年に大阪の新町廓に移ることとなり
夕霧太夫も一緒に大阪へ下ることになった。

大阪の廓は京都に比べると全てにおいて劣ると言われていたので
京都でダントツトップの夕霧太夫が大阪へ、とは
大阪人は上へ下への大騒ぎ

今日来るんじゃないか

ここを通るって、何の根拠もないのに
淀川べりには多くの人が詰めかける

特に最も評判の良かったのは
分け隔てのない客への対応
心優しき遊女だった

残念ながら27歳という若さで病にかかり、帰らぬ人に

近松門左衛門は、死を悼み「夕霧名残正月」(ゆうぎりなごりのしょうがつ)を書き下ろす。
その後も色々続編を出し
三十五年忌に集大成して「夕霧阿波鳴門」(ゆうぎりあわのなると)

浄瑠璃の「吉田屋の段」を歌舞伎用に書き換えた「廓文章」(くるわぶんしょう)は
初代、坂田藤十郎の当たり役となります

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ルドベキア プレーリーサン

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[百人一首]21 今来むと

今来むと 言ひしばかりに 長月の
有明の月を 待ち出でつるかな

あなたが来ていただけるということだったので
ずっと待っておりましたのに
9月の有明の月が出る明け方になってしまいましたわ

素性法師(そせいほうし)
素性法師はあの僧正遍照(そうじょうへんじょう)の息子
12.天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
家族を捨てて出家した、その前に出来た子供

素性法師が成人になって
こんなに大きくなりましたと再会

そうか、立派になって・・
でも、坊主の息子なんだから、坊主にならなきゃ
と、無理矢理出家させちゃった。

素性法師なんて名前でどう?

親譲りで、ちょっと変わったところあるので
向いているかも知れません。

鑑賞
出ましたね有明の月
明け方に出る月のこと

百人一首にはお馴染みキーワード
30.有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり 憂きものはなし
31.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
81.ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる 

男性が女性の気持ちになって詠った歌
ということは、フィクションということになりますね。

もう、待って待って、待ちくたびれちゃったわよ。

何度も出てきているように
昔は男性の通い婚だから
女性は待つ立場

待ちくたびれて、という歌はとても多い

待って待って明け方になって、有明の月、は良く使われるお決まりパターン

女性が自分の気持ちを歌ったのならば
怨み節的な雰囲気が出ちゃうけど
フィクションの良さですね

ちょっとひねって
いつもは3つの本から合わせ技で解説するんだけど
今回はその中で、橋本武先生の「解説 百人一首」が面白かった。

その他にもネットとかでも解説を読んだけど
一般的なのは
待っている間に有明の月が出ちゃったわよ
というもの

あっさりしています。

でも良く良く見ると、

有明の月「を」待ち出でつるかな
あなたを待っていたら、有明の月が出ちゃった、訳じゃない
有明の月を待つという表現
どうしたことか

一歩進めて、こんな解釈

あなたを待っていたら、有明の月が顔を出した
何だ、これじゃ
有明の月を待ってたってことじゃない

せっかくのフィクションです。
さらに、一歩進めて
もっと楽しい解釈に変えちゃいましょう。

あらいらっしゃい。
もう、待ちわびたわよ
さあ、入って入って

と思ったら、なあんだ、
有明のお月さん

いいわ、もうあの人の事なんてどうだって
ゆっくりして行ってね
さっきは、なあんだ、なんて言ってごめんなさいね

違うの
ほんとは最初からあなたのことを待ってたのよ

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アンスリウム

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