[ことば日本史] 知らぬ顔の半兵衛

ことば日本史、戦国時代から

知らぬ顔の半兵衛
織田信長は、美濃国の領主、斎藤龍興(さいとうたつおき)を攻めるにあたって、
美濃国の有力者である竹中半兵衛の助力を得たいと考えていた。

信長から勘当されていた前田利家は、
よしこれはチャンスかも
半兵衛の娘、千代と恋仲になり
お父さんの半兵衛を抱きこもうとはかる。

だが半兵衛は、一枚上手だった
心をゆるしたふりをして、
信長側に味方してほしいという利家の申し入れを聞きながら、
逆に織田信長の情勢を聞き出して、
その情報を龍興に伝えた。

この故事にちなんで、
人から助けを求められた者が人情をかえりみず動かないことを
「知らぬ顔の半兵衛」と言うようになった。

もっとも、これは事実ではなく、
寛政元年(1789)年に大坂で初演された人形浄瑠璃
『木下蔭狭間合戦』(このしたかげはざまがっせん)で創作された話。

実はもうひとつの説
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が竹中半兵衛勢を含む全軍を伴って出陣
ところが旗色が悪くなった

全軍撤退ーっ

でも、竹中半兵衛は聞こえないフリ
今日耳日曜

こらあっ半兵衛
命令じゃあ、何しちょる

でも残った竹中半兵衛勢が大活躍の逆転勝利

秀吉
おおっ、よくやったよくやった

申し訳ございません

はあ?撤退?
わしそんな事ゆうたっけ

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[ことば日本史] 陣笠とすっぱぬく

ことば日本史、戦国時代から

戦国時代には、戦場から生まれたことばもありました

陣笠
戦場で、下級武士は兜をかぶることはできない。
雑兵(ぞうひょう)は、目印になるよう主家の紋を入れた大量生産品の笠を貸し出された。
これが陣笠。

江戸時代には、下卒の訓練用に用いられるようになり、
やがて陣笠をかぶっている下級武士自身が、この名で呼ばれるようにもなった。

現代では、新人の国会議員をさして「陣笠議員」と呼んだりします

すっぱぬく
戦国大名に召し抱えられた、野武士や強盗出身の忍者たちが、すっぱ「透波(素破)」、または、らっぱ「乱波」とも呼ばれた。

武田信玄は信州のすっぱを七十人も使ったといい、
北条氏直(うじなお)は二百人のらっぱ「風魔一党」に夜討ちをかけさせたという。

高坂弾正は、美濃・近江のすっぱ二千人のなかから忍の名人「変化ノ六平」と、
早道の一番「竜馬の小六」を選び出して召し抱え、
豊臣秀吉は近江のすっぱで早道忍(はやみちのしのび)の名人「走りノ一平」を扶持した。

こうしたすっぱたちが敵の秘密を探り出すことの連想から、
人の秘密を暴露することを「すっぱぬく」と表現するようになった。

ふいに刃物を抜くことも「すっぱ抜く」といい、
こちらの言葉が先にできてから、忍びのすっぱに連想が働いて、
秘密暴露の意味でもすっぱぬくというようになったものとみられる。

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[ことば日本史] 四畳半

「ことば日本史」室町時代より

四畳半
文明9(1477)年11月に応仁の乱が終わると、
足利義政は乱の前に計画していた東山山荘の造営を再開した。

通称銀閣寺こと観音殿で有名な、慈照寺である。
その持仏堂の一角にある同仁斎(どうじんさい)は、
現存する最古の四畳半である。

村井康彦『乱世の創造』(角川書店)によれば、
四畳半とは、「隠者の営んだ山里の草庵の規模―一丈四方のことであり、またその草庵そのもののことだった。
すなわち四畳半とは世俗をはなれた世界、
脱俗の空間のことにほかならない」という。

日常生活のなかに美的な虚構を楽しむ茶道や華道の美学は、
この日常空間の虚構化とともに生まれ育った
やがて四畳半は、茶室の標準とされ、
さらには日本人の室内空間の標準ともなった。

奈良・平安時代の建築は窓がなく、
蔀(しとみ)の上げ下げで光を取り入れていたのを、
義政は畳・障子を取り入れ、障子を開けることで庭の四季を鑑賞し、
さらに天井板、床板、違い棚を作らせて書籍や唐請来の珍物を飾った。
この同仁斎の書院造の建築様式が、
今日まで続く日本建築の原点となった。

500年前の将軍足利義政の美意識は、
すべての日本人に永遠の資産を遺した。
彼の美意識は建築に止まらず、書画・唐請来の美術品、
また今日まで続くお茶・お花・作庭の原点も作っている。

身分に関係なく書院造が許されて
和風住宅の基本形となったのは、
明治になってからのことだが、
それ以降、武家によって養われてきた美意識が大衆化していく

その美意識が意識されなくなったのは、
家庭に電化製品があふれだした高度経済成長以降なのかも知れない

さて、応仁の乱は終息しても、もはや平和な時代は訪れなかった。
群雄割拠の戦国時代へとすべりこんでゆくことになる。

[日本語の発音] 漢字によってもたらされた発音

[日本語の発音] 奈良時代に母音は8個あった
[日本語の発音] ハヒフヘホはパピプペポ
[日本語の発音] 発音通りに書いた時代
[日本語の発音] ゐ、ゑ、を
[日本語の発音] 漢字仮名混じり文の開発
[日本語の発音] 室町時代。じとぢ、ずとづの統一
の続きです

ここで、もともとの日本語の発音が漢字の導入によって変わってきた点をまとめたいと思います

発音
もともとの日本語の発音の大きな特徴は、音節が母音で終わるというものです
日本語とイタリア語はこの特徴を持っていますが
英語なんかは、子音で終わる発音がいくつもある

私は関西人で、関西人の発音は母音が強い特徴があるので
英語の発音がとても苦手
shockはショック[shokku]と母音までつけて発音する

漢字
ところが中国語は、子音で終わる発音がある
中古漢語には、-k -t -pをはじめ -m -n -n等、子音終わりの漢字があった。
-k -t -pで終わる漢字は三内入声音(さんないにっしょうおん)という。
「三内」とは、喉、舌、唇のうち、どこで発音するか。
-k(喉内)、-t(舌内)、-p(唇内)

最初は、忠実にそのまま発音するように頑張った
ところがだんだん、ムリムリってことで母音をつけて発音するようになっていく
仮名で表現できないと、発音が説明しづらい訳です

◆喉内音-k
「ク」で表すことが多い。
覚(カク)、石(サク)、木(モク)、駱(ラク)、徳(トク)、黒(コク)、国(コク)、楽(ラク)、足(ソク)

◆舌内音-t
「チ」あるいは「ツ」で表すことが多い。
褐(カチ)、纈(ケチ)、室(シチ)、筆(ヒチ)、逸(イチ)、鉢(ハチ)、仏(フチ)、埒(ラチ)、薩(サチ)

◆唇内音-p
唇内入声音は最初「フ」によって表記されたが、後に 「ウ」に替わって転写された
雑(サフ)、葉(エフ)、甲(コフ)、塔(タフ)、蝶(テフ)、挿(サフ)、立(リフ)、執(シフ)、業(コフ) 等々

一番苦労したのが唇内音-p
今まで説明して来たように、ハ行の発音自体が変わっていくので
最初、フが唇内音-pにかなり近かったので「フ」にしていたんですが
日本語の発音自体が「ウ」に近くなり「ウ」の表記に変わっていく

当初のてふてふは蝶々な訳です

あれ?と思うものがあります
◆唇内音-pの例の中にある雑(サフ)、立(リフ)、執(シフ)
なんと、これらは、表記を間違える

雑(サウ)、立(リウ)、執(シウ)とすべきところ
雑(サツ)、立(リツ)、執(シツ)にしちゃった

間違えちゃった方で定着はするものの、やっぱり変
ってことで、一部に正しい読み方も残っている
固執は「こしつ」だけでなく「こしゅう」とも読むし
建立「こんりゅう」雑兵「ぞうひょう」雑巾「ぞうきん」なんてのもある
これらはいわゆる漢音呉音とは別の要因での漢字の二通りの読み方

この話は私にとってとても興味深くワクワクするものでした
以前書いた漢字の音読みの二音目の話に関連するからです
漢字の音読み
これを元に、ワープロの新しい入力方法を考案し
電気メーカーに売り込んだりしました
裏付けとなる理屈と歴史は分かったのはとても嬉しい

拗音
もともとの日本語の発音にはなくて漢字によってもたらされたものに拗音(ようおん)がある
小さい「ゃ」「ゅ」「ょ」です
江戸時代に完全に定着します
ただ、小さく書くようになったのは明治になってからです

拗音の表記は、外国語を取り入れるのにとても役立ちました
キャンプやショック等です
ただ便利過ぎるデメリットもあります
日本人は外国語の発音が下手とされるのは
何でもかんでもカタカナに書いて発音を理解してしまうためです

ここまで来て大きな疑問
これだけ詳しく色々考察してくれているのに
なぜ「ん」について触れていないんだろう
もともとの日本語の発音になくて
漢字によってもたらされた発音の、最も大きなテーマは「ん」だと思うけどなあ
もともとの日本語には「ん」はありませんでしたから
「あまてらすおおみかみ」「おおくにぬしのみこと」
「ん」は使わない
以前に書きましたので、よろしかったら
「ん」がなかった
「ん」がなかった。続き
「ん」がなかった。続きの続き。空海のチャレンジ
「ん」がなかった。続きの続きの続き。「ん」が生まれる

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