お風呂の王様、花小金井店に行ってきました

体調が悪い情況でも頑張った添乗の翌日は、祝日
助かったあ
なんとか、体調回復のために1日を使おう

1日死んだように寝て過ごそうとも思ったんだけど
いまいち寝れない

寝ること以外で、健康回復と言えば
あれだ! サウナ

このブログ、最初ダイエットからの関連で健康ネタでスタートしたものだから
健康に関することは色々試したけど
健康に良いことってすぐに効果が出るもんじゃないから
「いい気がする」というレポートしかできなかった
その中で、唯一明らかに疲れが取れるというものがあって
それがサウナ
私に合っている方法

以前は結構頻繁に行っていたけど
歩いていける距離にあったスーパー銭湯、お風呂の王様が潰れちゃってから
頻繁には行けなくなった
スーパー銭湯

でっかいスパジアムジャポンというのが東久留米にあって
そこには何度か行った
ああ、サウナに来れたよぅ

そうだ、所沢にでっかいスパ施設ができたんだった
行ってみようか
GoogleMapで調べた
King&Queen
https://king-and-queen.site/

スパジアムジャポンと同じ会社がやっているらしい
GoogleMapに出ている評判を読んでいくと
スパジアムジャポンと比較してのコメントが多い
総じて、スパジアムジャポンの方が良いというもの

うーん
だったらスパジアムジャポンに行くか

体力回復のために、施設内でぐっすり寝ようと思う
となると、スパジアムジャポンの場合、
岩盤浴とお風呂の両方入れるチケットを購入する必要がある
今日は岩盤浴にそれほど必要性を感じない

お風呂の王様、花小金井店なら寝れるんじゃないか
よーし決定

お風呂の王様、花小金井店

お風呂の王様東久留米店がなくなった時、花小金井店にも来たはずなんだけど
駐車場に車を止めた記憶まであるものの
中に入ってみると、来たことがなかった
おそらく何らかの理由で入れなかったんだと思う

いくつかのお風呂に入ったあと、サウナ→水風呂→椅子に座ってくつろぐのを
頑張って3セット
なんかいい感じ

ひとつ分ったのは、この時期に露天風呂に行くと
花粉症でくしゃみが止まらなくなること

ゆっくりしたあと、施設内のレストランで食事

ゆっくり寝られる場所もあったけど
結局は寝なかった

よし、回復回復

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[外交]7 15年戦争の始まり。満州事変から

外交資料館に行って来ました
[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?
[外交]4 三国干渉から日露戦争へ
[外交]5 日露戦争から第一次世界大戦へ
[外交]6 第二次世界大戦への背景
の続きです

第二次世界大戦ってその期間だけ戦争をしていたと思いがちですが
十五年戦争といってその前から日本は中国で戦争をしています
その始まり、満州事変から

満州事変
前回、張学良が蒋介石の中国国民政府と手を組んだ話をしました。
そして、日本が手に入れたいくつかの満州における権利を取り戻そうとする
さらに、イギリスとアメリカが、中国国民政府を認めます

追い込まれた日本の関東軍が動き、戦争を仕掛けようとする
そのためには口実が必要
とんでもないことを考える
日本が権益を持っていた南満州鉄道を爆破。
柳条湖事件1931年
中国にやられたと騒ぎ立てるのですが
実は自作自演

戦争を始めます。1931年、満州事変と言います。
さらに、正当化したい関東軍は、
なくなっちゃった清の最後の黄帝、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)を立てて
満州国というのを作らせます(1932年)

満州には、中国の漢民族とは違う満州民族というのが住んでいるので
満州民族の自立した国を作るんだと。

もちろん後ろで糸を引いているのは、中国(満洲)にいる日本の陸軍、関東軍です
日本政府はその時、犬養毅首相
犬養毅首相は満洲国のことを認めません

当時色んな権益があったので、日本の景気はかなり良かった
景気が良いと言うのは、国民は政治が良いと勘違いしてしまいます
今から思うと暴走している関東軍ですが
国民は必ずしもそうは思っていない

犬養首相に対しても風当たりが強くなってくる
そして、あの忌まわしい事件
五・十五事件で犬養首相が暗殺されます
1932年5月15日

大きく言うと、明治維新から始まった日本の政治は
薩長、特に長州の藩閥政治で始まり
長い時をかけて、政党政治に変わっていった
憲政の常道と言われる、国会で多数を占めた政党による政治
国民の選挙により担保されたその仕組みを国民が作り上げたと言える
犬養首相は最後の政党政治
このあと、戦後になるまで、政党からの首相は、生まれていません
軍による内閣

犬養首相のあと、いきなり陸軍の首相にはなりませんでした
やはり、陸軍が突っ走っている感はある
陸軍を抑えるとして海軍の穏健派、斎藤実首相になります
でもやっぱり軍は軍
斎藤首相は満州国を認めます

よく、太平洋戦争は陸軍が暴走したために起きた、と言われることがあります
間違ってはいないと思いますが
それだけであの戦争に突入していったわけじゃない
哀しいかな、やはり国民の総意として戦争に向かっていったという気がします
そこに、我々が歴史から学ばなければいけない点があると思う

このあと、さらに情況は悪化し
二・二六事件へと進んでいくのですが
続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[旅行] 全国陶磁器巡り。美濃焼は陶器界の革命児

[旅行] 全国温泉巡り。東日本編
[旅行] 全国温泉巡り。中部西日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。東日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。中部近畿編
[旅行] 全国渓谷巡り。中国四国九州編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財編
[旅行] 全国城巡り。国宝重要文化財以外
[旅行] 全国洞窟巡り。
[旅行] 全国海岸巡り。西日本編
[旅行] 全国滝巡り。東日本編
[旅行] 全国滝巡り。西日本編
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その1
[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その2
の続きです。

美濃
陶磁器産地として六古窯を紹介してきました
(瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前)

その産地で陶磁器の生産はかなりの割合を占めるかというとそうではない
六古窯に含まれないにも関わらず、全国の陶磁器生産の実に50%以上を占める巨大産地が美濃焼。
岐阜県になります

1300年の歴史を誇るので、六古窯に入ってもおかしくないのですが
六古窯は、美濃焼に対抗すべく紹介された経緯があります

美濃焼の特徴はその時代に、人々の好みに合わせて新しく釉薬を開発し、
技術を築いて様々な姿形、色彩の焼物を誕生させてきたこと。
だから、美濃焼の特徴は、と言われるとひとつに限定できず
色々、ってことになります

特に桃山時代に、大発展を遂げます
古田織部を始めとして、茶道での有名人が美濃焼に関わり、
芸術性を高めていきました
黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部という基本の四様式があり、それぞれに特徴がある

ただ、それだけでは、シェア50%にはならない
芸術作品にとどまらず、大衆的な食器を大量生産出来る技術を開発した
この前、明治大学の博物館で映像を見たのですが
かなりの工程が機械化されており、ものすごい速さでバンバン陶器が出来上がっていく

さらに食器に限らず、タイルなどの建築資財等、あらゆるジャンルに拡大していった
多治見市には、モザイクタイルミュージアムというのがある

まだまだ陶磁器の有名な生産地がありますので
次回続きを書きますね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

[英語] 残念、と言いますか

添乗員としての仕事が始まっていますが
さらに、スカイホップバスの乗務員という仕事もやらせてもらえるということを言っていました。
スカイホップバスに乗ってみたら

赤い屋根のない2階建てのバスが東京都心の観光地を巡る
お客様の8割が外人さんなので、仕事は英語
何としても英語を話せないといけないので、英語の勉強を頑張っていた訳です。
TOEIC355点だった。英語を頑張っている理由

年齢からして本業のITの仕事が、もうすぐ終了するだろうと思っていたけど、まだ続いており、月にそれほど多く仕事を入れられない
本来、1月からスカイホップバスの研修を受けて開始のはずだったけど
連絡を伸ばし伸ばしにしていた

1月2月に添乗員関連のお休みを取りすぎたので、3月の添乗員可能日を少なめに提出していたら、3月の添乗員は2日間だけになった
よし、スカイホップバスだってことで連絡し、先日行ってきた

研修だと思って行ったら、スカイホップバスの仕事割振り係の人と一緒に、試乗の回でスカイホップバスに乗ってみるという趣旨だった

スカイホップバスは、結局一番やりたかったガイドの仕事をする訳ではないと分かったことで、いまいち熱が冷めていた事も事実
英語の上達が遅々として進まないので、やっぱり正直に言うべきだろうと
「英語に自信がないです」と伝えた

その場では大丈夫ですよ、と言われていたけど
いまいちのムードになった

本当の研修の日程はメールで日程調整という事だったが
案の定、先方の方から、お断りのメールが来た

あらら、残念

ああ、これで英語をやらなくて良い
と思った事も事実

今まで、とても複雑な気持ちが続いている
英語の勉強どうしようか

そもそもの経緯は、本業が終わりそうなので別の業界に道をつけておかなきゃならないということから、社労士の資格を取ろうとして、2年頑張ったけど資格を取れず断念
次なる目標として旅行業界
旅行業務取扱管理者の資格を取ったけど
就職活動で落ちまくり、ようやく添乗員を始めさせてもらえることになった

本当に一番やりたかったのは東京の観光地のガイド
でも、その仕事の募集はことごとく英語が必須になっている
TOEICを受けたら355点と、日常会話レベルの最低ライン470点に届かなかった

唯一受かったのがスカイホップバス
だんだん分かって来たのはスカイホップバスはガイドが出来る訳ではない
でも、英語が必須なので
いずれにしても英語が必須のガイドの仕事へのステップとして
通らねばならない道だとして頑張ろうと思っていた

添乗員の仕事をやってみて、思った以上に充実感が得られると分かった
東京のシティガイドの仕事に本当に挑戦すべきなのだろうか

ITの仕事は少なくとも年金が始まる6月までは続く契約になった
それ以降は分からないけど、もう少しやらせてもらえそうな気もしてきた

元々英語という勉強のジャンルが好きだった訳じゃない
やってみて、やっぱり予想通り、ものすごい時間が取られる
スパッと止めるべきだろうか

せっかくここまでやってきたし
ほんの少しずつだけど上達はしてきているし
もったいないという気持ちはある

ああ、迷う

今のところやめてはおらず、続けてはいます

今後決めたら、報告しますね

[英語]シリーズはこちら(少し下げてね)