[織田信長]11 石山本願寺、松永久秀との戦い

[織田信長]1 まむし殿の娘、濃姫
[織田信長]2 二人だけの時間では
[織田信長]3 美濃はそなたに差し上げる
[織田信長]4 血戦桶狭間
[織田信長]5 天下をお取りになるまでは
[織田信長]6 上洛の大義名分
[織田信長]7 義昭を将軍に
[織田信長]8 姉川の戦い
[織田信長]9 武田信玄西上
[織田信長]10 長篠の戦い
の続きです

石山本願寺
一向宗(浄土真宗)の本拠地、石山本願寺は当時強大な軍事力を誇っていた
歴史を読んでいて、これが感覚として分かりづらいところです
戦国大名たちが領土を取り合って戦うのは分かるとして
なんでまた、寺がそこに関わるの?と思うのですが
何度も出てくる石山本願寺は、戦国大名だと考えた方が良い気がします

石山本願寺のある場所は、今の大阪城がある場所
八町四方の城郭で、柵逆茂木を五重につけ、
その内に広さ五間ばかりの空堀を深くうがち、その後にまた総堀を構え、
櫓々に鉄砲を配し、諸門を固く守って、正しく難攻不落であった
この後、石山城と表現することにします

信長が最も苦戦した敵は、まさしくこの石山本願寺

石山城はあまりにも堅牢なので、信長は兵糧攻めにする作戦をとる
本願寺側は、急使を毛利氏に送り、援兵と兵粮とを至急送ってくれるように頼む
毛利は強大。中国地方はほぼ毛利の手中にある
毛利としても、石山城が落ちれば、信長が次にこちらに来るのはわかっている
何とか本願寺に頑張ってもらわなきゃいけない
石山城は一面が海に面しているから、織田勢が周りを囲むには、船を配備

毛利は超優秀な水軍を持っている
水の上なら任しとけ
水軍素人の織田勢は阻止できなかった
毛利方は、運んできた兵粮の凡てを、石山城内に入れることに成功した

とすると、
兵糧攻め作戦自体が意味を無くしてしまった
かと言って、総攻撃をかけようにも城が強固すぎる
ただ囲んでいるだけで、いたずらに時が過ぎていくのみ

松永久秀
かつて強大な勢力を誇った三好氏の家臣だった松永久秀
三好長慶の息子義興が病死し、お世継ぎがいなくなる
仕方ないので養子義継を迎えるが、幼かったがゆえ
松永久秀が義継をうまく使い、三好内で欲しいがままに権力を奮い
近畿では最大の大名となる
それでも、信長には到底かなわないと
早い段階で、信長に数々の贈り物を届け、傘下に入る

それなりに、織田連合の中で活躍し地位を確立していく
ただ、残念ながら、人望も無く器が小さかったので
たびたび信長に罵声を浴びせられたりもする

石山本願寺が膠着状態にあることを好機と考え
松永久秀が反乱に転じた
信長が北陸に出兵中に兵を上げる
信長の嫡子信忠が将となり、佐久間、丹羽、羽柴、明智等が征伐隊に加わる
石山本願寺と連絡を取り、同様の籠城作戦
第二の石山城となり強固な防御

包囲網も2つに分かれざるを得ず、持久戦がさらに長引くと思われた

ある夜、一人の男が城を抜け出し石山本願寺等に援軍を求めようとする
ところが暗闇で道に迷い、気がつけば佐久間信盛の陣地に紛れ込んでしまった
たちまち捕らえられ、拷問を受け、合言葉を白状した

〇〇〇、第一陣の援軍到着いたしました
城兵は喜んで受け入れる

城門に向かって突進し、中から門をこじ開ける
なだれ込む包囲陣
勝負あり

松永久秀は燃えさかる天守閣の中で自刃した

続きはシリーズの次回

[日本の歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[家重]10 上様の耳や目ともなるがいい

[家重]1 まいまいつぶろと呼ばれた将軍
[家重]2 家重様の目と耳になってはならぬ
[家重]3 どんな駒でも、前に進むことができる
[家重]4 お庭をともに歩きとうございます
[家重]5 二人だけの合図
[家重]6 まことでございます
[家重]7 もし口が聞けぬのなら
[家重]8 家重様にお伝えせずにいて、よいはずがございませぬ
[家重]9 将軍に
の続きです

吉宗が将軍を退いて四年が経ち、江戸では町人も武士もそれぞれが、
家重が将軍ということに何も思わなくなっていた。
家重に拝謁する諸侯は驚いた顔もせず、白い眼を向ける者など一人もいない。
一昨年の冬、御城の二之丸が炎上したときには城内に町火消が入って働くことを許されたので、
新しい将軍はさばけた御方だと、むしろ家重の評判は上がっていた

忠光は先達て、三千石の加増を受け、御用取次に任じられた。
忠光は昇進するにつれ、まさに稔る稲穂のごとくに頭を垂れ、誰にもけちのつけようがなかった

家重には、将軍として最も重要だと思われる、人材活用の能力も卓越したものがあり
田沼意次(おきつぐ)の能力を見極め、どんどん抜擢していく

吉宗も68歳になり、75歳になった大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)と語り合う

「儂はな、家重があまりに孤独だろうと思うたのだ。あれは、友を作れぬであろう」
家重は口をきくことができない。筆談すらできずに、人と思いを通じられるはずがない。
「それゆえ将軍に据えるのは不憫でならなかった。将軍職は、友がおらねば務まらぬ」
忠相と吉宗は長い年月のあいだに、同じとき同じことを考えられる間柄になった。
「だが家重は、友を得た。儂にとっての忠相のような相手をな
儂がもっと早く二人の心根を信じてやれば良かった
もう放っておいても良いであろうな。忠光ならば心配はいらぬ」

二人を呼んだ

忠光よ、そなたは上様に仕えて何年になる

はい。27年でございます

よくやってくれた。そなたには、いくら礼を言っても足らぬ

家重よ、忠光のような友を得たことを幸いとせよ

忠光。これからは、口だけでなく、上様の耳や目ともなるがいい

寛延4(1751) 年6月、吉宗が68でみまかった。
家重に将軍を譲ってから五年半が過ぎ、その死とともに新しい世が始まった。
宝暦というその世は、吉宗が享保の改革に突き進んだのと同じ40代を、家重が迎える世である。

忠相もまた、そののちわずか半年で、後を追うように旅立った。

忠光はさらに五千石の加増を受けて若年寄の一人に加えられた。
家重の小姓となって30年が過ぎ、歳は46になっていた

家重のそばだけではなく、忠光が単独で政(まつりごと)に関わることも出てくる
ずっと、自分の意志を持たず、取捨選択もせず
ひたすらに家重の口とだけなってきたが
それだけでは許されない場面も出てきた

尾張藩の西隣、濃尾平野に木曽三川と呼ばれる三筋の暴れ川がある。
海に向かって百を超す川が走る水郷地帯で、この三十年、ほぼ毎年氾濫を繰り返している。
その治水を、次は天下普請として薩摩藩に請け負わせようということになった

薩摩藩にはあまりにも負担が大きかった
それでも、地元民たちが薩摩藩に協力的ならばよかったが
ことごとく反発を受けた

薩摩藩の藩主島津重利が参勤交代で江戸に来たとき
その窮状、担当する平田靫負(ゆきえ)の苦労を忠光に伝えた
ただ、忠光はその事を家重に伝えなかった

平田靫負はその後自殺した

その事を知った家重は、おそらく初めてだと思われるが
すごい剣幕で、忠光に怒鳴り散らす

田沼意次と忠光が二人になったとき
田沼意次が問いかけた

上様はご聡明な御方でございます。
靱負殿の死で、薩摩が彼の地でいかに苦しめられていたか、お気づきあそばしたのでございましょう。
ならばそれを忠光様が知らなかったはずはない。
知っていながら上様にお伝えしなかった、そのことをお怒りになったのでございますね

そなたの申した通り
よもや切腹なさるとは思わなかったのだ
そなたなら、きっと読めたであろうな

どうでございましょう。
ですがそれがしならば、たとえ気づいても上様には申し上げませんでした

そうか。それは何ゆえかの

将軍というものは政に関わるべきではないからでございます
お尋ねしたいのですが、なにゆえ未だに、好きになさらぬのでございましょう。
もう今さら忠光様の足を掬う者もおりませぬ。
ならば、大切な情にひびが入らぬように振る舞われるほうが得策でございましょう

忠光があまりに己を律しすぎるせいで、家重は怒り、靱負は死んだともいえる

私はな、上様に一日でも長く将軍を務めていただきたいのだ。
あの御方は政に大きな才覚をお持ちゆえ

それがしも左様に存じます。
将軍の政とは、人の才を引き出し、その者に存分の働きをさせることでございます。
全軍を統御なさるがゆえに、眼前の政に関わられてはならぬのでございます

意次は、己ならば靱負殿のことは気づいても言わなかったと申したな。
だが私は本心、気づかなかったのだ
私が聞き知ったことを全てお話ししておれば、上様はお気づきになったであろう。
だが私は分からなかった・・・・・・。
やはり私は、幕閣などに加わってよい者ではない。
上様はまことに将軍に相応しい。
意次とて、末は老中首座も務まるであろう。
だが私は到底そこまでは昇れぬ。
年々、上様が精進なさるにつれ、私では務まらぬことが増えてきた
それゆえ私が半端にお伝えしては、かえって事なのだ。
以前のように、御目と御耳にならぬと決めてかかっておるゆえではない

次第次第に、家重、忠光、田沼意次は、
それぞれの持てるものを活かしつつ
うまく連携を取りながら
難局を乗り切っていくことになる

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

帯状疱疹の予防接種を受けました

昨日、12/20[土]、帯状疱疹(たいじょうほうしん)の予防接種を受けてきました

帯状疱疹って何よ
今、話題になっているようですが、さっぱり分かっておりません

じゃあなぜ予防接種を受けたかというと、カミさんが申し込んだから
予防接種を受けるべきか色々意見があるらしいんですが
医療従事者のカミさんが申し込んだということは、受けた方が良いのでしょう

私は、今年から、会社に所属できず、個人事業主ということになってしまっておりますので
国民健康保険
市のやつで健康診断を受けるべきなのですが
ひどく忙しかったので、期限が切れちゃっていました
自分で負担して健康診断を受けなきゃいけません

帯状疱疹の予防接種を受けるついでで、同じ場所で申し込み
Aコース(5000円)とBコース(10000円)どちらになさいますか?
Aコースでお願いします

昨日の当日は、カミさんが予防接種を受けている間
私はまず健康診断

去年までの健康診断では、次から次から色んなことしましたが
Aコースは、なんと簡単なこと
お小水を取ったあと、身長体重、視力聴力、レントゲン、問診とともに予防接種
はい、終わり
心電図も、バリウムも、採血もありません
結果も、去年までは後日郵送でしたが
問診のときに先生が教えてくれる

レントゲンの結果はきれいで問題ありません
尿で多少血が混じっていますので
念の為泌尿器科で検査してくださいね
その他も問題ありません

はーい

副反応
帯状疱疹の予防接種では、かなり高熱の発熱をする副反応があるそうです

解熱剤カロナールも準備し
二人とも動けなくなった時のために
おかゆとかうどんとか準備

恐ろしや〜

本日
今日を迎えました

朝イチで体温測りますと
平熱

注射を打った左腕は、ズーンと重たい感じ
なんとか起きれそうね

二人とも、その後発熱はありませんでした
ただ、ひたすらにだるく、節々が重い
寝たり起きたり、寝たり起きたり
同じ姿勢でいるとつらくなる

カミさんは
おばあちゃんになっちゃった感じ

とはいえ
想定よりは随分軽く済んだんじゃないでしょうか

もう一回、2月末から3月のうちに受ける必要があるそうです

よーし、その時も準備万端で挑むことにいたしましょう

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[旅行] 全国祭り巡り。西日本編

[旅行] 全国温泉巡り。東日本編
[旅行] 全国温泉巡り。中部西日本編
[旅行] 全国渓谷巡り。東日本編
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[旅行] 全国陶磁器巡り。六古窯その1
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[旅行] 全国橋巡り。東日本編
[旅行] 全国橋巡り。西日本編
[旅行] 全国祭り巡り。北海道、東北編
[旅行] 全国祭り巡り。中日本編
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近畿
■京都
出ましたっ
京都の祭りといえば、京都三大祭り

葵祭(あおいまつり)
5月に京都市の下鴨神社及び上賀茂神社で行われる例祭で、
牛車・桟敷の御簾などを葵かずらで飾ったことが名前の由来といわれ、
斎王代・勅使など平安王朝の優雅な装束で行列して御所から下鴨・上賀茂とめぐる。

祇園祭(ぎおんまつり)
7月に京都市の八坂神社で行われる夏祭り、山鉾巡行


時代祭(じだいまつり)
10月に京都市の平安神宮で行われる例祭、
時代風俗行列は、平安時代から明治維新までの各時代の風俗の変遷

京都三大祭り以外にも、有名なのがこちら
大文字五山送り火(だいもんじござんおくりび)
8月に京都市の五つの山の山腹に炎を点火するもので、先祖の霊を送るお盆の伝統行事


さらにこちら
鞍馬の火祭(くらまのひまつり)
10月に京都市左京区鞍馬&由岐神社で行われる例祭、
各家の間口にかがり火、松明をもって集落内を練り歩き、神社山門を目指す

■大阪
大阪といえば、日本三大祭のひとつ
天神祭(てんじんまつり)
7月に大阪市の天満宮で行われる祭、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う「船渡御」

岸和田だんじり祭り
大阪の祭りといえば、こちらも思い浮かびます

■奈良
お水取り
毎年3月12日に、東大寺二月堂で行われる修二会の行事、
堂前の若狭井の水を汲み、加持し、香水とする
兵庫県で育った私としては、母さんが春になるたびに、
春になったかどうかの基準として奈良のお水取りが終わったかどうかを言っていたのを思い出す

■和歌山
那智の火祭り

中国
■島根
津和野鷺舞神事(つわのさぎまいしんじ)
初めてこの画像を見たとき
な、なにこれー
衝撃的でございました
死ぬまでに一度は見てみたい
この衣装、通販で買って舞ってみたい


■岡山
西大寺会陽(さいだいじえよう)
午後10時、灯りが消され、本堂の御福窓から2本の宝木(しんぎ)が投げ落とされ、
「本押し」とよばれる宝木争奪戦が始まる。
群集は本堂の大床や地面を踏み鳴らし、もの凄い叫び声が交差。
ゆらゆらと無数の手がゆらめき、この景色は巨大なイソギンチャクか、人間活火山か。
本堂にいるのは3000人。
わずか17平方メートルの場所に!境内を含めれば9000人。
宝木を取った男は「祝主(いわいぬし)」のもとに走り、
1升桝に盛られた米にそれを差し込み、争奪戦は終了。


四国と九州は、さらにその次ね
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