[織田信長]7 義昭を将軍に

[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる
[織田信長]4 血戦桶狭間
[織田信長]5 天下をお取りになるまでは
[織田信長]6 上洛の大義名分
の続きです。

上洛
足利義昭(よしあき)を将軍として擁立し、京へ登る
足利義栄(よしひで)を将軍と擁立する三好三人衆を倒す必要がある
岐阜から京への道のりで、立ちはだかるのが、三好三人衆に近い、六角氏
美濃、尾張、北伊勢の全土に大動員をかける
徳川も援軍に加わる

箕作(みつくり)城と和田山城とを同時に攻める。
先ず箕作城の討手は佐久間右衛門信盛、丹羽五郎左衛門長秀──そして木下藤吉郎秀吉
おおっと声が上がる
秀吉は大抜擢。武将として名が上がったのはこの時初めて

和田山城へは、森三左衛門可成、坂井右近政尚──そして明智十兵衛光秀
光秀はもっと意外だった
光秀にはほとんど部下がいなかったから、信長が部下を貸し出した

箕作城で激烈な攻防が続くが、次第に織田方が有利になり、終わりが見えてきた
ここで、秀吉が動く
開城を交渉して話をまとめる

佐久間と丹羽は、猿めが余計なことをせねば全滅できたものを、と呟いたが
論功一位が佐久間と丹羽、二位が秀吉とされたので満足
ただ、秀吉の部下は三百から五百に増やされた

和田山城は大苦戦
光秀が三の丸を攻め落とすと
森、坂井の軍勢が傍観が決め込むようになった
光秀孤軍奮闘の大苦戦
元々借りた部隊、なかなか思ったように動いてくれない
せっかく初めて与えられた機会。むざむざ討ち死にするしかないのか
と、思ったとき
箕作城開城の報がもたらされ
敵方から開城交渉が提案された
助かった

光秀は、開城させたことを信長に報告したが
であるか、と、うなづいただけで特に何の賞詞も与えなかった

緒戦二城での勝利の影響は大きく
他の城は戦意を失い、一両日のうちに、六角領内は全て信長に服した

信長は、岐阜を出発してわずか21日にして、京に入った

京で待ち構えていたはずの三好三人衆は、六角氏惨敗との知らせを受けて
早々に逃げ出してしまっていた
小清水城にいた足利義栄も、四国へと逃走した

その後、山城、摂津、河内、和泉の機内各地をことごとく平定し
義昭を奉じて、京へ戻る

義昭は朝廷から正式に征夷大将軍の宣下を受け、第15代足利将軍になった

義昭は、信長への謝意をどう表せば良いかと
管領職は?
副将軍では?
と聞くが、いずれも「否」

岐阜に戻ることを告げる

何、もう帰国されるのか

国許がいささか心もとない

又すぐに上洛してくれるであろうな

必要とあればいつでも

国許に帰った信長は次なる相手、南伊勢の北畠氏の征討を準備
年が開け、そろそろかと思っているときに知らせが入った
三好の残党、本国寺の公方の仮屋形を襲いつつあり

北畠延期

その頃、義昭の本国寺では、必死の抗戦を繰り広げていた
義昭を守るはわずか千人ほど
攻めるは三千人
援軍が来るまで、何としても時間を稼がねば

義昭、坊主上がりで苦労してきたため、頭が回る

本国寺は代々三好家の深く帰依するところ
このまま、攻め続けなされば、
我は本国寺に火を放ち、自害いたします
本国寺に御意趣はなき筈
しばしお待ちいただければ、居を移そうと考えているがいかがか

確かに、本国寺には三好家の墓が多くある
明日まで、攻めを待とう
と、一旦軍を解いた

その隙に、連絡を入れた伊丹、池田らの援軍が、本国寺にどどっとなだれ込む
その数、三千五百。数では互角になった

坊主め、謀ったな

一方、信長は雪を蹴散らして岐阜城を後にしていた
わずか2日で、本国寺の山門に到着した

まさかっ
信長を見た三好一党は、恐れをなして逃げ出した

間に合ってくれた
義昭は、信長の手を取って涙を流した

本国寺では、危ない
強固な屋形を築いて差し上げよう
二条の旧御所の跡に大城郭の普請を命じた

40日足らずで、二条城を完成させた

続いて、朝廷の禁裏の修復に取り掛かるが
こちらは4年半をかけて重厚なものに仕上げていった

秀吉を呼ぶ
堺の商人が、三好に資金を提供していると聞いた
ひねり潰してくれ

殺すのは簡単ですが、首を絞めて金を出させる方が得策かと

そうか。ならばやってみい

秀吉が、堺におもむいた

その方等、三好に力を貸して、公方様に敵対する由、不埒千万
三方より火を放ち、全町焼き払ったあと、男女関わらず仕置する

風のとても強い日だった。信長の焼き討ちは有名。
火をつけられてはひとたまりもない

お待ちくださいませっ

今後公方に敵対行動をせぬこと、上納金2万両を直ちに献上することを約束させた

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[外交]10 負けるとしか思えないのになぜ

外交資料館に行って来ました
[外交]2 条約の改正に頑張る外務大臣たち
[外交]3 日清戦争は朝鮮の内乱?
[外交]4 三国干渉から日露戦争へ
[外交]5 日露戦争から第一次世界大戦へ
[外交]6 第二次世界大戦への背景
[外交]7 15年戦争の始まり。満州事変から
[外交]8 ニ・ニ六事件そして日中戦争
[外交]9 第二次世界大戦から太平洋戦争
の続きです

前回、1939年に、第一次世界大戦が始まってから、1941年末に真珠湾攻撃で日本が太平洋戦争を始めるまでを書きました

でも、やっぱり分かりづらい
負けるとしか思えないのに、なぜアメリカ相手に戦争したのか
当時の人たちはどう考えていたのか

中国
すでに日中戦争をしているというのが大きいと思う
一番広くなった中国内の占領地域はこんなに広い

にも関わらず、日清戦争の時のように「勝ち」にはならない
何故かというと、イギリスとアメリカが中国を支援しているから

中国は課題を抱えていて、中国共産党が勢力を伸ばしてきている
イギリスとアメリカとしては、日本が強くなりすぎては困る、ということに加えて
日本に攻撃された国民政府が弱体化し、中国共産党に取って代わられても困る
ソ連に加えて、共産主義の巨大な国ができるのは何としても避けたい

日本としては、イギリスとアメリカに邪魔させないようにしたい
イギリスはアジアに植民地を持っていて、シンガポールが拠点
そこから、中国に支援の物資を運んでいる
であれば、そのルートを断とうと考える
その間には現在のベトナムあたりの仏印と呼ばれる地域
仏というくらいなので、フランスの植民地

第一次世界大戦で、この時、フランスがドイツに屈服
とすると、ドイツがここを取りに来そうだが
ドイツはヨーロッパで戦争中なのでそれどころじゃない
じゃあ、主人のいない地域を日本が取りに行こうという発想

東亜新秩序と言って、日本が中心になり、朝鮮、満州、中国が協同していこうという発想がさらに広がり
大東亜共栄圏という発想になる
東アジア全体は植民地化されて可哀想なので
日本が救ってあげよう、と言うんだけど
結局は言葉が違うだけで、日本がフランスに変わって植民地化しようとしている
少なくとも、アメリカはそう捉えた

この時点では、まだソ連もアメリカも参戦していない
三国同盟も、連合国も、国力では拮抗している
圧倒しているのは、ソ連とアメリカ

アメリカと交戦せざるを得なくなることを見越し
ソ連だけは敵に回したくないと、外務大臣の松岡洋右(ようすけ)は
ソ連へ行き、1941年の4月に日ソ不可侵条約を締結してくる

一安心
ところが、ドイツが急にソ連へ侵攻
そんなことしたらソ連が敵に回っちゃう

松岡洋右、かくなる上は、ソ連への侵攻を主張
自分で不可侵条約結んできたのに

ここで、意見が2つに割れた
北へ攻めるべきか
南へ攻めるべきか

すでに戦争している日本は、戦争することは前提になってしまっており
このあと、どっちへ広げていくかという議論になる
結局は、松岡洋右は解任され
南への拡大に統一される

そして、その結論は、何度も警告されているアメリカを怒らせることになる
アメリカとしては、中国へ資金援助するも
武器は中国に輸出していなかった
アメリカもできれば戦争は避けたいため、その一線は守っていた
ところがいよいよ、中国に武器を輸出するよう方針転換
開戦は秒読みの情勢になってきた

先程のグラフでも分かるように
この時点ではアメリカは参戦していないため、
それほど真剣に武器を作っている訳じゃない
圧倒的な国力の差もこの時点で、軍事力の差として現れてきていない
アメリカが本気になれば、桁が違う差が生まれるだろうが
(実際に桁が違った)
短期決戦なら勝てる
軍部はそう考えた
圧倒的な国力を持ちつつ、短期で降伏するはずはないと思うが
「短期決戦で勝てるから」と天皇を説得
そこでは、ドイツが、イギリスに勝ち、それを見たアメリカに厭戦気分が強まるから、という他者頼みの机上の空論が積み重ねて説明された
そのための奇襲作戦を準備

アメリカとの国力の差は
開戦時の国民総生産でいえば、アメリカは日本の12倍、
すべての重化学工業・軍需産業の基礎となる鋼材は日本の17倍、
自動車保有台数にいたっては日本の160倍、石油は日本の721倍もあった

「勝てる訳ない」ので、国民にはこの差は知らされなかったかと思いきや
むしろこのことが宣伝された
強いものに立ち向かっていくことこそが大和魂(やまとだましい)なのだと鼓舞された。

一部の有識者の中では
中国や仏印への侵攻は評判が良くなかったが
アメリカへの開戦はむしろ歓迎された
仏印等は弱いものいじめしているようで嫌だったが
こちらは弱いものいじめされた日本がやってやるんだ!と

残っている日記とかを見ると、当時の一般庶民の感覚も似たものがある
いよいよ、正義の戦いが始まるのだと

日清日露を経験し
すでに日中戦争をしてしまっている段階での国民感情は
勝ちさえすれば全てが報われる、だったんだろう

強いものに立ち向っていくヒーローを気持ちとして共有し
「団結すれば勝てる」だったんだろう

私の考えを言いたい
勝てば良い、負ければ良くない、ではない
戦争自体、絶対やってはいけないことだと思う

戦争でいっぱい日本人は亡くなった
原爆を落とされ、甚大な被害を受けた
どこかで、「日本は被害者」的意識がある気がする

いっぱい外国人を殺している
やはり経緯からして、日本は「侵略」しようとしたと思う
色んな大義名分を掲げて行われるのが戦争
もっと日本人は反省すべし、と言いたいんじゃない
そういうのが戦争なのだから
殺したから、殺されたから、じゃなく
戦争自体がやっちゃいけない事なんだと思う

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[ことば日本史] 天下分け目の関ヶ原

ことば日本史からのシリーズ
戦国時代の最後です
締めくくりはやっぱりこれ

天下分け目の関ヶ原
慶長三年(1598)、豊臣秀吉が亡くなると、
遺言にしたがって、政権は、徳川家康を筆頭とする五大老と、石田三成を筆頭とする五奉行によって運営されることになった。
秀吉は死の前に五大老、五奉行に、子息、秀頼にしたがうことを誓わせた。
「くれぐれも秀頼をよろしく」
弱々しく頼む秀吉に、家康は涙ながらに、補佐することを約束していた。
だが慶長四年(1599)正月、はやくも五大老、五奉行の内部に対立が深まり、
さまざまなトラブルを通じて、家康と三成との対立が表面化した。
そのような状況下にあって、家康は秀吉の築いた伏見城本丸に入る。
「天下殿になられ候」
そう評されるような行為だった。

八月を過ぎると、他の四大老はみな帰国し、
家康ひとりが残って大坂城西ノ丸に入り、五大老の権限を一人で振るうようになった。

このとき、会津に帰国した上杉景勝は、城の修築や道路の補修など、領内の整備を進めた。
誰もが、これは戦争の準備であろうと受けとめた。

慶長五年(1600)四月、家康は景勝に使者を派遣して
「上洛せよ」

景勝は、
「上洛しません」
家康は、諸大名を率いて東下し、7月21日、江戸を出陣する。

チャンスと考えたのが石田三成
よし、この隙に。
五大老の一人である毛利輝元を盟主として、家康を糾弾、挙兵した。
伏見城を攻めて近畿をおさえると、さらに濃尾へと進出してゆく。

家康は、24日、下野小山で三成挙兵の報を受け、
8月5日には小山から江戸へ帰った。

東軍につく諸大名の先発隊は、8月中旬には尾張に入り、
23日、木曽川を渡って、西軍の守る岐阜城を攻略した。

9月1日、いよいよ家康が江戸を発つ。
13日には岐阜に入り、翌日、長良川を渡って美濃赤坂で軍議を開き、
「東軍の主力は、三成の近江佐和山城を攻略し、大坂に向かう」という方針を決める。

この動きを察知した西軍は、東軍の進攻を阻止するため、
15日午前一時頃、雨をついて主力を関が原に進出させた。

午前七時過ぎ、戦闘が始まった。

関が原は、東西に四キロ、南北に二キロ程度の小さな盆地である。
そこで、東軍は九万人あまり、西軍は八万あまりという大軍勢が、激突した。

午後二時頃、東軍は勝利した。

その知らせに、各地で行われていた東西諸大名のあいだの戦闘も、
じきに終わった。
天下は、ここに決した。

9月27日、家康は大坂城に入って、戦後処理を始める。
最大の課題は、諸大名の大移封(いほう)だった。

江戸の近くや全国の要地には親藩や譜代大名を置き、
外様(とざま)の有力大名は遠く離れた地方に置くという、
江戸時代の大名配置の基本が、この戦後処理によって、ほぼ完成したのである。
天下はもはや決定的に分けられてしまった。

この戦にちなみ、大きくことが決せられる勝負の意味で
「天下分け目の関が原」、またはたんに「関が原」という。

[ことば]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]106-2 正親町天皇。関白と豊臣姓

久しぶりの天皇シリーズ
「天皇と天下人」という本を読んだので
正親町天皇について、補足したいと思います
[天皇]106 正親町。120年ぶりの譲位
の続きになります

正親町(おおぎまち)天皇

1557〜1586年と在位期間が長い
その間、織田信長、豊臣秀吉、天下人が変わっていく
さらに譲位して上皇になってからは徳川家康
激動の時代の天皇

織田信長
織田信長が天下を手中に収めていく中で、関わって行った二人の人物
将軍足利義昭と正親町天皇

将軍義昭については、前半と後半で大きく分かれる
前半は蜜月時代
義昭が信長を頼った事で、信長には上洛の大義名分ができた
義明もいくつかの和議の取り持ちをし、信長にとって「役に立ち」利用価値があった
ところが一転、義昭が、信長包囲網側にくみするようになり敵側に回った
結果的に義明は敗者となり、命こそ奪われなかったものの追放され
室町時代は終わりを告げる

となると、もうひとりの権威の局、天皇とどういう関係を持つか
天皇としても、実質的権力者と良い関係を築かなければ、資金面で援助を得られない
天皇の持つ最強のカード、叙位(じょい)と任官(にんかん)で信長を取り込もうとするが
そういった事に魅力を感じる性格ではない
信長は、あくまで自分にとって利用価値がある範囲でのみ関係を保つ
やはり「天下人」を名乗るには天皇のお墨付きは必要だし
信長と義昭の間の和議をはかってくれるなど実質的利用価値もあった
ひとことでいうと、つかず離れずの関係を最後まで保っていた

秀吉
本能寺の変で突然、信長が討たれる
正親町天皇は、明智光秀に接触を図るが
同時に、羽柴秀吉にも
いわゆる両天秤
結果はすぐに決するので、秀吉に接近していく

秀吉は信長と違って、権威大好き人間
将軍に実質的な意味がなくなっているので、天皇との関係が重要

つかず離れずではなく、べったりなんだけど
したたかで頭の良い秀吉
自分の方が優位に立って、天皇を利用していく

最も象徴的なのが、関白であり、豊臣姓

摂政や関白は、藤原氏のうち、五摂家と言われる、
近衛家、二条家、一条家、九条家、鷹司家しかなれない
ずっとこのルールは破られたことがない

二条昭実(あきざね)が関白になる
ところが、気に入らないのが近衛信輔(のぶすけ)
早いこと私に関白職を譲れと大喧嘩

ここに仲介に入った秀吉
近衛家と二条家という日本を代表する名家がこのままでは遺恨を残すことになり
日本のためによくありません
どうでしょう、ここは間をとって、私が関白になるということでは?

は?

全く間を取ってません
秀吉は五摂家ではないので、関白になれっこありません

なるほど、確かに私は五摂家ではないですね
じゃあこうしましょう
私が近衛家に養子に入りましょう
そうすれば私も五摂家です
私は中継ぎなので、すぐに信輔さんに関白をお譲りしますよ

正親町天皇のところに行って
この線で、二人を説得してくださいとゴリ押し

かくして超レアケース
ホントは五摂家じゃない関白秀吉が誕生する
これをもって、完全に秀吉は天下人になったと言えるだろう

こんなゴリ押しをされて
さぞや正親町天皇は苦々しく思っているかと思いきやそうでもない
頻繁に秀吉は参内(さんだい)している
実は信長は結局正式な形での参内を一度もしていないのと大違い
参内するたびに、貢物とお金をいっぱい持ってくる
それまでの室町時代の天皇が、貧乏を極めたのと大違いで急にお金持ちになった

名字とは別に姓というのがある
正式なもので、正式な文書で使われ、名字と併用される
元々、天皇から与えられた源平藤橘と言われる源氏 平氏 藤原氏 橘氏しかない
近衛信輔であれば近衛藤原信輔
平清盛は平氏、源頼朝は源氏、北条義時は平氏、足利尊氏は源氏、織田信長は平氏
徳川家康は源氏
実は天下の権力者は源氏と平氏が順ぐり

秀吉は、信長に仕えたため、平氏を名乗っていた
羽柴平秀吉

関白になるとき、藤原氏である近衛家に養子に入ったので藤原氏に変わった
羽柴藤原秀吉

6年後、正親町天皇が後陽成天皇に譲位して、上皇になった
正親町天皇としては、譲位が切なる願いだったので、そのお礼だろうか
秀吉を太政大臣(だじょうたせいじん)に任じた
基本的には左大臣が最高位なのだが
常時ではなく一時的に左大臣の上に太政大臣が置かれることがある
実際に何かを行う役割はなく、名誉職
多くは期間を置かずに辞任して、太政大臣になったという名誉で幸せに余生を過ごす

太政大臣に任ずる経緯で、また歴史上類を見ないことをする
豊臣姓を与える

天皇が与える姓なので正式なもの
平安時代より前は増えたり減ったりしたが、
平安時代以降は源平藤橘に固定化された姓。
一つ加えるという衝撃の決断

一般的には羽柴が豊臣に変わったと思われているが
厳密に言うと
羽柴藤原秀吉 が 羽柴豊臣秀吉 になったということで、羽柴の名字はそのまま

豊臣姓は、秀吉が、バンバン勝手に大名たちに与えていき
秀吉に忠誠を誓う一族として利用する
こんなにいっぱい


急速に増えていった豊臣姓
大阪夏の陣が終わると、みんな一斉に豊臣姓を名乗るのを辞めちゃうんですけどね

そして、びっくりすることに、天皇の専権事項のはずの叙位(じょい)と任官(にんかん)すら勝手に行っていく

生まれた鶴丸が幼くして亡くなると急いで甥の秀長を養子にする
秀長に関白職を譲る
えっ
中継ぎで、近衛信輔に譲るって約束を完璧に反故にする
そして天皇は、関白職は今後豊臣家が世襲すると宣言
急に五摂家でもなく藤原氏でもない、豊臣家が関白になるルールに早変わり

口あんぐりです

この続きは、後陽成天皇のブログに引き継ぐことにいたしましょう

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)