[清明] 4/5 元々は春の行事の三社祭

二十四節気シリーズ2回目になります。

清明   
せいめい 清々しい青空が広がる頃  04月05日

江戸での季節感という事で言うと
旧暦の3/17から18に浅草神社で三社祭

今は、初夏の祭りですが
元々は春だったんですね

浅草

浅草寺の西側、は浅草奥山と呼ばれていました。

奥山と言えば見世物小屋、や大道芸
一日遊べるワンダーランドだったんですね

中でも大フィーバーだったのが、らくだ

以外にも、あの超人気、象をも上回る人気となります。
あまりの人気に6ヵ月ものロングランを続けますが
ずっと超満員が続きます。

花屋敷
今の花やしきの辺りには、江戸の後期の1848年その名前の元となった植物園、花屋敷が出来ます

植木屋の森田六三郎が作ったんですね

そのまま明治に入り、植物園では飽き足らず
運動器具が置かれ、明治16年には大眼鏡館が
明治20年には、奥山閣ができます。
浅草奥山の奥山閣、分かりやすいです。

かっこいい!高層建築です。

かなり人気だったんでしょうね
気を良くした、花屋敷は、その3年後明治23にあの浅草十二階(凌雲閣)を作ったんですね

凌雲閣は大好きなので、私としては浅草イコール凌雲閣なのですが
その前に5階建ての奥山閣があったとは知りませんでした。

隣接する第六区には、最初期の観覧車も東京勧業博覧会(40年(1907)開催)から移築され
一帯が日本初の遊園地として大きく飛躍していきます。

花や木
この二十四節気シリーズ
季節感を味わおう、という趣旨
花の名前を覚えるのが苦手な私は、良い機会です。
その近くに、町中で見かけた花の写真をアップしたいと思います
名前が調べられたら名前も書きますが
名前が分からないときは、名前不明と書きますので
知っている人は教えてね

綺麗です。始めてみました。ライラック。

これ、良く見ます。ユキヤナギ。

これ、家の近所に毎年咲いてて気になっています。ナガミヒナゲシ。

桜みたいだけど街路樹の低木です。ハナカイドウ。

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)

大リニューアル後の江戸東京博物館

どれ程この日を待ち続けた事だろう
一日千秋の思いとはこの事か

大好きな江戸東京博物館が去年の10/1から3/31まで、なんと6ヵ月もかけて大リニューアル
どれもこれもすばらしい展示物なのに
なぜそこまで

根本的に変えてしまうんだろうか

来ました


なんとオープン初日の今日は、無料

さあ、日本橋はどうなっているかなあ
ワクワク

中は?
えっ
日本橋は一緒か
中村座も朝野新聞社も


江戸城も一緒か
明暦の大火も

細かい展示物で、これあったかなあ
というのはいくつかあるけど

結論

一緒!

6ヵ月は何だったのだろう
建物自体の大規模修繕って事なのかも知れません。

元々、展示は素晴らしいものだらけなので
残念がる事はありませんね

昼近くになったので、食事をしてから仕切り直しにしましょう

近くの両国テラスへ
金網越しとはいえ、旧安田庭園を見ながらのお食事
ヘルシーでお洒落な定食です。

特別展
再度来ました、江戸東京博物館

常設展が一緒だと判明したので
特別展に参りましょう

特別展は「大江戸展」
様々な貴重な展示品が展示されています。
NHKスペシャル、シリーズ大江戸との連動企画になっています

特に江戸城を描いた地図を時系列で比較し、
どういうふうに江戸城は出来上がっていったのか

NHKさんはさすがにお金を持ってらっしゃるので
幕末にオーストリアの写真家が写した写真を元に
カラー化して動く映像にしてしまったのは圧巻でした。

増上寺の台徳院霊廟の灯篭とかもあって
おおっ、例のあの台徳院霊廟
興奮してしまいました。

そのあと、常設展は、あんまりちゃんと見てなかったなあというのを中心に
じっくり見て回りました。

ライブパフォーマンス
初日ですので、イベントがあります

三味線に合わせて、墨で、でっかい絵を書いていく
そのあと、受け継ぐ美意識というトークセッションになります。


楽しいパフォーマンスでした

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

和算のターニングポイント。中根元圭

江戸の理系力シリーズ
前回は、関孝和についてお話ししました。
和算の関孝和、世界的数学者

今日は、その続きで
関孝和が創設した流派、関流がどう推移していくか

中根元圭
なかねげんけい 数学者 1662~1733

中根元圭は、関孝和の直接の弟子ではなく、孫弟子
建部賢弘(たてべたかひろ)の弟子です。

数学に限らず、江戸の理系技術に関しては大きく発展したターニングポイントがある

8代将軍吉宗、その人
江戸の理系力に関わるさまざまな分野で、何かというと出てくるのが吉宗
「吉宗に指示され」的な文があっちでもこっちでも

吉宗が、単純に理系的な事が好きだったということが大きいのだけれど
基本的な考え方が優れていたとも言える

その吉宗に意見具申したのが、中根元圭
江戸中期において、日本の理系技術は独自の発展を遂げ
関孝和のように西洋の技術を上回るものも出てきた。

ただ、だからといって
日本の技術が西洋を上回っていたかと言うと
そうは言えないと思う。

関孝和の行列式や代数等で西洋を上回っていたものはあるにせよ
それは一部分であって、全体レベルから言うと
やはり、西洋にはかなわない
これは素直に認めた方が良いと思う。

どうしても、部分的に優れたものがあると
ほらほら、日本は実は西洋を圧倒していたんだよ、と思いたい気持ちになるけどね

上様
これこれこうで、こうゆえに
やはり今、西洋の技術を取り入れるべきでございます。

ほんまか、元圭
良いこと言うな
そうしよう

キリスト教に関係しない科学の書物は解禁

現実的には
外国語が理解できる人がいないため
中国が西洋の書物を輸入して、漢字に翻訳したものがほとんどだったんだけどね

中根元圭で言えば
中国の数学者、梅文鼎(ばいぶんてい)の書いた「暦算全書」を輸入し
翻訳しています。

「鎖国」ということが一人歩きし
全くの井の中の蛙だったと言われることもあるけれど
実は科学に関する限り
この時の大きな方針転換で
厳密には鎖国じゃないんですね。

やっぱり日本は良いわ
程よい
もともと控え目で、外国さんたちにはかないませんわ
と言って良いところを素直に取り入れる
かといって卑屈になるわけでもなく
独自性を持てる力と気概もプライドも持っている

この程よさで、この後も行くわけです

中根元圭面白いなあと思うのは
音楽の理論も発展させている

音楽って、あの魔法の数字12が使われている
いつかテレビで外国の偉い先生が、素人にも分かるように
音楽の理論を解説してくれていた。
音って振動、すなわち波なんだけど
ある人が、二つの別の高さの音を綺麗に共鳴し合う音とそうじゃない音があるのを発見した
後に周波数を測ってみると共鳴が一番うまくいくのは丁度倍だったんだけどね
お互いの音の間の幅をオクターブと命名
その二つの音って、低いドと高いドだったってこと
そのオクターブを、3でも4でも割れる魔法の数字、12で割ると
その中にもそこそこ綺麗に共鳴出来る音があるのを発見
ほらね

で、その12個の音が出る楽器を作ってポロロンってやると、何とも心地いい
音楽の始まりですね

その中でも、より心地いいレギュラー選手がドレミファソラシド
補欠選手がピアノで言うと黒鍵たち

レギュラー選手の決め方が西洋と東洋で違うだけで、12で割るのは世界共通

おそらくこういったことをちゃんと理論付けていったという事だと思う。

音楽って理論は数学なんですね
心地よさを計算しちゃうなんてすごいです。

偉いぞ元圭
どみそっ ジャーン

久留島義太
くるしまよしひろ 数学者 1690~1758

久留島義太についても触れておきましょう

まだ、関流にくみしていない頃
古本屋で「新編塵劫記」を入手
和算はここから始まった。吉田光由
要は塵劫記のまがい物

数学の塾を開いて、分かりやすく説明し大人気
こういうことで食っていけるんだから
やっぱり良い時代です

通りかかった中根元圭、
「数学」の看板に引かれ、ぶらっと中に

いらっしゃい

数学の話でしばし盛り上がる
でもだんだん久留島の方が寡黙になっていく

中根さん
私、今日を限りに、数学塾の看板を降ろします。

ええっ
な、何てことを

中根さんとお話させていただいて
今まで自分がやって来たことが恥ずかしくなりました。
情けない

でも、元圭が受けた印象は全く逆だった
こんな人がいたんだと愕然とした。

久しぶりなんです。この感覚
関先生のお話を伺った時以来
情けないなんてとんでもない。

以来、二人は切磋琢磨しながら、同じ道を歩むことになります。

索引はこちら
[江戸の理系力]シリーズはこちら(少し下げてね)

和算はここから始まった。吉田光由

江戸の理系力シリーズ

今日から、数学の具体的な人に入っていきます。

吉田光由
よしだみつよし 数学者 1598~1672

和算という言い方は、西洋から入ってきた「洋算」に対する概念なので
当時から和算と言っていた訳ではない。

ただ、振り返って、思えばここが和算の始まりだなあと思えるポイントがある
中国から伝わったそろばんが日本でも普及し
京都でそろばん塾を開いていたのが毛利重能(しげよし)
元和8年(1622年)に日本最古の「割算書」という本を書く

これが和算のスタートかとなるとちょっと厳しい
計算、の域を余り出ていない。

このそろばん塾に入ったのが吉田光由
家業が土木業なので、算術は必要不可欠

毛利先生のおかげてそろばんはバッチリ。
仕事はスムーズに進められる。

目的は達せられたので、普通はそこでやめちゃうけど
吉田光由はそうじゃなかった。

これは面白いかもよ

中国の「算法統宗」という本を手に入れ、徹底研究

塵劫記
塵劫記(じんこうき)という本を書き、大ベストセラーになる

上中下に分かれる
上は基礎編
そろばんを使った加減乗除
中は応用編
実際の生活に即した例題をあげ
実践的な利用方法
下はさらに発展編
ここでは、そろばんを離れ
平方根や立法根の求め方まで書いてある。

塵劫とは、塵がチリのようなちっちゃな数、劫が逆に大きな数という意味。

ベストセラーになったのは、寺子屋の教科書として使われたからなんだけど
それだけじゃなく、大人にまで大流行になった。
絵入りで分かりやすく解説してくれているから
独学でも理解できる

それにしても、これがベストセラーになるって
江戸時代の庶民はどれだけ向学心があったんでしょう

それまで掛け算の九九が一部の知識人の遊びの世界の中だけだったのを
広く普及させたのも、このベストセラーのおかげ。

経済と表裏
この塵劫記の大流行は、当時の経済の発展と裏表でしょう。

経済が大きく発展するにつれ
流通の及ぼす地域が飛躍的に拡大した
それまで、ごく限られた地域の内部的な経済活動が
全国規模に広がった

そうすると関西で使われていた銀貨と、関東で使われていた金貨を
その時々の相場で換算する必要がある

相場の変動を見極めつつ
いつ交換した方が得かというような計算も

商売の側面もそうだし
工業建設機械等、複雑で精密な仕事が求められるにつれ
高度な計算が必要になる

そんな経済背景があるから、塵劫記がベストセラーになった
逆に塵劫記で数学が広まったから、産業が進んでいけた。
相乗効果ですね。

当時は著作権が確立されていないから
類似のなんちゃって塵劫記がなんと300種類も作られたらしい。

熊本藩
塵劫記で有名になった吉田光由は熊本藩に招かれた

藩主、細川忠利の家庭教師
みんな勉強好きですね

また京都
細川忠利が亡くなったので、また京都に戻る
そして執筆活動

吉田光由の偉いところは
それだけ有名になったんだったら左うちわで暮らしていけそうなものなのに
今で言う社会貢献をしている

京都嵯峨地方は、保津川が低いところを流れているので
農地に水が引けず、常に水不足に悩まされていた。

吉田先生、何とかなりませんか

それ、私に言う?

元々の家業が土木業なので、全く知らない世界ではない。

よし、じゃあ上流にダムを作り、各農地に水道のトンネルを作って水を流そう

得意の数学でサインコサインタンジェント
この設計図でいきまひょか

こうして作られたのが菖蒲谷池と水道トンネル

何と今でも現役で使われているそうです。