[東京ミステリー]関東の武士団は強かった

前回お話しした平将門
[東京ミステリー]平将門の思い
時代的には平安時代になります

本人はあっさりと討たれてしまいましたが
その魂は、関東の武士たちに受け継がれます
坂東(ばんどう)の武士団

次なる「担げる人」を虎視眈々と待ち
そこに源頼朝が登場する

はい、待ってました

坂東武士が大活躍で、関東に政権が樹立
公家の世の中から武士の世の中に大きく変わる

もっとも、源氏の世は、たった三代で終わり
その後は北条がつかさどる

上が変わっても支え続けたのが坂東武士団
「武蔵七党」という言い方もします

横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党(西野党)、児玉党、丹党(丹治党)
苗字として残っています

その中で、特に強い氏族、豊島氏、足立氏、葛西氏
治承・寿永の乱(源平合戦)で大活躍し
全国に名をとどろかせます

こちらは、地名として残っています

そして、秩父から豊島郡にやって来た氏族が
「江戸氏」を名乗ります
江戸時代へと繋がっていく訳です

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[東京ミステリー]平将門の思い

東京ミステリー、前回は古代でしたが
平安時代まで進めてまいりましょう

将門塚
東京のミステリーと言えばやっぱりここ
でっかいビルばかりの丸の内のオフィス街の中にポツンと残されている異様な場所
平将門の首塚

あれよあれよという間に、関東一円を制し
「新皇」と名乗って、関東一円を京都の中央政権から独立した国とした平将門

その物語は以前詳しく書きましたので、良かったら
[平将門]1 父の死。頼んだぞ。
[平将門]2 桔梗どのにございましょう。
[平将門]3 合戦が始まる
[平将門]4 京の都で裁判。その結果は
[平将門]5 桔梗、無事でいてくれ
[平将門]6 めでたしめでたし、になるはずが。
[平将門]7 俺はそんな事がしたかったのか
[平将門]8 新皇万歳ーっ
[平将門]9 あまりにもあっけなく

京都にあったはずの首が、なぜか江戸に埋められた
一説には、京都からバッタのごとく飛び跳ねながらやって来た
目撃した人はびっくりしたでしょうね

その後ずっと大切に葬られ今に至るのですが
実に多くの都市伝説が語り継がれてきた

何せ一等地中の一等地なので当然潰したい訳ですが
潰そうとした人たちはことごとく謎の死を遂げる

隣接するビルでは首塚を見下ろす方には窓を開けないとか
首塚の方に尻を向けないようなデスク配置にしているとか
まことしやかにあれやこれや

平将門はギラギラした性格ではなく
そそのかされて何だかんだのうちに中央に反逆しちゃったわけで
その人柄から、関東の人たちにとても好かれている

徳川家康って、
太田道灌の作った江戸城もそうですが
それまでにあった江戸のものを尊重し
丁寧に受け継いでいる

言葉をかえると、平将門もうまく利用して
江戸庶民の気持ちをまとめていった

神田明神
怨霊信仰という考え方がある
典型的なのは菅原道真の天神様ですが
怨みを持って死んでいった人を丁寧に祀れば
その力が強大な守護神となる

平将門を江戸城の鬼門にあたる東北の方向に神田明神を作って祀る

裏鬼門の日枝神社とともに、天下祭りとして将軍も見る祭りとして
一年交替で一大イベント

明治になると様相が変わります
明治は尊皇でまとまった政権
その天皇に背いた平将門を祀るとはなんたることぞ
さらに、それを重視していた幕府を倒した訳ですから

とはいえ、完全にぶっつぶす事はしませんでした
やっぱり祟りが恐いからでしょうか
境内に小さな将門神社を作り、祭神としてはそっちに移した

ただ、その後、将門神社は火事で焼け
「臨時に」本殿に平将門も合祀
そのまま現在に至っています

[江戸]シリーズはこちら(少し下げてね)

[東京ミステリー]ヤマトタケルの人気の秘密

前回、東京ミステリーシリーズで、関東に無茶苦茶多い氷川神社の話をしました

今回は、やはり東京を歩いていてあっちこっちの神社につ祀られているヤマトタケル

古事記・日本書紀の神話に出てくる人物で
やたらに人気がある

古事記・日本書紀では東伐したことになっているので
元々の関東の人からすると征服者のはず

心情的に拒否しそうなものですが
根津神社、鳥越神社、白鳥神社、妻恋神社、
富岡八幡宮、下谷神社、花園神社等々
ゆかりの神社が110もあります。

東伐というからには、古事記・日本書紀で勇猛果敢なエピソードが満載かと思いきや
敵をガンガンやっつけて的なのが全くない

やられそうになって、草薙剣で草をかったら、火がおきて勝っちゃったとか
船でおおしけに会い、沈みそうになって、
オトタチバナヒメという奥さんが自ら海に身を投げて海神を沈めたとか
その後も、奥さんのことを想い続けて、我が妻よ、と言ったのが東をあずまと呼ぶことになったとか

そもそも、東伐せよと命じられたのは、お父さんの景行天皇に嫌われたから
草薙剣を授かったくらいなので、次期天皇には違いないのに、
結局は遠征から帰れずに、白鳥になって飛び立つ
最終的に成功していないので
判官びいきの日本人にとっては人気が出るのでしょう

ヤマトタケルの幼名は小碓尊。(おうすのみこと)

第十二代景行天皇の長子・大碓と次子・小碓は「一日に同じ胞にして雙(双)に生れませり」と
『日本書紀』に記されています。
双子だった。

お兄さんの大碓は日本書紀では、お父さんの怒りをかい、追放されます。
古事記では、小碓尊が大碓を殺したことになっている

空想
ここからは、何の根拠もない私の空想です。

関東には、大和と並ぶほどの一大文化圏が存在していたのではないか
前回お話ししたように、元々はスサノオを中心とする出雲勢力が移り住んだかもしれない

「征伐」というよりは、お互いに認め合う同盟関係にあったのでは
嫁にやったりもらったりという血縁関係を深めていった。
そして、同盟関係強化の切り札がヤマトタケル

昔、双子は忌み嫌われ、一方は殺されたり捨てられたりしたので
だからお父さんに嫌われたのではないか
普通に考えて出されるのは弟の方なので、
出されたのは大碓ではなく、小碓
同盟関係にある関東に養子に出された
たまたま関東では跡継ぎがいなかったので、小碓が関東を治めるようになる
統一の実現

この筋書きなら、関東でヤマトタケルが大人気になるのもおかしくはない

景行天皇の死後、ヤマトタケルの弟、成務天皇が継ぎますが子供ができなかったので
その次はヤマトタケルの息子仲哀天皇が次の天皇になります。

関東の覇者でありながらそのものズバリの「ヤマト」タケルの名前をもらったのは
元々ヤマトだという事をよほど強調したかった

ちょっと考えすぎかな

[東京]シリーズはこちら(少し下げてね)

[東京ミステリー]武蔵国の一の宮、大宮氷川神社

東京をウォーキングしていて、何度も不思議に思うこと
氷川神社のなんと多いことか

そして香取神社がある地域になると、ピタっと氷川神社がなくなる

昔は、埼玉県と東京都と神奈川県の川崎と横浜を合わせて「武蔵国」だった
氷川神社はその武蔵国にのみほぼ分布している

徳川より、平将門より、もっともっと前に
武蔵国に何があったのか

大宮氷川神社
氷川神社の総本山は大宮氷川神社
武蔵国の国府は、府中に置かれるが
それより前は、大宮氷川神社が一の宮
すなわち、武蔵国の中心地だった

富士山と筑波山を結んだ線と、合わせて見るとこんな感じ

氷川神社の主祭神はスサノヲノミコト
スサノヲノミコトを祭るのは八坂神社とかもあるが
元々八坂神社(祇園社)は牛頭天王(ごずてんのう)を祀っており
明治の廃仏毀釈の時期に牛頭天王からスサノヲノミコトに変えさせられた訳で
言わば後付け

元からスサノヲノミコトを祭っていたのは氷川神社が中心となる

武蔵国にスサノヲノミコトが集中しているとも言える訳で
武蔵国にスサノヲノミコトを中心とした強大なる勢力が存在していたのかもしれない

スサノヲノミコトはとても不思議な神様
最初は暴れまくって迷惑千万
ところが途中からヤマタノオロチを退治するスーパーヒーロー
同一人物とは思えない不自然さ

その子孫がオオクニヌシノミコトで
スサノヲノミコトとオオクニヌシノミコトが出雲伝説となり最終的には国譲り

氷川とは
出雲国簸川(ひのかわ)の杵築神社(現:出雲大社)より御分霊を孝昭天皇3年(紀元前473年)に勧請したことに始まるとされる

武蔵国と出雲の関係は一体どういうことなんだろう
あまりにも遠い土地同士だが
ヤマトと出雲の戦いの中で
出雲族がこの地に移り住んで
一大大国を開いたのだろうか

正直すんなり国を譲るなんて違和感ありすぎ
武蔵国の大宮辺りまでは海岸線が入組んでおり
大宮の近くには、見沼という広大な湿地帯があり
かなり稲作には有利で、相当豊かであった事も想像できる

ひょっとすると、関東ローム層の下から
広大なる遺跡が発見されるかもしれない

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