[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
の続きです
文(ふみ)
比宮増子(なみのみやますこ)が家重にお庭をともに歩きとうございます、と書いた翌日
昨日の今日で、まだ返事はなかった。
「おいでくださるだろうか」
花壇のそばで比宮がつぶやいたとき、家重と忠光が来るのが見えた。
「比宮から文を貰えるとは。今も懐に入れているのだ」
忠光が家重の後ろからそう伝えた
家重は左のほうの手を袂に入れて、どうにか文を取り出して見せた。
家重の手から文が落ちた。
忠光もあっと思ったが、すぐに比宮がしゃがんで拾い上げた。
「御心が嬉しゅうございます。このように殿のお着物に入れていただけますなら、妾は毎日、殿に文を書いても宜しゅうございますか」
「真実、毎日私に文を書いてくれるのか」
「はい。殿だけにお聞きいただきたいこともございます。
文ならば、殿が一人でごらんくださいますでしょう」
「今からでも明日が待ち遠しゅうございます。」
家重の頬がぼうっと赤くなった。
「増子。もう少しすれば薔薇が咲く」
「ではまたお届けくださいますか」
家重はうなずいて唇を動かした。
「だがな、棘を折っているのはこの忠光だ」
「棘を折るように命じてくださったのは殿でございましょう」
比宮はそっと家重の左の手を取った。
「信じても宜しゅうございますか」
家重がきゅっと比宮の手を握り返した。
比宮が文に書いた二人だけの合図
はい、なら一度、いいえ、なら二度握り返す
「お届けくださった薔薇を、御披露目の後から粗末にしてしまいました。
さぞお腹立ちでございましたでしょう。
許してくださいますか」
家重は一度も、握り返さない。
比宮は戸惑って家重の顔を覗き込んだ。
「もとから腹を立ててはおらぬ。それゆえ、許すも許さぬもない」
忠光が言った。家重の思いがこもったような、穏やかな声だった。
「では、お悲しませしたでしょうか」
「ああ、ふむ」
今度は一度、うなずくかわりに比宮の手を握り返した。
「ならば、どうかそのことを許してくださいませ」
家重は静かに比宮の手を握りしめた。
次の日も比宮と家重は御庭を歩いた。
比宮が家重のそばに駆け寄ると、家重は黙って比宮に手を差し伸べた。










