[関東の戦国]6 関東の抗争終焉に向かう

[関東の戦国]1 戦国時代のベース
[関東の戦国]2 享徳の乱、長享の乱
[関東の戦国]3 北条氏現わる
[関東の戦国]4 北条と上杉のバトル
[関東の戦国]5 勝って嬉しいはないちもんめ
の続きです

関東の戦国シリーズも最終回になります

前回は、北条氏が上杉謙信と同盟を結んだところまででした
武田の侵攻
武田は強かった
とても強かった

今川領が食い潰されていく
今川北条武田の強固な同盟が武田によって突然破られ
怒った、北条は今川側につくのだけど
今川領がどんどん減っていく中で、今川と北条の力関係も変わっていき
今川は北条の属国的になっていく

北条は恐怖におののく
次はうちがやられる

その武田に対抗するため
長らく戦いを繰り広げてきた上杉謙信と同盟を結んだ
ところが、この同盟が思ったほど機能しない

国衆たちは、北条と上杉の押し合いへし合いの中で
あっちにつきこっちにつきしてきたものの
プライドはある

急に親分同士が手を結びましたから、と言われても
上杉憎し、や北条憎し、で味方してきた国衆たちは
「それはちょっと違うんじゃないの?」

そんなんだったら、自分たちの独自路線を進むよって国衆たちが
佐竹氏の元に集結してきた
佐竹一統と言い、大名化してくる

北条としては、直接対峙している武田との戦いに、
援護してくれる事を期待しての同盟だったのに
上杉謙信がいまいち援護を積極的にやってくれない

北条の中では
上杉との同盟は意味がないんじゃないの?
という空気が流れ始める

そうこうしているうちに、北条氏康が没する
前から、氏康と息子の氏政が協力しあいながら進めていたものの
氏政は氏康ほどのカリスマ性がまだ発揮できていない

氏政はあまりに武田が怖いので
上杉があてにならないんだったら
武田と和睦を結ぶしかないんじゃないの?
と、武田と元のような同盟を結ぶべく動き
実現させる

上杉謙信にも
どうでしょう、上杉さんにも入ってもらって
広域な同盟ってことにしませんか?

とはいえ、上杉謙信は感じとる
この呼び掛けは、正式な形は取られていない
ってことは、形ばかりの呼び掛けに違いない
武田との同盟は、上杉との決裂が条件になっているに違いない

やだね
北条武田同盟軍がうちに向かってくると言うのなら面白いじゃないか
受けて立とう

ということで、上杉北条同盟は決裂
また、長く繰り広げられてきた、関東抗争に逆戻り

佐竹一統は
そらみたことか
もうあっちつく、こっちつくは信じない
独自路線に切り換えておいて良かった

北条はさらに保険をかけるべく
武田領と西側を接している徳川家康とも近づいていく

気づくと、織田信長が京都に侵攻し
天下統一をせんがほどの勢い

武田に陰りが見え始める
発表はされていなかったが
武田信玄が亡くなっていた

さらに、上杉謙信が亡くなる
北条氏康、武田信玄、上杉謙信という関東抗争の主役たちが
相次いで亡くなる事で、関東抗争が終焉に向かっていく

上杉内では、謙信後の家督争いで分裂し
急激に勢いが削がれていく

次世代の当主たちは、中央との関係を意識せざるを得なくなり
織田信長への忠誠を尽くす形を取っていく

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[足利将軍]15-3 義昭。秀吉へ

[足利将軍]15 義昭。信長と二人三脚
[足利将軍]15-2 義昭。信長との決別
の続きです

足利将軍シリーズは今回で最終回となります

毛利立つ
義昭の求めに応じ、西国一の大名毛利が反織田信長で立った
すると、上杉謙信も立ち
武田勝頼、大阪本願寺も呼応した

義昭は反織田信長の旗頭になる
信長に追われて京都から紀州に移座したとき、
わずか二〇人にまでその侍臣を減らしていた。
ところが、それがたった二年半で、あれよあれよという間に復活を遂げた。
そして、今や毛利や上杉といった、当時日本を代表する有力大名たちの旗頭になったわけである。

緒戦では、織田信長を大いに苦しめる
ただ、それぞれが力を持ちすぎているがゆえに
細かいところで意思統一がはかれないとほころびが生じていく

そして、上杉謙信の死をもってその力が削がれていった

大阪本願寺が最初に織田信長に屈し
続いて、武田勝頼が敗れた

残るは毛利
そして、毛利に庇護されている義昭
毛利を討て

その指示を受けたのが、明智光秀だった

本能寺の変
歴史

一日にして変わる

明智に続いて毛利を討つべく向かっていた羽柴秀吉は、
毛利との講和を急いで実現させ、京都へ引き返す

義昭は命拾いをした

そんな義昭ら近づいて来たものがいた
柴田勝家
秀吉と主導権争いをしている、織田信長の重臣

義昭は呼び掛けに応じた

ところが、柴田勝家は
秀吉に討たれてしまった

今度こそ終わりか

ところが、また義昭に近づいて来たものがいた

羽柴秀吉である

秀吉は義昭に利用価値を見出だした

島津を降伏させよ

義昭は島津と強いパイプを持っていた
島津に秀吉への降伏を迫り、実現させた

この結果、15年ぶりに京都に戻ることができた

秀吉の臣下となり、1万石を与えられて、大名になった
余生を静かに送る

61歳にして、死の床に伏す

彼には一子・義尋がいたが、この人物は僧籍にあった。
義昭が足利旧将軍家を存続させるためには、この義尋を還俗させるか、
誰かを養嗣子にしなければならなかった。
だが、義昭がそのような手続をとった形跡はない。
それゆえ、義昭が大坂で61年におよぶ波乱の生涯を終えると、
旧将軍家は後継者なきゆえに断絶した。
時に1597年(慶長2年)8月28日のことである

翌年、豊臣秀吉もこの世を去る
その2年後には関が原の戦いが起き
さらに歴史は大きく変わっていく

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[首相]46-2 竹下登。消費税でおたかさんと激突

[首相]46 竹下登。目白との決別
の続きです


消費税
1988年度(昭和63)予算案に対して、与野党が対立
自由民主党は、「抜本的な税制改革の一環として、恒久財源を求めて実施する」と回答したが、
野党は減税を餌に消費税の導入を図るものだと反発し、国会は紛糾した。

その後、減税規模と財源について、規模を1兆2550億円とし、
財源は消費税に求めないことで合意された。

でも合意がひっくり返され、竹下内閣は1988年6月28日、
消費税導入を含む政府税制改革要綱を閣議決定する。
消費一般に課税する消費税導入を打ち出す一方、
所得税・法人税・相続税の大幅減税と、
株式売却益への原則課税強化など不公平税制を是正するとする、
税制改革に関する内閣総理大臣談話を発表した。

その翌月の7月20日に開かれた衆議院本会議で竹下は、
「若し聞く人なくば、たとひ辻(町角)立ちして成とも吾志を述べん」という
石田梅岩(江戸時代中期の思想家)の言葉を引用して、
消費税導入への不退転の決意を表明した。

事実、9月から竹下は岐阜を手始めに、
消費税導入の必要性を国民に訴えかけるために、
辻立ちで地方遊説をしている。

竹下登の不退転の決意
過去の経緯から、これを実現しようとすると選挙で大敗
分かってはいても、竹下は自分がその地雷を踏むことを選ぶ

ところが追い打ちをかける事件が勃発する

リクルート事件
同じ衆議院本会議でリクルート事件が問題となったのである。
代表質問に立った社会党の土井たか子委員長が、
竹下の演説にリクルート事件に関する発言が全くないとして、追及した。

竹下が「政権の命運を賭けた」税制国会は波乱が続く

消費税スタート
税制問題等調査特別委員会が設置され、委員長に竹下の盟友金丸信が就任した。
野党との太いパイプを持つ金丸信が、あれやこれや

ただ、土井たか子(おたかさん)は動じない
ダメなものはダメ

やはりリクルート事件が足かせとなる。

11月10日に開かれた衆議院税制問題等調査特別委員会で、
法案は自民党単独で強行採決される。

国会審議はストップするが、
衆議院にリクルート問題調査特別委員会を設けることや、
税制改革法案に関しては消費税実施後に弾力的に運用するといった条件によって野党の合意を得て、11月16日に税制改革6法案は衆議院を通過した。

税制問題等調査特別委員会の審議時間は86時間30分で、
当時史上3番目の長時間審議であった。
12月24日の参議院本会議で、竹下悲願の税制改革法案は可決・成立した。
そして、翌1989年(平成1)4月1日、消費税がスタートしたのである。

今や消費税率は10%
税収の中の約半分を占めている

おたかさんブーム
一方の土井たか子はきっぷの良い男前なイメージで人気がうなぎ登り
おたかさんブームを巻き起こす
「やるっきゃない」は流行語に

リクルート事件の追及を受け、竹下はとうとう退陣

退陣後の参院選では、自民党が予想通り大敗
竹下登もおそらく最初から分かっていたろう

自民党は過半数割れで、参議院の首班指名は
「土井たか子」

あの名言が生まれる
「山が動いた」

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[外交]5 日露戦争から第一次世界大戦へ

外交資料館に行って来ました
[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?
[外交]4 三国干渉から日露戦争へ
の続きです

日露戦争
憎きロシアに勝ったと国民は沸き立ったが、賠償金はもらえなかった
国民の怒りはおさまらない
日比谷焼き打ち事件という暴動がおきる
結果、桂太郎内閣は退陣

日露戦争をバックアップしてくれたアメリカとは協定が結ばれ
アメリカがフィリピンを支配することを日本が認める替わりに
日本が韓国を保護国化することをアメリカが認めてくれる
その後、イギリスも追随
ロシアも仕方ないと認めます

1905年、韓国に、統監府というのがおかれます
その後、伊藤博文が満州で暗殺された事をきっかけに
1910年、韓国併合
韓国が日本の領土ということになり
名前も韓国から朝鮮に変わります

1911年、辛亥革命がおき、清がなくなり、翌1912年から中国は中華民国になります
ここから、大正時代です

第一次世界大戦
日清、日露、第一次世界大戦と、3つの戦争は全て西暦末尾が4年
10年おきに戦争をしていた訳です
1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦勃発

きっかけはオーストリアでの暗殺事件
オーストリアとセルビアが火花を散らします
ここにからんでくるのが、三国同盟と三国協商の対立。
三国同盟は、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリア。
三国協商はロシア・フランス・イギリス。
ロシアってここではイギリスと近いんですね
でも第一次世界大戦は、しょせんヨーロッパの戦争、
日本にとっては関係ないわけです。

しかし、日英同盟ってありましたよね。
日本はイギリスと同盟を結んでいるんです。
だから日本も戦争に参加します。
もちろんイギリスの味方です。
三国協商側につくわけです。


日本はさっそくドイツに宣戦布告します。
なぜドイツに宣戦布告したのか。
その理由は当時、ドイツが中国に持っていた領土にあります。
ドイツは青島を中心とする膠州湾(こうしゅうわん)を中国から租借していました
日露戦争で日本の領土となった遼東半島のま向かいです

第一次世界大戦の最中
ロシアでロシア革命がおきます
ロシアがソ連になっちゃう
三国協商でのロシアはソ連になる前のロシアだから
ソ連は三国協商の連合国からすると新しく現れた敵
日本に要請が入ります

シベリアに行って、ロシア革命の邪魔をしてきてくれないか

はーい

第一次世界大戦は三国協商の連合国側が勝利しますが
ロシアはソ連に入れ替わっちゃっています

その後の話はまた、シリーズの次回

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