[宇宙] 宇宙エレベーター。上に参りまーす。

宇宙旅行といえばロケット
でもお金もかかるしなあ

世の中には賢い人がいるもんです。
宇宙にエレベーターを作ればいい

宇宙エレベーター
まず静止衛星を浮かべます。高度約3万6000km
地球の自転と同じ速度で回るので、止まっているように見えます。

そこから、ロープを地上に向かってスルスルスルと垂らしていきます。
でも、そうすると重みで静止衛星も落っこっちゃうから
逆方向に同じようにロープをスルスルスル
これでなぜ落ちなくなるのかは、文系の私には理解不能ですが。

垂らされたロープを使って、エレベーターが上がっていく仕組み

理論的には昔からあったんだけど、
どう計算しても、ロープが自分の重みでブチッと切れちゃうらしくて、
できれば良いんだけどね、という感じだったらしい。

ところが、日本で開発されたカーボンナノチューブなるひもがやたらに優秀
軽くて、縦方向の強度がべらぼうに強い

ひょっとしてひょっとするぞ

改めて真剣に考え出すと大きなメリットが分かってきた。

下り。
これは、エレベーターの箱を落とせば良いから、全くエネルギーがいらない。
もちろん、そのまま落とすとぺっしゃんこになるから、ブレーキをかけながらだけど
そのブレーキをかけるときに発電ができる。
その電気を上りが上がるエネルギーに回してやる
静止衛星の上には雲がなく、太陽光が効率良く取得できるから
上りと下りのエネルギーの差分として補えば
エネルギーコストゼロも夢じゃない

また、釣り合わすために伸ばした上側のロープにステーションをくっ付けられる
これ実は、ものすごいメリットが大きい。
今まで、人工衛星を置けるのは、高度3万6000kmに限定されていた
そこがちょうど地球の重力と釣り合っているところで、それより高いと地球の重力が及ばないので
どっかに飛んで行っちゃう。
宇宙エレベーターだと紐で繋がっているから大丈夫。

そのとっても高いステーションからものをポンと放り出してやる
地球の重力が及んでいないので、ほぼエネルギー不要でどこまででも飛んでいく
ちゃんと計算して、火星へ向けてポンってやれば火星に着いちゃう訳

そっちへもエレベーターで行けるから
いろんな材料を持っていってはポン、持っていってはポン
火星にお城だって作れちゃうかも

本日はわがスペースエレベーターにご乗車いただきましてありがとうございます
約2週間で、ステーションに到着致します。
エレベーター内に、屋台も用意してございます
各ブースで、漫才や音楽なども盛り沢山でございますので、
ぜひご自由にご観覧いただき、楽しい思い出を作っていただければと存じます。
それでは
上に参りまーす。

[宇宙]シリーズはこちら(少し下げてね)

[人類]6 竹いかだはどうだ

[人類]1 日本人はどこから来たのか
[人類]2 ホモサピエンスの世界大拡散
[人類]3 なぜ海を渡る?考えても分からん。
[人類]4 草の舟が完成
[人類]5 草の舟はどうだ
の続きです。

草の船は失敗
それも、想像以上の失敗

再挑戦へむけて、失敗原因の分析が必要

色々調べて分かったのが、
当日、いつもとは違う潮の流れが起きていた事

改めて実感させられた「海は日によって違う」という事実

今回のチームは失敗だと分かったとき
現代の技術で帰還したが
当時はそんなものはない

完全に失敗すると命はないわけだから
おそらく日常的に海にでている人たちで
海の変化を即座に感じとる力があり
今日はダメだとなったとき、引き返せたのだろう。

やってみて分かったのは、草の船は向かないかもしれないということ
潮の流れに逆らいづらい

第二候補で挑戦だ
さらに、海も、最終目的である台湾から与那国島へのルートに変えることにした。

竹筏
竹は中空で水に浮くので、材料としては申し分ない

竹はいっぱいあるから、簡単に作れるだろう

アミ族の長老に話を聞いて、その考えは全く違っていることが分かった。
彼らの竹筏の製作法は実に丁寧で、
冬におこなう伐採から、前処理、加工、組み立ての工程が終わるまでに数ヵ月かかる
海における1シーズンの漁に持ちこたえる耐久性を与えるための智恵と工夫に満ちていた

とても太い竹を使うのだが
そもそも、3万年前の旧石器人が、石器で竹を切り出すことができるのか
まずはその実験からだった

竹はどんなに太くともシンプルな石器で切り出せる事が証明できた。
大きく前進。

アミ族が竹を縛るのは、籐を使っていた。
トゲだらけの皮を剥げば、籐細工の材料の籐になる
棒きれでものの10秒も叩けば、皮がつるんと剥けて、繊維質が出てくる。

アミ族の筏は絨毯型。沿岸で使うには適しているが、外洋ではスピードが出ない
大きくデザインを変えることにした。


出発準備
海を知り尽くしているアミ族の長たちに、いつ出航すればいいかを訪ねた

明日だ。明日しかない。それを逃せば、当分海が荒れて出られない。

えええっ。そんな急に
殺人的忙しさの一日を、スタッフ全員で助け合いながら奇跡的に間に合わせた。

出航!
目指すは台湾から緑島
目では確認できない。

最終目的は、与那国島だが、
黒潮を越えて見えない島を目指すという意味では、予行演習になる

さあ、どうだったのか
結果は、シリーズの次回ね

[科学]シリーズはこちら(少し下げてね)

[首相]19 斉藤実。軍主導の政権の始まり

5.15事件で政党の党首犬養毅が殺され
政党の時代が終焉を迎え
以降、軍主導の政権になっていく。

斉藤実(まこと)
岩手県出身 海軍 昭和7(1932)年~昭和9(1934)年

陸軍幼年学校を受験し、次点で不合格
仕方ないので、海軍兵学寮を受け合格
陸軍幼年学校はその後繰り上げ合格になるが
海軍の方を選ぶ

英語で才能を発揮し
アメリカに派遣されることになる

ニューヨークに行く列車が、事故で脱線してしまい
寝台車に閉じ込められてしまう。
何とか救出され、九死に一生を得る

在米中、次々と大物に出会える
大山巌
西郷従道
原敬
黒田清隆
山本権兵衛

特に山本権兵衛とは、コンビで仕事をしていくことになる
山本権兵衛が海軍大臣になると、斉藤は海軍次官

山本権兵衛が海軍大臣をやめるとき
後任に斉藤をと指名され
以降、5代の内閣で、8年3ヵ月の長きにわたり、海軍大臣をつとめる

山本権兵衛が首相だったときも、海軍大臣をつとめるが
大正3(1914)年シーメンス事件が起きると、首相と共に、責任をとって辞任

政界を引退するかな、と考えていたが
原敬首相から、朝鮮総督を依頼される

朝鮮では、それまでの、陸軍式の、武断政治にたいして
「徳」を持った文治政治を推し進める

一度帰国するも、2年後再度、朝鮮総督に任ぜられる。

5.15事件後
5.15事件で首相が殺されるという異常事態のなか
元老の、西園寺公望は次を誰にすべきか迷う。

理屈で言うと、同じく政友会から首相を出すべきだが
犯人の方がヒーロー扱いされるという、おかしな方向へ世論が向かってしまった。

軍の方から、後継首相を出さざるを得ないか
でも、それが避けられないなら
軍の中で、最も穏健な考え方の持ち主、斉藤実にしよう。

かくして、斉藤実首相が誕生する。

止められず
でも「穏健派」は、強く主張できない、という事も意味していた。

結局、戦争へという大きなうねりを止める事が出来なかった。

満州国承認問題では
犬養毅前首相は慎重論だったが
積極論に転じてしまう。

満州鉄道総裁の、内田康哉を外務大臣として起用

内田康哉外務大臣は、昭和7(1932)年9月15日
日満議定書を調印し、満州国を承認した。

国際連盟は、満州国承認に反対
いよいよ国際社会で孤立していく。

11月から行われた、国際連盟には全権大使として松岡洋右(ようすけ)を派遣
日本に厳しい内容の、対日勧告案を、42対1の賛成多数で可決されると退場
国際連盟から脱退してしまう。

辞任
斉藤首相を引きずり下ろしたい右翼たち
帝人事件という汚職事件を追求する
結局は、その汚職事件で内閣総辞職

ただ、結局事件に関与したとされる者は、裁判で全員無罪になっている
首相を引きずり下ろすために、
汚職事件がでっち上げられたのではないかという疑惑が消えていない。

そして、昭和11(1936)年、2月26日、雪の日がやってきます。

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[源平]7 平清盛。おごれるものは

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
[源平]6 平清盛快進撃
の続きです。

清盛が寄生虫に犯されて床に伏したところから

清盛にもしものことがあったら、政局がゴタゴタしてしまう。
保元の乱の再来にならないよう、院政の基盤を固めようと
後白河上皇は、六条天皇(自分の孫)に、高倉天皇(自分の息子)へと譲位させる

安心したんでしょうか
清盛はみるみる回復
元通りに政務につけるようになりました。
後白河上皇は出家して後白河法皇となります。

清盛は、息子の重盛に政務を譲り
福原(現在の兵庫県神戸市)に移って、日宋貿易に精を出します。

清盛は娘の徳子を高倉天皇に入内させます。
後に、その間に安徳天皇が生まれます。
これで、清盛は天皇家と完全に親戚関係

このあたり、後白河法皇と平清盛の密月期となります。

僕たち仲良し

その背景には、清盛の義理の妹、建春門院の存在が大きかった
間取り持ってうまい具合に。

ところが
建春門院が安元2(1176)年に、35歳の若さで亡くなってしまいます。
いやーなムード

比叡山延暦寺が無茶な要求をつきつける強訴を起こした。
怒った後白河法皇が清盛に総攻撃を命ずる

清盛としては比叡山を敵に回して得るものは何もない
今まで、比叡山とはうまくやっていた

渋々承諾したものの、さあどうしたものか

ずいぶん考えたんだと思います。
出した答は、この際、決裂やむ無し

比叡山総攻撃の予定日の直前、鹿ヶ谷事件というのがおきます。
後白河法皇の側近たちが、清盛を打倒すべく会議を開いたと言うもの
清盛は、次々とそのメンバーを捕らえ配流にしたり殺したり

別件で逮捕された人から、その会議の事が明らかにされたというので
無理矢理そういうストーリーを作った可能性がある
あまりにタイミングが出来すぎている。
結局比叡山への総攻撃はうやむやになる

後白河法皇だって黙っちゃいられない。
平家の荘園を次々と没収し、揺さぶりをかける

政務を任せていた重盛が亡くなる
長く苦楽を共にしてきたので
清盛はかなりショックだったと思う。

数々の後白河法皇の挑発に
いよいよその時が来たとばかり
クーデターが勃発する

清盛が後白河法皇を捕らえて幽閉した。
後白河法皇寄りの貴族たちを勝手に全員解官し
清盛の言いなりになる貴族たちで固めた。

さらに、全国の国司をに平家一門の者たちを派遣する
66ヵ国のうち、32ヶ国を平家一門で占めた。

高倉天皇には、安徳天皇へ譲位をさせる
摂政には、娘婿の、藤原基通をつけて平家一色。

平家の栄華は、ずっと続くようにも見えられた。
その中で、あの事件が起きるんです。
以仁王(もとひとおう)事件です

続きはシリーズの次回でね

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