竹の塚から寺社巡りの続きの続き。

竹の塚から寺社巡り
竹の塚から寺社巡り、の続き。左甚五郎の上り龍下り龍
の続きです。

花畑浅間神社

富士塚です。

実際に登れます。
さっきの保木間氷川神社にも、ほぼ同規模の富士塚がありましたが登れません。
やっぱり実際に登れるとテンション上がります。

花畑浅間神社に建物はなく、富士塚の頂上のこの祠が即ち花畑浅間神社

上から見下ろすと


道が狭くて急なので無茶苦茶怖い
とってもエキサイティング

区画整理
花畑地区って、区画整理が自慢らしい
あちこちに区画整理記念の綺麗に整備された公園がいっぱい


花畑記念庭園
その極めつけが、区画整理を記念した「花畑記念庭園」
無茶苦茶本格的な庭園
この広さ、クオリティ、丁寧な手入れを考えると、普通は有料
足立区エライ


灯篭も、雪見灯篭、春日灯篭、岬灯篭の3種類がちゃんと揃っているし


滝もあって

枯れ滝まである

四阿(あずまや)もあって

待ち合いまである

石組も素晴らしい

高低差もあって




なんて手入れの行き届いた芝生

日本庭園として完璧

それが証拠に、新郎新婦の写真の前撮りをしていた。

おめでとうございまーす。

前撮ってだけで、長女の事を思い出してうるっと来ちゃいます。

桜花亭という施設がありました。
庭園が無料なので、施設で儲けないといけません

時間がなくて中には入らなかったので、ホームページから中の写真を拝借



区立だけあって利用料金もリーズナブル

カフェもあって、庭園を見ながらお茶できます。
そちらの料金もお安くなっております。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

竹の塚から寺社巡り、の続き。左甚五郎の上り龍下り龍

竹の塚から寺社巡り
の続きです。

次のお寺に行く前に
住宅街の中に
えっ、何これ

鉄道マニアなのかな
走るところ見てみたいな

写真だけをいくつか
玉蔵院

西光寺

実性寺

江戸時代に和算の関孝和の弟子の金杉清常、金杉清好、青木万吉の墓があるということで行ったんだけど
金杉家、青木家の墓はいくつかあったんだけど
結局良く分からなかった。
その代わり、牧野隆幸の碑がありました。
このあたりで私塾を開いた先生らしいです。

このあたりはかなり学問の意識が高い土地柄だったんですね

東善寺
区内で一番大きな板碑がありました。
14世紀中頃のものらしいです。
板碑で梵字ではなく漢字で南無阿弥陀仏と書いてあるのは初めて見ました。

おっと、カラーデザインマンホール
東京23区では、下水道マンホールの蓋は全て統一だから面白くもなんともない
見ると貯留槽とあるから、下水道ではなく、雨水が溢れないよう貯めるところで自由に出来るんでしょう。
良かった良かった

正覚院

ここにある石仏群がすごかった
庚申塔

庚申塔ってほとんど青面金剛をメインにしているものだけど
これは、阿弥陀如来が来迎してくるところ
庚申塔でこのデザインは始めてみた
しかも、元和9年だから、1622年
一番古くて元禄までは見たことあるんだけど
元和って今まで見た中で一番古い

将軍で言うと元禄は5代綱吉だけど、元和は2代秀忠の頃ですから
良く残っていたなあ

右も庚申塔でこれも始めてみるデザイン
元禄ですが

左が五輪塔
こちらも元和

銀杏の木の乳だれが大きい

お乳が出ない人が真剣に祈ると、お乳が出るようになったと書いてあります。

お乳が出ますように。

もし私に本当にお乳が出たら、テレビに出れますからね

おっ、あれは何だろう
現代版火の見櫓だろうか

もう少し近づいて見ると
横にタンクの丸がふたつ

ひょっとして、新しい数の歌か

♪数字の百はなーに

♪火の見櫓とガスタンク

(違うやん、001やん)

この冗談のために、向こう側まで回り込む気力がわきませんでした。

大鷲神社

さあ、後半戦のハイライト

図書館で見た寺社の彫り物関東版、っていうのがあって
彫り物の素晴らしい寺社を写真つきで紹介してくれている

いつか行こうと、行ったことないものについては、GoogleMap にマークしておきました。
そのうちのひとつが、この足立区花畑地区の大鷲神社
向拝柱(こうはいばしら)に上り龍があるはず

向拝とは、前側に出っ張っている屋根のことで
向拝柱は向拝を支える柱

おっと若くて可愛い巫女さんがたまたまいました。
こういう時は話しかけないといけません。

すみません。上り龍があると聞いたんですが。

はい、向こうになります。

どうも拝殿の向拝柱ではなく、奥にある本殿の向拝柱のようです。
靴を脱いで本殿の方まで案内してくれるとのこと
巫女さんがわざわざ。夢見心地です。

うわあっ、すごいっ
これは想像していたのより格段に素晴らしかった。

写真は大丈夫でしょうか

ごめんなさい。写真はダメなんです。

こっちが上り龍で、こっちが下り龍でしょうか

さあ?
ちょっとパンフレットを持ってきますね

奥の裏側まで回れるようなので
その間にぐるっと一周
戻ってみると、宮司さんが来てくれていました。

素晴らしいですね
上野の東照宮では、頭が上にある方がこれから下がっていくってことで下がり龍
逆が上り龍と書いてありましたが。

確かにそう言われる方もおられます。
色んな説があるようです。
でも、神様から見て左側の方が格式が高いということからすると
そういう配置にするかなと、疑問に思います。

なるほど、そうなんですね

上野の上り龍下り龍を参考にはしたようです。
こちらは竣工が明治8年なので、それより少し前に作られたものかなと思います。
目のところを見ていただくと丸く模様になっていますが
木の節を使っているんです。

えっ、ここですか?
目を書いたように見えますが、これはあとから書いた訳じゃなく
自然の素材をそのまま利用したということですね。

柱まで一本の木から掘り出されています。

えっ、柱に、彫った龍をくっつけた訳ではなく
柱ごと彫ったって事ですね
これ、ちょっと間違えたら全部やり直しなんでしょうね

いや、このレベルになると、そもそも間違えないらしいです。

私間違えませんので、ってやつですね

この奥の方とか、出来合いの道具でうまく彫れないってときは
自分で、道具作りまでやっちゃうそうですよ。

すごいなあ
さぞ名のある方なんでしょうね

左甚五郎さんです。

えええっ

左甚五郎さんの十三代目、後藤与五郎さんです。

なるほど、落語とか歌舞伎みたいに
名前を襲名していくわけですね。

だから、上野を参考にしたんですね

いやあ、本当にありがとうございました。

写真ないのはいくらなんでも辛いので
ホームページから拝借いたしました。

ウォーキングはまだ続きます。
続きは明日ね

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

竹の塚から寺社巡り

4連休だというのに理由があっておでかけしていません。
よし、行くぞ

竹の塚
足立区行ってみましょう
どの辺が良いかな
うーん、竹の塚
保木間や花畑と言われる地区

白旗塚遺跡公園
足立区は遺跡が豊富なんです。
見沼代親水公園から歩いた時、行ききれなかったのがここ
このあたりの地区で遺跡がちゃんと残っているのは白旗塚だけらしいです。

東京は大分歩きましたので、名前だけで土地のいわれが分かります。
「八幡太郎義家が東北征伐に向かうとき、必勝祈願した。白旗をここに立てたので白旗塚です」
でしょ
はい、やっぱりその通り

白旗は、今だと白旗をあげるとか言って負けちゃう事だけど
源氏は白旗で平家は赤旗

白旗をあげる事が降参の意味なのは、西洋から入ってきた習慣で
最初に使われたのは戊辰戦争。ややこしいね

東京を歩いていると、実にあちこちで八幡太郎義家が、白旗挿してます。
東北で挿すなら分かるけど、何でこの関東の地で白旗挿すのか意味分かりませんが
それだけ人気があるってことでしょう。
ここに旗挿した事にして村おこし
頼朝なんてほとんど出てこないし、
2番人気の平将門や3番人気の太田道灌にも大きく差を開けている


この埴輪、良い表情してるなあ。不安ですけど頑張ってます、みたいな

あら、こんなところに文字が


噂の神代文字ってやつかなあ
中国から文字が伝わるまで、言葉はあっても文字は一切無かったと考える方が不自然なので
何らかの文字は、少なくとも仲間内では使っていたんじゃないかな

秋の七草コーナーでは
歌があげられていました。
山上憶良の歌は定番です。向島百花園でも町田の薬師池公園でも見ました。

花も植えてあります。
オミナエシ

あさがお(ききょうのこと)

延命寺

延命寺山門は、もともと新潟県の佐渡島にある円通寺の山門で、
宝暦4年(1754)の創建といい、昭和51年(1976)に延命寺へ移築されました。
延命寺の山号にちなんで如意門と呼ばれています。
飛騨高山の名工、梶浦某が5年の歳月を掛けて、創建しました。

見事


寳積院
この次の保木間氷川神社の別当寺です。

山号は北斗山と言います。妙見とは北斗七星のことなんですが、妙見信仰があったのだと思います。

保木間氷川神社

出ましたっ
今回のウォーキングの前半戦のハイライト


富士塚


さあ、なぜハイライトかというと
田中正造の保木間の誓い、がこの場所だから
まさか田中正造のゆかりの地が東京にあったとは感激です。

田中正造と足尾銅山の話は御存知の方が多いと思うので、全体的な事はざっとだけ紹介
群馬県の足尾銅山で公害問題が発生。
自然豊かだった渡良瀬川は死の川となり魚は死に絶えます。
さらに洪水が発生。渡良瀬川の川の水が田畑に溢れ
田畑の作物も林も枯れて全滅するという最悪の事態になります。
地元選出の議員、田中正造は、この問題の解決に生涯をかけることになります。

その中で、保木間の誓いの部分

明治30(1897)年9月、請願のため、雲龍寺を出発した被害民約1万人
阻止されますが、そのうち2500名は警察官の警戒網をくぐりぬけ
東京府南足立郡淵江村保木間の氷川神社に到達しました

この神社の境内に2500人が集まったという事です。

このままでは暴徒と化すかも知れないし
警察に逮捕されて、何をされるかも分かりません。

大慌てで田中正造が駆けつけます。

頼む待ってくれ。このやり方が得策とは思えん

でも、今まで目に見える進展がない。我々も我慢の限界だ

分かる。全てわしの力不足。
何とかもう少しだけ、わしを信じて
ここは代表者以外、帰ってはくれまいか

田中正造が今までやってくれた事も分かっているので
みんな涙を流しながら演説を聞き
代表者以外は帰りました。

この事件に関してはいつかちゃんと取り上げたいと思います。

ウォーキングはまだまだ続きます。
続きは明日ね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

[源平 北条]16。鎌倉殿の13人

[源平]1 武士の始まり
[源平]2 八幡太郎義家ここにあり
[源平]3 どっちにつこうかプレゼント大作戦
[源平]4 保元の乱(源平編)
[源平]5 平治の乱
[源平]6 平清盛快進撃
[源平]7 平清盛。おごれるものは
[源平]8 神戸に都を?
[源平]9 源頼朝、立つ
[源平]10 勝利のあとの惨敗
[源平]11 何で勝っちゃったの?
[源平]12 首ねぢ切つて捨ててんげり
[源平]13 一頭死んでますけどーーっ
[源平]14 屋島の戦い、やんややんやの大喝采
[源平]15 壇の浦→義経討伐→落馬
の続きです。

前回、源頼朝が亡くなってしまいました。
源平というシリーズとしてどうするか微妙なところ
鎌倉時代は頼朝が作った時代だから
源氏はまだまだ続くの?
残念ながら源氏の将軍は3代で途絶えてしまいます。

実権は北条氏へ
って事で、
3代将軍実朝までは、新しく始める「北条」シリーズと
ダブらせながら参りましょう

頼家
人間関係を整理しておきましょう

頼朝が落馬で突然亡くなったもので、跡継ぎをちゃんと教育しているひまがありませんでした。
弟二人を殺しちゃっていますので、
跡を継ぐのは息子しかありません。

頼朝と北条政子の息子
普通に考えて、自然に年長の頼家ということになります。

もうひとり重要な登場人物がいます。
北条政子の弟、北条義時です。
超大物
なんと来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主役です

小栗旬です。
かっこいいですね

最初は、まあ地味な人を持ってきたなと思いましたが
一般的知名度は頼朝とかに比べると落ちますが
鎌倉時代の基礎を作った人とも言えます。

何だかんだ言って、実は一番の重要人物は北条政子なので
北条政子がどう考えるか、というのがあります。
小池栄子です。

政子にとって、頼家は息子なので、可愛いに決まっています。
普通に考えると。

ところが、政子は当時やたら忙しくて頼家をちゃんと育てておらず
比企氏に任せています。

頼家からすると、政子に対して母だとの感情がわきがたく
一番大事なのは乳母である比企一族

優秀過ぎる父を持った二代目って辛い
どうしても比較され、お坊っちゃま扱いされる

頼家も頼家将軍としての色を出したい。

親政を始めます。
どういうことかというと、今までの色んな決まり事を無視して
自分のやり方を打ち出していく。

周りの人達はちょっと迷惑

政子は見ていて危なっかしくて仕方ないので
あれやこれやと文句をつける

頼家にすれば、元々好きになれないので
口うるさいおばさんに映る

どんどんこの母子の関係がおかしくなっていく。

そうなると、政子の中で
もうひとつの大切なもの、が芽生えてくる

北条一族

源氏は死んでしまった旦那の一族であり
言うことを聞いてくれない息子の一族

私は北条一族だ

そういう気持ちが日増しに大きくなっていき
今まであまりそりが合わなかった弟の義時に気持ちが近づいていく。

義時と相談

勝手な事をする頼家をどうコントロールしようか

出た答が「合議制」

選ばれたメンバーは13人
出たっ鎌倉殿の13人

義時よ。今後大事な事は一人で決めず合議制にします
よろしいですね

はーい

派閥的にはこんな感じのバランスです。
 北条派 北条時政・北条義時
 比企派 比企能員・安達盛長・八田知家
 京都公家派 大江広元・三善康信・中原親能・藤原行政
 三浦派 三浦義澄・和田義盛
 頼朝の遺臣 足立遠元・梶原景時

メンバーを見た頼家は
比企派が3人入っていたので、思ったよりあっさりと承知しました。

ところが、このあと
恐ろしいことが起きます。
北条派が他の派閥を追い落としていく。
怖いです。

どろっどろ
これ、1年かけて大河ドラマでやるのか
よくこのテーマ選んだな
小栗旬は爽やかイメージだけどなあ

続きはシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)